11 本のような現場検証
■先に立たない夜行列車
何故、列車を降りなかったのですか?
もう遠出する時間ではありません。
何故、列車を降りなかったのですか?
当車には御夕食の世話はございません。
何故、列車を降りなかったのですか?
当車には寝台車はございません。
何故、列車を降りなかったのですか?
そもそもこの時間に運行はしておりません。
何故、列車を降りなかったのですか?
この先の線路は……くすくすくすくす……
だから、列車を降りたら良かったのです。
本当の終着駅は先程の駅だったのですよ?
Der September.KC997――BlaueAugen
※*※*※*※*※*※*※*※*※*※
朝。
静けさの漂う森の中に宿舎の軒先。
穏やかに一日の始まりを迎える時間だ。
「……くっ。う、嘘だろぉ!?」
残念なことに目の前には穏やかでない光景が広がっていた。
二人は変わり果てた姿になっていた。
「オイ! 何があったんだ!?」
いつの間にかゼルも駆けつけていたようだ。
おそらくロイも一緒なのだろう……俺にそれを確認する余裕はなかった。
思考がぐるぐると目まぐるしく回る。
上手く状況を把握できないでいた。
ただ視線の先に人の形をしたモノがある。
扉の方から次々と騒ぎ声が聞こえてくる。
すぐ真横で発せられている音なのに、何故か遥か遠くの物音のように思える。
なんだか、見えない力によって体を宙に浮かされているような気分だった。
『地に脚が着かない』というのはこのことだろう。
「――ぐ、畜生……、」
俺は歯を食いしばり、とにかく身体を動かそうとした、
このままだと得体の知れないモノに吸い込まれてしまいそうだったから――
――幸い、右手が動いてくれた。
その手で握り拳を作り、強く、硬く、握り締める。
そして呪縛から逃れる為に、一気に殴りつけた。
「オイっ!? 何してんだ!」
俺の拳がメキリと確かな感触を捉え、右頬が突き抜けるような衝撃に襲われた。
そう、殴ったのは自分の顔だ。
「は、ははは……こうでもしないと、目が覚める気がしなかったんで」
「……目が覚めても、悪夢の中にいることに違いないようだが?」
ブルーノが俺と『人の形をしたモノ』を交互に見据えてため息を漏らす。
「何があったのかね?」
「すみません、俺達も来た時には、もうこの状況だったので……」
初動の早さに若干差があったものの、置かれた状況はブルーノ達と変わらない。
絹を裂くような悲鳴を聞きつけて、駆けつけたらこの惨状だった。それだけ。
「――つまり、ムノー君達も悲鳴を聞きつけてここに来たんだね?」
「はい、そうなります」
皆、同じ状況
――じゃない。
一人例外がいるじゃないか。
「――てコトは、第一発見者は……ねーちゃんか?」
悲鳴を上げた張本人――リルドナが第一発見者、つまりそういうコトだ。
おそらく彼女のことだ、
朝一番に水を汲んで、また俺達にお茶を振舞おうとしてくれたに違いない。
そして、井戸まで来て『現場』に遭遇した。
何の捻りもない、すぐ思いつく流れだ、問題ない。
問題となるのは、その現場が『犯行中』だったのか『犯行後』だったのかだ。
「おい、リルドナ。二人を殺ったヤツを見たのか?」
「――には、――もう……き、ぁ…うぅ……」
完全に気が動転しているのか、リルドナが発する声は言葉になっていない。
辛うじて、彼女も来た時には、もうこうなっていたという意思だけは汲み取れた。
「よしなよ、ムノー君。彼女まともな精神状況なワケないよ」
「わかってます、こういうのが苦手なのは……」
「つーか、早いトコ移動させてやろうぜ?
……そんな所に尻餅ついてちゃあ、よう……」
その言葉で思い出した。いや気付いた。
昨晩、井戸を見つけて調べたとき、俺もリルドナも雨に濡れなかったんだ。
別に傘を持ってたわけでもない。
お茶を淹れる為の水を汲むときも、全く雨が気にならなかった。
ここは屋外だが、雨避けになる屋根が井戸まで伸びているからだ。
足場も石畳が敷かれて一段高くなっている。
つまり、ここが雨に濡れることは無い。
先程、俺が飛び出して足を滑らせそうになったのは……
……。
あまり考えないようにしよう……。
「お前のことだから、着替えも持ってきてる……よな?」
リルドナはそんな石畳にペタリと座り込んでしまっている。
彼女の着ている服は黒なので、さほど目立たないとは思うが……。
「――、」
「おい、聞いてるのか?」
リルドナはこちらの問い掛けに反応しない。
視線すらこちらに向けない。
ある一点を凝視したままだ。
「おいおい、苦手なんだろ?もうここから移動しよう――」
「――――――――――――――――――――――――ぃゃ」
ポツリと発した何かが聞こえた。
俺は「なんだよ」と言いながら、リルドナの横から正面へと回り込む。
正面から、両手で口を押さえている彼女の顔を覗き込んだとき、思わず固まった。
「お、おいその目――」
リルドナの赤い瞳が、また例の妖しい光を灯している。
たしか『血系特性』とかの一種で、今までの情報から判断するに、それは特別な視覚能力が発動しているのだと思う。
彼女はそれを用いて何を視ているのだろう。
嫌な予感がした俺は、リルドナへ手を伸ばそうとした。
「い、いやああああああああぁぁぁぁアああああぁぁぁぁ!!」
悲鳴、絶叫。
堰を切ったように流れ出るソレは、最早『咆哮』と言っても良かった。
「お、おい!?」
目には一杯の涙が溢れさせ、その顔はボタボタと零れる涙でグシャグシャにして半狂乱になり、とても正常な精神状態とは思えなかった。
「よせよっ!もう見るなって!」
なんとか落ち着かせようと、リルドナに近寄るが、
果たして彼女には俺が何に見えたのか、ビクッと後退ろうとする。
「――ひっ!?」
後退ろうと、後ろ手に石畳に手を着けてしまった、
そこに水たまりのように広がる『ソレ』にベチャリと手を着けてしまった。
リルドナはその感触に恐る恐る、手に付いた『ソレ』を見た。
――見てしまった。
「――ひ、ひいぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃッ!?」
リルドナの手にはベッタリと赤黒い液体が付着している。
これ以上の惨劇はもう許容量の限界なのか、焦点の合わない瞳で真っ赤に染まった掌を見つめガチガチと歯を鳴らしている。
「だから、もう見るな!リルド――」
俺は咄嗟に彼女が見つめる真っ赤に染まった手を取ろうとした、
――筈だった。
「――がァ!?」
背中を激しくぶつけた様な衝撃が突きぬけ、肺の中の空気が一気に吐き出される。
それが、力任せに吹き飛ばされて宿舎の外壁にぶつけられた、
という事態に気付いたのは、相当遅れてからのことだった。
「リ、リルちゃん、落ち着くんだ!」
その光景に血相を変えて、ロイがリルドナを取り押さえようとする。
だが、今の彼女は普通じゃなかった。
「――っ!……」
外壁に叩きつけられ、石畳に突っ伏していた俺にはそれを見ているしか出来なかった。
完全にパニックに陥ったリルドナの左拳がロイの脇腹に深々と突き刺さっていた。
「……くっ…」
ロイは苦痛に顔を歪め、その場に崩れ落ちる。
直後、場は騒然となる。
この瞬間、彼女は明確な『脅威』となった。
――なんとしても早く正気に戻してやりたかった。
放置すればこの集団にさらなる危害が及んでしまう。
「…チクショウが……」
ゼルも苦虫を潰したような顔でリルドナとロイを交互に目を走らせている。
彼とは比較的友好関係が築けていたと思う。
さもなくば、直ちに『敵』として排除されようとしている筈だ。
ゼルやロイだからこそ、踏み止まってくれている、しかし、他のメンバーは?
