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第一章2

 第一章 開かれた異世界への扉2


 俺は放課後になるとミス研の部室に行く。昨日はネットで異世界のことを調べてみたが、これと言った情報は掴めなかった。


 とはいえ、中には俺は異世界に行ったことがあると言い張る者もいた。が、その話はどうにも信憑性に乏しいし、俺にとっては質の悪いジョークにしか思えなかった。


 となると、やはり情報収集に長けた部長だけが頼りなのだが果たしてどうなるのか。

 

 俺はあまり期待せずに、いつものような心持ちで様々な文化部が軒を連ねている部室棟の廊下を歩いて行く。

 

 ちなみにミス研の部室は四階にあるので、窓からの見晴らしは良い。学校が元々、高い場所にあるせいか、俺の住んでいる町を見下ろすこともできる。

 

 なので、ここ半年足らずですっかり様変わりした駅前や、今も森を切り崩して作られている住宅街なども一望できた。

 

 俺も部室から眺める町の景色は好きだし、変わっていく町の様子を見ていると何だか感慨深い気持ちになる。

 

 この町が田舎という言葉から脱却できる日はいつになるのか。ま、この学校を卒業するまでのんびりと見物させて貰おう。

 

 俺は何となくお腹が減っていたのでカップヌードルでも食べようと思いながら、ミス研の部室の扉を開ける。

 

 そして、驚いた。

 

 何と部室の中央には不気味な魔方陣が描かれていたからだ。それも血のような赤い線で描かれていたので、俺の腕には鳥肌が立った。

 

 ざっと見るに魔方陣の直径は三メートルくらいはありそうだ。見たこともないような文字や記号が踊っている。

 

 あと、部室の中央にあった机や物は端に寄せられている。

 

 一体、誰がこんな魔方陣を描いたのかと思ったが、該当する人物は一人しかいない。


「よく来たな、テッド。このタイミングで現れるとは、ひょっとしたら運命はお前を中心にして回っているのかもしれない」


 俺は背後から声をかけられてビクッとする。振り返るとそこにはパンを手にしている部長がいた。


 たぶん放課後にもかかわらず購買に行ってきたのだろう。

 

「部長じゃないですか。一体、どうしたんですか、これ?」


 俺は部長の顔を見据えながら魔方陣を指さす。


「どうしたって言われても、見ての通り悪魔を召喚する魔方陣だが。お前にはこれが宇宙人からのメッセージであるミステリーサークルにでも見えたのか?」


 部長は済ました顔で言った。


「見えませんけど、何でそんなものを描いたんですか?悪ふざけにしてはちょっと度が過ぎるし、誰かに見つかったら、ヤバイですよ」


 俺はツバを飛ばしそうな勢いで言った。


「その通りだが、話すと長くなるんだよな」


 部長が話を渋る時は大抵、たいした理由がない。あれば喜々とした顔で勝手に話し始めるし。


「それに聞いたところで、たいした情報は得られないと思うぞ。俺だって何だか分からないが面白そうだ、という理由だけでこんなものを描いちまったんだから」


 部長はボサボサの頭を掻き毟りながら、案の定、そう言った。


「でも、俺だってミス研の部員なんですから、部室がこんな状態になってる理由は教えて貰わなきゃ困りますよ」


 俺も内心ではかなり憤っていたので、説教でもするように言葉を続ける。


「それとも、日頃からお互いに隠し事は無しにしようって言ってた部長の言葉は嘘だったんですか?」


 隠し事はしないがプライベートには口を挟まないのが暗黙のルールだ。


「確かに、そのように言い出したのは俺自身に他ならない。まあ、お前に一言も無しに勝手なことしたのは悪かったと思っているよ」


「だったら、こんことをした理由を手短に教えてくださいよ。どんな馬鹿げた理由でも、俺なら怒ったりはしませんから」


 俺が丸め込むように言うと、部長は怜悧な目を細める。


「良かろう。昨日、家に帰ったら珍しく親父がいたんだ。それで、異世界の話を詳しく聞かせて貰おうとしたら、親父が自分宛に変なメールが送られてきたって言うんだよ。だから、俺もそのメールを見せて貰った」


