4 お砂糖足りていますか?
■赤き少年と呪われた騎士
むかしむかし。
この街には代々続く領主の家がありました。
しかし、真っ先にその家は黒き魔王の餌食となりました。
生き残った少年は、呪われた自分の人生を嘆きました。
青の魔道師は、不憫に思い、彼を自らの屋敷に招き入れました。
少年は青の魔道師より知恵を授けました。
少年は白銀の姫より剣を授かりました。
少年は戦場を駆け、
横切る敵兵を倒し、
迫り来る戦車を避け、
敵陣に深く切り込み、
ついには呪われた騎士を打ち破りました。
その功績から栄誉得ました。
後に少年は赤の騎士とも赤の勇者とも呼ばれるようになりました。
勇者は魔王の手下を次々と討ち取りました。
あまりにも多くの敵を討ち取った為、
いつしか呪いにその身を侵されました。
呪われてしまった勇者は、
赤き魔王の前に倒れ、
親友を失い。
授かった剣を失い。
そして白銀の姫とも引き裂かれてしまいました。
おいたわしやおいたわしや。
※*※*※*※*※*※*※*※*※*※
夕焼けに染まる森。
その中を歩く四つの長い影。
その内のひとつはとても歩みが重かった。
「ず、随分と転落人生なんだ…な」
「はい…悲しいお話です」
律儀に感想を述べながら、背中に掛かる荷重に息を切らせる。
涼しげな秋の夕焼けの中にも関わらず、すっかり汗だくだ。
俺が背負っているのは、先程の獲物である大猪だ。
「ほら、危ないからもう本閉じて、ちゃんと前見なさいよ?」
「もうっ姉さん、わたしはそんなにドジじゃありませ――にゅ?!」
ガシっと咄嗟にリルドナが手で止める。
さすがはミス・ハイスペックだ。
リウェンがバランスを崩した、その瞬間には手が出ている。
そして、もう片方の手には折りたたまれた布の塊。
俺のコートだ、さすがに上だけは脱いだ。
ちなみに、お話を読み聞かせてる最中に何度も転びそうだったのは言うまでも無いよな?
「アンタが話題振るからいけないのよ?」
「この期に及んで…俺のせいかよ……」
背中に圧し掛かる重量のせいで、うまく毒を吐き返せない。
事の始まりは、俺がお伽話の質問をしたからだった。
実は話題はなんでも良かった、リルドナが「ノミノミ♪」「痒イ痒イ♪」と連呼するから、とにかく話題を変えたかった。
ルーヴィックが「剣の不在は教えん」と言ったのも、少し気になってたこともある。
「お前が運んでくれてもいいんだぞ。」
「やーよ、アンタ何も獲ってないんだから、それくらいしなさい」
獲ったけど、リウェンが逃がしたんだ!と言いそうになるが、踏みとどまる。
言えば、彼女を責めることになるしな、同様にルーヴィックも獲物ゼロのはそういう理由。
ヤツは籠を手を森に自生していた山菜を運んでいる、意外にもリウェンが採ったモノだ。
もう片方の手で、先程のリルドナの長い弓を持っている。
「リウェンも頑張ったんだな」
「はい、こういうの見つけるの得意なんですよ」
向けられた賞賛に顔に笑みを浮かべる。
日頃の失態を希薄させる、プラス評価だった。
「それはそれで、大したモンだな~」
「そりゃそうよ、この子には『サボリなし』と『高速採取』付いてるからね~」
「姉さん、わたしはネコじゃありません」
代わって貰える気配はまるで感じられず、諦めて脚にもう一度力を込め直す。
早く戻って汗を拭かないと風邪を引きそうだ。
真っ赤に染まる森に一陣の風が吹きぬける。
日はもうその役目を終えようとしていた。
~・~・~・~・~・~
「そら、昇格・女王だ」
「く…やっぱりか」
「まずは一個だぞ?」
ヤツの歩兵が俺の本陣に深く切り込み、栄誉を授かった。
だが、すぐに殉職をしてもらうことにする。
「ちっ…暴れる前に刈り取るぜ」
ただちに城兵で侵入者を排除する。
「本当にそれでいいのか?」
「うるせぇな」
相変わらずの対局の時間。
ヒマさえあればチェスしている気がする。
しかし、今回は少し勝手が違う。
ヤツは騎士を切り込ませてきた。
「ハンデはくれてやったんだ、頑張れよ?」
「全然、ハンデと思ってないだろ…お前」
ハンデと称して、ヤツが自らに課したのは、歩兵の昇格。
それも、両端の歩兵、城兵側の歩兵だな。
これらは、『呪われた歩兵』と言われ、昇格が困難とされる。
盤面をじっくり見てくれたら、なんとなく判ると思う。
ヤツはそれらを二つとも昇格させた上で勝利するという。
「結局、お前に絡め取られてる気がして仕方ない!」
「人聞きの悪いこと言うな。そら、お前の手番だ受け手を聞こう」
ヤツはハンデそのものを囮にし、次々と陽動を仕掛ける。
実際問題、何手までに昇格しろいう制限がないので、非常に厄介だ。
「なら、その歩兵を刈り取るまでだ」
「良い心意気だ、だが手損にならんようにな?」
ヤツの挑発を無視し、もう一度盤面を見据える。
――さっきの騎士はどういう意味がある?
…。
ガチャ。
「ちょっと!お兄ちゃん、ごめーん――あ、」
――コンコン。
いや、遅いぞ、入ってからノックするな。
この女、とうとうパターンを変えてきやがったな。
「どうした?」
「ちょっと猪解体してほしいのよ」
「なんだ、まだ切って無かったのか?」
先程、仕留めた猪をまだ捌いて無かったようだ。
というか、どういう料理になるんだろうか…。
猪って豚みたいな肉なんだろうか?
「十六分割くらいでいいか?」
「先に毛皮剥いでよ」
「ふむ、とりあえずそちらに行く」
ガタンと席を立ちつつ、左手を腰に回す。
やっぱり、あの短刀でやるつもりか?
「すまんが、ゲームを中断する」
「ああ、長考させてもらうさ」
さて、このf4の騎士、それとh4の城兵、並んで何を狙っている?
