001-生存
《アイテム:転職石》。
それは新神《ニ・ト》の宣告と同時起きた怪現象――すなわち転移のころと同時に全人類、つまり全プレイヤーに配られていた始まりのアイテムだ。しかしそれは形を持たず、ただ意識の片隅に置かれた存在。それをイメージし宣言することで、初めて能力を発揮する存在。
十七歳の少年アルスは、戦う事を放棄した農村民の中でただ一人、これを使用した。
それは半分賭けのようなものだった。
とうとう逃げられないところまで来たのだ。
――自分の大切なものを守るための力、それだけでいい。敵を殲滅する強大な力でも、全てを支配するような最悪な力でもない。イメージしろ、唯一つの目的のために……!
アルスの脳内に浮かぶのはただ自分が妹リーラを守る姿のみ。それ以上は切り捨てていく。少しでも確実な力を求める。――そして、宣言するのだ。
転職先は……
「――剣士!」
そう言った瞬間、急に体がふわりと軽くなった気がした。
気がつけば、アルスは何もない白の中にいる。そしてその空間に唯一つだけ、ものがある。剣だ。
引き抜け、引き抜け、と、体中の細胞が訴えているようにすら感じるこの環境の中で、アルスはその訴えのままに真っ直ぐに手を伸ばした。何が起きているかなんて、考える余地もない。彼にとってこの事象に原因など必要なく、必要なのはその先の……未来だけなのだ。
サ―――。突き刺さった剣を抜く音だけが白の中に響き渡る。ひんやりとした冷たい印象を受けるその音は、次第になくなっていった。そして感じるこの重み。鍛えられた鉄の刃。少々心細さを覚えさせるこの剣だが、それでもアルスの望みを叶えさせるには十分なものだった。
「……!?」
景色が戻る。
振り返った先、前方には魔物の群集。そしてすぐそばには躓いて転んでしまった妹がいた。
あれから時間は経っていない。だが、不思議と当たり前のように思えた。アルスの意識のどこかに、この仕様を理解した部分があったのだろう。それゆえに、このまま動くことができた。
今なおアルスの右手には先ほどの剣が握られていた。それは見なくてもわかる。その重さを感じ取ることで、守る力を得た実感を得るのだ。
(これで……行ける!)
◆アルス Lv.1
職業:剣士
HP:120
PP:30
MP:8
DP:24
※これらは最大値をあらわす。
技能:生物鑑定
剣士の心得〈P〉
経験地ダウン〈P〉
意識を集中してみると、多少能力値にも変化が見られる。アルスがはじめて持つ剣を使えるような気がしているのは、おそらくは《技能:剣士の心得〈P〉》の作用だろう。
縮んでいく光から出ようとする手前、アルスは妹リーラに向けて言葉をかけた。
「俺が戻ってくるまで、絶対に生き延びろよ……」
それはアルスの心からの願い。胸は熱くなり、今にも笑顔が崩れそうになる。だが必死に耐えた。妹が泣き出しても耐え続けた。自分が泣いてしまったら、妹を不安にさせてしまう。そう考えていたからだ。
そして、ややしゃくれた声で言う。
「っ泣くな妹よ! じゃないと、晩御飯抜きだからな」
「…………ん」
アルスの言葉に、リーラは鼻をすすりながら涙をこらえ、押しとどまった。
「よし。じゃあ……行ってくる」
リーラの頭に手を乗せて軽く撫でる。アルスの覚悟もさらに固いものとなる。
(さぁ、ここが正念場だ。俺は絶対に死ぬわけにはいかない。なんとしても……生きて帰る!)
その次の瞬間、アルスは雄叫びをあげ光の足場から飛び出した。その姿は勇ましく、妹リーラの、村人全員の目に焼き付いた。しかしそれでも行動に移さないのは、やはり彼らが人間だからかもしれない。彼らが行動に出るのは、まだ先の話だ。
「えやあああぁぁぁっっ!!!」
――絶対に守る。絶対に死なせない。
――あんな思いをするのは、一度で十分だ!
