月に惑う
レーベル領、領主レイサンドル=レーベルは、銀の髪で青みがかる銀の瞳を持つ、随分と綺麗な男だった。男性的な美しさだが、どこか作り物めいた整い方をした顔。あまり表情が動かないからかもしれない。
今もまた、笑むこともなく礼をする。
「ようこそ、ルナ=ヨーク殿。ファイの兄弟子として歓迎します」
瑠奈の手を取り、甲に軽く口付けを落とす。
「熱き炎をお受けします」
軽く頷き手を握る。ファイのお墨付きなので、変なところはないはずなのだが。
レイサンドルはそっと手を離すと、静かな瞳で瑠奈を見下ろした。
なぜ私が貴族の礼をすると、皆、微妙な反応をするんだろう…
「…良家の子女とお見受けするが、どういった経緯でファイの弟子になったのですか?」
経緯、と頭の中で反芻し、瑠奈は小首を傾げる。
その仕草を見て、レイサンドルは冷ややかに笑う。ようやく表した表情がこれ、とは。
「女を使ってたらし込んだのかな」
「…経緯…、たらし込む…。…すみませんが、私はあまり言葉がわかりません。ファイさんの弟子には、お話をしました。そして印をいただきました。嫌な目に合うだろうと言っていましたので、わかります」
きっと、今向けられている感情がそうなのだろう。
そんなに嫌な感じはしないのだが、多分、あまり良いことは言われていないだろうとも思う。
弟子として領主の城へ行けと言われたので来てみたが、よかったのだろうか。
「…私は本を読ませていただきたいのですが、お許しいただけますか」
せっかくきたのだから、よくわからない会話はさっさと切り上げて、本だけ読ませてもらおうとそういうと、レイサンドルはあっさりと頷き、案内してくれた。
「好きなところに予約を入れさせてあげよう。どうする?」
蔵書室はとても大きく、アーリ国の国立図書館に匹敵する。ぐるり、と見回し、瑠奈はレイサンドルに向き直る。
「ありがとうございます。ですが、私はあまり字が読めません。時間がとてもかかるので、予約は後にしたいと思います。とても読みたくて我慢できないときに、お願いいたします」
多分そこまでいかないな、と思いつつ言うと、レイサンドルは表情なく頷いた。
「わかった。では好きに過ごすと良い」
「はい。ありがとうございました」
まずは辞書を探す。子供用のものがあったので、それを手にしながらのんびりと書架を眺める。
図書の分類もアーリ国と似ている。アーリ国の図書館には、月に一度行く程度だったので、こうじっくり見る機会はなかった。今回は期間を決められていないので、好きなように読むことにする。
辞書に始まり、民間の風俗や言語、科学数学などの自然分野。創作や歴史書など。
子供用のものも多くそろえてあるので、それを各分野ごとに攻めることにした。
ノートがないので、水を使ってみる。パソコンの画面をイメージして、横長の長方形を作り出す。そこに指先で色をのせて文字を書き、フォルダもつくって分野ごとにまとめておく。出来るだけこちらの言語を使い、どうしてもわからない時はあちらの言葉を使う。それは色を変えておき、あとで調べたり、ファイに聞くようにしよう。
植物図鑑を開きながら、あの赤くて甘い実を捜す。あの実の傍には同じく美味しい根菜もあると知り、ぜひ食べたいと顔を上げる。
「ん?」
瑠奈が使っていた机以外の場所が、真っ暗なことに気づく。
「…おや?」
そういえば、なんだか薄暗いなと、いつか思ったような気がする。
机に積み重ねていた本を持ちあげ、瑠奈は暗い館内を進んだ。棚は覚えている。覚えようと思ったことは、細かいことも覚えられるのだ。
暗い中、蔵書を片付けてカウンターへ行くと、誰もいなかった。
「…気づかれずに施錠されたに賭けるかな」
日本語で呟く。案の定、扉は鍵がかけられていた。
―――まあいいか。
瑠奈はくるりと踵を返し、先ほど戻した本を取り出して机のところへ行くが、電灯らしきものは消えてしまっていた。どういった仕組みで灯すのか、わからない。
―――ま、いっか。