うーん…。
むぅ…。
…。
部屋を出て、小屋からかも出る。
炊事場は勿論外にあるからだ。
「あれ、アンタもきたの?」
「悪いか、気になって仕方無いだよ」
俺の顔をみて、にやぁ~と笑う。
本当に、表情豊かな女だ。
「こっの野次馬ぁ、やらしいわねぇ」
「なんでそうなるんだよ…」
「まぁ、アンタだけじゃないけどねぇ~」
リルドナの視線の先に視界をスライドする。
固唾を飲んで見つめる金髪の男と、
その横に槍を手に何かしている途中の男。
――槍の穂先を交換しているように見える。
先程の傭兵二人組、ゼルとロイだった。
その表情は険しい。
「どうしたんですか?」
適切な言葉など見つかろう筈もなく、俺は間の抜けた質問をする。
先に反応示してくれたのは、やはりロイの方だった。
「ボク達はちょっと通り掛かっただけなんだけど――なぁ、ゼル?」
「チッ…なんなんだよ、ありゃあ」
苦しげにその重い口を動かしている。
ルーヴィックに視線を移す。
何やら猪『だった』物を前に吟味している様だ。
もう毛皮の無い肉の塊だ。
「猪の肉としか言えません」
「んなコトはぁ判ってる…」
会話が噛み合わない俺達。
それもそうだ、俺は途中から顔を出した。
戦況の膠着を打破すべく、リルドナがヒョッコリ間に割って入る。
「ヤンキー顔も金髪も、お兄ちゃんの刃捌きに絶句してるだけよ」
「誰がヤンキーだ、コラ!」
「金髪…は勿論ボクのコトなんだろうね」
明らかな反感を示すゼルと、苦笑いだけで済ませ大人の対応を見せるロイ。
つくづく、この女の命名センスは容赦が無い。
まぁ、金髪ってのはそのまんま過ぎる気がするが。
「不思議だな、金髪って言い方がお前にしては上出来に思える……」
「なによ、アンタもこういうのがいいの?」
「無能よりはマシのはずだ!」
「んじゃ、栗毛」
「俺は馬かよっ!」
ちなみに俺の髪は茶、他人が言うには少し赤みが掛かってるらしい。
「じゃあ、チャバネ?」
「もう哺乳類ですらないぞ…」
火薬の少なすぎた銃声みたいに可愛らしく「チャバネ?」と言ったが却下だ。
「キ、キミたち仲いいねぁ…」
乾いた笑い声でロイが感想を告げる。
不毛な言い合いは、ルーヴィックの投石ような一声で打ち切られる。
「骨はどうする?」
「あ、ブツ切りでいいわ、骨ごと行った方が味がでるしねぇ~」
「ふむ、心得た」
キン…。
と短く金属音が鳴ったかと思うと、凄まじい速さで刃を振るう。
次々と切り裂かれる肉塊、目の錯覚か刃が宙を舞い切り裂いている様に思える。
それは、斬撃の弾幕、近づく者の命を容赦なく奪い去る死神の様だった。
「すげぇ…」
「でしょ?」
腕を組み得意げにするリルドナ。
別にお前を賞賛している訳じゃないだぞ。
その横に視線を移す。
戦闘のプロである傭兵の彼らも言葉を失っている。
あれが人間相手でなくて良かったと正直思った、
あんな光景が繰り広げられたら…しばらく肉なんて食えなくなるはずだ…。
「こんなものでいいか?」
「うん、バッチリ!ありがと、お兄ちゃん」
笑顔で礼を述べる妹、事も無げに応える兄。
こいつら一体何なんだ?
余りにも飛び抜けた性能。
実力に不釣合い外見。
「しっかし、マジでデカイ猪だな」
「こんなのよく仕留めたね」
見れば見るほど大きな肉塊。
ちょっと夕食にするには多すぎる食材に思えてきた。
その思考を汲み取ったのか、エサに群がるノラネコのようにリルドナが動いた。
「ねぇ、アンタ達って豆好き?」
「「はぁ?」」
何処かで聞いたことのあるフレーズだった。
~・~・~・~・~・~
「チェックメイト」
「あ――」
「どうした?再開してから指し手がおかしいぞ?」
「あぁ…」
先程のルーヴィックの斬撃が頭から離れない。
全く集中出来ないんだ。
「アンタさっきから元気ないわよ?」
紅茶を注ぎながらリルドナが囀る。
コイツにも、そう見えているようだ。
意識しているつもりは無いが、端々の行動に出てしまっていたようだ。
視界の傍には、ゼルとロイ。
物珍しそうに対局を観察している。
結局、あのままリルドナのペースで「そんなのばっかりじゃ、二人とも大きくなれないわよ?」という聞き覚えのあるフレーズで纏められてしまった。
既視感というヤツなのか、いや違う。
この女の狼藉を忘れるわけも無いので違う、
二人を哀れみながらも流れ行く運命をスルーした。
どうせコイツには逆らえない、こんな想いは既視感カプセルに詰めて読者プレゼント行きだ。
「ふむ…」
何やら思案している。
一拍ほど空けてから、口が開いた。
「少し口直しと行こう」
「口直し?」
――全員の頭に『?』が浮かぶ。
「リル、悪いが淹れ直してくれ」
「えー、まだ料理の途中なんだから、あとにしてよ」
料理の途中ということもあり、サービスは最初の一杯だけ。
あとは自分で……セルフサービスになる。
彼女達に調理を任せ切り、挙句にチェスに耽る俺達だ。
あまり贅沢なことも言えない。
「茶もゲームも口直しと思ったんだが、ゲームの方だけで我慢するとしよう」
少し待っていろと俺に告げ、何やら荷物を漁リ出した。
一体何を持ってくるんだ?
