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赤い少年

 幼い私がそのことを知ったとき、ひとつだけ願ったことは、妹か弟。

いずれ私が両親のもとを離れるのならば、残された彼らが寂しくないように。私の分も両親を大切にしてくれるように。そう願った。

そういうと、母は泣き、父は笑った。


「結局は杞憂きゆうだったんだけどね」

 

 なるべく悪条件で、魔法を発動するようにしている。今日は、がたついたコンクリート壁にした。落書きはないところを選ぶ。

 腰に下げた小さなポーチからチョークを取り出し、中心から順に書いていく。短時間で正確に書き上げる訓練も兼ねているので、彼女の背丈を越えるほどの字と模様だが、わずか10分しかかからない。

 

「閉じる」


 そう呟き、最後に囲むように大きな円を描く。大した影響はないものの、身体の内側から力が引き出されていくのを感じる。正確に書き上げられた証拠だ。


「展開」


 先ほどとは比べ物にならないほどの力が引き出されていく。そして、壁に描かれた模様が青く光る。

 彼女―――瑠奈るなは腰まである艶やかな黒髪を、視界からどけるように顔をふり、背後へときびすを返す。

 そこには、凪いだ夜の海があった。

 17歳の少女は華奢な身体つきですらりと長い手足は伸びやかに水面をなでる。無造作に束ねた黒髪が、月の淡い光りに照らされなめらかに輝き、白いうなじから肩をさらりとすべり落ちる。


 手作りした皮製の上着はこの2年でずいぶん汚れてしまった。それでも、帰ってくる度に手入れをしているので、いい色合いにくすんでいると、瑠奈は思っている。履いているズボンもまた、リーバイスのジーンズを真似て皮でつくったもの。結構な手間だったので、もう太れない。


 ―――あちらに、こちらの文化を持ち込むことは出来ないから。


 凪いだ海へと歩を進め、腰まで水に使った頃、手袋に覆われた手を突き出した。


「発動」


 ぱぱ、とコンクリートに描いた模様が瞬き、消える、と同時に瑠奈のまわりの水面に現れる。それはぐるりと渦を巻き、その速度を速め、やがて瑠奈の身体とともに、消えた。


 のこされたのは、ただ、凪いだ海。




 冷たくはない。

 水は私の身体を濡らさない。

 水はただ心地よく私を包む。このまま眠り、溶けてしまいたいと、いつも思ってしまう。

 

 15歳、中学校三年生の秋。

 まだ早いと泣く母を説得し、初めて界を渡った。渡った先は、湧き水のたまった巨大な湖。後で知ったことだが、その国はそこらじゅうで水が湧いているらしい。私はそのはずれで野宿し、魔力が回復してから再び界を渡って帰還した。

 野宿はそう苦ではない。小さな頃から、今は亡き祖母の言いつけで、山登りや護身術サバイバル術なんかを叩き込まれているからだ。とはいえ、世界が違う土地での野宿は、緊張したので、ぐっすりと眠ることはできなかったが。

 それでも、近くに水の気配を感じながら過ごせるのは大きく違う。

 水さえ傍にあれば、たいていのことはなんとかなる。


 私―――瑠奈は水の魔法使いだから。


 ゆっくりと水面より顔を出す。辺りは薄明るい。夜明けだろう。

 足がつかないほどの深さだが、そっと歩を進め、対岸へと向かう。意識せずとも、水が足底を持ち上げてくれる。

 荷から地図を取りだし、広げると水滴が一部を濡らした。今いる地点を示しているのだ。


 こちらの世界を探索して2年になる。深い水底にある魔石を売り、こちらの通貨もたまった。地図などこまごまとしたものもそろってきた。

 そろそろこちらの世界での生活基盤を整えたいところだ。


 ここは王城から北。城下町より徒歩で半日ほどの平原。土地がぬかるむので、民家はほとんどない。水辺に住む魚や水鳥を捕る猟師の使う小屋があるだけだ。

 水を介して移動する者は珍しくないが、さすがに界を渡る者は珍しいので、瑠奈はいつもこの国のはずれに出るようにしている。

 界を渡ると、内包する魔力も相当使ってしまうので、渡った日は回復させるために野宿していた。だが、最近では情報収集もかねて、城下町へと向かうようにしている。

 身体に触れる水から、辺りに人がいないことを確認し、瑠奈は城下町へと向かった。ぬかるむ道もまた、瑠奈の足元を邪魔することはない。

 明るくなる地平線を見やり、空気が温まっていくのを感じる。あちらの世界と同じく、太陽は東から昇り、西に沈み、月もまたひとつ、同じく公転する。

 どちらの世界も、どこか似ている部分が多かった。


 陽が登るにつれ、漂っていた水の気配が薄れる。夜はどちらかというと水の気配が強まる。闇魔法と相性がいいのも、そのせいらしい。

 輝く陽光から目をそらし、瑠奈はフードを上げ光りを遮ろうとした。


―――光り?