……。
不味いと思った。
このままでは不味いと思った。
もし、ブルーノが敵として排除の指示を出してしまえば、もう後には戻れない。
不意にキン…という澄んだ金属音が聞こえた。
聞き覚えのあるこの音は――ヤツの!
「――止むを得ん」
「おい!?何を――」
俺が「何をする気だ」と言い終わるよりも早く、
ルーヴィックは手にした刃をリルドナの首へと振り下ろした。
~・~・~・~・~・~
パチパチと音を上げ、暖炉の中の炎はすっかり冷えてしまった身体を温めてくれた。
俺はその温かいオレンジの揺らめきを呆然と眺めている。
朝の起き抜けから、いきなりの事態に俺の頭はとっくに処理できる許容値を超えてしまっていた。
暖炉のすぐ傍のソファには、小さな黒い人影が横たわっている。
黒い髪に黒い服の少女、リルドナだった。その黒い髪と服とは対照的に白い肌の持ち主だったが、今はすっかり赤黒い液体で汚れてしまっている。
そのソファは二人掛けの物だったが、小柄な彼女をすっぽり納めてベッドの代わりを果たしていてくれた。
ただし、掛けられている布はシーツではなく、野営用のテントの物だと思われる肌触りの悪い生地だ。
そちらの布も、やはり赤黒い液体で汚れてしまっている。
――ソファの方を汚さない為の配慮だ。
改めて彼女の身体を見る。
服自体は黒色の為、ベッチャリと赤黒い液体に汚れても、濡れている程度にしか見えない。
せめて着替えさせてやりたかったが、この中で他に女性は居ない。
居たとしても、着替える物があるかどうかも怪しいが……。
汚れは石畳に接していた下半身が酷い、その反面上半身の衣類はさほど汚れていない。
変わったデザインの上着は比較的綺麗なものだ、
そしてその小さな身体に反して大きな胸が静かに上下している。
視線をそのまま頭の方へと向けると
――首は繋がっている。
生きている。
「……ふぅ……」
思わず安堵の声が漏れてしまう。
「……大丈夫か?ナンセンスだぞ」
呆れたようにルーヴィックのお得意の言葉が降りかかる。
実はもう何度もこれを繰り返している、
暖炉を見つめて、リルドナを見つめて、そしてホッと安心する。
「うるせぇ、お前が紛らわしい真似するからだろぉ!?」
「頚椎を真心で捉えないようにしただけだ」
あの時、ルーヴィックは刃をリルドナの首目掛けて振り下ろしはしたが、その刃は背を向けていた。――つまり峰打ち。
気絶させる為の一撃なワケだが、その挙動は勢い良く振り抜いているようにしか見えず。
俺には首を刎ねられたようにしか見えなかった。
ヤツが言うには、インパクトの瞬間に衝撃を後方へと逃がす一撃らしい。
ともかく、リルドナがさらに暴れだす前に無力化し、状況整理へと移っていた。
人員は大まかに二手に別れていた。
ブルーノ達は、『現場』の検証を行っている、
犯行が人間によるものなのか、森に棲む魔物か何かの仕業なのかは断定できない。
しかし、この仕事は冒険者ギルドを介して依頼されている。
人間か魔物。そのどちらにしても、死人が出てしまった以上は、正式に手順を踏んで処理をしなければならないのだ。
その一方で俺達はリルドナの面倒を見ることになっていた。
本来なら、ロイに対する傷害罪を問われ、看護ではなく、監視がつく筈だったのだ。
「しっかし、見事に気絶させたもんだな……」
あれだけ賑やかだったリルドナが大人しく、身動きもせずに横たわってるのも珍しく思えた。
静かに眠っているように見える彼女だが、その表情は悪夢でも見ているかのように苦渋に満ちている。
「……うなされて…いるのかな?」
俺と同じような印象を受けたのか、ロイがポツリと呟いた。
「かもしれません、あれ程錯乱していた直後ですし」
果たして、このまま時間の経過とともに意識を取り戻したとして、彼女は正気に戻ってくれるのだろうか?
また、見境無く暴れたりしないだろうか……?
「なぁルーク。このままそっとしておくだけで大丈夫と思うか?」
「――難しい、俺にもわからない……早めに何か手を打っておきたいところだ」
感情の読めない顔のまま、そう短く答えた。
この『わからない』は、安全を保障できるか『わからない』という意味だろう。
「……魔導書だ、」
「え?」
「魔導書を見てみろ、きっと何かわかる筈だ」
「って、言われても俺には読めな――」
「リルのことは彼女が一番わかっている」
俺が「読めない」と言い切る前に言葉を被せてきた。
リルドナのことは『彼女』が一番わかっている?
……。
そうか。
つまり、俺には読めなくても、聞けば良いということか。
「わかった、調べてくる」
「――頼む、」
短く言葉を交わし、応接間から階段へ、そのまま一気に駆け上がる。さらに二階の廊下の突き当たりの部屋へと駆け込み、手早く白い布袋から魔導書を取り出した。
「……頼むから、応答してくれよ……」
祈るようにリウェンに呼びかける。
(リウェン、リウェン!応答してくれ)
<ふ、ふぁい?>
幸いなことにすぐに反応があった、
――――――――――――――――が。
<ふぁ……ぐーてんもるげん……あふー?>
(……)
もうなんていうか『今しがたまで夢の中に居ました!』と言わんばかりの反応だ。
多分、彼女は低血圧なんだろう、すぐにエンジンが掛からないようだ。
そんな幸せな夢うつつな声を聞いてしまうと、切羽詰っているこちらとしては……
――少しイラっときた。
(おいっ!寝ぼけてんじゃねぇぞ!さっさと起きろ、この青白縞々のヒモパン女!)
