2 早すぎた再会
■青きギフトと赤の勇者
むかしむかし、この街はボロボロでした。
青の魔道師と魔王の激しい戦いのせいでした。
山は砕かれ、沢山の穴が開いていました。
森の大地は避け、でこぼこになっていました。
街は破壊され、やはり、でこぼこになっていました。
そして、魔王が倒されても、その手下たちは暴れまわっていました。
青の魔道師は戦おうとしましたが、魔王から受けた傷で動けません。
街もボロボロで成す術もありません。
青の魔道師は最後の力を振り絞り、人々に力を授けました。
街には、強固な壁を授けました。
人々には、街を護る術を授けました。
そして領主の息子には、一本の赤い剣を授けました。
街の人々は、次々と魔王の手下を追い払いました。
赤い剣を授かった少年は、次々と魔王の手下を討ち払いました。
そして、今度こそ平和になり、少年は「赤の勇者」と呼ばれるようになりました。
めでたしめでたし。
※*※*※*※*※*※*※*※*※*※
「つまり、その赤い剣ていうのが目的だと?」
「はい、そう伺っています」
オイゲンの屋敷の応接間(?)にて、俺は望んだわけでもなく、リウェン達と再会を果たした。
依頼主であるオイゲンが現れるまで一時間、何をするわけもないので、リウェンから話を聞いていた。
そこで判った事だが…どうやら俺は、この依頼の二次募集で引き受けたという事らしい。
一次募集組のリウェン達――つまりこの娘も冒険者…?――は、二週間も前に、この街に滞在しているというのだ。
なるほど、それなら流石に依頼内容を聞いていてもおかしくない。
「それにしても、随分と絵空事みたいな話だな」
「確かに、お伽話に出てくる剣を…本当にあるかどうかも判らないですしね」
小さく肩を竦める身振りを見せ、例の巨大な本を仕舞い込もうとする
いつも持ち歩いているのか?あのデカイ本は…。
「お嬢さん、それはグリモワールじゃないのかね?」
「グリ…モワ……?」
不意に、声が掛かった。
視線を向けた先には、いかにも魔道師といった風貌の男が居た。
「よく、ご存知ですね」
「魔法の道を志す者なら、名前くらいは知っているさ」
優雅に微笑むリウェンと、グリモワールと呼ばれた本を注視する男。
「おっと、お話に水を差したようだね。
私は、アビス・ストライゴだ、君は・・・増員募集の――ムノー君?」
「エイン、エイン=エクレールです。」
リルドナの「無能」発言のせいで、嫌な仇名がつきそうだ…。
「それよりも、グリモワールというのは…?」
形だけの握手を交わし、説明を促す。
お互い、相手の自己紹介はどうでもいい、といった感じだ。
「うむ、所謂・・・魔導書の総称でな、その本に術式や呪文を書き込む事によって、
魔法詠唱の簡略化や、術者の力の消耗を抑えたり出来るという、それは有り難い代物らしい」
「でも使い方次第…ではありますよ?」
魔導書についてやや興奮気味なアビスと、気にも留めないリウェン。
俺は、魔導書を、乗馬する際に使う馬具――鐙のようなものと認識した。
グリモワールか・・・あれが有れば、俺でも高位の魔法を扱う事も夢ではないのか?
俺も最低限…と思い、ささやかながら簡単なヒール魔法程度は使える。
――しかし、あの本が有るならば――
「大丈夫か…? ナンセンスだぞ」
「……!?」
不意に発せられた言葉で現実に引き戻される。
声の主は、リウェンの後方で、壁に背を着けこちらを見ている。
細身のやや長身の男で、その黒で統一された服装は、執事を連想させる。
「お兄様・・・初対面の方にそれは失礼では・・・」
誰だ?という俺の問いかけよりも早くリウェンが回答を用意してくれる。
いつの間に・・・そこに現れたのだろうか?――いや、最初からそこに居たのか?
注意してなかったとはいえ、まるで気配がなかった。
それよりも、さっきの言葉の意味はなんだ?