「待たせたな」
「なんだ、それ?」
チェス盤とはまた違ったマス目のゲーム盤と四角い箱。
それはゼルとロイも未知の物であるらしく、顔を覗かせてくる。
そのまま、箱の中身を取り出し俺に示す。
「――木片?印章か?」
それは、五角形にカットされた木の小片。
面には見たこともない象形文字が刻まれている。
「駒だな、極東の島国のゲームで『将棋』と言うらしい」
「あ~、倭の国行った時の?結局買ったんだ」
すかさず、嬉々とした顔でリルドナが口を挟む。
料理の途中じゃなかったのか?と言いそうになるのは抑えた。
「うむ、少し興味があったんでな」
「また、行きたいわね~」
「お前は茶葉が欲しいだけだろう?」
「失礼ね、信州味噌も日田醤油も、あと九条ネギも欲しいわ」
聞きなれない単語が並ぶが、ある確信があった。
それは必殺の一手になるに違いない。
「よくわからんが、断言するぞ?」
「なによ?」
「ソレ全部…食材だろう?」
うっ、と言葉を詰まらせ、リルドナは退室していった。
やっぱりそうなんだな…。
「どうだ、やってみないか?」
「全くわからないぞ…」
「俺も大して知らん、とりあえず並べてから説明してやる」
大して知らんという割りに、手馴れた手つきで並べていく。
お前の言葉はどこまで信用していいかわからないぞ。
盤面を見る、マス目は9×9の81マス、布陣は手前より3マス。
最前線に立たされる小さな駒が九つ。
「もしかして、これが歩兵か?」
「うむ、ほぼ同等な役割だ、ただし最初の移動でも一歩だけだ、当然アンパッサンは無い」
「なんか劣化品みたいだな、で、最深奥まで突き進めば昇格出来るのか?」
「いや、敵陣に入れば――ということらしいので、奥より三マスでいい」
「近くていいな、女王だらけになりそうだ」
「このゲームに女王は存在しない」
「オイオイ、そりゃまた寂しい王様だな、独身かよ」
「ゼル、女王を戦場に連れて行くのもおかしな話だと思うよ」
盤面を見る、本陣の一番奥のど真ん中の一際大きな駒、おそらくこれが王だろう。
二列目のスカスカの陣、そこにポツンと並ぶ二つの駒、これは何らかののメジャーピースか?
湧き上がった仮説を投げかける。
「この二列目の大きな駒は、城兵あたりか?」
「うむ、右が城兵で、左が僧正だ」
左の『角』と彫られた駒を見つめる。
随分と僧正も出世したもんだ。
ちなみに城兵にはキャスリングが無いらしい、つくづく劣化版だ。
「じゃあ、王の両側にいる護衛はなんだ?」
「名前はゴールドという意味らしい、斜め後ろに移動できない王と思えばいい」
「随分としょぼい護衛だな……」
「じゃあ、隣にいるやつもあまり期待できそうにないな……」
「そいつはシルバーらしい、後ろと左右に動けない王だ」
変なところで対になってるな…なんだかとても扱いが難しそうだ。
ここまで来ると、ある程度予想はついてくる。
「そうなってくると、その外が劣化騎士で、両端が劣化城兵か?」
「正解だ、前方ニ方向しか飛べない騎士と前方にしか走れない城兵だ」
思わずため息が出る。
なんだよこれ、マイナーピースだらけじゃないか。
頭の中で様々な局面を想定するが、どれも浮かんでは破綻していく。
「こんなんで攻めれるのかよ」
「厳しいな、布陣が三列になってるせいで、騎士も僧正最初から動けないな。」
なるほど…何がなんでも歩兵を動かせということか。
まぁ、一手我慢で僧正は大きく進軍――あれ?
「おい、これ僧正同士ぶつからないか?」
「そうだな、見事に同じ斜線に配置されている」
ため息しか出ない、キツイぞこれ…。
ふと駒を手に取る、裏面にも何か彫られている。
「なんだこれ?」
「ああ、王と劣化王以外は全て昇格可能らしい」
「またややこしいな」
王と劣化王の裏面は白紙、なるほどね。
「城兵は斜めに、僧正は上下左右にそれぞれ一歩だけ動けるようになる」
「…。」
「他のマイナーピースは、全て劣化王…ゴールドになるようだな」
「しょぼすぎだろ……」
聞けば聞くほどため息が出る。
似たような物と思ってやったら痛い目みるな。
「まぁ、このゲーム最大のウリだが――」
「まだ何かあるのか?」
「取った駒を、手駒として好きなところに置けるらしい」
その言葉に、黙して説明を聞いていたロイが口を開く。
「敵兵を討ち取るのではなく、捕虜にしたという認識なのかな?」
「捕虜がすぐに言うこと聞くかぁ?」
「ふむ…俺は軍人では無いので、その辺りの心理はわからん」
「無理従わせようとしたら、死んじまうぜ?」
「うーん、そうなると…死者が好き勝手に起き上がってくるみたいだね」
ゼルの意見に、ロイのオカルト的感想。
見方を変えれば、『死者が蘇る』か…とんでもないルールだ。
好きなところに置けるとか、奇襲し放題じゃないか。
「これ、とてもじゃないが出来る気がしないぞ……」
「やってみなけりゃわからんさ」
「またそれかよ…。どうせ『はい』か『イエス』しか選択肢は無いんだろう?」
俺の言葉に、満足そうに笑い、
「とりあえず、まだ駒の種別も覚えられんだろうから――」
手早く、何かを書き始める。
左手が紙面に襲い掛かり、次々と文字という傷を刻む。
それを覗き込む俺達三人。
纏まりがあるが、まるでタイプライターで印字された様の無機質な文字。
「これを見ながら指すといい、無論聞いてくれても構わないぞ」
「じゃあ、いつもので行くぞ」
俺の言葉に鼻で笑い、こう答える。
「先手はくれてやる」
「そりゃどうも」
歩兵を進め、騎士(もどき)の進路を確保する。
同様にヤツの歩兵も動き出した。
パチンッと小気味のいい音が響く。
このゲームにもチェスの様に序盤のお決まりの指し手があるのだろうが、
なにせ勝手が判らない、俺は探るように進軍を開始する。
「心配しなくても、俺も勝手がわからん」