 部長はそこで一拍おくと言葉を続ける。


「そしたら、異世界に行きたいのならメールに記された手順で儀式をして、悪魔である自分を呼び出せと書いてあったんだ」


 部長の発した悪魔という言葉には俺も陳腐さを感じた。それから、更に部長は愉快そうに口を開く。


「何というか、科学者の権威に挑戦するような気骨ある精神をメッセージからは感じ取れたな」


 つまり、そのメールは部長の箏線に触れたということか。だとしたら、俺も拝見したいところだが、この科学全盛の時代に悪魔はないだろうと思う。


「それは何だか怪しげですね。でも、その人はウォルコット教授が異世界の研究をしていると知った上で、そんなメールを送りつけたんでしょうか?」


 だが、自分を呼び出せとはちょっと変な言い回しだ。

 

「そう考えるのが自然だろう。もっとも、親父はただの悪戯メールだと笑い飛ばしていたんだが、俺にはそうは思えなくてな」


 部長の勘は侮れない。


「それで、試しにメールに記されてあった通りに悪魔を呼び出す儀式をすることにしたんだ」


 部長は「これを描くために授業もサボったんだぜ」と一笑しながら言った。


「それはまた安直ですね」


 とはいえ、そこが部長らしいんだが。


「なら、こんな魔方陣を描く前に一言、俺に相談してくれれば良いのに。そうすれば俺だって手伝いくらいはしましたよ。と言っても、さすがに授業はサボらなかったと思いますけど」


 そう口にして、俺はまじまじと魔方陣を見た。どうせ、俺じゃ部長の行動を止めることはできなかっただろうからな。

 

「そうだな。まあ、メールの送り主にまんまと乗せられているというのは分かっていても、それを試さずにいられないのがミステリーマニアの性だ。メールの内容もその辺のツボを心得ているようだったし」


 だとするとメールの送り主は愉快犯か。


「だから、俺もお前が来るのを待ってはいられなかったんだよ」


 部長は悠々と言ったが、俺はげんなりする。何にせよ、こういうことを本気で実行して楽しんでしまうのが部長なのだ。


「なるほどね」


「ま、さすがの俺も本当に悪魔を呼び出せるなんて思ってないが、ちょっとした余興だ。肝試し気分でやるには悪くないだろ?」


 部長は砕けたように笑うと言葉を続ける。


「現にお前の魔方陣を見ていた時のぎょっとした顔は鏡で見せたかったくらいだし」


 そこまで観察していたとは部長もつくづく人が悪い。


「それはまた随分と季節外れの肝試しもあったもんですね。でも、こんな魔方陣を俺、以外の人間に見られたら、下手したら部室を取り上げられるかもしれませんよ」


 もし、部室のドアを開けたのが俺じゃなかったら、どう言い訳するつもりだったんだと思いながら言葉を続ける。


「それでなくても生徒会は日頃から部室を私物化しないようにと喧しく言っていますし」


 そうは言っても、部長は生徒会の連中と太いパイプを持っているようだから、多少の無理は効くが。


「大丈夫だ。ラッカーではなく水性の塗料で描いたからすぐに消せる。だが、魔方陣を描くのに六瓶も赤い塗料を使ってしまった。痛い出費だな」


 その塗料は模型店で買ってきたのか。


「すぐに消せるなら良いですけど、それならわざわざ塗料なんか使わず、普通の絵の具にすれば良かったのに」


 本当はそういう問題じゃないんだと言いたくなったが。


「まあ、そう小さいことは気にしてくれるな。こういうことには手を抜けなくなるのが俺の性分だし。とにかく、後は呪文を唱えるだけだから、それはお前がやってくれ」


「何で俺が?」


 俺は泡を食ったように言った。


「お前は何にもしてないだろ。なら、それくらいやって貰わんと。まっ、一番、美味しい役目を譲ってやろうとしているのだから、甘んじて従え」


 こういう時の部長の言葉には逆らい難いものがある。


 ひょっとして、部長も何かこの魔方陣からは嫌なものでも感じ取ったのだろうか。部長は危ないことには鼻が効くからな。

 

「分かりましたよ。でも、もし何も起こらなかったら、この魔方陣は見つからない内にさっさと消してくださいよ。それと、二度と相談もなしにこんなことはやらないこと、良いですね」


「おう」


 そう言って、部長は屈託なく笑うと、いかにも呪文といった感じの文字の羅列が記されたメモ用紙を俺に寄こした。


 これを唱えれば良いわけか。何だか、アホ臭いな。


 とはいえ、そう端っから決めつけずに何か起きるかもしれないと期待すれば部長のようにミステリーやオカルトの世界をより深く楽しめるのかもしれない。

 

 じっくりと紙を見た俺は仕方がないといった感じで、魔方陣の前で呪文を口にする。

 

 内心では何も起こるわけがないと高を括りながら。

 

 だが、いざ呪文を唱え終えた瞬間、驚愕するべきことが起きる。何と床に描かれた魔方陣が光り始めたではないか。

 

 それも血のような赤い光りだ。

 

 これには俺も呆気にとられる。と、同時に幻覚でも見ているのかと思った。もしかして、部長が何かこの魔方陣に仕掛けでもしたのか?