――(頭は)大丈夫か? (その発想は)ナンセンスだぞ。――という意味だろうか。
リウェンが『失礼』と称するなら、おそらく良い意味ではな無いのは確かだ。
「こちら、兄のルーヴィックです」
「ルーヴィックだ」
打ち抜かれた板金のような飾り気の無い言葉で応える。
「聞く処によると、妹達が随分と迷惑を掛けたようだな?」
「ちょっと、お兄ちゃん!あれはソイツが――」
ルーヴィックが無言で一瞥すると、リルドナはビクっと言葉失った。
あの凶暴女も兄には逆らえないようだ。
その威圧する態度に、俺も思わず毒が漏れた。
「…で、ナンセンスってどういうことだ?」
「大方、お前はグリモワール使って魔法を、とか考えてたのでは無いか?」
図星だ、考えてた。
視界の傍には、苦笑いを浮かべたアビスの顔があった。
彼にとっても図星であったらしい。
「やめておけ、魔導書は正式な所有者にしか使えん」
そこで一旦言葉を切り、ため息をついてから続ける、
「尤も――こいつは間違った使い方に、間違った設定を施しているが」
そこは納得した、
俺に聞かせてくれたお伽話は、そもそもその本に書かれているようだった。
俺はともかく、そこのアビスという男は聞いてさぞ嘆いていることだろう。
「…来た様だ」
ルーヴィックの言葉で扉の方に視線を移す。
………。
……。
…。
ガチャリ
「皆さん、お待たせしました」
豪華な装いで、すぐにその男がオイゲンだと判った。
オイゲンは、一同の顔を見渡し話を始めた。
事前にリウェンから、概要を補足されていたため、実に退屈な時間となった。
別に恨んでないからな、リウェンは許す。
「それでは工程について――」
説明が終わり、組まれたスケジュール――日単位での最低報酬が存在するためだ――が示される。
ここからは知らない話だ、ちゃんと聞かねば。
オイゲンの声に、控えていた使用人が大きな地図を広げてみせる。
「まずは、西の森の入り口まで行って貰います。
――ここまでは遠いので、こちらが馬車を用意させて頂きますので」
オイゲンが地図に指し示した点を見る。
ここファルクスから、ずっと東に「ルフェの森」と書かれた森があった。
――森の入り口まで…?
「森の中は道が無い上に、激しい起伏があります。
先程の、お話に出てきた――でこぼこ――というわけです」
リウェンが小声で俺の疑問に答えてくれた。
「あと――
大昔に戦争で、砦や前哨が築かれてましてな、
今は、その残骸と瓦礫で悪路この上無しなわけです」
アビスもさらに付け加える。
「ここには、昔の兵舎を改装した小屋がありますので、そこで一泊して頂き、
翌朝より、誠にご足労ではありますが、徒歩で森を抜けて頂きます」
どうやら、そこからが本当の仕事開始のようだ。
「おい、森を抜けるのは構わないが、どこに行けばいいんだ?」
「まさか森の中を探して回るとかじゃないだろうな?」
口々に疑問が投げつけられる、確かにそうだろう。
まだ、肝心の目的地がまるで判らない。
「そこで、コレの出番になります」
「…!」
「む?」
「…?」
オイゲンが「コレ」と示したのは、装飾の施された棒状の物…剣の鞘か?
それが、なんなのか俺にはサッパリだったが、一部の人間には判るらしく、各々の反応を示している。
「まさか、それが…?!」
「実在したとは……」
「はい、コレこそが、赤の勇者が使っていた剣の鞘でございます」
伝説の剣の鞘…?それがなんだと言うのだろう。
一人価値が判らない俺は、ただ呆然とするのみだった。
その後、意味も判らない単語や伝説に翻弄され続け、俺の思考は投了寸前だ。
このままでは不味い……重要な情報までも見落としてかねない。
視線を周囲の人間の顔へ巡回させる。
理解できていないのは、俺だけじゃないようだ。
話に追従できている者の表情は真剣そのものだ、その中にリウェン、ルーヴィック、それと先程のアビスという男は含まれている。
…視界にリルドナの顔を収めると、ノンキに欠伸している。
アイツと同じサイドの人間になるのは嫌すぎる!