「どうせ、セオリーも何も判らないんだ、サクサクいくぞ!」
「良い心意気だ」
「けっ、すぐに前線がぶち当たって泥仕合になるけどな」
パチン、
パチン、
駒を指す音が心地よく響く。
澱みなく繰り返される音が不意に途切れる。
見れば、ルーヴィックは王に手を掛け、油の切れた滑車のように硬直している。
その顔には影が差しており、弁解を捜しているようであった。
「お前、今キャスリングしようとしただろ?」
「ク…悔しいが、肯定だ」
「触ったら動かせなんて言わないから、別の手を指せよ」
「本当にそれでいいのか?」
お互い減らず口の絶えない攻防が続く。
ゼルもロイをそれを呆れ顔で見守っているようだった。
窓から差し込んでいた西日はすっかり消え去り、
辺りに闇を染み込ませていた。
~・~・~・~・~・~
「ほーい、おまたせっ!」
「お、待ちかねたぞ」
「ボ、ボク達も一緒でよかったのかな…」
「問題無い、」
相変わらずトレーを使わず素手で料理を運ぶリルドナ。
さすがに人数が多いので、持ちきれない分はリウェンが台車に載せて運んでいる。
本人が転んでも、台車は倒れないので安心だ。
無駄の無い優雅な動きで、次々と料理が配膳されていく。
「ほぉ、こりゃたいしたもんだ」
称えられる賞賛は、配膳された料理にか、配膳する仕草へか、
ゼルは率直な意見を述べる。
「猪の肉は少し臭みが強いので、少し香辛料が多めに配分してます。それと――
冷めない内にお召し上がる事をお勧めします。今なら臭みもほぼ気にならない筈ですよ」
次々と配膳される料理について、リウェンが説明を加える。
居並ぶ料理は、まさに猪尽くしという感じだ。
小柄な料理長と横柄な副料理長の仕事は踊る。
「――リル、」
「え?お兄ちゃん何?」
「弦が付いたままだ」
リルドナの目が部屋の入り口へ流れる。
俺たちも釣られて、視線を移す。
そこには壁に立てかけられた、長い弓。
――リウェンの歩行サポート(?)のために両手を空けたかったリルドナが、
自分の兄に持たせた物だった、あえてルーヴィックは片付けなかったのだろうか。
「あーいっけな~い」
「特注で作って頂いた職人に対し、失礼に値する」
リルドナは弓に歩み寄り、弓の上部に手を掛け、その逆を壁に立て掛ける。
「よっ…と、」
弓に体重を掛け、ゆっくりと弓の湾曲を大きくしていく。
実にしなやかに曲がる弓だ。
「あれは特注品なのか?」
「わざわざ弦の張りをレフティモデルにしてある」
そういや、左利きだったな。
ゼルもロイもその珍しい形状に目を見張る。
特にロイの見る目は強い好奇心の色があった。
砲術士としての知識欲だろうか。
大きく湾曲した弓から弦が外される。
今度は、掛けていた加重を少しづつ緩めていく、弓は少しづつその姿を元に戻し――
「あれ?」
「へ~そんなになんだ」
戻る弓はそのまま逆方向に反り返ってしまった。
元はこういう形状だったんだな。
「これ、倭国の物じゃないの?」
「そうよ~金髪もよく知ってるわね」
応えながらも弓を細長い布の袋に収納していく。
相変わらずテキパキとした、器用な手つき。
「んじゃ、コレ片付けて、手を洗い直してくるわ~
アンタ達、先食べてていいわよ、 ま、臭みが好きならゆっくりでもいいわよぉ?」
だから、どうしてそんなに嬉しそうに言うんだ…。
投げ掛ける相手はすでに扉の向こうだった。
――しかし、
なんでこのタイミングで言うのだろう。
「なぁ、別に食事済んでからでも良くなかったか?」
「いや、今でいい、あの手は冷やしたほうがいいしな」
「ん、冷やす?」
「どういうこった?」
ゼルとロイも意味がわからず問い返す。
俺にはなんとなく、わかった。
リルドナは素手で料理を運ぶ、それも冷めないように食器を熱して、だ。
平然と持っている様に見えるが『熱いのが平気』ではなく『熱いけど我慢できる』なのだ。
あいつの性格だ、ヘタに指摘すると余計意地になるに違いない。
「意外にも気の利くヤツだったんだな」
「俺はいつでも空気を読んでいるぞ?」
「良くも悪くも読んでくれますよね」
リウェンはクスクスと笑っている。
きっと今までもロクな心理戦を繰り広げなかったんだろう…。
「では皆様方、姉もああ言っておりますので、どうぞ遠慮なさらずお先に召し上がってて下さい」
「悪いけど、そうさせてもらうね」
「冷めると臭みが気になるらしいしな」
ゼルとロイは料理に手を付け始めた、俺もそれに習う。
料理に視線を巡らせると、様々な肉料理が自己主張をしてきた。
しかし、俺の視線を受け止めたのは、肉料理ではなくスープだった。
「リウェン、もしかしてこれって――」
「正解です」
俺の問い掛けに満面の笑みを見せる。
「昨日、お召し上がりになられたスープと同じです、
ただ、今日はブルーピースふんだんに使用していますので、また違った味が楽しめますよ」
「そりゃ、楽しみだ」
早速スープから頂くことにする。
じんわりと染み渡るあの味だったが、
リウェンの言う通り微妙にアクセントが違う。
「たしかに、うめぇな」
「うん、これはいけるよ」
ゼルとロイも賞賛の言葉を発する。
どうせならリルドナが戻った時にも言ってやって欲しい。
きっと真っ赤になって照れるはずだ。
「ただいま~って、ホントに先に食べてるし、冷たいわねぇ」
「お前が先に食えと言ったんだぞ」
噂をすればなんとやら、リルドナは帰ってきた。
「ホントは牡丹鍋もしたかったんだけど、お味噌がなくてねぇ」
「ボタンナベ?ミソ?それも倭国の物か?」
「そうよ」
「ホント、お前は倭国好きなんだなぁ…。
そういえばさ、お前のソレって――」
視線をリルドナの下半身に向ける。
コイツはスカートを穿いていない――
おっと、別にパンツ丸出しってわけじゃないからな?
変な期待しちゃダメだぜ?
