裁くということ
おいしい果物があるから、昼食を食べに来るように、とレイサンドルが伝えてきたので、仕方なく書庫を出る。今日一日本を読みまくろうと思っていたのに。
「ああ、座って待っていろ」
執務室で忙しく決済や書面を見ながら執事と話をしていたレイサンドルは、瑠奈に窓際のテーブルセットを示した。
瑠奈は席で待つが、しばらく時間がかかりそうなので水のノートを取り出して整理し始める。
わからない文字の数が増えてしまった。ファイともあまり話す時間がないので、溜まる一方だ。
いつの間にか、音も無くテーブルに食事がセットされていくことに気づき、瑠奈は顔を上げる。レイサンドルが席についていた。
「面白いな、それ。記憶を視覚化しているのか」
水のノートを見やり、レイサンドルが言う。
「視覚化…?ええと、自分で書いて置くものを作りました。私の国にあるものを真似しました」
「へえ。見せてくれ」
レイサンドルに水のノートを手渡す。意識すれば、手から離しても形を保っていられる。
「なんだ、この赤い字は」
「あああ、それはわからない字です。辞書で調べても載っていません。調べられなかったようです。教えていただけますか」
「多分これは、綴り違いだな」
「へ?」
「綴り違い…書き間違えだ。原本が間違っていたんだろう。よくある」
「なるほど、そんなことがあるのですね」
「お前の国の本にはないのか」
「見て検査する人がいます。間違えの書き方や、表現があれば、直します。だから、あまり書き間違えはありません」
「随分進んだ国なのだな」
レイサンドルの言葉に、瑠奈は苦笑する。なんともいえない。あちらに魔法はないのだから。
応えに窮するとちょうどテーブルにフルーツのサラダが運ばれた。
「わあ!おいしそう~!」
目を輝かせる瑠奈を見つめ、レイサンドルは頷く。
「食べなさい」
「はい。いただきます」
酸味のある果物に、甘いソースがかかっている。
こ…これは、ほっぺた落ちるレベルだ。
「おいしいです」
ぎゅと目をつむり、ほっぺたを押える。
「その面白い顔はなんなのかな」
「美味しい時にするんです。おいしくて頬が落ちると言うのです。だから落ちないように押えるのです」
ぷぷ、と執事さんが笑いを堪えていた。
「そうか。…ルナは、治療ができるのだな」
「はい。…昨日のことですか。よろしくないことでしたか」
少年の驚いた様子から、まずいことをしたかもしれないと思っていたのだ。昨日のうちにファイに相談したかったが、酒が進みすぎたのか、夜の訪れはなかった。
「ああ。治療は水の神殿で行われるものだ。神殿の認可を受けた治療師しか行わない。だが、領民が助けられたのだから、私は責める気はない。むしろ礼をいう。ありがとう。ルナのおかげで、水の神殿まで行けない民が安らぎを得た」
「私はできることをしてしまいます。それが悪いこととはわからないでします。だからファイさんに弟子にしてもらいました。でも、まだ駄目だったですね」
落ち込んで手を止める瑠奈を、手を振ってレイサンドルは否定する。
「治療については、お前は良いことをした。今後もしていいだろう。ただ、神殿に知られると怒られるので、こっそりやれ。治療のあとには、口止めをしろ。わかったか?」
「怪我を治してもいいけど、内緒にして、と言えばいいですか」
「そうだ」
頷いた瑠奈は、それでもフルーツのサラダを食べ始めない。
レイサンドルは声をかけようとして、やめた。この可愛い生き物は、なにか考えているようだ。
「こういう話があります。病院にけが人が二人入ってきます。ひとりは刺された人で、ひとりは刺した人です。刺された人は抵抗したので、刺した人にも大きな怪我を与えました。…病院は、二人とも平等に治療しなくてはなりません。人を傷つけようとする、悪い人も、守ろうとする人も」
だから、と瑠奈はフォークをつかむ。
「きっと神殿の許可は大切なものなのでしょう。治療する人にとって、善悪を裁くことはとても難しい」
けが人すべてを平等に扱いたいけれど、それが正しいのか、判断は難しい。
いつか神殿にもゆっくり行ってみよう。
再びもりもりとサラダを食べる瑠奈を、レイサンドルは静かに見つめていた。
今夜こそ飲まん、と頑固に杯に手をつけない弟弟子を、じろりと睨む。
「―――という話をしたぞ。…返す返すも、お前に先を越された事がむかつくぞ」
「先越すもなにも…たまたま捕獲しただけだし。…そうか、そんな事を言っていたか。神殿に仕える道もあったからな」
「巫女服姿は見たかった」
「…っち。だから嫌だったんだ。弟子にしないまま寄越してたら、絶対ろくでもない目に合ってたからな」
「頭も悪くない。可愛い。…理想的な嫁だな」
「弟子だ弟子!」
「いや、私の。」
「うるせえ馬鹿!やんねえよボケ!レイみたいな鬼畜になんて流石のオレも見過ごせねえ」
「測定所のヤンとトッツィならいいか?トッツィはルナに惚れたみたいだぞ。べたべた手ぇ握ってたからなぁ。街まで追っかけてきたらしい。今日の昼間、ウルの区でルナを探してたからな。アホだな」
ファイと一緒にいると、レイサンドルは口調がどんどん悪くなる。
「んだそれ」
細い目をさらに細める。わずかに笑い、レイサンドルは酒を勧める。
「飲めば?別にルナのところなんて行かなくてもいいだろう?」
「クソレイ」
立ち上がり、舌打ちして食堂を出る。夜に城を訪れたのだから、その主に挨拶をするのは当然だ。だが、昨夜も飲まされてルナのところには行くのを止めた。
今夜こそ、と思っていたことなど、レイサンドルにはお見通しらしい。
―――付き合いが長い分、行動が読まれているのがムカつく。
普通に部屋を訪れることに少し緊張していることは気づかない振りをして、ファイは足早に瑠奈の客室へと向かった。
「たかっしーの目から手がどーん!」 と、女子高生に話しかけられました。
えっと、うん。梨も出てきたよね、と返しておきました。