 陽光の中、赤く点滅する、なにか。


 ちりり、と首筋が緊張で強張る。城下町で見た、鍛冶師の溶鉱炉ようこうろで感じた気配。

「火の魔法!?」

 目をすがめ、上空、陽光の中に展開する陣を読む。


―――転移の魔法…火の魔法使いがやってくるの?


 瑠奈の予想通り、赤く光る円状の模様―――魔方陣から人の足が現れる。

「!」


 おちる!


 と、瑠奈が慌てる先で、足元からすべり出した人影は、陽光の中、墜落した。

 水しぶきがあがる先に、瑠奈は駆け出しながら袖をまさぐる。

「展開!」

 指先に紙切れを挟み、描かれている魔法陣を確認して叫ぶ。

「発動!!」

 水を裂く魔法を放つ。紙切れから光り立ち上る魔方陣が湖を裂き、水底に落ちる人影まで瑠奈を導く。

 倒れていたのは赤い髪の少年だった。呻きながら体を起こす様子から、怪我はなさそうだと判断し、瑠奈は手を差し出す。

「大丈夫ですか!?」

 見上げてくる少年は、赤銅色の瞳を瞬かせ、驚いたようだった。

「すみません、急いでください。これを維持するほど、魔力がないのです」

 急かすように手を突き出すと、少年は慌てて自分を囲む水壁を見やり、そろりと身を起こす。

 魔力が減っていくのを感じていた瑠奈は、無理やり少年の手をとり、対岸へ向かって駆け出した。動き出せば足は速いようで、少年も瑠奈に並んで駆ける。

 水の階段を駆け上がり、水底に足が着くと、瑠奈は魔法を解いた。

「申し訳ありません、もたなかったようです」

 ざぶりと音をたてておしよせる湖水に、腰まで浸かってしまう。

「うわあ!」

 水が苦手なのか、少年は悲鳴を上げてバランスを崩す。慌てて瑠奈は少年の腕を引き寄せる。

「大丈夫ですか!?」

 慌てながら瑠奈にしがみついた少年は、恐怖に顔を青ざめさせている。間近でみると、意思の強そうな眉と赤銅色のツリ目が印象的だった。

「掴まってください。ゆっくり岸へ向かいましょう」

 がっしりと上着にしがみつき、少年は大人しく瑠奈の誘導に従った。

 人目があるときには、水の魔法はあまり使わないようにしている。だから、今も瑠奈の身体は水にぬれてしまっていた。

 やがて浅瀬へとたどり着くが、少年はよほど水が苦手なのか、瑠奈の手を離そうとはしなかった。

「大きな怪我がなくてよかった。右腕に切り傷がちょっとあるけど、血はとめました。あとは身体の力で治るように、清潔にするといいですよ」

 身体に触れれば、治癒の魔法をかけることができる。水の魔法の応用だが、これはあまり魔力を必要としない。

「おまえ、水の魔法が使えるんだな。…アーリの民なら、当然か」

 ぐい、と手を引き、少年は駆け出す。少しでも早く水から上がりたいのだろう。

 思いのほか低く響いた声に、瑠奈は考え違いを知る。

 少年は彼女が思っていたほど、幼くはなさそうだ。言葉遣いも、大人びたものだ。

「助かった。―――名はなんと言う?」

「瑠奈です。あなたは…もしかして身分有る人でしょうか?」

 言葉遣いから、そう感じる。瑠奈が学んだこちらの言語は、上流貴族が使っていたものらしく、人と話すと引かれてしまうことが多い。最近では、少し下町での言葉も覚えてきたが。