スカートとは違う物を穿いてるという意味だ。
俺も最初はスカートと思ってたいたが、どうもスカートとは違うものに見える。
途中で二股に分かれ、まるでズボンのようなのだが、裾が大きく開いている。
ズボンのようなスカート。
「ソレも倭国の物か?」
「そうよ、袴っていうのよ」
「へぇ~通気性良さそうだね」
「あれだろ?あの国って蒸し暑いからだろ?」
ゼルの言葉で昔読んだ本でそういう記述があったことを思い出した。
なんでも、湿度が高い為に家屋にも様々な工夫がされているとか。
「夏はそうねぇ、でも年がら年中ってわけじゃないわよ?」
「四季がハッキリとした土地なんですよ、あと地域によって天候も様々です」
「そうそう、山を挟んで片や滅多に雪の降らない地域、片や豪雪地帯とか普通にあるもんね~」
もう一度、昔読んだ本を思い返す。
その中で見た倭国の地図はとても狭い土地だったはずだ。
そんな狭い空間でなんとも神秘的な土地だ。
「それでも、蒸し暑いのが苦手なら、北方の島へ行くといいわ」
「ああ、あの菱形の大き目な島か」
「たしか、『えぞ』とかいうんだったかしら、あっちは夏でも涼しいわよ」
オチは見えたが、あえて聞く。
「冬はどうなるんだ?やっぱり寒いだろ?」
「そりゃ、死ぬほど寒いわよぉ」
どうしてコイツはこういう話題を嬉しそうに話すんだ。
「真冬にはマイナスニ七三度にまで下がるらしいわ」
「この国より寒いじゃねぇか」
「そうね、倭の国で唯一オーロラが見れる土地みたいだし」
「そんな過酷な環境じゃ、誰も生活できないんじゃないのかな?」
「うーん、その環境下でも従軍し、任務を遂行する特殊部隊を『トンデンヘイ』というらしいわ」
「すっげぇな、そりゃ」
さすがの傭兵の二人も想像を絶するモノなのだろう。
過酷な大自然の驚異に晒されながらも、逞しく生きる倭国の民。
そんな彼らの生活に様々な知恵での工夫を思い浮かべる。
俺は倭国へ想いを馳せるのであった。
「ね、姉さん、とりあえずお掛けになってください」
「あ、そうね」
姉に着席を促すリウェン。
その顔には何故か、カラスに追われる仔ネコのような苦悩の表情があった。
「冷めるない内に、が基本だしね~」
姉は妹の横に着席する。
――?
なんだおかしいぞ?
この二人は確か同じ背丈だったはず。
しかし、眼前には姉が一段高く見える。
横からテーブル下の様子を伺う。
すぐに答えは出た。
「おい、」
「何よ?」
「なんでそんな座り方なんだよ」
そんな座り方とは、椅子の上に膝を揃えて畳んだ状態だった。
椅子の下には、履いていた黒の平底パンプスが並べてある。
「正座よ、食事する時は基本なのよ?」
「それは椅子の上でするモノなのか……」
「当たり前よ?和の心なんだから」
「なんだよ、和の心って…」
「侘び、寂び、萌えよ」
これも聞きなれない言葉だった。
視線をリウェンにスライドする。
目が合った――がすぐに視線を逸らしクリクリと目を泳がせている。
きっと先程の会話には何か間違いがあるようだった。
「イタダキマス、」
キッチリと両手を揃え、食べる挨拶をする。
この辺は律儀なやつだ。
――?
今日はどうも違和感が仕事熱心だ。
リルドナの右手に握られた一五センチほどのペンのような細い棒。
それは二本あり、起用に動かしていた。
「お前の持ってるソレって――」
「あ~、コレ? お箸よ」
「じゃなくて、お前左利きじゃなかったのか?」
今までに、何にするにしても左手だった。
さっきの弓だって左持ち用の特注品だった筈だ。
「テーブルマナーだからね、倭の国じゃ左利きでも子供の頃から矯正されるらしいわ」
「お前にしては、聞き分けがいいんだな…」
変なところで律儀だ。
「それに右で扱うほうが便利なときもあるのよぉ?」
「ほう?」
「こうやって、お行儀の悪いコには――」
ガキッ
「何しやがる!」
「コラ、ガードしないのっ!」
一瞬の出来事だった。
リルドナは右手に持つ『箸』の反対側を左手で掴み、
そのまま持ち替えたままゼルの頭を殴打しようとしていたのだ。
流れるような一瞬の動きだった。
それを食事用のナイフでガードしたゼルもさすが戦闘のプロといえる。
「だってヤンキーじゃない~?」
「それは勝手にお前が呼んでるんだろうが!」
「ゼル、確かに行儀は悪かったと思うよ」
確かに、テーブルに肘を着いて行儀は悪いと思う。
――だが、いきなり殴りかかるのはどうかと…。
俺よりも反撃性能の高いゼルは尚も抗議していた。
リルドナも負けては居ない。
食事中だぞ、お前ら。
「大丈夫か?ナンセンスだぞ」
「なんだよ、いきなり」
不意に錆びついた鎧戸ように閉ざされた口を開いた。
すっかり存在を忘れていたが、ヤツも同席していた。
ヤツは顔色一つ変えずにサラリとこう言った。
「冷めるぞ?」
それはとてもご最もな意見だった…。
誰も聞いてなさげだけどな。
外には暗闇の支配。
虫の鳴き声。
完全に一日の終わりを告げようとしていた。
~・~・~・~・~・~
夜、時計が無いので正確な時間は判らない。
そこにはある者が支配を進めていた。
静寂と暗闇。
街灯も何も無い森の傍らの小屋だ、当然誰かが灯りを点さなければ、月明かりしかない。
動物も草木も皆眠りに落ちる時間。
だが俺は眠って居なかった。
「……」
いつ目が覚めたのかは判らない、別に起きるつもりも用事もない。
気付いたらまだ夜だった、ただそれだけ。
この地に来て、僅か二日。
まだ、本格的に仕事が開始した訳でもないのに、長く時間を過ごした気がする。
――理由?
それは判りきっている、あの兄妹のせいだ。
出会ってから、ずっと行動を共にしている。
冒険者になって三年になるが、今までこれほど同行をした人間は居なかった。
常に俺の傍らで何かをしでかす。
良く言えば俺を退屈させない。
今日一日だけ振り返っても、
馬車で騒ぎ、
目隠し対局をし、
到着するなりチェスを指し、
夕食の食材を狩りに行き、
そしてその夕食には、あの二人の傭兵まで巻き込んで騒ぐ。
実に目まぐるしい。
出会ってまだ二日だと言うのに、まるで家族が出来たようだ。
「ちっ…」
考え出すと止まらない。
水でも飲みに行こうかと思った、その時
――カチャ。
「!」
不意に扉の開く音が耳に入る。
この部屋じゃない、向かいのリウェン達の部屋か?