俺は最後の手段を取った。
――聞いたこと丸写しのメモ――
「文字書くの、早っ」
リルドナがちょっかいを出してくるが、華麗にスルーしてペンを走らせ続けた。
真面目にコツコツやることしか出来ないんだよ、俺は!
~・~・~・~・~・~
「それでは、出発は明日ということで。」
説明を終えたオイゲンは、そう付け加えて場の解散を下した。
「むぅ………」
俺は街灯の下でメモと格闘していた。
さすがに屋敷に居座り続けるわけにもいかず、
すっかり日が落ちた街路に明かりを求めて、屋敷から少し離れた階段に俺は座を構えた。
落ち着いて見直しても、やはり理解は難しい。
「アンタ、なにやってんの?」
不意に声を掛けられたが、振り向かなくても誰だか判る。
「さっきのお話の補習授業、邪魔すんなよ」
遠慮なくリルドナを邪険にする。
「ほう、先刻は随分と熱心にメモを取っていたかと思えば、」
「お仕事に熱心なのですね」
ルーヴィックもリウェンもいるようだ、まぁ当然か。
「いやぁ……全然理解できなくてね、ほとほと困ってる」
「アンタ無能のくせに、真面目なのねぇ」
「姉さんが、不真面目なだけです」
完全に煮詰まっていた頭は、思案の中断という防衛本能を紡ぎだした。
顔上げてメモを閉じる。
「お前達は理解できてたようだな、うらやましいよ」
「いや、あれは説明が悪いし、ムダに勿体ぶって余計にわかり難くなっていた」
「そうなのか?」
「はい、そうですね。
話を要約しますと、まず目的地は森の奥に存在する無人となった屋敷です、」
「そして、その屋敷には特殊な結界が掛けられていてな、普通には辿り着けない、」
「あの森は妖精の森だらからねー、そこに在る屋敷も普通じゃないのよ、」
「その結界を打ち破れるのが、先程の剣の鞘――というわけだ」
三人が演劇の役者の様に、台詞を紡ぐ。
「…それだけ?」
「それだけです」
「話の骨はこんな物だろう、何故…剣の鞘が?という疑問はあるだろうが――」
ルーヴィックは懐から時計を取り出し一瞥する。
「ここの夜は冷えるぞ、そろそろ帰ったほうがいい」
「エインさんは、何処に御宿を?」
そこでカチリと危機感のピースが合わさった。
「しまった……」
呆れるルーヴィックに、目を丸くする姉妹。
参ったな…今日はほとほと失態続きだ。
~・~・~・~・~・~
――羊飼いの憩亭
街の北部に宿を構え、出稼ぎの鉱山夫や冒険者にその寝床を提供している。
一階部分に大きな食堂があり、宿泊客以外の人間も多く出入りしている。
「この子たちの知り合いなら、全然構わないよ」
「ありがとうございます」
宿の女将に深く頭を下げ、お礼を述べた。
その日の宿の確保すら忘れていた俺を見かねて、リウェンが――でしたら、私たちが泊まっている御宿でよければ。
と、ここに案内してくれた。
途中、リルドナが宿の確保の失態にヤジを飛ばしていたが、もちろん聞かなかったことにしている。
「それじゃ、部屋はここの二階だから、悪いけど荷物は自分で運んでおくれ」
「それくらい気にしませんよ、では失礼します」
「ああ、夕食はまだかい?まだならウチで食べていっておくれよ」
夕食どころか、昼食すら食べてないことに思い出した――紅茶しか飲んでないな…。
思い出したら、律儀に腹が空腹を抗議している。
俺は、手早く荷物を部屋に押し込み、食事にありつこうと食堂の席に着いた。
宿泊客以外も来ているんだろう、広い食堂は多くの人で賑わっている。
「ご注文は、どうなさいます?」
銀髪の可愛らしいウェイトレスが声をかけてきた。
…。
あのー、なんでキミはそんな格好しているのかな?