 少年は立ち止まり、握る手を見下ろす。苦笑しているその顔は、整っているようだが、いかんせん目つきが悪い。

「…ルナ、心から礼を」

 洗練された物腰で、ずぶぬれのまま膝を着き、瑠奈の手に口付ける。男性貴族の最高礼だ。

 身分については、黙殺するようだ。応えないということは、肯定しているということだが。

「清き水をお受けします」

 軽く頷き、手を握る。それがこの礼の受け方だと習っている。実践するのは初めてだが。

「私はウインドという。濡れてしまったな…展開」

 ウインドが襟もとから金属片を取り出し、空中へ弾き放る。

 金属片から浮かび上がる魔方陣が、赤く光り点滅する。

「発動」

 ぶわり、と温風が二人を包み、濡れた服が一気に乾いていく。

 瑠奈は悲鳴を飲み込んだ。彼女の苦手な火と風の魔法が身を包んだのだ。

「あ…ありがとうございました」

 ぐったりとしながらかろうじてそういうと、ウインドは軽く頷いた。


―――MPがエンプティだ。今日はもう動けないや。


 水の多いこの場から離れることはできそうにない。予定では城下町へ行き、こちらでの学校へ入学する方法を再確認するつもりだった。年に一度の試験がもうすぐあるので、それを受け、入学してこちらでの生活基盤を作ることが、目下の予定なのだが。

「…ルナは、どこに住んでいる」

 どこかいいにくそうに、ウインドが言う。

「今日はここで野宿します。貴方はどうしますか?ここに用事があるのでしょう?」

 わざわざ転移してきたのだから。

「…いや…うむ」

 ウインドは逡巡し、困ったように足元へと視線を差迷わさせる。

「送るべきかと思ったんだが…失礼をした」

 ああ、と瑠奈は笑う。どうやら貴族らしく、婦女子を家まで送るつもりだったらしい。

「私はここに住んでいないのです。どうかお気になさらず。先ほどの魔法で魔力が費えてしまったので、休んで回復してから転移して帰ろうと思っていました」

「それはすまないことを。私が代わりに転移して送る」

「いえ、それは無理でしょう。とてもとても、遠いところなのです。幸い、水と相性はいいので、この水辺で一日休むのは都合がいいんですよ。回復もわずかですが早まりますし」

「そうなのか…」

 戸惑うウインドは深く一度頷き、赤銅色の瞳に決意を篭めて、瑠奈を見る。

「私もともにいよう」

 その強い意志の篭ったツリ目を見返し、一度言った事を翻すことはなさそうだと読み、瑠奈は苦笑を隠して無表情に頷き返した。

「わかりました」

 とりあえず座りましょうか、とどこか緊張する少年を促し、瑠奈は木陰へと移動した。

 地べたに座り、戸惑うウインドは放っておいて、地図を広げる。この世界の地図だ。せっかくだから、彼に教えてもらおう。

「この読み方がわからないんです。ご存知ですか?」

 地図の上に描かれている単語を指差すと、ウインドはこわごわと地べたに膝をつき、頷く。どうやら地面に直接座ることに抵抗感があるらしい。だが、瑠奈はそんなことには気づかずに、問うようにウインドを見つめる。

「カイオス。星の名だ。多分…」

 ちらり、と顔を上げ、空を見上げる。

「こうだな」

 地図を回してくれる。ああ、と瑠奈も頷いた。城下町の方向と合っている。

「そうか、ケイオーサンサスのことね」

「古い言い方だな。かつてはそう呼んでいた星の名だ。…ルナは、旅人なのか」

 ルナは首を振る。そうだと誤魔化せればいいが、そういいきれるほどこちらの常識がないことは、今のやりとりでバレてしまった。

「あまりものを知らないので、学校へ入ろうかと思っています」

 ウインドはますます困惑し、うつむいてしまう。

「…ものを知らぬ者が、あんな魔法を使うとは思えないが」

「他の魔法使いを見たのは、貴方が初めてなので…」

 水を裂いた魔法が、どの程度のことなのか、正直わからない。

「あまり使わない方がいいかな…魔力の調和が崩れてしまう」

 は、とウインドは息をのみ、瑠奈に詰め寄る。

「まさか、あの魔法を何度も使ったのか!?」

「い・いいえ」

 瑠奈が水を裂く必要などない。その身は水を裂かずともぬれることはないからだ。

 そうか、とウインドはほっと息をつく。

「もう魔力の調和は総崩れだからな…。これ以上の崩壊を助長するようなことは、少しでも減らしたい。疑って済まなかった」

「いえ。そんなに酷いのですか」

 瑠奈の問いに、ウインドはあっさりと頷いた。瑠奈を不審がるそぶりは無い。このような辺境にいるのだから、知らないことは不思議ではないのだ。

「特にここ数年、アーリ国では水の魔力が増えてしまった。風の魔法使いも、バーレル国で保護していたが、使い手は少ない。光の魔法使いもほとんどが火の魔法使いが兼任している状態だ」

