面倒くせえ弟子
「ファイ様のお弟子という方は、もしやお嬢さんかな」
おかみさん直伝の片付け方法で厨房をピカピカにした瑠奈がご満悦に見回していると、背後から声をかけられた。
「わ!はい。私です。瑠奈と申します。風の魔力の状態を教えていただきに参りました。初めてですので要領がわかりません。言葉も不自由ですので、お手数ですがわかり易くご教授ください」
白いひげを蓄えた貫禄ある老人が立っていたので、丁寧に礼をする。
「ふむ?ワシはローという。この測定所の責任者だ。まあこっちで座んなされ」
分厚い手を招き、居間の大きなテーブルに通してくれる。
「ヤンが世話になったな。街の医者に連れて行きたかったが、金がないと騒いでなぁ。ありゃただの医者嫌いじゃ。どうせチビッコの頃に恐い目にあったんだろうよ」
ほほほ、と笑って膝を打つ。
「清潔にしていれば、傷は治ります」
「そうじゃな。傷はな。…それでルナさんとやら。字は読めるかの?毎日の記録と今期の記録は板に書いてあるんじゃが」
「読めない字もありますので、見ながら説明をしていただけると助かります」
「ふむ。懸命なお嬢さんだの。どれどれ…」
ローが持ってきた板は薄くて軽い。
日付や時間ごとの天気から、風量や方向などが、細かく整理されて書かれていた。
一通りローに説明を受け、板の読み方を習い、今期のものを水のノートに書き写してから小屋をあとにした。
レイサンドルの言うとおり、帰りは風があまりなかった。渓谷のつり橋も揺れていない。だが、渡ってきた少年がいたために少し揺れている。
瑠奈は少年が渡り終えるのを座って待っていた。丁度いいから休憩だ。
水を飲み干した頃、少年が渡り終えて近づいてきた。
「こんにちわ。街から来たの?」
白髪の少年は、垂れた目を細めて笑いかけてきた。
「…はい」
街がよくわからなかったが、面倒なのでそう言っておく。
「つり橋、恐いよね?一緒に渡ってあげるよ」
と言って、手を取られる。
「いえ…」
「遠慮しなくていいよ。さあ」
ぐいぐいと引かれ、瑠奈は少年に連れられてつり橋を渡る。
風はあまり吹かないとレイサンドルは言ったが、途中で突風が吹いて少年が支えてくれた。
「綺麗な髪だね。街のどの辺りに住んでるの?あ、当てるから言わなくていいよ」
少年はあれこれと話をするが、瑠奈には何を言っているのかわからない単語があり、あいまいに頷くしかなかった。
随分とゆっくりつり橋を渡り、やっと少年は手を離してくれた。
「じゃあまたね。絶対会いに行くからね!」
と、謎の言葉を残していく。
多分、瑠奈がどこかの地域に住んでいることになっているのだろう。
まあどうでもいいか、と瑠奈は空を見上げる。大分陽が傾いてしまった。夕暮れまでに着くだろうか。
足元が見えなくなるほど暮れてしまった頃、ようやく瑠奈は領主の城についた。
敗因は寄り道だろう。つい、植物図鑑で見た草を探してしまった。星の形をしているだなんて、気になるじゃないか。
「ご無事でなによりです。お帰りなさいませ」
出かけにいろいろ話した執事さんが出迎えてくれた。
「遅くなりました。ただいま帰りました」
「旦那様がお待ちです。こちらへ」
案内される先は食堂のようなので、埃っぽい身体を水の魔法で綺麗にする。
食堂ではレイサンドルとファイが酒を飲み交わしていた。
「ホスタの草は見つかったか?」
無表情にレイサンドルが聞いてくる。何を探していたか、知っているらしい。風の魔法か。
「はい。ちょっとなら美味しかったです。沢山は食べられませんでした。辛すぎて」
辛いというかなんというか。すーっとする味なので水に浮かべて飲むと美味しいかもしれない。
「遅いぞお前。もっと早く帰れ」
「はい。気をつけます」
「てめえちょっと今適当にあしらっただろ」
「うんはいちょっと疲れました。ごめんなさい」
ぺこりと頭を下げると、ファイは仕方なく頷く。
「だったらメシ食って寝ろ。明日は書庫に篭れ」
「ん?私が疲れたのはいろんな人と話して、言葉を使うのに疲れたのであり、身体はそうでもなさいです」
「うるせえ、オレの言う事を聞け」
「はいよ。いただきます」
ファイに話しているうちにテーブルに食事が運ばれてきた。フルコースではなくワンプレートだ。芋の煮物と野菜のスープ。デザートにプリンらしきものがある。
「ふああ!おいしそうです」
はふはふ、と猫舌なので息を吹きかけながら食べる。
「美味しいです」
ご機嫌で食べる様子を、レイサンドルが無表情に見つめる。それに気づいたファイは、舌打ちする。
普段はあまり表情のないこの弟子は、食事をする時には大きな瞳を輝かせ、わずかに蜂蜜を溶かしたような肌が紅潮すると、思わず目を奪われるほどの可愛らしい表情を見せる。それをいやと言うほど知っている師は面白くないのだ。
「面倒くせえ」
「ファイ…おまえ、いつこの子を弟子にした?」
「…忘れた」
「嘘をついているな。お前が嘘をつくときのクセが出たぞ」
「うわなんだそれ教えろ」
「教えるから教えろ」
「…い…いやいい」
「ふん。そうか。お前の恥ずかしい過去をルナに話していいんだな?」
「キタネエぞ!」
「吐け」
「…5日だよ」
「ほーう」
がしい、とレイサンドルがファイの頭をわしづかみにした。
「やめろよ!」
「つまりこの領に来る直前か、私に会わせる前ってことだな、そういうことかこのクソガキ」
「うっせえ!レイに渡したらぜったい背中に印だろうがよ!このド鬼畜」
「当たり前だろうが!こんなの城から出さんわ!俺の半径2グロンで生活させるわ!」
「うっわ!出たよ!鬼畜が」
「あのう」
なにやらじゃれ合っている大人二人は無視していたいが、どうしても譲れないものがあり、瑠奈は話しかける。
ぴたり、と動きを止めた二人は、見つめてくる大きな瞳を見返した。
「デザート、お代わりありませんの?」