弟子の涙
こん、と廊下につながるドアが外から叩かれる。
こちらでもノックの習慣は同じくあるらしい。
瑠奈は駆け寄ってドアを開けた。
「はーい」
「うわ馬鹿またお前はどうしてそうなんだ」
げえ、と呻いてファイは慌てて入室する。
「なんか羽織れ!お前には恥じらいっつうもんがねえのか」
薄手のワンピースに靴下を履いていたのだが、ファイ的に駄目だったらしい。
「足は隠しているのに駄目でしたか」
「あー、それも駄目だろ。兄弟なら有か?いいからなんか羽織れ」
「はーい」
ごそごそと旅装の皮の上着を肩がけする。それでもファイは何か言いたげだったが、諦めたように息をつく。
「あとな、扉を開ける前に、誰か聞け。知らんヤツなら、用件だけ聞いて開けるな」
「作法ですか」
「あー、まー、そんなもんだ」
瑠奈は少し口を尖らせて考え込む。
「なるほど。お婆様は男の人でしたので、作法の本にはそこまで書いていなかったのですね」
「そうそう。そうしとけ。で、昨日のことを話せよ」
部屋に備え付けられているテーブルに歩み寄り、ファイはさっさと椅子に座る。テーブルに置かれていた小袋をつまんで中を見る。
「お、感心感心。少し使えたか」
「ちょっと触って感覚を探ってみていました。まだよくわかりません」
「弟子になって数日だからな。発動しただけマシだ。…で?」
「はい。まずミルバディ測定所へ行きました。ローさんにお話を聞きました。今期の結果は風が強まり、水分を含む風になりつつあるそうです。雲が発生することが増えて、合計5ミロの雨が降ったそうです。来期もさらに風力、雨量が増えると予想しているそうです。こちらが報告書の写しになります」
水のノートを渡すと、ファイはじっくりとそれを読む。
「お前はどう感じた」
視線はノートに落としたまま、ファイは静かに問う。
「…渓谷の川が、橋からみえませんでした。水が少ないのだと、感じました。乾いた滝のようなものも、みかけました。草は奥へ行かないと生えていませんでした。…雨がふるといいなと思います」
瑠奈の言葉に、ファイはにやりと意地悪く笑う。
「降らせることはできるか」
「できます」
「やれ」
にやにやと笑いを深めてファイが言う。
むう、と瑠奈は口を尖らせる。
「よくないと思います。自然に雨量は増えそうです。調和を乱すようなことはしたくありません」
ち、と控えめに舌打ちし、ファイは水のノートを返してくる。
「正解だ。雨量が減っていくままなら、水の神殿に依頼して、雨を降らせてもらう。実際、4ヶ月ほど前までは依頼していた。だが、水の大巫女が病で臥せっていたので、神殿も対応できなかった」
ああそうだ、とファイは思い出して立ったままのルナを見上げる。
「お前がウインドに渡した魔石な、あれで水の大巫女は回復したんだぞ?」
「へ?」
「べらぼうな水の魔力が入っていたからな、あれ。王城の泉なんてしばらく水柱が立ってたぞ。まー見事な虹が見られたもんだ」
「ファイさん、早い。よくわからない」
小首を傾げると、悪い、とファイは頷く。
「とにかく、お前がウインドに渡した魔石で、助かっている。そして、お前がこの国で過ごしているから、調和が少し進んだ」
その言葉に、瑠奈は小さな口をぽかりと開ける。
「ん?」
ファイは反応がないのでいぶかしむが、深く考えずに持っていた砂糖菓子を口に放り込んでみる。
条件反射のように、むぐむぐと食べる瑠奈の大きな瞳から、ぽろりと涙が零れた。
「ああ!?なした!?」
慌ててファイは立ち上がり、菓子が悪かったのかと焦る。
「お…おいしい」
すん、と鼻をすすり、呟く。
「はあ?」
そんなんで泣くのか!?