<ふ、ふぇ!?
なななななんですか!朝っぱらから何てこと言いやがるんですかー!?>
俺の言葉がクリティカルだったのか、一気に覚醒を促すことが出来た。
というか、ヒートアップさせてしまったかもしれない。
<い、いいですか? あれはヒモじゃなくてですね?あくまで飾りとしてのリボンがサイドに付いているだけなんですっ!決してアレを解いたからといって脱げたりはしないんですからねっ!?>
(――長いっ、そしてどーでもいい!)
<さ、先に下着に話題を持っていったのはエインさんじゃないですか!
寝起きの女の子に対して、いくらなんでも人権侵害ですよーっ!?>
意識の覚醒ついでに別な回路も覚醒してしまったようで、リウェンの口は止まらない。
<いいですか? この衣類そのものには、キチンと魔術的な意味をもって構成しているんですよ?>
(ストップだっ! 今はそれどころじゃないだ……)
<いいえ、ここはキッチリ話に決着をつけましょう、そもそもエインさんはですね――>
その後みっちりと一〇分間は説教じみた説明が続いたのだった……。
えーっと、俺は何しにきたんだっけ?
~・~・~・~・~・~
俺は巨大な白い本を片手に再び階段を駆け下りる。
そろそろ九〇度に折れた階段にも慣れてきたところだ。
そして、階段を下りたら、応接間には向かわず、階段室のすぐ横の扉を開け放ち中に押し入る。
リルドナが昨晩いろいろと腕を振るった給湯室だ。
その室内を『あるモノ』を探すべく視線を走らせる、
<……、『眼』の暴走を起こしたんでしょうね>
独り言のような語気の言葉が降りかかった。
――先程の説教(?)から解放された俺は、単刀直入にリルドナの状態を告げた。
それを聞いたリウェンは血相を変えて『どうして、それを早く言わないんですかーっ!』となんともお約束な叱咤を飛ばし、手短に俺へ対処の指示を出してきた。
(暴走……何かが制御出来てなかった…てことか?)
<そうです。もう、お気付きとは思いますが……姉の『眼』は血の力によって見えないものを『視る』能力が備わっているんです。それが本人の意思とは無関係に発動してしまったようです>
それはリウェンの言うとおりに薄々わかっていたことだ。
具体的に『何が』『どの程度』『どのように』見えるかまではわからない。
それでも、俺には見えないものが見えていたに違いないんだ。
<――ですから……視てしまったのでしょうね、『断末魔の記憶』を……あ、見つかりましたか?>
(うん、リルドナが朝一番に使おうとしてたみたいだからな。探すまでも無かったよ……と、断末魔の~てなんだ?また物騒な響きだけど……)
<えーっと、残留思念ってわかります?>
(悪い、少しわからない)
<要するにですねーっ万物には有機無機問わず、感情や記憶といった思念が宿ってしまうことがあるのですけど。より強烈なものほどそこに留まり残り続けるんですよ>
(殺人事件とかあった場所に因縁が宿るみたいなモノか?)
<喩えがちょっとアレですけど…そうですね。それで極めて強く鮮明に残留する『思念』と『依代』の組み合わせってなんだかわかります?>
(痛みや恐怖と、人間だったモノ……死体か……?)
<そうです。これほどまでに最適な組み合わせはありません……ですから>
一拍、言葉に間が出来る。
リウェンが息を呑むような気配を見せた。
<姉の能力を持ってすれば……死の瞬間を鮮明に再現し擬似体験を出来てしまうんです>
(じゃあ、リルドナが錯乱していたのは……)
<その瞬間、まさに姉は『何度も殺されていた』んでしょうね……なんせ死体は二つですから>
想像し、背筋が寒くなった。
あの無残な殺され方だけでも、充分身の凍る思いだ。
それを我が身に起こる体験として知覚したというのだ……。
そして、それが制御できずに嫌でも頭に『死の体験』が流れ込んでくるのだ。
今にして思えば、地下壕で人骨を見つけた時にガタガタと震えていたのに納得がいく。
……。
酷なことさせたかもしれない……。
<ですから、姉は人一倍、人間の死体を恐れるんですよ>
(それにしても、こんなので本当にいけるのか?)
<心配無用です。それでバッチリですよ>
それとは給湯室のテーブルに置かれたティーポット。
既に水で漱いで使用準備完了といったところだ。
それと、その横に陳列された数ある小さな瓶。
多分、リルドナが準備していた茶葉や香料が入っているんだろう。
――錯乱したリルドナを鎮める為に移した行動は……鎮静剤となり得る薬湯の作成だった。
と言っても、ゴテゴテな化学薬品を用意するのではなく、食品や香料といったモノの成分を組み合わせて調合するらしい。
何が、どう影響しあってそうなるかは、全くわからなかったが、
次々と飛んでくるリウェンの指示に従って分量通りに茶葉や香料を混ぜ合わせていく。
この動作の部分だけを鑑みるなら、火薬の調合にも見えなくもない。
<あ、水は汲まなくて大丈夫そうです?>
(うーん、ポット一杯分くらいは残ってそうだな、足りると思う)
……というか足りてくれ、足りなきゃ『あの惨状の現場』まで再び行く羽目になる。
<……では、まずはお湯を沸かしてください、沸騰するまで確実にです>
(あいよ、)
昨日、汲んであった水をヤカンへと移し火に掛ける。
なんとなく、リルドナが昨日やっていたことなので、勝手はわかった。
<でも、本当に良かったんですか?>
(あー、大丈夫だよ、自分でこういうことするとは思わなかったけど)
<いえ、そうではなくてですね。……アレはエインさんが彼から貰ったものなのでしょう?>
彼……アーカスさんから貰ったもの。
どの道、この仕事が終わったら返すつもりだったものだ。
(いいよ、別に使うつもりも売るつもりも無かったし。何よりもさ、リルドナの為に活用されるなら、アーカスさんもOK出したんじゃないか?)
<……、姉は人気者なんですね>
クスリと小さく笑ったような気配が伝わってきた。
<では、それを……ペヨーテを砕いて湯煎しましょうか>
たった一つしかない素材を慎重に扱うべく、俺は無意識に深呼吸をしていた。
「で、できたぁ!」
途中何度も火傷しそうになりながらも、無事に完成した。
ティーポットの中は赤紫色に染まった透明な液体で満たされている。
(こんなので、本当に効くのか?)