見渡すと、リルドナも同じく給仕で走り回っているようだ。
「ここで働いているのか?」
「姉が、やってみたいというので、手伝っていたらこうなってました」
そこまで言って、彼女は俺に渡すつもりだった冷水を持ったままな事を思い出し、コップを差し出す。
「あ、すみません…どうぞ」
「ほい、ありがと――」
バシャ!
顔面が冷却される。
「あ、あ、すすすすす、すみません!」
オロオロとリウェンが謝りながら、俺の顔を拭こうとハンカチを取り出した。
――が、その刹那、テーブルに身体を引っ掛けた。
「にゅ…?!」
バランスを崩し、そのまま頭から床に倒れ
――させなかった。
「セ、セーフ…」
「うぅ…」
リウェンは顔を真っ赤にし、涙を浮かべうな垂れている。
「と、とりあえず、この『羊飼いのオススメ定食』をお願いするよ。」
「…」
こくん、と頷いて答える
がっくりと肩を落とし、とぼとぼと歩く後姿が厨房へと消えた。
――がんばれリウェン、俺はキミのことを応援してるぞっ。
「はーい、おまたせっ」
「お、サンキュ」
料理はリルドナが持ってきた。
器用にトレーも使わず、いくつもの食器を運んでいる。
「熱いから、気をつけてねぇ」
「なんで、お前は素手で持てるんだ…」
口を動かしながらも、料理を優雅に配膳していく。
「我慢すればいいだけよ、」
「トレー使えよ、我慢しなくてもいいじゃないか」
それを聞いて、素っ頓狂な声を上げた。
「そんなことしたら、料理が冷めちゃうじゃない」
おお、なんて優秀なウェイトレス。
それなら、冷めないうちに頂くのが礼儀だ、まずはスープから手を付ける。
じんわりと胃に染み渡る。
「美味い…!」
お世辞じゃなく、本当にそう思った。
「でしょ?」
俺の反応に満面の笑みを浮かべる。
「そのスープね、レシピはリウェンのオリジナルなのよぉ。」
「へぇー、そうなのか。すごいなー才能あるんじゃないか?」
リウェンを褒めているんだが、リルドナは自分のことのように嬉しそうだ。
「あの…ね?」
「なんだよ」
不意に歯切れの悪い口調になった。
「あの子のことなんだけど…あんまり悪く思わないでね」
「なにがだよ?」
「や、あの子ちょっとドジだから、アンタにも迷惑かけちゃってるし…」
ひょい、とデザートのリンゴを一切れ摘み、そのままパクリ…それ俺のだぞ。
「悪気は、無いのよぉ?一生懸命が空回りしてるだけだからー」
「大丈夫だよ、気にすんな。それよりも厨房に戻ったらリウェンに『美味かった』と伝えてくれ」
「ありがと、」
さらに、もう一切れリンゴを口に放り込む。
「そうそう――お兄ちゃんがアンタのこと呼んでたから、
それ食べ終わったら部屋に行ってあげて、アンタの部屋の向かい側だから」
ひょい。
またリンゴ盗った!
「なんの用だろう…?」
「さぁ~ね、んじゃ、あたしは戻るわ~」
去り際にさらにリンゴを摘んでいく、結局全部食われてしまった。
~・~・~・~・~・~
コン、コン…。
コン、コン。
「開いている、入ってくれ」
「お邪魔するぞ」
部屋の中は、俺の部屋と同じく簡素な作りだった、ベッドと小さなテーブルと椅子だけ。
ルーヴィックは椅子に座り、テーブルに置かれた白黒チェック柄の台座を睨んでいる。
手には年季の入ったノート、過去の対局の棋譜か?