窓からは月光が差し込んでいる。寒くもないので、そこでのんびりと勉強の続きをする。
水のノートを取り出して、先ほどまで書き込んでいたところを呼び出す。
そう、おいしい実のあたりだ。
熟れすぎると毒を持つ蜘蛛が近づいてくるらしい。虫は苦手なので、頭に刻み込んで覚える。
他にも、ファイが持ってきてくれたいくつかの実もみつける。結構珍しい果物だったらしい。地理的にも、アーリ国よりこのバーレル国のほうが豊富らしい。
あんな美味しい実が森に自生しているのだから、よい国だ。
機嫌よく笑みを浮かべ、料理の本へと移る。郷土料理がいくつか載っているが、目の前にできたてがあるわけではないので、おもしろくない。興味も沸かず、流し読みをする。
次は薬草。でもこれは借りて外で薬草を探しながら読みたいのであとまわし。
気候と農作物を国ごとに読むと、眠気が襲ってくる。作物の名前が載っていても、実物がわからないのでつまらない。これもあとまわしかな。
ふあ、と猫のように伸びをして大きな口であくびをする。
ちょっと寝るか。
荷物をまくらに、その場で横になる。
月明かりに照らされて、瑠奈は眠りに落ちた。
何を考えているのかよくわからん風の魔法使いである兄弟子は、相変わらず無表情に、夜半に訪れたファイを出迎えた。
好物である辛口で度数の高い酒と、木の実を炙ったものが用意されていた。
「良く来たな、ファイ。良い弟子に出会えたようでなによりだ」
杯を掲げてみせるが、弟子、の言葉にファイは酒を飲む気にならない。
「あいつだけで越させたが、少し言葉が不自由だからな。失礼があったかもしれん、済まん」
そういって軽く頭を下げると、レイサンドルは軽く首を振り酒を杯に注いでくる。飲め、ということらしい。祝いの意味もあるのなら、断るのは失礼にあたるので、ファイは遠慮なく飲む。
「到着してからずっと書庫に篭っていたらしい。熱心な弟子だな」
「あー」
本を手渡した時を思い出す。のめりこむように読み込む姿は、自分も覚えがある。
「あいつは馬鹿だから、迷惑をかけるかもしれん。メシや寝床は、殴ってでも教えないと、忘れるだろう」
「…殴って良いのか?」
「…一応女だからな、まだ殴ってない」
「…殴って良いのか?」
「………っち、だめだ」
最近しないようにしていた舌打ちをしてしまう。
「クソ、弟子なんて面倒くせえ」
誤魔化すように杯をあおる。
「なんで弟子にした?」
レイサンドルの問いに、ファイは答えず、木の実を口に入れる。
「―――一応他の道も提示した。他の魔法使いに逢うこともすすめた」
「なんで弟子にした?」
納得のいく答えを得るまで、何度も聞くのはレイサンドルのクセだ。
「環境と才能と性格と境遇。文句あるかコンチクショウ!」
「ない。色仕掛けでないのならいいんだ」
「んな訳あるか。あいつは鳥みたいなもんだ。フラフラ雲を眺めて流されるような馬鹿だ。少し重い足枷をつけないと、一箇所に居続けることができねえ馬鹿だよ」
「弟子が足枷か」
「そうだろ、兄貴」
「そうだな」
といい、ようやくレイサンドルは笑った。
そんな彼も、弟子を拒否し続けているのだ。
「いつまで書庫に放っておくんだ?」
「あいつは馬鹿だから、しばらく気づかねえよ。気づくまで言わねえ」
ふ、とレイサンドルは笑う。
「そうだったな。お前はそういうひねくれたヤツだ。ちょっと気の毒だな」
「うるせえよ」
客室のあるはずの階ではない場所で、弟子の気配がある。
いつものクセで、あの馬鹿が無事なのか確認してから休もうとしていたが。
気配をたどり、転移する。
月明かりに照らされ、艶やかな黒髪を散らしながら、少女が床で寝ていた。華奢で細い手足を折り小さく丸まる姿は、小さな野生の獣のよう。なぜかいつも寒そうに見えるのは、気のせいだろうか。
辺りを見回し、ファイはため息をつく。本が数冊置かれていた。書架から持ってきて、月明かりで読んでいたのだろう。
レイサンドルも、気まぐれなヤツだったな。