思わず息を殺しながら、静かに廊下の様子を伺う。
薄暗い廊下に視線を走らせる、
しばらく考え事していたお陰か、闇に目が慣れている。
廊下をユラユラと歩く白い後ろ姿――リウェンだった。
――こんな夜中にどこへ?
リウェンはそのまま外へ出て行ってしまう。
こっそりと後を尾行る罪悪感はあったが、好奇心の方が勝ってしまった。
月明かりを頼りに静かに追う。
そこは静寂が支配する世界、虫の鳴き声が妙に大きく聞こえる。
視線を巡らせると、森に歩を進める白い影。
――おいおい、森に入っちゃうのかよ。
リウェンに習い、俺も森へ足を進める。
しばらく進むと、少し開けた場所にでた。
周囲は木々に囲まれているが、頭上を遮る木は無く、星空を眺めるには持って来いだ。
――居た。
その中にリウェンの姿を認める。
一際大きな切り株に腰掛け、空を見つめている。
月明かりが彼女の顔を照らす、その表情は暗い。
次第に明かりは増していくが、やはり照らし出された彼女の顔は暗い。
――!
月明かりが増す…だと?
注視すると、そこには青白い光の球がフワフワと舞っている。
その数は次第に増えているようだ。
パキッ…
「…!」
――しまった!
木の枝か何かを踏みつけてしまったようだ、微かな音だったかもしれない、
しかし静寂の支配するこの場ではあまりにも盛大だ。
「いっ…!」
いつの間にか、光の球に包囲されている。
俺の周りを緊迫した空気が迫る。
青白い光の球――ウィル・オ・ウィスプというヤツか?
腰に手を回す…武器は無い。
当たり前の話だ、先程まで寝ていたんだ。
そもそも、コイツらに物理的な攻撃が通るのか?!
光球は尚も迫る。
迎撃も逃走も出来ない――!
「――お止めなさい」
透き通るような声が突き抜け、緊迫した空気が溶ける。
包囲が解かれ、光球は去っていく。
そこに残されたのは、俺とリウェンのみ。
彼女は俺に微笑み掛けていた。
もうその顔には先程の暗い影は無い。
「フェアリーリングを目撃したら、そのまま見なかったことにし、立ち去るべきですよ?」
「フェアリ…?」
聞きなれない単語だった、妖精の輪?
俺の疑問を置き去りにし話は続く。
「森の夜は、皆寝静まる時間、そして妖精達の宴の時間でもあります。
彼女達はただ楽しく踊っているだけ、もし見かけても、そっとしておいて上げてください」
「今のは、妖精だったのか?」
規律を失くした思考の濁流を抜け出して、ようやく絞り出たのがその程度の言葉だった。
「そっと抜け出してきたつもりだったんですが…起こしちゃいましたか?」
「ご、ごめん、盗み見するつもりはなかったんだけど……」
どう言い繕っても、弁解に値する言葉は見つからない。
そんな俺を見透かしてか、彼女はクスリと笑う。
「こっの野次馬ぁ、やらしいわねぇ」
「――えぇっ!?」
「どうです?似てましたか?」
悪戯っぽく舌をペロリと出して笑う。
恐ろしいまでに似ている、さすが姉妹というところか。
――が声は似ていたが、表情までは似ていない。
「百点満点だ…勘弁してくれ」
「はい、畏まりました」
あまり心臓に良くない真似だ。
相変わらず優雅に微笑み続けている。
次々と湧き上がる疑問に整理券を配り、口を開く。
「今の妖精なんだよな?」
「はい、性質的にそうです、妖精の霊格が少し上がった者で、『ブラオ・アウゲン』と言われてます。」
「ブラオ…確かに青いな」
先程の光景を思い浮かべる。
非現実な幻想的な絵だった。
「いろいろ呼び名はあるんですが、ブルー・アイだったり、ブラオ・スフィアだったり、意味はさほど変わりませんね」
「てっきり、ウィル・オ・ウィスプかと思ったよ」
その言葉にリウェンの顔に影が差す。
「その表現も間違ったものではないでしょうね」
「その表現『も』?」
「結局のところ、人間が勝手に付けた名前ですしね、光る球ならウィル・オ・ウィスプで括ってしまうのも仕方ありません」
確か読んだ本では、
妖精が変異したものとも、浮かばれない幼い子供の魂とも書いてあった。
では、そういうモノに囲まれていたリウェンは一体?
そして、何故俺を包囲した光球はリウェンの声で去ったのだろう。
今すぐ聞きたかったが、夜の森は予想以上に冷える。
明日の朝には出発しなくてはいけない。
いつまでも夜更かししているわけにもいかないんだ。
「それはともかく、早く戻らないと、明日出発だろう?」
「いえいえ、全く以って心配は間に合ってますよ?」
右手の人差し指を立て、得意げにポーズを決める。
これはこの子のアイデンティティなのだろうか。
「わたしは行きません…ここでエインさん達の帰りを待とうと思います」
「えっ?」
「夕方、森で兄と二人になった時に、相談して決めました」
「そ、それでいいのか…?」
「はい?」
「それでいいのかよ、なんで一人で留守番なんだよ」
「悲しいですが、私は足手まといになってしまいますので」
なんだか投げやりに聞こえる言葉。
リウェンを足手まといだなんて認めたく無かった。
俺も負けずに食らい付く。
「そんなことないだろう?」
「わたしはすぐにポテポテ転ぶ女ですよ?