ふぅーと、息を漏らし駒を片付け始めた。
「何の用だ?」
「少し、付き合って貰おうと思ってな」
「何がだよ」
「『この件はこれでエンドゲームだ』だったか?」
それは昼間リルドナに投げた言葉だ。
「出来るんだろう? チェス」
「昔にハマってた程度だぞ?」
「それでも構わん」
ルーヴィックの向かいに座り、駒を並べ始める。
懐かしいな、長い間やってなかった筈なのに、自然に手が動く。
「先手はくれてやる」
「そりゃ、どうも」
盤面を視る、1. e4 e5 2. Bc4 Bc5 ……まさかなぁ、と思いつつ指し手を換える。
ルーヴィックは満足そうに笑った。
「さすがに初心者じゃ無いようだ」
「お前、舐めてるだろ?」
――スコラーズ・メイト――
初心者が引っかかり易い手順の指し手、俺も昔はよくやられた。
「まさか旅先でチェスを差すことになるとは、思わなかったよ」
「そうか?俺は常備している」
淡々と次々と指し手を進めていく。
ふと、宿に来る前のことを思い出した。
「そういえば――」
「どうした?」
「さっきの『何故…剣の鞘が?』の話。まだ途中だったよな?」
「ああ、そのことか」
答えながら、王と城兵を入れ替える。
「伝承に出てくる赤き剣は魔を否定すると言われている」
「魔を否定?」
「平たく言えば、魔法を無力化するか…、
魔法である以上、ひとたび赤き剣に触れれば消失する」
「すごいな、そりゃ」
「そして、その力は鞘のほうにも宿っている、というわけだ」
「なら鞘だけでも充分価値があるな」
じりじりと前線を上げてくるルーヴィック。
遊ばず、堅実に攻めて来る指し手…手強いな。
「なら、切り崩してやる」
犠牲覚悟で駒を進め、お互いの駒を減らしていく…!
――シンプリフィケーション――
「大丈夫か?ナンセンスだぞ」
「うるせぇ、」
「等価交換は、有利な局面で使うべきだ」
いつしか、俺は夢中に指していた。
コン、コン、コン。
「お兄様、リウェンです、よろしいでしょうか?」
「構わん、入れ」
ウェイトレス姿のままのリウェンが入ってきた。
俺の姿を捉えたリウェンは、苦笑いを零した。
「あらあら、やっぱり捕まってしまいましたか?」
「見事に、ね」
「どうした?」
「お茶の用意が整いましたが、こちらにお持ちしたほうが宜しいでしょうか?」
ルーヴィックは懐から時計を取り出し一瞥する。
「そうしてくれ、まだ終わりそうも無い」
「畏まりました、」
スカートの裾を摘み、優雅にお辞儀をしリウェンは部屋を出て行った。
――少し元気になったようだなぁ、
俺は既に閉じられたドアを暫く見つめた。
「心配していたか?」
「な、何がだよ」
「図星らしいな」
見透かすように笑っている。
ちっ、悪いかよ。
「そら、お前の手番だ。受け手を聞こう」
「く……」
次第に俺は長考せざる得なくなっていた。
コンコン。
ガチャ。
「お兄ちゃん入るわよー」
もう入ってるだろ、という言葉を飲み込み、対局を中断する。
「ほーら、約束どおり淹れてあげたわよ」
「ちゃんと覚える神経があったんだな」
無駄口を叩きながらも、テキパキと紅茶を注ぐ。
お、いい香りだ。
「な、美味い…!?」
「何よ…疑問系なの?」
正直、リウェンは言っていたが、にわかに信じていなかった。
こんな凶暴な女にお茶を淹れるというイメージがとても繋がらなかったせいだ。
「気持ちは判らんでも無いがな」
「お兄ちゃんも、酷っ」
リルドナは口を尖らせ抗議していた。
さて、紅茶で気分もリフレッシュだ、どう切り替えしてくれよう。
「コレ、どっちがアンタ?」
リルドナが盤面を覗き込みながら訊いてきた。
「…白だよ、」
「よく判んないけど、白の数が少ないわねぇ」
「あらら…これは苦しそうですね」
リウェンも覗き込んでいる。
「まだだ、まだ終わりじゃない!そう簡単に投了すると思うなよ」
「良い心意気だ、ならばこれより詰めるぞ」
ゲームは終盤、いつチェックメイトされてもおかしくない。
足掻くだけ足掻いてやる…!
