プロローグ
プロローグ
イギリスのとある田舎町に住んでいる俺ことテッド・ラングフォードが、中高一貫の学校である《アーヴィニア学園》の高等部に進学してからちょうど一ヶ月半が過ぎた。
冬の寒さは完全に過ぎ去り、春の過ごしやすい陽気が続いている。おかげで退屈な授業を聞いているとうとうとしそうになるほどだ。
まっ、ほどほどに難しかった定期テストは何とか乗り切れたし、ようやく一息吐ける時期になったと言えるだろう。
これから当分の間は何のイベントもないし、代わり映えしないような穏やかな日々が続くんだろうなと、俺は思っていた。
もし、日常というものを忌み嫌う心が俺の心にあるなら、それは幸せな証拠と言っても良いだろう。
こうしている今も世界ではテロや戦争などが起きている。
特に俺のいる国であるイギリスも平然と戦争には荷担しているし、そのせいで罪もない子供たちが殺されているのは人事とは言え心が痛む。
だが、こんな田舎町にいる俺にとってはそれも対岸のできごとに過ぎなかった。
ただ、うるさいテレビだけが躍起になって、他の国の不幸まで押しつけようとしているだけで、俺を取り巻く世界は平和そのものだ。
なので、何か面白いことでも起きてくれないかな、といつも思っている。
俺は放課後になると、やむなく去年の十月から所属することになったミステリー研究会の部室でゆるりと紅茶を飲む。
この瞬間が一番、落ち着くんだよな。
ミス研に入る前まではコーヒーばかり飲んでいた俺だったが、紅茶も飲み始めてみるとけっこう癖になる。
もちろん、普通のパックの紅茶は前から入れられたが、それとは別に難しいティーサーバーの使い方も覚えた。
その上、ミス研の部長であるエリック・ウォルコットはとにかく紅茶にうるさいので茶葉はそこらのスーパーでは買えない高級品だ。
そうは言っても、俺はやっぱり紅茶より砂糖たっぷりのコーヒーの方が好きだったりするのだが、それについてはあいにくと意見を言える立場にはいない。
もっとも、意見が言えないのは飲み物のことに限ったことではないが。
そんなことを考えながら、香りと味の両方を楽しみながら紅茶を飲むという行為を満喫していると、部長がデスクトップのパソコンから視線を上げた。
その顔には活力のような物が漲っている。
「さてと、つまらないテストは終わったことだし、今月号の月刊ミステリー新聞のテーマは何にしようか。やっぱり、学園の七不思議はやっておきたいところだよな」
すらりとした高い背丈に、知的に見えそうな眼鏡をかけた部長は「フッ、七不思議は学校のロマンだぜ」と言って楽しげに双眸を煌めかせた。
この男が学年でもトップを独走している成績の持ち主だとはちょっと想像しづらい。
まあ、外見だけを挙げればかなり頭が良さそうにも見えるのだが、纏っている空気とでも言うべき物があまりにも異質だからな。
だから、変わり者という言葉を通り越して、変質者のようにも見られている。そんな人間と日頃から一緒にいる俺も冷たい視線を向けられているが。
そして、部長の目の前にある使い古されたパソコンのモニターには綺麗にレイアウトが取られた白紙の新聞が画像として映っている。
あと、月刊ミステリー新聞というのは、その名の通り、ミス研が月に一度、校内掲示板に貼り出している新聞だ。
内容が内容だけに読者はあまり多くはないが、コアなファンはいるらしい。かくいう俺も、かつては熱心な読者の一人だった。
ま、そこに目を付けられて、部員になるよう引っ張り込まれたわけだが。
「学園の七不思議なんて今更っていう感じですよね。まあ、そう思っていてもついワクワクしてしまうような魅力があるのが、七不思議なんでしょうけど」
俺は紅茶を啜りながら何とはなしに部室を見回す。
埃の舞い散る部室にはパソコンが四台もあり、ブラウン管の大型テレビや新型からレトロなやつまで揃ったゲーム機がたくさん置かれている。
他にも電動ポットやガスコンロ、ストーブなどもあり、部室で快適に過ごすのに必要な物は一通り常備されているのだ。
俺もこの部室の様子を見る度にまるで子供の秘密基地みたいだと思えるんだよな。
だが、こういう雰囲気が嫌いになれないのも、俺が年頃の少年だからだろう。何もない殺風景な場所よりは雑然としてはいるがたくさんの物に囲まれている方が良い。
そう思えるような気持ちも、この部室の中で過ごすようになれば自ずと分かるはずだ。要するに物事は慣れが肝心だってことだな。