 

 そんなことを考えている間も魔方陣から放たれる光は強くなっていく。

 しかも、手で描かれた歪な形の魔方陣が機械で描かれたような綺麗で精密な形へと修正されていくし。

 

 そして、最後には目も眩むような光りが魔方陣から膨れあがった。

 

 それを受け、俺は思わず目を瞑ってしまう。

 

 だが、強い風が部室の中を吹き荒れているのは感じ取ることができた。それから、目を恐る恐る開ける。

 

 すると魔方陣の上には体長が十メートル以上はありそうな体をくねらせた巨大な蛇がいた。

 しかも、その背中からは美しさと、禍々しさが混同しているような羽が生えている。

 

 これには俺も心胆が寒からしめられる。

 

 悪い夢だろ。

 

「我が名は《邪神イビルナート》。七つのラッパが吹き鳴らされる時、世界を混沌に陥れる者だ」


 蛇は高らかに人間の言葉を発した。


 目の前にいるのは本物の邪神だというのか?確かに圧倒的な存在感を感じる。あの大きな口なんて、牛すら丸呑みにできそうだ。

 

 特撮の映画でも、このような真に迫ったような迫力は出せないだろう。

 

「邪神だと?」


 俺は震え上がりそうになりながらも何とか言葉を絞り出す。


 邪神なんて言葉にはチープなものしか感じられないが、それでもこの蛇を前にしてはそんな心の声も撤回せざるを得ないだろう。

 

「そうだ。ところでお前は何者だ?私はウォルコット教授に用があるんだが、ここは大学の研究室か。それにしては随分と狭苦しいが」


 イビルナートとかいう邪神は困惑したような声で言った。


「ウォルコット教授はここにはいないよ。それにここは大学の研究室じゃなくて、ただの学校の部室だ。現れる場所を間違えたんじゃないのか?」


 俺はイビルナートを刺激しないよう、慎重に言葉を選ぶ。


 その際、テレビでアナコンダがワニを絞め殺して食べている映像が脳裏に浮かんだ。こいつなら、ワニどころかゾウすら、殺して食べてしまえるだろう。

 

 下手な言葉を発すれば、俺も骨を砕かれて、丸呑みにされてしまうかもしれないな。

 

「学校の部室だと。それは一体どういうことだ?」


 イビルナートは大きな口をグワッと開けて、尋ねてきた。これには俺も心臓の血液が冷え切るようなものを感じた。


「そ、そんなことを言われても、突然のことで俺も何が何だか分からないし、説明ならこっちが聞きたいくらいだよ」


 この時の俺は完全に取り乱していたが、部長なら上手く説明してくれるかもしれないと思って救いを求めるように部長のいた方を振り向く。


 そしたら、なぜか部長は気絶したように床に倒れていた。これには不条理なものを感じる。

 

「要領を得ないな。こうなったら手っ取り早く、お前の頭の中を覗かせて貰うぞ。お前も心の中をできるだけ空っぽにしてくれ」


 イビルナートの水晶のような瞳が怪しく光った。


「えっ?」


 俺は上擦ったような声を上げたがイビルナートは彫像のように固まった身じろぎ一つしない。


 しばしの間、重苦しい沈黙が続いた。

 

 俺は蛇に睨まれた蛙のような気分になりながら、イビルナートが口を開くのを待つ。その間、言われた通り、無理に何も考えないように努めた。

 

「なるほど、そういうことか。やはりウォルコット教授も、この私のメッセージを真剣には受け取ってくれなかったか。これは宛てが外れたな」


 三分後、イビルナートは合点したような顔をする。それにしても蛇のくせにまるで人間のような表情を浮かべるんだな。


「こんな短時間で何が分かったんだ?」


 別に違和感はなかったが、本当に頭の中を覗かれたのか?