「これで、どうだぁ!」
「大丈夫か?ナンセンスだぞ」
起死回生の一手もアッサリ裏目にされる。
熱くなる俺を尻目に――
「んじゃ、あたしはまだ洗い物の手伝いあるから戻るわ~」
ひらひらと手を振ってリルドナは退出した。
~・~・~・~・~・~
ジャコ、
ジャコ、
ザバァー。
「ふう…」
俺は宿の庭にある井戸(ちゃんとポンプ式だ)から水を汲み顔を洗った。
身に染みる冷たさだったが、すっかり熱くなった頭には丁度いい。
結局、ゲームは俺のチェックメイト負け。
負けはしたが、久々の対局に心地よい充実感を覚えた。
チェスは、勝敗を競う――しかし、勝つことが目的じゃない。
「楽しまなきゃな」
手早く顔をタオルで拭き、踵を返し視線を宿に向ける。
……リウェンが立っていた。
「ん?キミも顔洗う?」
「いえ、ちょっとお礼を言いに」
心底済まなさそうな顔を浮かべた。
「なんだか、兄の我侭にまで付き合って頂いてしまって…」
「あ~、構わないよ、こっちも楽しかったしね」
それを聞いて、リウェンは表情を安心という軟化材で緩めた。
「なんとも賑やかな兄妹だ、見てて羨ましくなるよ」
「そうですか?」
宿に歩を進めながら、話を続ける。
「俺は冒険者になってから、殆ど独りだったしね」
「あら、ご家族の元にはお帰りになってないんですか?」
「全く。
ほぼ飛び出すように冒険者になったし、今更会わせる顔もないよ。」
――親の反対を押し切って冒険者になったんだ、帰れるわけないだろう?
「そんなことはないです、
きっと…立派になったエインさんを迎えてくれますよ!」
「立派に?
いやいやいや…お世辞はよしてくれ」
クルリと振り返り、そのまま後ろ向きで歩きながら、微笑みかけてきた。
「だって、わたしを助けてくれたじゃないですか」
その笑顔に心を吸い込まれそうになった――が、重大なことに気付いた。
――後ろ向き…だと?
それは非常にマズイ、何がマズイかだと?
何もない所で躓いてこける特技(?)を持つ人間が後ろ向きなんかで歩いたら……
「にゅ!?」
ずる、べたーーん。
「こうなるよな」
「うぅ……」
例によって目には涙を浮かべている。
後ろ向きだった為か、派手に倒れ、白い下着が見えてしまっていた。
俺は極力見ない様に心がけ、反対側に回り込んでから助け起こす。
「す、ずみませ~~~ん。グスッ…」
「怪我とかしてないか?」
本当にこの娘は冒険者として生きていけるんだろうか…。
「いつまで抱いてんのよ?」
「え?! あ、悪い」
「わ、わたしじゃないです」
視線を動かすと、そこには黒服に着替えたリルドナ。
暗いので、黒一色の彼女は見つけにくい。
その顔はちょっぴり不機嫌の色を持ち合わせていた。
「出発は明日なんだから、いつまでもイチャついてないで寝なさいよ。」
「ね、姉さん、これはわたしがドジだから…。勝手なことエインさんに言わないでっ」
とりあえず、リウェンから手を離す。
ジーっと、
それはリルドナがジト目で俺を見つめる音。
「――で見えたんでしょ?」
「何がだよ…」
赤いジト目が迫る。
「リウェンのぱんつ、」
「ぶっ」
「ね、姉さん……?」
リウェンの声は震えている。
リルドナは尚も詰め寄る。
「ほらほら、見ちゃったんでしょ?
