星を告ぐ男
次の村までは野宿で三日らしい。
宿の男は随分引きとめ、馬を使って一日で行くよう言っていたが、断った。
きょろきょろと森を見回す。見覚えのある赤い実があったが、熟して腐ってきているものばかりだ。
道から外れないようにしながら、森を歩いて進むことにする。
食べながら進むので、昼に休憩をするが食事はしない。赤い実で十分だった。
もともとそんなに食べないので、野宿も苦ではない。気候もアーリ国に比べれば随分温かいので、問題ない。
時折足の豆を治療しながら、のんびりと森を踏破した。
森が途切れ、草原が広がる。夕日が沈んでいくのを見送り、瑠奈は道から少し離れたあたりで夜を過ごすことにする。
火は熾さない。必要ないからだ。
ぼんやりと暮れる空を見て、瞬き始める空を眺める。
夜にならないと星はわからない。
昼間でも星を見分ける光の魔法は凄いと思う。
「ケイオーサンサス…ルイキールペ、テケルミア、ハイリウスヘル…」
星の配置は祖母の書と同じ。ただ、今では呼び名が変わっているらしい。
「ケイ…なんだっけ」
ウインドに教わったが、忘れてしまった。まあいいか。
ぽい、と赤い実を口に運ぶ。
「んまー」
幾ら食べても飽きないね。
ほっぺたを押さえて笑う。これさえあれば、野宿は幸せかもしれない。
草原に魔法の気配が漂うことに気づき、顔を上げる。
ぱぱ、と赤い光が点滅し、瑠奈は小首をかしげる。
―――ヒマなのかな。
現れた細目の男は、片手に淡い光の玉を浮かべる。
「おおー、凄い。光の魔法ですね」
「火も熾さずに過ごすのか」
「はあ。寒くありません。熾せません」
細目の男は舌打ちし、風の魔法で木切れを集めると火の魔法で火を点した。
「獣避けになるから、火は熾せ。雑貨屋に火打石が売ってる」
「えー」
「面倒くさいと思ったな?お前の考えはするっと丸見えだな」
ごりごりごり、とファイの拳が脳天に穴を開けようとする。
「イタイイタイっわかりましたですわ!がんばりますからやめてー」
「クソガキめ」
忌々《いまいま》しげに言い、ぷらりと瑠奈の目の前で房付きの紫の果物をぶら下げる。
「!くれるのですか!」
「なぜ古い星の名を知っている?」
「祖母が教えてくれました」
「貴族の礼儀作法もか?」
「はい」
「お前の祖母は、なぜ知っていた?」
「産まれた時に―――えーと、こちらのことを知っていたのです。ええと、死んだ人の記憶を―――意味わかります?」
「続けろ」
「あちらで産まれた祖母は、こちらで死んだ人の記憶を知っていたのです。いろいろ書いて、残してくださいました。星や、言葉や、こちらの礼儀作法など。ですからわたしは、知っているのです」
「祖母の名は?」
ファイの問いに、瑠奈はその意図を知る。少ない単語で、彼は瑠奈の応えやすい問いをする。頭のいい人なのだろう。
「あちらでは洋子。こちらではヨーク…ええと、なんとかシャ。そう、ヨークレイ=シャです。ご存知ですか」
ぽとり、とファイの手から落ちた果物を、瑠奈は慌てて受け止める。
「いただいてもいいのですか」
ファイは呆然としたまま、かろうじて頷く。
「ありがとう」
ブドウに似た果実は、どちらかというとキウイに似ている。酸味のある甘さで、これもまたおいしい。
「おいしい」
機嫌よく笑うと、細目の男は表情なく見つめてきた。
「…だから魔力の調和にこだわるのか」
「不調和は祖母の罪が原因と書いてありました。私や―――渡った赤ちゃんは、安定を助けるために来たのです」
「安定すれば、戻るのか」
「安定はできませんでしょう?とても難しいと感じています。…祖母の願いは、安定だけではなく、見守ることが本音でありました。乱してしまったこちらが、無事なのだと見届けたかったのでしょう」
「なぜお前がそんなことをしなければならない?」
問いに、娘は小首をかしげる。思案している様子から、言葉がわからない訳ではないと読み、ファイは答えを待つ。
「祖母の願いを叶えたいのです。死んだ後まで忘れないほど、こちらを心配していた。魔力を封じる部屋を作り、私が無事に育つようにしてくれました。魔力のない母は悩みながらも私を産み育ててくれました。いつかこちらへ来てしまう事を知りながら。だから私は、こちらで暮らすのです」
「…お前は馬鹿だな」
ファイの言葉を理解し、そこに込められる感情も読んだ瑠奈は、笑う。
「はい。ご心配ありがとう」
ち、と細目の男は舌打ちのみで返事をした。
あとはぽつりぽつりと、星の名を教えてくれた。
朝もやが晴れゆき、朝日の昇るほんの少し前。紫色に染まった空をぼんやりと見て、瑠奈はそっと身を起こした。
南の空に残る明るい星も、白む空の中、少しずつ見えなくなっていく。
「ルイキールペ…ライヘル…お休み」
教えてもらった星の名を呟くと、木の幹に背を預けたまま本を読んでいた男が顔を上げる。
「朝の挨拶はおはよう、だぞ」
「はい、おはようございます」
「夜が、お休みなさい、だからな?」
「はい。目、開いてます?」
「寝てねえし。俺の目はこれでも開いてんだよ」
「だってお休みって言ったから」
「だからそれは挨拶を教えたんだろうが」
「清き水をお受けします」
「それはアーリ国の貴族で、バーレルの女は熱き炎をお受けします、だからな」
「動きは同じなのですか」
「大体な。お前の動きなら問題ない」
「よかった。安心しました」
「…お前、焦ると面倒くさくなって話を止めるクセ、直せよ」
「…やはり心が読めるのですね」
「一対一なら問題ないが、二対一だと途中で放り出すだろう」
「よ…予言までできるなんて、凄いですわ」
はあ、とため息をつき、細目の男は立ちあがり、瑠奈に手を差し出す。
「寄越せ」
「ほえ?」
見下ろし、身体に巻きつく男の上着に気がついた。通りでぬくいはずだ。
「ありがとうございました」
ふん、と息をついて細目男は無言で転移魔法を展開し、立ち去った。
「…実はいい人?」
こてん、と小首をかしげるが、お腹が鳴ったのでどうでもよくなり、赤い実を取り出して食べる。
「おいしー」
ほっぺたを押えるのは、もはや止められないとまらない。
厨房の貯蔵庫で、並ぶ果物を見下ろして真剣に悩んだのは、細目男の秘密。
相当吟味してから、持ってきたひと房だったりする。
自分が苦労して選んだ食べ物を、おいしそうに食べてもらうことに喜びを覚えているあたり、もう手遅れかと…