「よかった。私…ここにいてよいのね?役にたててるのですね?」
そうか、とファイは呟く。
「悪かった。教えていなかったな。お前の存在自体が水の魔力の少ないこの地域を
癒している。だからバーレルにひっぱったんだ。俺の弟子にしたのも、ここにいてほしいからだ」
ぽん、と頭に手を置く。そのまま頬へと滑らせ、涙を拭く。
―――涙すら、強力な水の魔力を持っている。
「いていいのですね。私、帰らないの駄目でないのですね?」
「いい」
頬を撫でた手で、その小さな身体を引き寄せる。覚えのある香りが鼻腔をくすぐり、ファイは顔をしかめた。
とんとん、と軽く背を叩かれていた瑠奈は、ファイの顔などわからないながらも、その優しさは理解した。
「よかった…ありがとう、ファイさん」
えへへ、と笑って顔を上げると、ファイが無言で見下ろしていた。
「…ファイさんの目が見える…」
近くで見ると、糸のような目の中に赤銅色の瞳が見えた。
「てめえ…今言う言葉がそれか!」
「うわあー近くで大きい声出さないでください」
中々、放そうとしないファイの腕をかいくぐり、瑠奈は椅子に座る。
「それよりファイさん、暗くても本が読みたいので、明かりをつける光の魔法を教
えて欲しいです。あとちっさなのでもいいので火を付けたい。温かいお茶が飲みたくなるかもしれませんもの」
「クソ…なんでお前は野宿が前提の考えをするんだ?」
おもしろくなさそうに手を握っていたファイは、仕方なく椅子に座る。
「明日はゆっくり野宿をしながら測定所にいこうかと思って。いろんな草を見てくるのです」
あと渓谷も降りてみたいし、細い川も見てみたい。
「分けろ。探索日を作ってもいい。だが野宿は許さん」
「なんでー」
「こないだまでお前が野宿していたのは、緊急措置なんだ!お前みたいな若い娘にそうそう野宿なんてさせねえよ普通は!」
「えー、別に良いのにー」
宿より気楽でよかったし、と言うと、まあな、となぜかファイも頷く。
「だが明かりも火も必要な時もあるだろう。風も順調に発現しているからな。偏らないよう、明日は魔石を持ってくるか」
「はい、ありがとうございます」
やったぁとはしゃぐ瑠奈に、ふとファイは不安になる。
「おいルナ。お前は今いくつなんだ?」
「へ?ええと、日の数え方は同じなので、17歳ですが、もうすぐ18歳です」
「マジか!そのガキくさい感じで17!?ありえねえ」
「そういうファイさんはおいくつですの?」
「…24。文句あるか」
「へー。見た目どおりですねー」
「うっせえよ!それよりお前、測定所でなにがあった?クソガキに会っただろう」
ファイの言葉に、瑠奈は思い出して立ち上がる。
「そうだファイさん!治癒ってしてもいいのですか?内緒よって言えばいいんですか?」
「なんだそのやらしい台詞は。レイか。レイだな、ろくでもねえことを教えるのは」
「やっぱり駄目なのですか。私測定所で、顔を怪我した人をちょっとだけ治しました。ごめんなさい。放っておけませんでした」
肩を落とす瑠奈を、ファイは表情なく見返す。
「お前がけが人放っておくなんてできるわけねえだろ。アホだからな。―――前例はねえが、神殿に相談してみる。まあ、どうせ神殿の言うとおりの治療なんて出来ねえから、事後承諾ばかりになるだろうが。気にしないで好きに治療しろ。しすぎると相手の体力を奪うことは、わかってるんだろ?」
「はい。最低限のことのみ行うように、お婆様の本に書いてありました」
「ヨークレイ=シャなら当然だろう。治療はお前の思うとおりにしていい。レイの言ったことは忘れろ」
ファイの言葉に、瑠奈は小首をかしげる。
「内緒よ?」
糸のようだったはずのファイの目が見開かれる。
「―――だからそれは忘れろと言ってる。二度とオレ以外に言うんじゃねえぞ」
「はーい」
と応えてから首をひねる。
ファイさんには言ってもいいのかな?
聞こうとしたが、なぜか聞くなというように砂糖菓子を差し出されたので、とりあえず素直にお菓子を食べてみた。
「おいしいです」
ふふ、と笑うと、ファイは疲れたようにため息をついた。