エインさんだって判ってらっしゃるでしょう?」
気のせいか、言葉の端々にトゲがある。
リウェンらしからぬ口調だった。
「転ぶ姿だって考え方を変えれば、可愛らしいじゃないか、ちょっとお茶目な個性とも言えるじゃないか?」
「それ…本気でおっしゃっているんですか?」
気のせいか、リウェンの声が震えている。
踏み込みすぎたかも知れないが、止まらない。
「お世辞でもないよ、そういう面も含めて充分魅力的な女の子だと思うよ」
「……」
俺の言葉にリウェンは顔を伏せてしまった。
勢い余ってとんでもなく、恥ずかしい事を言ってしまった気がする…。
魅力的ってなんだよ、愛の語らいをしてるんじゃないんだぞ。
しかし、俺の心配を他所に、リウェンの反応は予想に反していた。
俺の恥ずかしい台詞に照れる訳でもなく――
「…なたに」
「え…?」
彼女は身体を震わせ何かを呟いているようだった。
吹き抜ける風の音で上手く聞き取れない。
「リウェ――」
声を掛けようとした、その時。
伏せていた顔を上げ、言葉を発する。
大きな青い瞳が俺を射抜く。
「あなたに何がわかると言うのですか?!」
それは今まで聞いたこともない、初めて聞く怒気を孕んだ声だった。
彼女は、身体を震わせながら、俺を睨みつけている。
その目に涙が浮かんでいた。
――どの場面だった?
彼女が涙を浮かばせているのは、どういう場面だった?
それは…ああ、そうだった。
――転んだ時だ。
「わたしだって、好き好んで…こんな身体――」
言葉を詰まらせ、大きく肩で息をしている。
転んだ時に浮かべる涙の理由を考える。
痛いから?
おそらく違う、外的なモノじゃないと思う。
それはきっと、「悔しさ」
リウェン自身、自分の不器用さは自覚しているはずだ。
十代半ばの女性が、幼児のようにポテポテ転ぶ醜態。
自分一人の時はいいだろう、だがそれを他人に目撃されたら?
悔しいとも情け無いとも取れる感情を抱くのでは無いだろうか。
――リウェンは只々、どうにもならない不器用な身体が悔しかったんだ。
「……」
「…」
重い沈黙が流れる。
彼女はまた顔を伏せ、その場に立ち尽くす。
秋の夜の冷たい風に煽られ、リウェンの服が揺らいでいた。
俺は一つの仮説を紡ぎだす。
不器用な身体。
合わない精神年齢。
それを不本意とし、恥じる行動。
そして今聞いた「こんな身体」という発言。
不器用なのは生来のモノではないのでは?
リウェンは幼くして、大きな病気か事故で…
それこそ長い時間意識不明の重症だったのでは?
身体も完全に回復していなくて、日常生活に支障をきたすほどに。
精神年齢が合わないだけなら、世の中普通に居る。
それを自覚し、恥とし、なんとかしようと奮闘する。
それがこの理由なのではないだろうか?
わからない。
確認できない、確認してはいけない…。
そんな気がする。
俺に何がわかると言うのだろう。
俺に何が出来ると言うのだろう。
とんだ思い上がりだった。
彼女の顔がこちらに向き直る。
どうしようも無い欠点を、無責任にも俺は個性として称してしまった。
軽率な自分の発言を悔やんだ。
だが俺の後悔と自責の自問自答は、突如打ち破られた。
「エインさんは、お砂糖どれくらい入れますか?」
「え?」
咄嗟に判断しかねる質問だった。
「紅茶に――ですが、
わたしも勿論入れますよ? さすがにそのまま飲まないです、お子様ですから」
「お、お子様だなんて…」
「不思議ですよね、お茶の味にうるさい癖に、甘味が無いと飲めないんですから」
「い、いや、俺も砂糖入れないと飲めないな」
「わたしも姉も、甘い物が大好きですから、ついつい入れちゃうんですよ」
クスクスと笑い、そこで一旦言葉を切る。
短くない時間、月を眺め深く息を吐き、ようやく口を開いた。
いつのまにか、よく見慣れた優雅な笑顔に戻っている。
「――でも、入れるのは角砂糖一個、二個入れたくなりますけど我慢です。
甘い物は好きですが、入れすぎてお茶の味すら判らなくなるのはダメです。」
何の喩えをしようとしているか判らない。
下手に横槍を入れるわけにも行かない。
何よりも思考が着いていけない。
必然的に俺は完全に聞き手に回る。
「幸せもそんな物なんだと思います。」
「え?」
「エインさん、わたしは不幸に見えますか?」
「それは――」
嫌な質問だった、
どちらの答えだしても不正解になる気配がする。
「こんな身体、不幸以外なんでもないでしょう。」
リウェンの顔が毒気に染まる。
俺は見たくないモノだった。
「こんな身体になってしまったことを呪いました、元気に走り回れる姉を妬みました」
なんでそんな事言うんだ。
聞きたくない。
「そして、何よりもそんな自分の醜い心を恨みました」
「もうやめてくれ!」
耐え切れず大声が漏れる。
「苦いでしょう?とても飲めたものではないでしょう?」
尚もリウェンは詰めて来る。
息が…できない。
威圧される…まるでヘビだ。
「だからお砂糖入れちゃえばイイんですヨ」
「へ?」
今まで圧し掛かっていた重圧が霧散する。
それほどまでに、呆気らかんとした声色。
「だからお砂糖です」
「俺にわかるように話してくれ…」
「うーん、そうですねぇ…わたしの場合ですと、
確かに身体のせいで不幸だったかもしれませんが、姉が居てくれました」
事あるごとに、妹を心配するリルドナを思い返した。
そうだな、あいつはいつも心配してたな。
「姉は…いつもわたしの事を優先してくれました、身に余るお砂糖です」
「やっぱり難しいぞ…」
「本当に幸せなら、その事にすら気付かないんでしょうけどねぇ」
「それも…そうか」
「こんな身体だったからこそ、姉の心遣いに感謝できているのかもしれません」
これは間違いなく本当のことだろう。
リルドナがリウェンの支えになって今まで生きて来たのだろう。
「エインさんは、お砂糖足りていますか?」
俺が幸せか、ということか…。
考えたことも無かった。
「答えられないってことは、足りているということですよ」
すっかり煙にまかれてしまった感がある。