「その通りだ、テッド。やはりお前は良く物事のツボを押さえているな。はっきり言って、七不思議を馬鹿にしているようでは、ミス研の部員たる資格はない」
いや、そう言い切ってしまうのはどうかと思うけど。
だけど、七不思議ってどういう経緯で産まれたんだろうな。そこら辺を突き止められれば新聞の記事にもできるかもしれない。
「でも、部長は中等部の頃からミス研の部員だったし、七不思議はやらなかったんですか?俺的には七不思議なんて、手垢が付きまくった新鮮味のないネタに思えるんですけど」
部長は中等部の一年の時にたった一人でミス研を設立したらしい。なぜ、そんな部を設立する気になったのかは知らない。
それについて尋ねても部長は退屈を持て余していたからだと言うだけだし。案の定、そんなミス研には俺が入部するまで部員は部長一人しかいなかったと言う。
もっとも、ウチの学校は規則も緩いので、新しい部を設立するのは簡単なことだし、人数なんかも関係ない。
部費も月に五十ポンドだが支給されているし。
ただ、最近の生徒会は部活のことに関して色々とうるさく言ってくるようにはなった。
「まあな。だが、アーヴィニア学園はできてから比較的、新しい学校だったから、その手の噂はほとんど聞かなかったんだよ。だから、テーマとしては扱いづらかった。とはいえ、いつまでも逃げ続けられるテーマでないことは確かだな」
確かにアーヴィニア学園は創立してから二十年くらいしか経ってないからな。
歴史や伝統とかが媒体になって形成される七不思議が産まれるには相応しい土壌ではなかったか。
そう考えた俺はないのなら作れば良い、と思った。
「そうなんですか。なら、七不思議なんて適当に作ってしまえば良いんじゃないんですか?この学校で七不思議に関心を持っている生徒なんてまずいないでしょうし、嘘だと見破られる可能性もないと思いますよ」
俺は何気ない感じで言ったが、部長はしかめっ面をする。
「それは捏造をしろと言うことなのか?」
部長は形の良い眉を揺らしながら尋ねてきた。
「捏造っていう言葉は悪いですけど、そんなところです。それに面白い記事を書くためには少しくらいのフィクションを盛り込むのは仕方のないことでしょ」
俺のどこか投げやりな言葉を聞き、部長はバンッと机を叩いて勢いよく立ち上がった。
「このバカ者がー。見損なったぞ、テッド。真実の探求者たるこの俺にそんな卑劣な真似が、できるわけがないだろ。それくらいは、半年以上も付き合ってきたもお前なら分かってくれているものと思っていたが」
部長は大袈裟な身振りで俺の顔を指さした。
「部長、落ち着いてくださいよ。あんまり大きな声で話すと、また隣の文芸部からうるさいって苦情が来ますよ」
俺は宥めるように言った。
「これが落ち着いていられるか。まったく、嘆かわしいにも程があるし、お前も二度と、そんなことは言ってくれるんじゃない!」
そのキツイお叱りの言葉には俺も後ろ暗い気持ちになった。やっぱり、余計なことは言うんじゃなかった。
「相変わらず頭が固いですね、部長は。ミステリーやオカルトにハマってる連中は、もっと柔軟な姿勢で科学が幅を着せている世の中に対抗するものと思っていましたけど」
俺は苦し紛れに皮肉を口にしたが部長は悠々とした態度で応じる。
「その意見には一理あるが、それと嘘をでっち上げて良いのとはまた別問題だ。それにどうせ俺は筋金入りの石頭さ」
部長は抑揚のある声で言うと言葉を続ける。
「ま、元来、ミステリーやオカルトなどというものは疑われてナンボの世界だし、だからこそ、俺たちは常に真実を追い求めるようなことを発表しなければならない」
「ふーん」
俺は適当に相槌を打つ。
「でなければ、この世に科学で証明できないことがある、なんてことを大真面目に公言することなどできやしないし、ましてや、それを他の人間に信じさせようなど到底、無理な話だぞ」
そう正論じみたこと言われると俺としても返す言葉がない。
ま、部長のポリシーは立派だと思うし、だからこそ、俺も部長という人間には信を置いているのだ。
が、少しはそれに付き合わされる俺の身にもなって欲しい。
そんな不平をぶつくさと心の中で呟いていると、部長は気を取り直したように熱のこもった声を発する。
「まあ、七不思議がどうしても駄目なら今月のテーマは異世界でも良いが。現在、俺の中では異世界に関係することが、ちょっとしたムーブメントを起こしているからな」
ムーブメントって何だよ。
部長のことだから、またおかしな本に影響されでもしたのか?
