五話目 車輪の唄 後
ジリリリリリリリリ・・・
電車が来るのを知らせるベルが鳴った。
待ったワケでもなく、改札口を抜けてすぐの事だった。時間ぴったり。
向こうの方から電車がこっちに迫ってくるのが見える。
あの電車に、彼女は乗っていく・・・。遠くに。
体の中から何かがこみ上げてくるのを感じた。
それをぐっ、と堪えて、電車を見る。
電車は徐々に速度を落として、止まる。
音を立てながら扉が開いて、
彼女だけが電車に乗った。
僕は乗ることの無い“そこ”に、彼女が乗った。
たったの一歩だ。
僕も一歩を踏み出せば横に並べる。
それでも、凡そ単純な一歩とは比較にならない程の距離を置いた“一歩”だった。
彼女はクルリ、とこっちに振り返って、
「約束だよ?」
言った。
「必ず、いつの日かまた会おう?」と。
ただの引越しならば、そんな願いはスグにかなう。
下手をしたら、明日にでも。いや、なんならついていってもいい。
連絡も取れるだろう。
普通の引越しならば。
それが出来ないことを解った上で、彼女は笑顔でそう言った。
目を潤ませながら、それでもしっかりとそう言った彼女に、僕は何か言ってあげたかった。
一言、
「約束だ」とか、
「大丈夫だよ」とか、
そんな事を言ってやればよかった。
カッコ良く、サラリと、そう言ってやりたかった。
なのに、答えられなかった。声が出てこなかった。
今度は泣いてたわけじゃなかった。だけど、泣きそうになっていたのは確かだった。
そして、今度泣いたら、駅中に響く声で泣いてしまうだろう事も確かだった。
だから僕は何も言わず、俯いたまま、カッコ悪く、手を振った。
彼女がどんな顔をしていたかは解らなかった。
笑ってはいなかっただろう、と、それは解った。
そして顔を上げたときには、扉は閉まり、既に電車は動き出そうとしていた。
彼女は最後に、扉越しに口を二回動かした。
何て言ったか、僕には理解できた。
けど、それは教えない。
僕の心の中にとどめておきたいから。
ガタン・・・ ガタン・・・ ガタン・・・ ガタン・・・
電車が走り出した。
僕は電車の動きに合わせて電車を追った。
彼女も電車の中で、電車の向かう方向に逆らっていた。
電車が遠ざかる。
追える限界が来た。
もう無理だ。
終えない。
佇む僕に、
いいのか?
心の中で、誰かが言った。
いや、僕だ。
僕の中で、僕が僕にそう聞いた。
いいのか?
もう一回、僕は考えた。
いいのか?
このまま、二度と会えない可能性もある。
いや、寧ろその可能性の方が――――
駄目だ!
僕の中で何かが弾けた。
次の瞬間には、僕は駆け出していた。
改札を飛ぶように抜けて、駅を出て、自転車に飛び乗った。
さっき登ってきた坂道を、自転車で今度は猛スピードで下る。
あまり速度の出ていないから、すぐに電車に並べた。
ギー ギー ギギー・・ ギガ・・・ガ・・・
車輪が悲鳴を上げる。
耐えろ!
僕は転ばないように注意して、電車を方を見た。
彼女は僕に気付いているらしく、窓を開けて何かを言っていた。
顔は見えなかった。風で、目が開かなかった。
「――――――――」
彼女は泣いていた。
いや、顔は見えないままだ。
何で解ったかって?
馬鹿にしちゃいけない。
僕はアイツの彼氏だ。解らないわけが無い。
声が、震えてた。
「約束だ!!!」
僕は手を上げて叫んだ。
電車はどんどん遠ざかっていく。
それでも構わず、僕は手を空に掲げて叫んだ。
「絶対!必ず!いつの日かまた会おうッ!」
彼女に聞こえたかは解らない。周りに人が居て、僕を怪訝そうな顔で見つめていたけど、そんな事は関係なかった。
僕は手を掲げた。叫んだ。大きく。遠くに向けて。
最後を、カッコイイ彼氏で見送ってやりたかった。
だから流れ出る涙は拭わずに、アイツに向かって手を振った。叫んだ。
また会おう。
絶対に、また会おう。と。
アイツに聞こえるように、見えるように、何度も、何度も。
大きく、大きく。
いつまでも、手を振っていた。
帰る途中、町が賑わい始めたのを感じた。
陽も出、通勤するサラリーマンや、これから開く店などが目に付く。
キー・・・ キー・・・ キー・・・
車輪の悲鳴が小さくなった。
それはそうだ。
今乗ってるのは、僕一人だから。
町は賑わい始めたのに、ちっとも心は晴れなかった。
「世界中に一人だけみたいだな・・・」
呟いてみても、今度は苦笑いすら起きなかった。
だから、「ハハ・・・」一人で笑ってみた。
キー・・・ キー・・・ キー・・・
車輪の音だけが心に響いた。
さっきまで後ろに座っていた彼女の微かな温もりだけが、悲しく、残っていた。