アルスの心にあるのは、闘争本能ではなく、生存本能だ。そして今この世界で生死を決めるのはHPという数値しかない。それがつきるまで、あるいはそれがつきても尚、アルスは戦い続けるだろう。
(まずは小手調べだ!)
できるだけ冷静に、落ち着いてこの場を切り抜ける。感情を抑えれば抑えるほど、無駄な動きもなくなっていくだろう。
いくら《技能:剣士の心得〈P〉》があるにしても、その補正にも限界があるはず。0にいくら上乗せしたところで大したものにはならない。まずはその限界を知らなければ、生きて変えることなど叶わないだろう。
(ターゲットは絞られるが、それでも仕方ない)
光から遠ざかることはほとんど死を意味するといっても差し支えない。
アルスは前方五十メートルほどの距離にいる魔物に狙いを定める。大型犬のような体躯に鋭い刃をびっしりと生やしたようなその凶悪な容姿は、まさに魔物だ。
アルスは剣を低く構え、真っ直ぐと敵に向かっていく。幸い近場に他の魔物はいない。どれもこれも光の内側の獲物に釘付けといった様子だ。大型犬改め《クレイジートゥース》は、向かってくるアルスを視野に入れ、ぐっと体に力をこめる。攻撃態勢に入ったのだ。だが、《技能:生物鑑定》を持つアルスには敵のこれからの一連の動作が予測できた。それはこの魔物の典型的な動きだからだ。
●技能:生物鑑定――自分のレベル+5までの魔物、または動植物の詳細を検索する技能。
これにより、アルスは大型犬魔物の詳細を検索していたのだ。結果、クレイジートゥースは比較的単純動作で動き、技能は持っていないことがわかる。そしてその動きこそが、獲物に飛びつく際に見せる予備動作、力を込めかがむ姿勢なのだ。
アルスはそれを確認すると、すぐさま勢いのまま跳躍する。全力疾走のスピードに合わさり《技能:剣士の心得〈P〉》の身体能力補正。それにより、アルスは見事クレイジートゥースの上を行った。そして、標的を失い攻撃の手を中断させたターゲットに、鉄の一撃を加える。手応えはなかなかのものだった。
しかしクレイジートゥースも今の一撃でHPが0になるほどやわではない。次なる攻撃のため再び体に力を込めた。だが、もう遅い。アルスはこの動作を理解している。
今度はあえて回避行動をとらず、大地を蹴り突進してくるクレイジートゥースに向かった。アルスは迫り来る刃の塊を剣の腹にあて受け流し、そして振り返り、斬りつける。この一連の流れを続ける。
すると、四撃目。ようやく力尽きたクレイジートゥースは、大地にばったりと倒れると、黒々とした霧となって霧散した。そしてその霧の一部、黒ではなくわずかに白を含んだ部分だけがアルスの体に吸収されていく。これが熟練値。意識的にではなく、本能的にそう確信した。
(よし、感覚は掴んだ。――次だ)
軽くこぶしを握り締めると、アルスはすぐさま方向を変える。次はここから一番近くにいる魔物、《ネイチャーホーン》。
アルスは改めて剣を持つ右手に力を加えると、力強く大地を蹴った。
+++
――ああ、もうどれだけ時が過ぎたか。
――何人生き残っているのか。
――わからない。でも、まだ……終わるにははやい……。
この世界、どんな状況であっても、どんな惨状であっても、全てにおいて生死を決定するのはHPのみとなる。
どれだけ体を損傷しようとも、どれほどの大量出血をしようとも、HPが1でも残っていれば、それは生となる。
――どれだけ痛くても。
どれだけ辛くても。
どれだけ泣きたくても。
どれだけ逃げ出したくても。
どれだけ死にたくとも――――。
それだけは変わらない。それだけは、絶対に変わらないルールなのだ。
神が変わりでもしない限り、それは――――。
(……あと……38)
体中が痛みで言う事を聞かない。それでもアルスは戦い続けた。唯一つ、失うのを恐れたがために。
(……能力値は……今は……)
絶えず剣を振りながら、意識を集中した。
