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師匠の兄弟子


 いつもの旅装で領主の城を出ることにする。

「風の魔力測定所に行ってきます。なにか気をつけることはありますでしょうか」

 小首をかしげて執事に聞くと、表情なく頷いてくれる。

「急に強い風が吹くことがございます。崖下に落ちる事故にならぬよう、岩壁に打たれた杭から手を離さぬようにしてください。案内の者をご用意できますが」

 瑠奈は首を振る。ひとりで行くよう、ファイが言っていた。ひとりでどうにかすることが、訓練のひとつなのだろう。

「ありがとうございました」

 笑って礼をすると、執事はちょっと戸惑ったようだった。

「いえ。…今日はどちらに行かれますか」

「えーと」

 方角の説明や測定所の名前はうろ覚えだ。どの道を行くかは覚えていたのだが。

 瑠奈は手のひらで空中を切り、水のノートを浮かび上がらせる。昨日書き写しておいた領内の地図だ。

「ここです。み…ミル…ば・バディ測定所」

 ぎょっとした顔を一瞬で消し、執事は頷く。

「そう高くない岩山にありますが、渓谷が近いので、風が強いところです。お気をつけください」

「はい。ありがとうございました」

 礼をして、城をあとにした。

 その一部始終を執事から報告された領主レイサンドルもまた、執事同様に驚いた。

「水…か。それらしいことは言っていたが、そんな操り方は聞いたことがない。…おもしろいね」

 執事は言葉なく肯定するように頭を下げた。

「時間を作ってくれ。直接見に行きたい」

「かしこまりました」

 頷き、執事は執務机の書類を選り分けた。





 疲れた。

 

 ふう、と息をついて座り込む。

 登る道は岩山で、細かい砂利が足をとり、踏み込みにくい。そう高くない山のようだが、陽が高くなってようやく目標の半分を過ぎた。

 荷からコップを取り出し、水を飲み、道中見つけた肉厚な草を食べる。昨日植物図鑑で見た草で、ほんのり甘酸っぱいのだ。食べ過ぎると舌がぴりぴりするようなので、一枚をゆっくりと食べる。