「異世界なんてテーマとしてはもっと扱いづらいんじゃないんですか?そんなの存在するわけがないんですから」
まだ、幽霊とかの方が現実味が持てるな。
もっとも、部長の手腕があれば異世界というテーマも面白く料理できるかもしれない。要はアプローチの仕方しだいだと思う。
「貴様、ミス研の部員でありながら異世界の存在を否定するというのか?俺は今、お前に猛烈に情けなさを感じているぞ。そんなことではいつまで経っても非日常との邂逅は望めないということが分からないのか」
部長は捲し立てるように言ったが、得てしてそういうこと熱望して止まないような人間のところには不思議は訪れないんだよな。
むしろ、そういうことを頭から否定しているような人間のところにこそ、不思議な現象は舞い降りるような気がする。
それが誰とは言わないけど。
「そりゃそうだけど、異世界なんてどうやったら存在するんですか?どっかのサイエンス誌には別の世界に行くことは事実上、不可能だって力説している科学者がいましたけど」
その科学者の顔は生理的に受け付けないものがあった。
「そういう手合いは放っておけ。奴らではこの世界の真実を知るには荷が重すぎると言うことだからな。もっとも、現時点では異世界のことについては神のみぞ知るという状態だし、そういう結論に至るのは考えていることを放棄しているようで嫌ではあるが」
部長は白旗を揚げると思いきや、すぐに陶酔したような顔で言葉を続ける。
「だが、人はいずれ神の領域にも足を踏み入れる。そして、その先陣を切るのはやはり真実の探求者であるこの俺、エリック・ウォルコットだ。お前もそれは憶えておくのだな」
部長は野望を燃やすように言うと、俺の顔を真正面から見て笑った。
「左様ですか」
この部長、特有のノリには付いていけないな。
「とにかく、この宇宙に丸い星が幾つもあることを考えて見ろ。ならば、それと同じように世界も幾つも存在してもおかしくはない。つまり、この世に一つしかない絶対的な存在などないのだよ」
部長は有無を言わさぬ口調でそう言い張った。が、俺は屁理屈も良いところだろうと心の中でぼやく。
「そう言われると反論できませんけど、それってこの広い宇宙には地球と同じように生命が存在する星があるって言っているようなものなのでは?」
早い話が宇宙人だ。
俺としても異世界と宇宙人を同列に扱うのはどうかと思うのだが、その辺は気にしたら負けだろう。
「かもな。だが、そんな異世界の話しに関しては朗報がある。先週、オックスフォード大学で教授を務めている俺の親父が異世界の存在を理論的に証明したんだよ。ま、その際に書かれた論文は学会じゃ賛否両論だったみたいだが」
部長の父親であるウォルコット教授はテレビなんかにも良く出てくる有名な人だ。色んなことを研究していて、海外の名誉ある賞を貰ったこともある。
俺もウォルコット教授とは面と向かって話したことはないので、一度は顔を合わせてみたい。
そうすれば得るものもあるだろう。
だが、ウォルコット教授は多忙なのでオックスフォード大学の研究室にこもったままろくに家にも帰らないらしい。
だから、部長も家庭を顧みないウォルコット教授に対しては愚痴ばかり零している。
「それは凄いですね。まあ、理論的にという言葉にはかなり胡散臭さを感じますけど。理論だけならワープやタイムトラベルだってできるって言いますし」
地球外に生命が存在するのを立証するのと大差はないのではないだろうか。
「それはあるな。俺の親父も現在、自分が存在すると証明した異世界にどうやったら行けるのか研究しているみたいだし、いつその研究が実るかは分からん」
「でも、行けると良いですね、異世界」
異世界に行けるようになる頃には月面に都市でもできていそうだし、人型ロボットで戦争も起きているかもしれない。
果たして、俺の生きている間に異世界に行けるようになる見込みはあるのだろうか。
「まったくだ。というわけで、今月号のテーマは異世界で決まりだ。お前も家に帰ったらネットとかで情報収集してくれ。この俺も独自のルートで情報の入手を試みる」
部長は鼻息も荒く言った。
「となると、結局、学園の七不思議はやらないってことですか?」
「そういうことだ。ま、七不思議は学園祭まで取っておこう。とにかく、今月号はなにがなんでも異世界で行くぞ」
部長は強引に話を締め括ると、椅子から立ち上がって長机の上にあるティーポットを手にする。
それから、愛用のマグカップに紅茶を注ぎ始めた。
まったく、部長は一度、何かを決めるとすぐに周りが見えなくなって猛進してしまうんだよな。
その行動力が良いか悪いかはその時の結果次第だけど、大抵は俺が苦労することになっているのは嫌なところだ。
そんなことを考えていると、部室の入り口の扉が何の前触れもなく開く。現れたのはのほほんとした顔が特徴的な女の子だった。
「テッド、部活終わったの?」