「色々とな。まあ、この際、贅沢は言っていられんし、王の魂はお前に頼むことにするか。お前のような純粋な心を持った人間なら、奴も納得するかもしれないからな」


 何かとっておきの悪戯を思いついたような笑みをイビルナートは浮かべる。それがどことなく子供っぽさを感じさせた。


「王の魂?」


 俺はその言葉の意味を吟味するように尋ねた。


「ああ。哲学の産物などではない正真正銘の魂だ。お前とて魂がどういう物なのか知らないわけではあるまい」


 イビルナートは邪気のない笑みを浮かべながら言った。


 まあ、かなり昔に読んだ本には魂とは人間を構成する上で最も基本的な要素だと書いてあったからな。

 その要素が何なのかは今一つ分からなかったが、魂について漠然としたイメージは俺も持っている。


 そんなことを考えていると、イビルナートは何を思ったのか口の中から、光りの球を吐き出した。

 

 それは空中をゆらゆらと漂いながら俺の方に近づいてくる。

 

 そして、どこか人の温もりのようなものを感じさせる光りの球はいきなり俺の胸の中にスーッと入ってしまった。


「お、俺の中に何か入ったぞ。魂だか何だか知らないが大丈夫なのか?」


 俺は体の中から溢れてくるエネルギーのような物に戸惑う。何なんだ、この今までに感じたことない感覚は。


 まるで全身の血液が逆流しているかのようだ。

 

「慌てるな。お前の体に害はない。今は無理に逆らおうとせずに、流れ込んでくるエネルギーに身を任せろ。そうすれば自然と慣れる」


「でも」


 俺は食い下がるように言った。確かにこの感覚は不快なものではないが、だからといってすぐに許容できるものではない。


 とにかく、あの光りの球が俺の体に影響を与えているのは確かだが、これから一体、どうなると言うんだ。


 俺は何とか気持ちを落ち着けようとする。すると次第に心が楽になっていった。


「どうやら、王の魂はお前を相応しい器と認めたようだな。これで私も安心できるし、お前と巡り会えた運命に感謝せねば」


 イビルナートは感極まったように言うと、一方的に俺へと告げる。


「とにかく、王の魂はお前に任せたぞ。それと異世界に行きたかったら、王の魂に直接、呪文を聞け。それをこの魔方陣の前で唱えれば異世界へのゲートは開く」


 その押し寄せてくるような言葉に俺は頭がこんがらがりそうになる。とはいえ、イビルナートを怒らせるのは怖かったので、あまり強気な態度には出れなかったが。


「そんなことを言われても困るし、せめて、俺の身に何が起こったのかくらいはちゃんと説明してくれよ」


 俺は焦心を滲ませながら言った。


「いずれ分かる。まあ、これも運命だと思って、さっさと受け入れるんだな。それに機会があればお前とはまた会うこともあるだろう」


 イビルナートは笑壺に入ったような顔をすると、更に言葉を続ける。


「その時は王の魂を引き受けてくれた礼として、お前のどんな願いでも叶えてやるから、せいぜい楽しみにしておけ」


 イビルナートが「では、さらばだ」と言うと、その姿は背景に溶け込むようにして消えてしまった。


 まるで最初から、そこには何もいなかったように。ただ、魔方陣だけはうっすらと光りを放っていたが、それも程なくして消える。

 

 一方、俺は呆けたようにその場に立ち尽くしていたが、しばらくして気を取り直すと、部長に声をかける。


「起きてくださいよ、部長。大変なことが起きましたし、暢気に寝ている場合じゃないですって」


 まさか死んでしまったのか?しかし、そう思った次の瞬間、部長の口が緩む。


「もうカレーパンは食えないぞ、ムニャムニャ」


 こんな幸せそうな寝言が言えるということは、命に別状はなさそうだな。なら、いずれ目を覚ますだろう。


 それにしても肝心な時に気を失ってしまうなんて、部長にしてはマヌケだな。


 とにかく、目を覚ましたら、部長には自分が経験したことを話さなければ。とても自分一人で抱え込んでどうにかなることではない。


 俺はとりあえず部長の体を壁に立てかけると、不思議な感覚に満たされながらミス研の部室を後にした。

 

                   ☆


 俺はとにかく疲れていたので、自宅に帰って来るなり自室のベッドで横になっていた。

 

 こうしているとあの一件が嘘のように思えてくる。だが、邪神イビルナートは間違いなく俺の前に現れたのだ。

 それを実感すると何だか興奮する。部長の言っていた非日常との邂逅とはこういうことだったのか。

 

 だが、王の魂とは一体、何なのか?それだけが今のところの不安要素だ。

 