<『医食同源』、わたしが師と仰いだ方がよく口にした言葉です。何気無い身近にある食材でも充分に医薬効果は望めるんですよ>
そんな薬湯を改めて見つめる。
湯気の立つ、なんだか甘い香りのする、染料にでも使えそうな赤紫の液体。
(……しかし、凄い色だな)
<まぁ、赤大根が入ってますし。そもそも食品の着色に使うぐらいですから、色は強く発色しちゃいますね。……でも、綺麗でしょう?>
(い、いや、そうなんだけど)
確かに『綺麗な色』なのだが、あまりにも色がきつすぎる。
飲料とした場合、これはあまりにも……喩えるならそう、絵の具を溶いたバケツの水のようなのだ。
(まぁ、香りは悪くないか……でも色がなぁ……)
<ちょっと色が独創的なお茶と思えばいいんですよ>
(紅茶ねぇ……何ブレンドって謳うつもりだよ?)
<そうですねーっ、『紫陽花の青虫』とでも名づけましょうか>
薬としてはとても効きそうな名前だが……『青虫』とか、飲まないで済むなら極力、遠慮したい名前だ。
そのネーミング思わず抗議しそうになったが……
――彼女の指し手の方が早かった。
<名前には意味があり、概念を成します。東洋原産の『紫陽花』という花があるんですが……こちらの地方でしたら『水の容器』と呼んだ方がわかり易いでしょうか?土壌の酸性濃度によって色を青から赤へと変えるんですよ>
(酸性濃度で変色……?まるでリトマス試験紙だな)
<そうです。その様から、花言葉には『心変わり』が付けられています。転じて、『錯乱した心を変化させ鎮める』という概念で構成してみました>
思わず『なるほど』と相槌を打ちそうになるが、やはりこの辺のセンスはわからない。
俺の中では『酸性濃度を調べる試験液』というイメージが定着してしまった。
(なんか、飲むのに凄い勇気がいるようになってきたんだが……)
<あ~、大丈夫ですよ? 苦くならないように、たっぷりと蜂蜜も入ってますし――>
どうやら、相当甘くしているらしい。
そりゃそうだ……あれは「たっぷり」なんて生易しいモノじゃない、なんせ蜂蜜が一瓶ほぼカラになったくらいだ。
さらに彼女は「それに」と言葉を続ける、
<飲むのは、私じゃないですから>
(そこはかとなく、ひでぇ……)
~・~・~・~・~・~
ガラガラと配膳台車を推し進め、応接間で眠るリルドナの元へと運ぶ。
精神安定の効能が大きく期待できる薬湯……『紫陽花の青虫』を乗せて。
(……それにしても)
<んっ?どうかされました?>
(なーんか、大きな見落としをしてるような気がするんだ……)
そう、何か根本的に、最初の大前提を忘れているような気がするのだ。
あまりにも目まぐるしく事態が急変した所為かもしれない。
それでも、目の前の問題を解決する方が先だった。
「おや、ソレはなんだい?」
ロイが開口一番、台車を押し進める俺を視界に納めて訊ねて来た。
応接間まではそんなに距離は無い、すぐにリルドナの元にたどり着く。
「精神安定の効能のある薬湯ですよ」
「また変わったもの作ってこれるんだね、それも魔導書に載ってたのかな?」
「……そんなところです」
「ふーん、キミ読めなかったんじゃなかったのかな、別にいいけど」
ロイが投げつけてくる視線に込められているモノは……猜疑、だろうか?
言葉の端々に探るような気配を感じる。
「――で、どうやってリルちゃんに飲ますのかな?」
「あ……」
そうだった、そこだ。そこだったんだ。
意識を失っている人間にどうやって薬湯を飲ますんだ……。
まさか「なにも考えてませんでした!」とは言えない。
「そ、それは……」
<眠れる姫ですよ>
言い淀む俺に、すかさずリウェンの言葉が駆けつける、
溺れる者はなんとやら、それが藁とも罠とも知らずに復唱してしまった。
「す、スリーピングビューティーです」
「……おや?ということは……」
それを聞いたロイが何故か、にたぁ~といやらしい笑みを浮かべ始めた。
なんていうか、もう嫌な予感しかしない。
言ってしまってから、今更のように言葉の意味を考える。
「え、えーっと……」
<くすくす……あら、ご存じないんですか?>
い、嫌な予感がする……リウェンまで何故か笑っている、それも小悪魔的な嘲笑に聞こえる!
えーっと、何だ?『眠れる姫』ってなんだっけ?
確か、童話か何かだったはずだ……。
<呪いで眠りに就いた王女様、果たしてその呪いから解き放ったのは誰だったでしょーか?>
(眠りに就いた王女……童話でのパターンだと、王女の相手はどこかの王子……か?)
<そうですよ。毎回、どうしてこんな暇な王子様がいるか謎で仕方ないですけど……では、その方法は何だったでしょーか?>
ま、待てよ……何か覚えがあるぞ?
確か、フェリアに読んで聞かせた本にあったような……思い出せそうだ。
……でも、思い出さないほうがいい気もする……。
なんだっけ……読んでて気恥ずかしくなった記憶が……あれは、そう……
「は、はぅはああああぁぁぁアアアアぁぁぁぁーーー!?」
不覚にも大声を上げてうろたえてしまった。
いや、だってそうだろ?
何度も言うが、エインさんは紳士なのだ……。
「ムノー君、役得だね♪」
<くすくすくす……まさか、本当に気付かないだなんて、意外とニブイんですねーっ>
「い、いや……は、はははは……」
<――で、役得を堪能……ですか?>
「もし、ボクがお邪魔なら退散するけど?」
何故だ?
事前に打ち合わせもしていない筈のロイとリウェンが、どうしてこんなに言葉が繋がっているんだ?
それとも実は似た者同士なのか?
<ぷっ……>
(……へ?)
今、リウェンなんか「ぷっ」とか笑わなかったか?
<くすくすくす……あははははっ……ふふふ、冗談ですよ。もしかして本気にしちゃいました?>
(……おいっ!?)
<いくらなんでも、口移しだなんて不衛生な真似させませんよ、それに意識を失っている人間に液体を飲ませるのはやはり危険です。万が一肺に回ったらショック死することもあるんですよ?実に入浴中の溺死の原因はほぼコレだったりするんですが――>
(どーでもいい!そしてやはり長い!!)
どうもこの娘は話を脱線させる傾向にあるようだ、
いろいろ知識がある所為か、いくらでも話が発展してしまう。
(んで、どうするんだ?)
<えーっとですね、まず姉はどういう体勢眠っています?>
(えっと、ソファに仰向けに横たわってるな、手は両方とも胸と腹の中間くらいに置いてる感じかな)
<ふむふむ……あと頭はどちらの方角に向いてます?>
(待ってくれよ……暖炉のある壁の方に向いているから……どうなるんだ)
頭の中でこの宿舎の構造を思い返す、そもそも俺達はどっちから入ってきたんだ?