戦闘を開始してから今に至るまで、殺した魔物の数は数えていない。だが、確実に三十は超えているはずだ。そして、それに伴い少しずつ力がついたいったような感覚がある。それゆえの行動だ。
◆アルス Lv.7
職業:剣士
HP:192
PP:48
MP:12
DP:38
※これらの数値は最大値を表す。
技能:生物鑑定
剣士の心得〈P〉
経験値ダウン〈P〉
やはり、レベルが上がっていたようだ。だが、残存HPが34では……あとどれだけ持ちこたえられるか、わかったものではなかった。
《技能:剣士の心得〈P〉》は剣の扱いを覚えさせても、それ以外のことは教えてくれない。もともとアルスは運動神経の悪いほうではないにしろ、完全なる回避は無理がある。
(……次だ)
土煙が舞い上がってきた。一匹の魔物を切り伏せて、アルスは次なる獲物へと向く。
村の中心から円状に広がった光――安全圏は、縮まるスピードを落としている。それでも縮まっていることに変わりはないが、アルスにとっては喜ばしい限りだ。
「ふぅ……」
軽く息を吐き、姿勢を低くして敵へと突っ込んでいく。そして下段から上段にかけ切り上げ、そして背後へとまわりこみ更に一発。この動きには大体慣れてきた。だが、背後から不意に一撃を受けてしまう。これであと29。
――もう大してもたない。
そう思った。そして更に運の悪いことに、背後から襲ってきた魔物は、唯一技能を備え持っていた。
《技能:火炎魔法》。
しかも魔物であるが故か、無詠唱で攻撃を放ってきたのだ。
(まずいッ――! この近距離じゃ、全HPを持っていかれかねないッ!)
人型魔物の手のひらに光が収束し、一つの火球が生成される。それを認識したのが、アルスが魔物に振り向いたのと同時。そしてここからアルスが切りかかるとして、完成した火球は消滅しない。絶体絶命だ。
――そのときだった。
(――ッ!?)
何かが飛来した。
冷たい。まず思ったのはそれだ。そして、その何かに向いていた気を敵に戻すと、もうそこには火球はかけらも存在してはいなかった。もちろん、魔物の姿も。
(……なんだ……?)
ある種命の危機から開放されて即座に状況理解できるほど利口な人物は早々いないだろう。アルスもそう言う人間ではない。なによりまだ完全に危機が去ったわけでもないのだ。が、それでもその何かを探してしまうのは、アルスの悪い癖かもしれない。
ぴちゃっ。
足場から音が聞こえた。そこにあるのは液体。水のようだった。
するとそこへ、
「危ないところだったな坊主」
人の声だ。しかしアルスには聞き覚えのない声。推測するによそ者のものだろう。
「誰だ!?」
「おいおい、せっかく助けてやったのにそれかよ。まぁ、無理もないか」
「そうそう、こんな修羅場じゃねぇ?」
声が更にもう一つ増える。先ほどの声とは違い、女の人の声。
「そこまでにしとけ。少年、警戒を解け。われわれは君たちに危害を加えるつもりはない」
そしてまた、声。今度のものは初めのものよりも歳が高いようで、若干の渋みが感じられる。
すると不意に、強い横風が吹いた。土煙で見えなかった視界が一気に晴れて、声の正体をあらわにした。
人間の男一人と女一人、そして最後の男は、獣人だった。
「…………」
その姿に、思わずアルスは口を開けたまま立ち尽くしてしまった。
「どうした、獣人を見るのは初めてか?」
「あ、いや……」
「まぁ無理もない。初めて獣人を見る人間は大体そうなる」
「……はぁ……」
異国からの旅芸人もとい、舞踏家。突如戦場に現れた彼ら三人によって、死と隣りあわせだった激戦は終結へと向かっていった。
始まりの戦いの犠牲は多い。この村の人口の約四割が魔物に殺され、その多くはもはや誰かすらもわからないほど無残なものだった。
果たしてこの先、更なる地獄が待ち受けるか、否か。
とりあえず次回からは、一日おきくらいで更新していきます。