(やはりそう簡単には安心して貰えぬか。だが、お前の頭も冷静になってきたことだし、そろそろ話さなければならないようだな)


 頭に直接、聞こえて来るような声に俺はビクリとする。


「誰だ?」


 俺は上半身を起こしてキョロキョロする。当たり前だが部屋に俺以外の人間はいない。もしかして、空耳だろうか。


(慌てるな。私はお前の心に直接、話しかけている。まずは高ぶる感情を静めて、私の声に心の耳を傾けよ)


 声の主は落ち着き払っていた。今度はしっかりと聞こえてきたし、幻聴の類いではなさそうだ。


「心にだって?まさかお前が王の魂なのか?」


 他には考えられない。


(その通りだ。私はお前の心を住処にさせて貰っている。だから、お前も口には出さずとも心の中で話してかけてくれれば私には伝わるのだ)


 テレパシーのようなものか。でも、こんなことくらいじゃもう驚かないぞ。


(なるほど。って、こんな感じで良いのか?)


 俺は幾分、緊張しながら心の中で尋ねた。


(そうだ。これなら誰にも知られることなく会話ができる。後は自分の声と私の声を聞き間違わないように注意してくれれば良い) 


(ふーん。何だか心を覗かれているようで良い気分じゃないし、できることなら、お前には俺の体から出ていって貰いたいんだが)


 まあ、この声の主に悪意がないのは分かる。


(それはできない相談だ。とにかく、お前は私に聞きたいことがあるのではないのか?私が知っていることであれば、包み隠さず教えよう)


 そうは言っても、こいつから聞かされる話を鵜呑みにすることはできない。何せ、邪神から引き渡された魂だからな。


 もっとも、この状況で嘘を吐いても意味はない気がするが。

 

(改めてそう言われると困るな。俺には持っている情報が少なすぎるし、どこから切り込めば良いのか分からないよ)


 せめてあの邪神がもう少し詳しい説明してからいなくなってくれれば。


(なら、私の方から説明してやろう。まずは私の名前だが、《アグナス》と言う)


 アグナスは毅然とした声で言った。


(アグナスか、気高い響きを持った良い名前だな。俺の名前なんて何の捻りもないテッドだし、少し羨ましいぞ)


 アグナスという名前は、まさしく王というイメージにぴったりだ。


(重要なのは名前ではない。が、そう言われるのは悪い気はしないし、一応、ありがとうと言っておこう)


 アグナスは温厚さを感じさせる声で言葉を続ける。


(とにかく、私はこの世界とは別の世界にある剣と魔法の力が支配する国、《アグナスティア王国》の初代、国王だ。それは覚えていて欲しい)


 剣と魔法なんてフレーズはまるでファンタジーだな。


(お前は本当に王様だったわけか)


 だから王の魂なんだな。


 なら、俺も失礼のないような態度を取らなければと思ったが、すぐに思い直す。下手に出ていると、何を要求されるか分かったものではないからな。

 言いなりにならないためにもアグナスとは確固たる態度で、接しなければならないだろう。


(そうだ。と言っても、今のアグナスティア王国には既に別の国王がいるから、元と言った方が良いな)


(へー。でも、何で魂なんかになったんだ?俺は人間に魂があるなんてずっと信じていなかったけど、本当はあったってことなのか?)


 俺は魂に対してははっきりとした否定派だったが、この目で邪神を見た後だと、その確信も揺らぐ。


(それともアグナスだけが特別なのか?)


 俺のその質問は長い独白の始まりでもあった。


(私が特別かどうかは分からないが、残念ながら普通の人間には魂などない。まずは順を追って話そう)


 アグナスは改まったように言うと、朗々とした声で語り出した。


(かつて私がアグナスティア王国の国王だった時、国を支配しようとする《邪神ザナルカダス》と戦いになった。ザナルカダスは異界にいる神で、恐ろしい力を持っていた)


 ザナルカダスなんていう邪神は俺も聞いたことがない。


 ただ、イビルナートという邪神の登場を目の当たりにした後だと、何となくその恐ろしさも想像ができるのだ。

 

(だが、奴はあまりにも力が強いために、異界とアグナスティア王国のある世界を繋ぐゲートを簡単に通り抜けることはできなかったのだ)


 ゲートというと、部室にあったやつと同じか?