ちょーっと、この子が背伸びして選んだ黒のレース。」
「いや、白だったぞ?」
――あ、しまった。
見る見るリウェンの顔が真っ赤に染まっていく。
リルドナは、にやぁ~といやらしく顔を歪めた。
こ、この顔芸の魔女め。
「そこに直れ、この無能!」
理不尽だ……。
~・~・~・~・~・~
ボーン、
ボーン、
ボーン…。
時計が鐘を鳴らし時を告げる。
長針と短針の角度が最も鋭角になる時刻。
鐘が一回ではないので、十一時だ。
「……いってぇ、ててて……」
自室に戻った俺は悪態をついた。
例によって、リルドナに暴力の前になす術も無く、
運悪く吹き飛ばされた先に植え込みの木があり、そこに勢いよく突っ込んだものだから……。
「くっそ…破れてるじゃないか」
愛用のコートが見るも無残な姿へと変貌している。
木の枝があちこちを突き刺し、服だけでなく身体中傷だらけだ。
「明日出発だってのに…。」
――とりあえず身体をなんとかするか……。
俺は目を閉じ、精神を集中し、詠唱する。
ボゥ…
微かに発光し、傷口がほのかに温かくなる。
ヒールの魔法――覚えておいて損の無い魔法の第一候補だろう。
効果の方はさておきで、ちょっと頑張れば誰でも覚えられる手軽さがウリだ。
「ちっ、やっぱこんなもんだよなぁ……」
傷口の痛みは少し和らいだが、和らいだだけで、それ以上の効果は得られない。
痛みが邪魔して、意識を集中しきれないのも原因だ。
魔法の効果は、術者の魔力と詠唱の質と長さに比例する。
逆を言えば、高い効果を得たければ、魔力か詠唱のどちらかを要求されるわけだ。
俺はごく普通の人間だ、魔力の量には期待できない、詠唱で補うしかないんだ。
そして、良質の詠唱には長い呪文と高い集中力を要する。
「絶対、戦闘中には使えないな……」
無いよりはマシ、俺は再度詠唱を始める。
「随分と長い詠唱ねぇ?」
不意に声を掛けられ、詠唱が中断される。
そういえばドア開けっ放しだったな。
もう誰だか判っているので、振り向かずに返事をする。
「悪かったな、俺みたいな平凡はこうでもしないと使えないんだよ」
「え…?そういう意味じゃないわよ?
あたしには無理だなぁ~って関心してんのよ、そんな長い呪文覚えられないわ」
ふぅ… とため息が零れる気配がした。
「自分で治せちゃうんだ……」
振り返りリルドナの表情を視界に捉える、
何か残念そうな、少し寂しげな顔をしている。
後ろ手を組み、何かを隠しているように見て取れた。
「何を持ってるんだ?」
「え?や、これは……」
言い淀むリルドナを詰める様に身を乗り出したとき、彼女はぎょっとした表情を浮かべた。
――そういえば、ボロボロになった服を脱いで自分で手当てしてる最中だったんだ。
つまり上半身裸だった。
「あ!ゴメンっ」
彼女は真っ赤な顔で謝り、その場で回り右して背中を向ける。
おかげで隠していた物の正体がわかった、
「救急箱か…?」
「あ、あはははは……」
乾いた笑いを絞り出しながら…がっくり肩を落とした。
その姿がリウェンと重なる。
「貸してくれよ、それ、」
「え…?アンタ自分で治せるんじゃ……。」
「実は痛くて集中できないんだ、こんなんじゃ大した効果も出せないよ」
本当にそうだった、今の状態じゃ鼻血も止まりゃしない。
リルドナは満面の笑みで、俺の手当てを始めた…まるで玩具を買ってもらった子供のように。
ペコッ、
プシュー…
ヒンヤリと冷たい消毒液。
「…?」
何故か不思議と染みない、
あの独特の痛みが走らないのだ。
「コレ、あの子の特注品だからねぇ」
続いて、クルクルと丁寧に包帯が巻かれる。
薄々感じていたが、この女かなり手先が器用だ。
「ほい、次は右腕出して」
手際よく、だけど丁寧にその手を進める。
「しっかし、アンタ。
魔法を曲がりなりにも使えるとはねぇ」
「少しは見直したか?」
「そうねぇ、もう無能じゃないわ」
「ほうほう、じゃあなんだ?」
「器用貧乏!これでいいんじゃない?」
それも酷いな。
「あぁ、もう好きに呼んでくれ……」
「アンタのソレ」
目ざとく俺のコートを見つける。
お前のお陰で、殉職したんだぞ。
「なんていうか、ボロっ!」
「ボロいのはお前の功績だ、
胸を張って俺に謝るがいいぞ」
俺の皮肉に顔を曇らせる。
「代えは無いの?」
「コートはこれしかないからな、
テープ止めでもして急場は凌ぐさ、ボロと蔑まされようが俺はコイツと運命を共にする」
「んな、大げさな…」
スッ…と、
リルドナが左手をこちらに差し出している
――?