立ち入るところから順を追ってシュミレートしていく……。
(西だな、ザックリだけど、ほぼ西を向いていると思う)
<ふむふむ……よっと、こんな感じですかねーっ>
通信の向こう側で何かの準備をしているらしい、なんとなくそんな気配が伝わってくる。
<では…エインさん、姉の左手に魔導書を持たせてください>
(む~?……何をさせるんだ?)
<まぁ、やってみればわかりますよ>
何をしようとしているのか、全く見当が付かないが、とりあえず言われたとおりに従う。
左手に持たせろとのことだが、意識を失っている人間相手にそれは無理なので、身体と手の間に魔導書を割り込ませる。
これで一応は左手で確保しているようには見える。
(いいぞ、持たせた)
<ありがとうございます、では行きますよーっ>
…。
……。
…………。
…………?
行きますよ、と言ったが何をしたのだろう?
一見すると何も変化していないように見える。
(おい、何も起こらない――)
「……同調しました」
すぐ間近で声がした。
直接頭に届く通信による音声でなく、すぐ近くにいる人物が発声したようなクリアな音質だ。
そして、この声には聞き覚えがあった。
半ば信じられず、目の前で眠る少女をの顔を覗き込む。
……まさか?
先程の声はロイにも聞こえたのか、俺と同じようにリルドナの顔を覗き込んでいる。
俺達二人が見守る中、果たして眠れる少女はパチリと目を開いた。
妖しい光の灯った赤い瞳が姿を見せる。
「お、起きた……?」
そのまま少女はむくりと身を起こし、こちらを一瞥しこう言った、
「改めて、おはようございます。エインさん、ロイさん、実に一日ぶりですね……むむ、視界が真っ赤です」
目の前の少女……リルドナは、彼女らしからぬ口調で挨拶を述べる。
凄い違和感を感じる。
違うのは口調だけじゃない、表情も何か根本的に違う気がする。
「お、おい?リルドナ……?」
「あーっ、やっぱりニブイですね?そんなコテコテのリアクションされるとお話が進まなくて困りますよ?」
えっと……この口調はもしかして……
「まさか……お前…」
「……も、もしかして、リウェンちゃん……かな?」
ロイも俺と同じ結論に達したのか、湧き上がった推論を口にする。
その言葉に目の前の少女は満足げに微笑んだ。
「そうです。少し姉の身体をお借りすることにしました」
「へー、そうなのか……リルドナの身体を借り………えええええええええええええええええええええええええええええっ!?」
「い、いやはや……キミ達に関してはいろいろやらかしてくれる、とは思ったけど……これはこれは……」
さすがのロイも驚きを隠せず、口をパクパクとさせながら呻くように言葉を搾り出していた。
「初々しい驚きの反応、実にグッドです。ですが……そろそろ本来の目的を――」
そう言いながら右手を差し出してくる。
何かをくれという意思表示か?
「……いえ、ですから……『紫陽花の青虫』をください、姉に飲ませますので」
「あ……あぁ~そういうことか!」
あまりにも展開に頭が着いて行けない。
やけに震える手でティーポットからカップへと薬湯を注ぐ。
途端に周囲が湯気と共に甘ったるい香りに満たされた。
「うわ……メチャクチャ甘そうだね、ソレ」
「間違いなく胸焼け確定レベルだと思います……俺も調合してて気分悪くなりましたし……」
……なのだが、そんな俺達の心配を他所に、目の前の少女は躊躇いも無しにゴクゴクと飲みだした。
いや、見てるほうが気分悪くなるんだが……。
「……おい、そんなの飲んで大丈夫なのか?」
「いえいえ、全く以って心配は間に合ってます!
大丈夫です、実にグッドです。もう蜂蜜の味しかしませんっ!」
「全然、大丈夫じゃねぇ!
というか、なんで「グッドです」の部分だけ米国訛りの発音なんだよ!?」
「いやいや、ムノー君、そこをツッコムんじゃなくて……リウェンちゃんもよくそんな甘ったるそうなの飲めるね……」
「心配無用です。私も姉も超甘党ですのでーっ。……んっ、早速効いてきたみたいですよ?」
そう告げる彼女の顔に思わず目を向ける。
宣言通りすぐに変化が現れたのがわかった。
「お、おおお?」
「無事に『赤の明晰』の解除が進んでいるようです」
リルドナ(中身はリウェンだが)の瞳から妖しい光が消え失せていく。
どうやら何かしらの能力が解除されていくようだ。
みるみる内に瞳から光が完全に失われ、元の赤紫の瞳へと戻った。
「おー、元に戻った……な………?」
本当に元に戻ったのだろうか?
何かひっかかる。
「このまま薬効を利用して、頭の中の不純物を取り除いていきますね」
言うや否や、右手で虚空に青白い光の魔方陣を描き、何かの魔法を発動させた。
「な、なんだー?」
「頭の中の『浄化』ですよ、かなり錯乱していたようですからね。ちょっと処理に時間は掛かりますが、綺麗サッパリ掃除してくれますよ」
リウェンの言ってるいることの半分も理解できないが、
なんとなくアフターケアを施しているのだろうと予想は付いた。
「それよりも……エインさん」
「うん?どうした?」
クール系の澄ました表情のまま彼女は呟いた。
「なんだか、お尻の辺りがグッチョリと濡れているんですが、何かありました?」
別に卑猥な表現を含みませんが、と付け加え小首を傾げた。
そういえば、そうだった。
今朝、リルドナは血溜まりの中にベチャリと尻餅を付いたんだ……。
「一瞬、姉がいい歳こいて『やらかした』のかと不安になりましたが、これは、血……ですか」
それでも尚、お澄まし顔のまま口を動かし続ける、
「――どこか怪我をした……という訳でもないですね。かといって今月はまだ来ませんし……」
何やら後半部分はよく意味がわからないが、ぶつぶつと何かと言っている、
「――となると、これは『被害者』のモノ……ですか。姉さん…貴女は現場を荒らしすぎです」
「……一人で盛り上がってるところ悪いけど、着替えた方が良くないか?」
年頃の娘がお尻を濡らしたままというのも、どうかと思う。
何よりも気持ちの良いものでもないだろう……。
「うーん、そうしたいところですが、これは……下着までいっちゃってると思うので、さすがに人前で着替えるのは――」
思わずゴブゥア!と噴出しそうになった。
「二階の個室に行けよっ! ていうか袴だけだったら着替えてたのかよ!?」
えぇ、と彼女は頷いた。
「恥ずかしくないのかよ!?」
えぇ、と彼女は頷いた。
「だって、私の身体じゃないですから」
「……お前最低だよ…………」
リウェンよ、お前さんだけは、割とまともな人間だとお見受けしていたのにぃ!?