(だから、ザナルカダスは配下である《魔王ヴォラクロス》やその仲間たちを送り込んできた)


 邪神や魔王なんていう単語が出てくると、まるでゲームのような世界に思えてくる。まあ、本当にゲームの世界だったら、笑い話で済んだんだろうけど。


(私は何とかして、ヴォラクロスとその仲間たちを打ち倒し、今にもアグナスティア王国に入り込もうとしていたザナルカダスを激しい戦いの末に異界へと追い返した)


 アグナスの声にはやつれたような響きがあった。


(だが、その戦いで私も大怪我を負って、息絶えようとしていた。そこにアグナスティア王国のある世界とは別の世界、つまりお前の世界の邪神である《イビルナート》が現れたのだ)


 イビルナートは俺の世界の邪神ってことか。


 まあ、イービルは英語で邪悪という意味があるからな。ひょっとしたら、イビルナートという名前も偽名かもしれない。

 

(イビルナートは理由はよく分からないが、私を魂だけの存在として生き長らえさせてくれた。それ以来、私はアグナスティア王国を見守り続けることになった)


 アグナスはどこか遠くを見詰めているような声で言った。


(その上、私はアグナスティア王国を正しく治められるよう、代々、国王となる者に取り憑くようにもなったのだ)


 アグナスの声からは懐かしさのような感情が伝わってくる。魂だけの存在になっても充実した人生を送ることができていたようだ。


(こうして私は取り憑いた国王に、助言をしたり、様々な知識を与えたりした。それが功を奏したのか、アグナスティア王国は平和を謳歌し、繁栄を極めた)


 アグナスはそれを誇る風でもなく言った。


(結果、私を受け入れ、私が認めた者だけが国王になれるという仕組みもできた。が、ある時、それを快く思わない人物も現れた)


 アグナスの声に苦い物が混じる。


 一方、この時の俺は話の内容にすっかりと引き込まれていた。後で、余計なことは聞かなきゃ良かったと、後悔することになるのだが。

 

(その人物は私の子孫でもあるルシアス・ドゥ・オルゼアーノという男だった。奴は血筋だけで王の座に着こうとしたが、それが上手くいかないと分かるや、邪神の手すら借りようとしたのだ)


 アグナスは迸る怒りを感じさせつつも、どこか寂寞とした口調で言葉を続ける。


(しかも、あろうことか奴はかつて私が異界に追い返した邪神ザナルカダスの力を後ろ盾にして、自分に逆らう者を容赦なく皆殺しにしていった)


 皆殺しという言葉に俺も息を呑む。急に話の雲行きが怪しくなってきた。


(しかし、その一方で奴はザナルカダスから持たらされた知識で国をかつてないほど豊かにもした)


 アグナスの声のトーンが一転して低くなる。


(故に、奴は国王の座に着くことができた。それからは、奴に逆らう者もしだいにいなくなっていった)


 アグナスの声が沈む。


(皆、奴から与えられた豊かさに目が眩んだのだ)


 俺はその話を聞いてやりきれないものを感じだ。人間っていう生き物はどうして現金で薄情なんだろう。


(だが、ザナルカダスはアグナスティア王国を支配する機会を虎視眈々と狙っている。なのに、国中の人間はそのことに危機感すら持っていない)


 アグナスは苛立ちを隠さずに言った。


(そして、私自身もザナルカダスの力によって消滅させられそうになったが、その危機をまたしてもイビルナートが救ってくれた)


 となるとイビルナートは良い奴なのか。


(その後、私はイビルナートに保護されながら、私を受け入れてくれる人間を探し続けたのだ)


 アグナスはそうしんみりした声で話を締め括る。


 まるでおとぎ話のような内容だったが、アグナスが嘘をついているとは思えないし、全て事実なのだろう。

 

(なるほどね・・・。でも、その話が本当なら俺にできることなんてないと思うよ。俺には何の力もないんだし)


 俺はそこでようやく声を発すると、突き放すように言葉を続ける。


(それにお前は差し迫った事情を抱えているようだけど、冷たく言ってしまえば俺には何の関係の無いことだ。勝手に巻き込まないでくれと言いたいね)


 こんなことを言うと嫌な奴を演じさせられているようで、俺も心が痛んだが。


(そう言われると私としても弱るな)


 アグナスは苦味のある声で、言葉を紡ぐ。


(だが、このまま手をこまねいていたら、本当にアグナスティア王国は滅亡するかもしれない。だから、お前にはできる範囲で良いから力を貸して貰いたいのだよ)


 アグナスは真摯な言葉で訴えかけた。


 それを聞き、俺はようやく自分が大変な運命の中にいることに気が付いた。だが、それは少々、遅すぎたと言える。





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