何が言いたかったはわからないでも無いが。
「コレ、私を覗いてた罰ということで」
「勘弁してくれよ…」
また悪戯っぽくペロリと舌を出して笑う。
何処まで本気で何処まで辛かっているのか、
間違いなく、この子はあの兄妹の妹だ…。
すっかり冷え切ってしまった身体を小屋へと向ける。
リウェンを連れて戻るとしよう。
いくらなんでも夜更かしし過ぎだ。
もう休もう、考えるのも辞めよう。
空には青い月、
俺には何故か、不気味に見えた。
塗り潰していた不安が再燃する感覚を覚える。
また心が晴れなくなっていた。
詰め込みの二日目がようやく終了です。
最初は、森へと侵入する翌日までの時間を、小さなエピソード繋ぎ合わせていく予定でした。
各登場人物の色も出すためにも、小さな話を複数作っておいて、繋げる
――つもりでした orz
実際、文章にすると長いこと長いこと・・
結局、3話目は途中で切って、4話に回す羽目になりました。
ホント、彼ら冒険しませんね。
リウェンがドンドン痛いコになってます、黒いです。
気分が乗らない時に書いたのが失敗かもしれません、鬱すぎです。
こんな筈じゃなかったのに…。
■本文補足
※なんだか好き勝手書いてるだけになってるんで、全然補足になってません。
・「ノミノミ♪」「痒イ痒イ♪」
→ノミ腫レ☆カユイという歌を歌っているようです。
・『サボリなし』と『高速採取』付いてる
→他に真・回復笛、鬼人笛、硬化笛、解毒・消臭笛を習得していると思われます。
・十六分割
→どこぞの真祖の姫を解体した必殺技、せっかくEXガード成立させて発動しても『見てから余裕でした』で、アッサリ凌がれる悲しい技。
・槍の穂先を交換しているように見える
→いづれ書くつもりですが、ルーヴィックに破壊されたのです。
・命名センスは容赦が無い
→列挙してみると、エイン(無能)、アビス(悪人ヅラ)、ゼル(ヤンキー顔)、ロイ(金髪)、ガディ(艦長さん)、アーカス(不審者)、ゴダール(1号)、ボルコフ(2号)、ザスコ(V3)、スルーフ(メガネ)、オイゲン(デヴ様)、ブルーノ(ヒゲ様)もう素敵ですね。
・近づく者の命を容赦なく奪い去る死神の様だった
→何?この厨ニ。
・既視感カプセル
→某H○bbyJAPANでの読者プレゼントでありました。中身は1/144HGUCズゴック改造パーツ、どうしても欲しい私は葉書の裏に『萌え系ズゴック少女』を描いて投函しました。勿論当選しましたよ?
・将棋
→わざわざ説明することも無いですよね?あまり詳しい対局場面を書くと、某ハチワンなんたらになりそうで怖い。
・信州味噌
→長野県(信州)を中心に生産されている、米麹と大豆でつくる味噌(米味噌)で、淡色で辛口を特徴とされてます。
・日田醤油
→天皇献上の栄誉を賜った高級味噌醤油醸造元日田醤油。その歴史は古く、文久二年、天領日田の城下町に中山永太郎が、麹屋として甘酒・味噌醤油の醸造を開始したところから始まります。
・九条ネギ
→九条葱、日本を代表する青ネギ(葉ネギ)の一種である。もともとは難波に自生していたネギが原種と言われ、後に京都に伝わって、古くから品種改良が施され、伝統的に生産され続けている京野菜のひとつです。
・タイプライター
→ファンタジーなのに…と思ったんですが、文明のレベルが19世紀ごろに設定しているので、あってもいいかなぁ~と。
・弦の張りをレフティモデル
→和弓は弦を手前に弓幹を向う手に見た時に上下真っ直ぐな直線ではなく、矢を番える辺りで弦が弓幹の右端辺りに位置するよう僅かに右に反らされていて、矢を真っ直ぐ飛ばす為に必要な反りとなっています。彼女の弓はその逆になっているので、何も知らない職人さんが見たら間違いなく『修理』されちゃいます。
・牡丹鍋
→猪肉を薄切りにし、鍋の中で野菜と一緒に煮て食べるのが一般的であり、味付けは地方によって異なるが、江戸風は、割り下に大量の醤油と砂糖を用い、さらに八丁味噌を加えた濃厚な味としている。先程の信州味噌は使わないですね、残念。
・袴
→いわゆるズボン袴、合気道で着用してるのを想像してください。正式名称調べようと思いましたが、分類がややこしかった…ちなみに彼女は上は普通の洋服で裾を袴に押し込んでいるので、サイドからフトモモが見えたりはしないようです。
・片や滅多に雪の降らない地域、片や豪雪地帯
→近畿圏で言えば、京丹後の方面とかそうですよね。
・真冬にはマイナスニ七三度にまで下がるらしい
→彼女が行ったのは『蝦夷』ではなく『E☆ZO』。
・それは椅子の上でするモノなのか
→します。ただし、これをやると膝が当たっている部分が激しく消耗してクッションがすぐ痛みます。ちなみに私はその体勢でネトゲーをやりますが、寝落ちすると身体も落ちる特典付き。
・侘び、寂び、萌え
→現代日本に措いては、案外間違いでも無いかと思います!
・お行儀の悪いコには――
→子供の頃、父にそうやって躾されました。「痛い」と抗議すると「英国ではナイフの柄で殴られるからマシと思え」と切り捨てられました。
・ウィル・オ・ウィスプ
→世界各地に存在する、鬼火伝承の名の一つ。あまりにもバリエーション多すぎて、なんでもかんでもウィル・オ・ウィスプで括りすぎじゃないか?と思いました。
・ブラオ・ルフェ
→とうとう来た、独語読みと英語読みがゴッチャになったネーミング、やっちゃいけないと思いつつやっちゃいました、今では後悔してます、でも反省はしていません。なので変更!
・アイデンティティ
→心理学で言う「自己同一性」それが「主体性」と解され、更に単純化されて「本来の自分らしく生きること」などと、曲解されて流行語化してしまった…つまりエイン君は間違った使い方をしてるわけですね。
・お砂糖入れちゃえばイイんですヨ
→ちょっとややこしい喩えになってしまいました、どれだけの人に通じたやら…エイン君が無事クエストから帰還してリウェンと再会するまでの宿題にする――つもりでしたが、次話でアッサリ解かせます、ちょっと構成上キツかったです。全部書き終えたら絶対修正しようorz