失われた最後の心のオアシス。
なんだか、苦手なものを我慢して先に食べて、最後の楽しみに取っておいたタコさんウィンナーを落とした挙句に目の前でグチャリと踏み潰れたような得も言えぬ寂寥感に襲われた気がした……。
結局……この兄妹にはまともなヤツはいないのか……。
また頭痛が狂喜してサマータイム出勤してきた気がする。
「まぁまぁ、そんなことしなくても……です。エインさん回復魔法をお願いできませんか?」
「……は?回復魔法……?そんなのリウェンの方が得意じゃないのか??」
「残念ながら、『浄化』中は他の魔法術式は一切使えませんので、申し訳ないですがお願いします」
……なるほど、今こうしてる間も絶賛稼動中なわけだ。
でも、何で回復魔法がいるんだろう?
どこも怪我していないことは既に判明している筈だが……。
「まぁ、いいけど。どこか悪いところあるのかよ……どこに掛けるんだ?」
俺の質問に対し、お澄ましフェイスのまま無言で立ち上がると、クルっとこちらに背を向けた。
「……む、背中……か?」
と、俺が怪訝な表情を浮かべようとした時、
「ふぐぁ!?」
そのままクイっとお尻を突き出すような……いや、突き出してる。
そんな年頃の娘がやっていいワケが無いポーズ取ってきた。
「あ~っ、ココです、ココ」
そう言う彼女が指差す場所はベッタリとした血で濡れそぼる袴のお尻部分だった。
今しがた懸念していた材料の部分だ。
「ココに向かってヒールを発動させてください」
「は、はぁ!?意味がわかんねーよ!
大体なんて格好してんだよ!!恥ずかしくないのかよっ!?」
えぇ、と彼女は頷いた。
「だって、私の身体じゃないですから」
「……お前最悪だよ…………」
容赦なく襲い掛かる頭痛を振り払うように頭を左右にスライドさせつつ、視界の隅に悔しそうに歯噛みするロイの顔を掠めた。
なんだか「う、うらやましくなんかないぞ」とか聞こえてきたきがするけど、もう無視することにした。
とにかく、ササっとヒールを掛けてしまって、こちらの精神衛生上良くない状況を打破することにした。
――意識を集中し、指先に魔力を込めて一気に線を引き魔法陣を形成する。
一拍置いて、ポゥと光が灯り、対象が光に包まれる。
「よっし!」
今回も成功だ……と言ってもそれは当然なわけで、
「グッド、魔導書の補助はバッチリですね」
というわけである。
果たして、回復魔法の結果がどうなったか、灯った光が消え失せるのを、まだかまだかと食い入るように見つめる。
そこに予想外の角度から声が降りかかった。
「大丈夫か?ナンセンスだぞ。それは絵的にかなり不味い、」
「てか、お前もいたのかよ」
完全に存在を失念していたヤツには気を留めず、ヒールの術後を凝視した。
「お、おぉぉ!?」
「ね?バッチリでしょう?」
どういう作用か袴を汚していた血の染みは綺麗に消え去り、
元々そこに何もなかったような自然さで綺麗になっている。
「一体どうなったんだ?」
「うーん。『元に還った』というところでしょうか、ちょっと説明長くなりますが、いいです?」
「どうせダメと言っても語りだしたら止まらねーだろ……続けてくれ」
クスリと可愛らしく笑って見せるお澄ましフェイス。
「普通、回復魔法は『対象の生体活動を活発化し、回復を促す』という『再生』が主なんですが、エインさんが習得したヒールは少々変り種でして……『対象の状態変数を恒常状態へと数値修正する』という概念の『中和』なんですよ。言ってしまえば、それは『元ある姿に』というモノなんです」
「つまり、それは――」
「傷を負った生物なら傷が癒えるし、壊れた家具なら修繕され、汚れた衣類なら綺麗になる。てところかい?」
俺が結論を述べる前にロイが先に発言する。
イイトコ持って行かれた感全開だ。
「そうです。さすがは冒険者発祥の地リルガミン産の魔法ですね、実にユニークです」
せっかくなのでこの特性を役立てて下さいね、と付け加えた後、彼女はこう告げる。
「――では参りましょうか」
「は……?何処に行くんだよ?」
左手に携える魔導書を弄びながら、決まってるじゃないですかと口を開く。
「現場検証です。私の灰色の脳細胞が活動を始めたがってるんですよ」
~・~・~・~・~・~
リルドナの身体をリウェンが動かしている。
ただそれだけで、こうも印象が変わってしまうものなのだろうか?
先陣切って歩き出した彼女は本当にリルドナとはかけ離れていた。
まず、最初に目に付くのは、やはり口調・言葉遣い……全く別人だ。
それに次ぐのが、その顔に張り付いた表情、リルドナは本人は基本的に生気に溢れ、勝気な表情を浮かべているのが常だが、今目の前を歩く少女は至極感情の読み取りにくい澄ました表情を携えている……言っちゃ悪いが、姉であるリルドナ本人よりも数ポイント大人びて見えた。
さらに歩き方も違っている。
ボクらのノラネコ姉さんは、しっかりとした足取りでズカズカと突き進むのだが、目の前を歩くお澄ましフェイスはコッコッコッ…と静かにヒールで石畳突くような印象だ。
なんていうか、モデル歩き……というよりブロック塀の狭い幅を綺麗に足を交互に動かすネコ歩き。
中身がリウェンなのだから違いがあるのは仕方ないが……それがリウェンの仕種か?と問われればやはり首を捻らざるを得ない。
そもそも彼女はこんな危なげない足取りでは歩かない――ていうかコケるのがデフォルトなDEX2のはずだ。
「……?どうかされました?」
「……いや、なんでもない」
「そうですか?なんだか失礼なことをお考えになられていた、と……お見受けしますが?」
よ、読まれてる……。
「――歩き方、ですが。これが本来のわたしの歩調です、身体が自由に動くならこんな感じなんですよ」
「お前の兄貴といい、なんで他人の思考を読めるんだよ……ってそっちの扉じゃないだろ」
「お顔に書いてあるんですよ……ちょっとこちらに忘れ物があるんです」
リウェンの言う『こちら』とは、すっかり馴染み深くなった給湯室。
ついさっきに薬湯を調合したばかりだ。
そのまま中へとツカツカ突き進み、作業テーブルの横に置かれた椅子へと手を伸ばす。
「あー、ソレか」
そこにはリルドナが昨日脱いだ黒いケープが掛けてあった。
彼女はそれを手に取ると、ぎこちない動きで羽織ろうとする。