悪気なく放っておいたのだろう。少女が食事もせず、部屋へも行かずに書庫に閉じ込められているとは知らないはずだ。
抱き上げようと膝を付き、動きを止める。
こいつに用意されている部屋を知らない。
「…っち」
仕方なくいつものように上着をそっとかける。
異界から単身で渡ってきた少女。その額に口付けたのは、自分。手の甲にするものも多いし、下心をもって首筋や背にする者もいる。額はなんというか、所有の印を見せ付けているようで、他の場所よりはマシだがやっぱり嫌だった。
「クソガキめ」
そう囁き、そっと手を伸ばして髪を梳く。
初めて会ったときに、腕の中をすり抜けたこの髪には、本当にムカついた。
あの界渡りの魔方陣を解析するまで、そのムカつきが原動力だったような気がする。
あれ以来続いていたどうしようもない苛立ちは、このクソガキを弟子にしたことで、どうにか納まった。
そう。したかっただけなのだ。自分が。勝手に。
選択肢を提示して、他を選ぶよう足掻いて足掻いて言葉を繰り返すだけ、その想いは強くなった。
界を渡るほどの魔法力を持つこの馬鹿を、自分の弟子にしたかっただけ。
自分に反吐が出る。
「クソ」
悪態をつきながら、飽きるまでその髪を梳き続けた。
腕の中の温かいぬくもりはどこかいいにおいがする。
甘いような、どこか疼くような。
抱きしめる腕に力を込める。この柔らかなものを離したくない。
頬に触れるさらりとした感触に唇を寄せ、ふと冷静になる。
まてまてまて。なんかヤバイぞ?
そろりと重たい目をあける。
艶やかな黒髪に顔を埋める自分がいた。鼻腔をくすぐるのは、まぎれもなく、腕の中の少女の香り。
「!」
やばい。
そろりそろり、と身を離し、しびれた腕に顔をしかめつつ、ゆっくりとそっと娘の頭を荷に降ろす。
やばいやばいやばい。
起きないように、と必死で念じながら、じりじりと遠ざかり、窓際に背を当ててほっと息をついた。
「アブねえ。…オレってこんな、触る方だったか?」
酒に酔ってクソガキの髪を梳いたのは覚えている。が、いつのまにか腕に抱えて寝たのはまったく覚えていない。
「酒はしばらくのまん」
じんじんとしびれる腕に顔をしかめつつ、彼の弟子が目覚めないうちに逃げようかと逡巡する。
逃げるのは何かに負けたようで、おもしろくない。
ちらりと散らかる本を見ると、どうやら自然科学分野の子供用を読んでいたのだと知る。
「…お腹すいたかもしれない…」
ぽそりと呟かれた少女の声に、ファイは内心の焦りを隠して本から目を移す。のっそりと弟子が起き上がった。
ぱちぱちと形のいい瞳を瞬かせ、猫の子のように隠すこともなくあくびをする。
緩みきったその顔に、先ほどまでのことは覚えられていないようだと、ファイは心底ほっとする。
「あれ、おはようございます?朝ですね?」
「ああ。夜じゃねえよ」
「ファイさん、師匠と呼んだ方が良いですか?」
「ファイで構わねえ」
「ではファイさん。私は弟子として何をしたらよいのですか?とりあえず昨日楽しく本を読みましたが、弟子のお仕事は何をいたしましょう。でもお腹すいたかなー」
きゅう、と可愛らしく鳴るお腹をさすり、瑠奈は上目にファイを見る。なんだか悔しそうな顔をしている気がするが、なぜだろう。でもお腹がすいたのでどうでもよくなる。
「ちょっとなにか採ってこようかな。いろんなおいしい実を勉強したのですわ」
「馬鹿だなおめえはほんとに。ここは書庫で、野宿してねえし。弟子の仕事がしたいなら、普通に朝起きて夜寝る生活しろよ」
「それはできているはずです。寝たのは暗いときでした。今は明るい」
「じゃあ部屋で寝ろよ。こんなとこじゃなくてよ」
「部屋?どこにあるのですか?私宿はとっていません」
「あー、そうか。レイサンドルもひねくれてたか。聞くまで教えないってヤツか、クソ」
ぶつぶつと悪態をつきながら、朱金の髪をかきあげたファイは、転移の魔方陣を展開し、瑠奈の手をとる。
「発動」
あー、クソ…とか言いながらしっかり手を握るファイ24歳。…笑える…。