 ふう、とため息をつくが、瑠奈が困った顔をしていることに気づいたのか、苦笑する。

「すまん、わかりにくかったか」

「いえ。その、知りたい事を教えてくださったと思うんですけど、どうしたら調和は良くなるかなって、思っていたんです」

 それこそが、瑠奈が界を渡って調べている事だ。こちらの世界での記憶を持っていた祖母の願いでもある。

 祖母はこちらで水の魔法使いだったらしい。その力で、世界に流れる魔力の調和を目指していたらしい。瑠奈はその遺志を継いでいる。

 うーむ、と唸る瑠奈を、ウインドは不思議そうに見つめた。

「そんな事は、王族や魔法使いに任せようとは思わないのか」

「いえ、人事ではないでしょう?バランスが悪いと天災が起きやすいって言いますし。とりあえず、水の魔力を国外に出したほうがいいのかな?魔石の輸出量を増やせばいいのかな?」

「最近の魔石は、精度が悪いのか、南まで持たずに消滅してしまうのだ。それでもここ数年、質のいいものが流れているらしいが、ほんのわずかだ。だから…うちの井戸も干上がってしまいそうなのだ」

ウインドはそう呟き、忌々しげに湖を睨む。

「そうでしたか。では、ここには魔石を買い付けに?」

瑠奈の問いに、ウインドは苦笑して頷いた。

「光の道を通るのは無謀だとわかっていた。…だが、少し無理をすればこちらに来れるのに、なにもせず見ていることはできなかったんだ」

 無謀、無理、という意味がよくわからないが、ウインドの人の良さがわかる言葉だった。

「少し待っていて下さい」

 そういい置き、瑠奈は荷物は置いたまま、湖へと向かう。

 その華奢な後姿を見送り、ウインドは足元へと視線を落とす。


―――やはり馬鹿なことをしただろうか。ルナも呆れたのかもしれない。


 魔力のバランスを崩すことなく転移するために、あえて水の魔力の多い首都を目指した。火の気のない地域へ展開したため、身を守る魔法を使うことすらできなかった。

 上空に出現し、風の魔法を使って衝撃を和らげたが、結局水に落ちてしまった。


―――ルナがいなければ、水死しただろう。


 泳ぎは学んでいる。できないことはない。だが、さきほど、習ったことは何一つできなかった。自分の甘さに反吐が出る。

「ウインドさん」

 お待たせしました、と声をかけられ、少女の差し出すものに、目が釘付けになる。

 そこにあるかかろうじて確認できるほどの透明な石。拳ほどの大きさのそれを三つほど両手の平にのせ、差し出している。

「どうぞ」

 渡された石はまぎれもなく上質な水の魔石。こんな大きさのものは見たことがないが、輸送される間に小さくなったものなら、見たことがある。

「足りなかったかな?今はそれくらいが限度」

 ふぅ、と疲れたような息をついて、瑠奈は木陰に座り込む。しばらくは動けなさそうだ。

「る…ルナ、これ…」

「井戸が枯れるのは大変。それ使ってくださいませ」

 疲れているため、つい言葉遣いが変になってしまう。

「どうやって?」

 ウインドの問いに、面倒くさいので、ただ湖を指差すのみで応える。

「いいのか」

 頷く。

「水ないのは大変ですわ。早くお戻りくださいませ」

 久しぶりに魔力が枯渇するほど使ってしまった。もしもの時のため、使い切ることはしないように厳命されていたのに。

「すぐに戻る」

 気もそぞろに、ウインドは立ち上がり、襟から金属片を取り出す。

「いいえ。私は大丈夫です。水が傍にあれば、大体のことはなんとかなりますから」

「いや、これを置いたらすぐに戻る」

 そう言い張り、ウインドは転移の魔法を展開して、消えた。

 その波動に当てられた瑠奈は、ますます顔色を悪化させ、うなだれる。

「せめて、もうちょっと離れて展開して欲しかった…」

 ふぁ、とあくびをひとつつき、高くなった陽から隠れる位置に座りなおす。今日は昼寝の日にしよう。



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