「やりにくそうだな?」
それもその筈、左手に魔導書を掴んだままなので、どうしても片手でしなければならないからだ。
「そう……ですねぇ、やっぱり」
「ほれ、手伝ってやるよ」
「あっ?いいです? ではお言葉に甘えてお願いしますね……ハイ」
と、掛け声と共に、両手をダラリと下げて、クイっと顎を上げた。
……。
何故か瞳を閉じている。
なんだかキスでも求められてる錯覚すら覚えるポーズだ。
いやいや、エインさんは紳士なのだ……変な考えが浮かぶと不味いので、慌てて視線を落す。
が、そちらはそちらで、大きな膨らみが顎を上げて胸が反られた所為でさらに自己主張が激しくなっている。
忘れてはいけない、この双子の姉は小柄な身体に反して、随分と立派なモノをお持ちだったのだ。
思わず目のやり場に困っていると、
「やっぱり、瞳を閉じた方が雰囲気出てますよね?」
「お前、絶対ワザとやってるだろ……」
完全に遊ばれている。
きっと視線を斜め後方に走らせれば、ニヤニヤしているロイの顔がある筈だ。
仕方が無いので、リルドナ(中身リウェン)の後ろに回り込んでから、ケープを羽織らせ首に巻きつける。
大雑把に羽織らせたら、あとは彼女が自分の手で微調整を加えていく。
「やはり、これがありませんとね」
給湯室と厨房の境界部分に設置された鏡で入念にケープの着こなしをチェックしている。
なんでこんなところに鏡が?と思ったが、どうも出会い頭の衝突防止のために設置されたモノのようだ。
「グッド!いいケープです、やはりこのスタイルで臨まねばなりません」
リウェンの着こなしは、若干リルドナは違っているようだ。
だが、それがどう違ってくるのか全くわからない。
そして俺が受ける全体の印象は、
「――インバネスコートみたいだな……どこぞの名探偵かよ」
「そうです。そのつもりで着こなしてますから」
視線を鏡から外さす、同じ衣類でも着こなしが重要なんですよ、と語る。
「――で、何してんだ……?」
彼女を見れば、右手の甲を顎に当て、その腕の肘を左手で抱く(今は手が塞がっているので添えるだけ)というポーズを取っている。
なんていうか『オーッホホホ』とか典型的なお嬢様高笑いでもやりそうなポーズだ。
「ただそこにケープがある、それだけで私にはこの程度の着こなしが可能です。如何でしょう?皆様方」
なんというか、あまりにもその挙動には一切の淀みなく整いすぎている。
「それ、まさか毎日鏡の前で練習してるんじゃないだろうな……」
「ええ、毎日欠かさず三時間ほど」
「……頼む、これ以上俺を頭痛で蝕まないでくれ……」
どんどん俺の中のリウェンのイメージが高度成長期の都市開発のように変化していく。
そもそものイメージや個性といったものはどうだったのか、
靄がかかったように思い出せない、ハッキリしない。
他の強烈な個性に隠れてしまっていて、今まで気付かなかっただけなのだろうか?
ルーヴィックの性格の悪さ、
リルドナの名前の扱いの悪さ、
ルーヴィックの足癖の悪さ、
リルドナの頭の悪さ……。
そもそもの強烈個性がありすぎたのかもしれない。
しかし……、
「おい、もう行くぞ。言い出したのはお前だろ?」
半ば引き摺るような形で彼女を鏡の前から引き剥がし、勝手口の先――井戸へと向かった。
ガチャリと扉を押し開き、外へと躍り出る。
途端に空気が一転する、先程までリウェンにからかわれていた雰囲気は一気に吹き飛んだ。
その場に残っていたブルーノ、ゼルの緊張した視線が突き刺さったからだ。
「……ふむ、君達か……」
宿舎から出てきたのが俺達だとわかると、若干緊張を解いた気配が伺えた。
「お、ねーちゃんも復活したみてぇだな」
「ふむ、もう大丈夫なのかね?」
二人とも本気でリルドナの心配をしていてくれたようだった。
「はい、ご心配お掛けしました」
ペコリ、と頭を可愛く下げた。
「それにしてもよぉ。血が苦手なんざ、意外と可愛いとこあるじゃねーか」
「……。大変お見苦しいところをお見せしました」
やや視線を外し俯き気味に照れたような素振りを見せる。
……さっきから散々遊ばれたので、さすがにわかった。
これは計算し尽された演出なのだ。
その上で、リウェンはブルーノとの会話へ臨む。
「他の方々は?」
「一旦、それぞれが使っていた部屋へ戻って出発の準備を進めて貰っている、随分と予定が狂ってしまったが、昼までには出発したい」
目線で変わり果てた二人を示し、この二人には気の毒だが、と呟いた。
「うーん、ギルドへの報告は纏まりましたか?」
報告……冒険者ギルドへのトラブル発生の報告。
これを怠ると、依頼主側に多大な責任と懲罰が圧し掛かる。
「概ねは固まっている……と言いたいところだが…正直、事故として処理していいものか迷うな」
「そう、ですよね。どう見ても事故でこうはなりませんしね」
意味深な言葉を投げ掛けるリウェン、しかし表情は相変わらず澄ました顔だ。
無表情というわけでは無いが、感情を読めない。そんな顔だ。
それはブルーノも感じ取ったのだろう、どう対応すべきか攻め倦んでいるようだ。
「……事故といっても、そんな単純な意味合いだけも無いな、なんせこの森の中にある宿舎だ、夜ともなれば――」
「人外の……フェアリュックテル・モエルデル、ですか」
ブルーノ言葉を遮るように、聞き慣れない単語を言い放ち、まぁそれも無きにしも在らずですが、と呟いた。
「そんな都合の良い殺人鬼なんているでしょうか?」
「……可能性が無いとは言い切れんぞ」
これは、現実で起こっていることだ。
この世界には残念ながら魔法も魔物も存在する。
あえて科学的観点のみで解けるように構成された推理小説とは違うのだ。
仮にそう言った『人外のモノ』の仕業で無い、つまり人間の仕業なら……ここには俺達以外の人間は居ないのだから、必然的に犯人はこの中に居ることになる。
「そうですね、『無い』とは言い切れません」
ブルーノの反論をアッサリと認め、左手に携える魔導書を弄びながら、でもなんですよ、と口を開く。
「『いない』を立証することは……所謂『悪魔の証明』は無理ですが、『ヘンペルのカラス』ならば充分可能なんですよ?」
また聞き慣れない単語が出てきた。
俺の理解の追従の歩行速度には構わずに彼女の言葉を続く、
「いいですか?