女の子、いや俺の幼馴染みであるレスティー・F・フォスターはアニメの声優のようなキュートな声で言った。
どことなく、天然気味の女の子に見えるのは御愛敬だろう。
でも、その顔は甘ったるさを感じさせるくらい可愛いし、それなりに長くて赤みのかかった髪は艶やかだ。
こういう月並みの表現は嫌いなのだが美少女と言っても良いだろう。だけど、レスティーが男子から持てたという話はあまり聞かないんだよな。
「まだだよ」
俺は短く切り返した。
「そうなんだ。今日はね、ママがテッドの分の夕飯も作ってくれるって言っているんだよ。テッドも、一人暮らしで大変そうだし、助かったでしょ」
レスティーの言う通り、俺は現在、一人暮らしをしている。両親は仕事の都合でアメリカへと行っているのだ。
とはいえ、それで特に困っているようなことはない。俺も一人しかいない家ではせいせいと暮らしているし。
特に仕送りのお金をある程度、自由に使えるのは助かっている。
「それはありがたいね。でも、エイミーさんにはあんまり気を遣わないように言っておいてよ。俺だっていつまでも大人の手を借りなきゃならない子供じゃないんだから」
エイミーさんはレスティーの母親で、料理教室の先生もしている。
なので、昔から俺にはよく手料理を振る舞ってくれた。これがまた目玉が飛びてるくらい美味しいんだよ。
「うん。でも、気を遣わないで、っていう言葉はそっくりそのままテッドに返すね。テッドはもう少し周りの人に頼って良いんだよ」
レスティーは笑みを崩さずに言った。
「いや、そんな風に言われても困るし、長い付き合いなんだから、この俺の微妙な心中は察してくれよ。相変わらずレスティーの言葉は少しズレてるな」
俺はボリボリと頬を掻いた。
「そうかな。ま、テッドの言うような難しい配慮は私にはちょっとできないかな。とにかく、今日の夕飯はハンバーグだからテッドも六時には私の家に来てよ。忘れたら駄目だからね」
その言葉を聞き、俺も小さく息を吐く。
レスティーは控え目なようで、押しの強いところがあるし、ここは俺が折れるしかあるまい。
あと、俺の家のすぐ隣にレスティーの家がある。
両方ともかなり立派な一戸建てだし、窓を開ければ俺とレスティーの自室が見えるような形になっている。
なので、俺とレスティーは窓を開けながらお互い、自分の部屋の中から話したりしていた。
まるで古典的な恋愛物の漫画のように。
そんなわけで、昔は俺とレスティーも家族ぐるみの付き合いをしていたのだ。
その頃は俺の両親の仕事も忙しくなかったし、二つの家族が揃った時にはバーベキューパーティーなんかもよくやった。
「分かったよ。ま、エイミーさんのハンバーグは絶品だからな。しかも、手作りのデミグラスソースはそこらのレストランよりよっぽど美味しいし」
「でしょー。もちろん私もハンバーグ作りは手伝うから楽しみにしててよね。私だって、料理の腕は前よりもずっと上達したんだから」
レスティーもおっちょこちょいの割には料理が得意なのだ。そんなレスティーの夢もレストランのような自分の店を持つことだからな。
その夢は是非、叶えて欲しいと思う。
「そいつは楽しみだな。とにかく、そういうことなら今日は思う存分、お前とエイミーさんのご厚意に甘えさせて貰うよ。時間通りに家には行くから、せいぜい頑張って作ってくれよな」
お腹を空かせて待ってるぞ。
「うん。じゃあ、私はテッドの部活の邪魔をしたら悪いからこれで帰るね。バイバイ、テッド、エリック先輩」
そうにこやかに言って、レスティーは部室から去って行った。あのほんわかした感じは、まるで春風のようだな。
「女の子の家で、夕飯を食べるなんてお前もなかなかやるじゃないか。この俺のような色男でさえ、赤の他人の女の家になど入ったことはないぞ、生意気な奴め」
部長はいやらしい笑みを浮かべながら言った。
そう思うなら部長も女の子に好かれるように努力すれば良いのに。
全てにおいて平凡な俺とは違って、容姿も成績も良いんだし、奇矯な言動さえなくせば女の子からは絶対に持てると思うんだけどな。
「小さい頃からしょっちゅう遊びに行ってた、レスティーの家じゃ感動も薄いですけどね。相手がレスティーじゃ、胸が高鳴るようなラブストーリーは望めないだろうし」
もし、血迷ってレスティーに手を出したりしたら、日頃から懇意にさせて貰っているエイミーさんに申し訳が立たない。
でも、エイミーさんは俺とレスティーがくっつくことを望んでいるみたいなんだよな。
「そうか。まっ、この俺は女などにかまけている暇はないから、別に羨ましくはないけどな。よし、そういうことなら今日の部活はこれにて終了ということにするか。ただし、明日はもっとハードな活動が控えていることを覚えておけ」
部長はそう意気込むように言って、ニヤリと笑う。
一方、俺はこんな平穏な日常がいつまでも続くと信じて疑わなかった。明日になれば、それが砂上の楼閣のように崩れ落ちることになるとは露知らずに。
第一章に続く。