「なんだよ?」
「貸しなさい、」
視線が捉えているのは…このコートか?
どうする気だ?
「繕ってあげるわ、
そんなボロじゃ見っとも無くて外歩けないでしょ?」
「直せるのかよ」
「任せなさい!」
最後の包帯を巻き終え、返す刀で俺のコートを引っ手繰る。
広げていた救急箱を回収し、足早に撤収しだす。
「アンタはもう今日は寝なさい、絶対明日には直しておくから。」
「ていうか、直ってなくても明日には返せ。」
「はいはい、かしこまり、」
そう告げ、リルドナは部屋から出て行った。
~・~・~・~・~・~
目覚めは、いつもと同じ違和感で始まった。
生家を飛び出し、冒険者となって三年。
ほぼ毎日が違う寝床だ。
本当の本当に最初の頃は、見慣れぬ部屋での目覚めに不安を覚えることもあった。
人間の慣れとは恐ろしいもので、そこに違和感は確かに在るはずなのに、
それ事自体に慣れてしまっている、言うなれば違和感が居るのに仕事をしない。
しかし、今朝だけはキッチリとその役目を果たしたようだ。
「なんだこれ…?」
身体中に巻かれた白い布――包帯だった…。
意識が、状況把握にフル稼働する。
昨日のアレか…。
身体中に出来た傷を思い出し、その存在を痛みという表現法で主張し
――なかった。
「あれ?」
昨日あれほど、存在を主張していた痛みがまるでしない。
スルスルスル…。
不思議に思い、腕に巻かれた包帯を解いていく。
「嘘だろ…。」
腕には傷が無い。
見間違いの可能性を考え、他の包帯も解いていく。
まるで手品を見せられたかのような錯覚を覚えた。
傷は初めから何もなかったように、すっかりその姿を消失してしまっていた。
「ただの包帯じゃないな、これ…」
ともかく顔を洗おう、一日はそこから始まる。
包帯を返すついでにリルドナには礼を言おう、きっとあいつのことだ、また顔を赤くするに違いない。
悪戯を思いついた子供の心境で部屋を出たとき、廊下の壁に見覚えのある姿を捉えた。
「リ…ルドナ…?」
返事は無い、彼女は壁に寄りかかり、床に座り込んでいる。
その顔は目を閉じ、可愛いらしい寝息を立てていた、
「おいおい、こんな所で居眠りしてたら、風邪ひくぞ?」
起こしてやろうと近づいた時、垂れ下がった彼女手が何かを抱えている事に気付いた。
それは綺麗に折りたたまれた大きめの布の塊。
その布地に見覚えがある俺はそっとリルドナから取り上げた。
「おいおい…これ俺のコートか?」
コートは完全に綺麗に修繕されていた、破れる以前よりも綺麗に…。
Last date modified April 25, 2012
早すぎた再会~Zu früher reencounter~
●2-1 早すぎた再会
○2-2 失敗は続けて起こるものなんです
○2-3 姉妹はウェイトレス
○2-4 ナンセンスな羊飼い
○2-5 実は純白じゃないんですよ
○2-6 ツンのあとにはデレがあるんですよ
○2-7 目覚めは違和感とともに
文字カウント: 11682字