「川、見えないなぁ」

 ぷらり、と足を放り出して揺らす。

 ごう、と上のほうで風が渦巻く。見上げると、服を風にあおられながら男が降ってきた。

「…ごきげんよう?」

 疲れているので立ち上がりたくない瑠奈は、銀髪の綺麗な男を見上げた。

「こんにちわ。休憩ですか」

「はい。…風の魔法を使われるのですね」

「つり橋は恐くないですか」

 答えらしい答えを言われなかったので、彼が風の魔法を使うのはどうやら当たり前すぎることらしいと瑠奈は理解する。

「ゆらゆらしておもしろいです」

 橋を支える太い綱に手を置き、渓谷へと投げ出した足をぶらつかせる。

 レイサンドルは無表情に瑠奈を見つめる。

 ごう、と再び強風がうなり、今度はつり橋に直撃する。

「わあ!」

 橋が跳ね、瑠奈の小柄な身体が放り出されるが、すぐにコップから零れた水が糸のように身体にからまり、橋へと引き上げる。

「たいへん!コップ!」

 渓谷を見下ろすが、小さな木製のコップは見当たらない。風にとばされてしまったのだろう。

「あー」

 残念。

 しゅんとして肩を落とす瑠奈は、軽く息を吐くと立ち上がる。

「行きます。ごきげんにょう?」

 一部始終を無表情に見ていたレイサンドルに軽く礼をする。と、ふと彼の持つものに気づく。無くしたと思ったコップだ。

「あ!それ!私のですわ!ください」

 相変わらずの無表情なレイサンドルを見上げると、にこりと笑った。

 む、と瑠奈は気づく。この感じは、師匠ファイに通じるあれだ。

「ごめんなさい。申し訳ありませんでした」

「ただ誤ればいいだろうっていう根性は嫌いだ」

「ええと、えー、風が強い危ないところでのんびりした私は悪いです。もう水のそばだからって危ないことはいたしませんわ」

「…よし」

 そう言ってレイサンドルはコップを差し出す。

「ありがとうございました」

 受け取ろうとすると、レイサンドルはコップを高く上げる。瑠奈が届かないところだ。

「なにに対して礼を言っている?」

「あー、うー、ええと、危険性を教えてくださったことと、コップを拾ってくださったことですわ」

「…よし」

 今度こそ、と瑠奈は余計なことを言わないようにして、手の届くところまで降りてきたコップをとった。

「おかえり」

 大事に手で包み、なくさないように素早く荷に仕舞う。

「それはただの物だ。なぜおかえりなどと言う?」

 ずい、と身を乗り出してレイサンドルが聞いてくる。

「あー、えっと、んー、説明が難しいのでお許しください」

「説明しろ」

「あう…、ううんと、大切な物には心ができるという文化があるのです。私の国です。使っていると愛が湧くのです。だから丁寧に使うのですわ」

 よく理解できないレイサンドルは、眉を寄せて首を振る。

「わからん。…お前の国はどこだ?」

「…誰も知らない遠い国です」

「国名は?」

「…言っていいかわかりません。ファイさんに許してもらってから応えます」

「ファイは知っているのか」

「国名は知りません。どこにあるのかは、知っています」

 レイサンドルはじっと瑠奈を見下ろし、軽く頷いて手を伸ばした。

 ぽん、と頭を軽く叩かれる。

「わかった。…測定所はもうすぐだ。帰りは風が凪ぐから、夕暮れまでには戻れるだろう。危険な獣もいない。だがしばらく突風が吹くから、測定所に着くまでは油断するな」

「はい。ご助言ありがとうございます」

 こくり、とレイサンドルは頷くと、突然突風に包まれた。

 ごう、と音を立てて空へと舞い上がる。そのまま領主の城のほうへと飛んでいった。





 測定所の小屋の周りには、白と黒の縦じまの長い旗がいくつもはためいていた。それらは風が吹くたびにたなびく。

 小屋の屋根は平たいので、そこに立ち数人の男がやりとりをしている。

 瑠奈はのんびりと小屋へと近づき、開いたままの出入り口に立つ。中では物音がするので、誰かがいるのだろうと、声をかける。

「すみません。お邪魔いたします」

 奥の人は気が着かないようで、だれも出てこない。仕方なく、雑然とした小屋へと入る。物音のほうへといくと、どうやら厨房らしく、いくつもの食器を洗う少年がいた。

「あのう」

「はい!」

 ば、と振り向いた少年は泡だらけの手を慌てて拭う。その片目は布が当てられていて、灰色の髪にも、わずかに乾いた血がついているようだった。

「私は瑠奈といいます。ファイ魔道師の弟子です。風の魔法力の状態を教えていただきに来ました」

「ああ、はい。え?ファイ様?ええ?」

 少年は頷いてから勢い良く顔を上げて瑠奈を凝視する。が、濡れた床に足を取られて転びかける。あわてて洗い場につかまり、事なきを得る。だが、どこか痛むのか、顔をゆがめている。

「…その前に、傷を診せていただけませんか」

「え、いや俺は金が…」

「お金?いえ、診るだけですし」

「は?魔法使うんだろ?」

「はあ。いいから診せてくれませんか」

 話すのが面倒になってそういうと、少年は意志の強そうな眉を寄せながらも瑠奈へと歩み寄る。

 頭ひとつ大きいくらいの背なので、そのまま見上げ、そっと手を伸ばす。当てられた布を解いてみると、右の額から頬にかけてざっくりと切れていた。たどたどしく縫ったあとがあり、今もじわりと血が滲んでいる。

 瑠奈は傷に沿って指を当てる。触れないくらいの辺りでそっとなぞる。

 額から眉、そしてまぶた。開かぬよう油を固めたようなものが塗られている。そのまま頬へと指を動かし、血を止める。

 体内の流れを感じ、不自然なところに気がつく。

 右肩と右の腰だ。それを整える。他にはなさそうだが、やはり一番酷い額が気になる。だが、これ以上は彼の体力を奪うだろう。

「頭を打ったのですね?」

「今何をした?痛みが消えたぞ?魔法だろう?」

「うんはいちょっと使いました。でもそれ以上は無理でした。頭打った?吐いた?手と足はしびれない?」

「おおマジか!」

 瑠奈の問いは無視して、ガラス窓に駆け寄り、少年は傷を確認する。

「血が止まってる。よかった!すげえなあんた」

「治ったわけではありません。清潔にしてください」

「ああ。じいさんがうるさく言ってたからわかってる。そうだ!教えねえと!」

 そう言うなり、少年は小屋を飛び出していった。

「だから…清潔にしてくださいと」

 いってるのに、傷に当てられていた布は放りだされている。

 まあいいか、と瑠奈は肩をすくめて厨房を見回した。

 山盛りの汚れた食器は、バーレル国城下町の食堂を思い出させてくれる。

 瑠奈はつい懐かしくて洗ってしまった。


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