この『魔物の仕業ではない』という命題はその対偶命題である『犯行はこの中の人間によるもの』ということと古典論理学的には真理値が一致であるんです。
対偶論法です。つまり、『わたし達には出来ないこと』という要因を提示すれば提示するほど『これは何か得体の知れないモノの仕業だ』という証明となり得るんですよ」
「……ふむ?では具体的にどうするのかね?」
ブルーノ問い掛けに、相変わらずの感情の読めないお澄ましフェイス。
だが、俺にはその赤紫の瞳がドロリと淀んだ底なし沼のように思えた。
「私達に現場検証する許可をください、
報告書を作成するお手伝いくらいは出来ると思います」
おそらく、ブルーノはこの申し出を受けるだろう。
断るわけがない、彼女がそうするように仕向けたのだから。
言葉という枷で、にゅるりと獲物を鹵獲する……まるで蛇のようだった……。
~・~・~・~・~・~
独壇場という言葉がある。
今、この場は完全にリウェンの手番だった。
誘導尋問というヤツだろうか。
例えば、アリバイを訊くにしても……『昨晩の九時頃はどうなさってましたか?』ではなく、『え~っと確か……昨晩の九時頃ってもうお休みになられてましたよね?』と訊ねれば、ついつい相手は『いや、その時はまだ起きてたな、一人で部屋の中で本を読んでいたな』という回答がごく自然に引き出せてしまうのだ。
……かつてリウェンはこう言った。
『私の役割は諜報……というか兵站全般ですので』
あの言葉は伊達では無い、ということか。その発言に嘘偽りは――
……あれ?あるな……どの部分で嘘を言っているんだ……。
「……ねぇ、ねぇってば!無能聞こえてんの?」
「へ?」
聞きなれた筈の口調に思わず思考が中断され、現実に引き戻された。
今、何て言った?
「アンタよ、アンタ。無能はアンタしかいないでしょっ」
「……お、おい?急にどうし――」
――たんだよ、と言葉を続ける前に、リウェンが目配せしているのが目に入った。
……合わせろ、ということだろうか?
「あー、悪い悪い俺は俺なりに考察を……ってか、もう少し『お仕事モード』でいろよ」
昨晩、リルドナが見せた『メイドさんのお仕事モード』のお陰でブルーノにはリルドナとは違う口調でも問題なく受け入れられているワケだ。
「はぁ?昨日は気持ち悪いからやめろって言ってたじゃない。もう!どっちなのよ?大体ねぇー……」
などと言い合いしつつ、チラリとブルーノを視界の隅に納めると、少し呆れたような微笑ましいモノを見るような「やれやれ……」と聞こえてきそうな顔を浮かべていた。
「では、私は出発の準備を進めてくるので、ここは任せる」
「あ~はいはい、かしこまりー」
ひらひらと手を振って応えるリウェン。
今、この瞬間、彼女はリルドナを演じているのだ。
細かいところまでキッチリ再現しているのが凄い。
バタン!という音と共にブルーノの姿が宿舎の中へ消えた。
うん、もういいだろう。
「――――――――で、どういうつもりだ?」
「えーっと、まず最初に……」
ペコリ。
「失礼しました、無能呼ばわりしてすみません……」
「一応、悪いという認識はあったんだな……」
「あまり大勢の人間にこの術式……『姉さんはわたしの言いなりよ』のことを知られるのは都合が悪いので」
リウェンがリルドナの身体を借りて行動している術式のことだろうか、
だんだんネーミングが投げやりになっている気がするのは気のせいか?
「……? 何がどーいうこったぁ?」
一人事情がわからないゼルが疑問符満開に咲かせて尋ねてくる。
彼女もゼルなら知られても構わないのだろう、手短に経緯語った。
「かぁー、嬢ちゃん……もうなんでもアリだなァ?」
「まぁ……ボクも未だに信じられないしね」
「てっきりよう、オメーが鎮静薬を分けてやって、それの副作用で大人しくなってるのかと思ったぜ」
ゼルがリルドナ(中身リウェン)を品定めするようにジロジロみている。体格の良いこの二人と並ぶと、彼女が際立って小さく見えてしまう。
というか、それよりも今気になることを言わなかったか?
「もしかして、鎮静剤……持ってたんですか?」
「うーん、まぁ。仕事が仕事だからね」
彼は銃兵、冷静に射撃する為に精神安定薬を携行しているらしい。
それは別に珍しくも無いことらしい……のだが、
「んっ?どうされました?」
チラリとリウェンの顔を見るが、やはり感情の読めないお澄ましフェイス。
俺の向ける感情に気付いているのか、いないのか……彼女から声が掛かる。
「では、ワトスン君、早速検証に移りましょうか」
「……あいよ、名探偵サマ」
極力、視界に入れないように心掛けていた『変わり果てた二人』を直視することになる。
ハッキリいって死体なんて率先して見るようなモノじゃないぜ?
「おや?顔色が優れませんが、大丈夫です?」
「……俺も故人の痛みや苦しみを理解してあげられる優しい人間なだけだ……」
そう、エインさんは紳士なのだ!
と、脳内で叫んだタイミングで、あーそうですか、とリウェンの冷たい返事。
……。
リアルとリアリティは微妙に違うと思う。
確かに、今目の前に広がる光景は、リアリティのあるものだろう。
例えば、被害者を中心に広がる血痕と血だまりとか、リウェンが自分の指紋をつけないように、モノを触れるときはハンカチ越しに触っているところとか、
本で読んだような殺人現場がそういう根拠とともに構築されている。
……でも、何故か現実味が無い、自分の持っている現実とあまりにも掛け離れた事態に、どうしても現実として受け止められないで居た。
「……しっかし、ヒデェことしやがるな」
「何でどうやったら、こんな酷い傷口になるのかな?」
流石は現役の傭兵。
血や死体といったものに抗体を持っているようだ。
「こちらの方は……スルーフさん。でしょうか、完全に顔面が陥没しちゃってますね」
まじまじと真っ赤に崩れた顔を覗き込むリウェン。
お嬢さん、アナタはどうして平気なんすか?
「おそらく……即死だったんだろうねぇ」
「……頭部を一撃、酷いですね……でもアーカスさんは辛うじて避けたんでしょうか?」
いつまでも自分一人だけ目を背けてられない、何気ない疑問投げ掛けてみた。
それに答えたのは彼女だった、
「うーん……あえて外したのかもしれませんね。この肩の傷、ですが……ちょっと引っ掛ります」
大きく抉られたアーカスの肩から視線を外さず、ほら見てください、俺に指し示す。
砂で作ったお城を叩き壊したような無残な抉れ方だ。
……どうやったらこんなに酷い傷になるんだろう?
「いいですか?
外傷である以上、何かしらの異物……凶器が被害者の身体に侵入したことになりますよね」
「まぁ、そりゃそうだな……その凶器は見つかってないけど」
「つまりですね。
凶器が物質である以上、質量があり、運動エネルギーあるんです。
そしてそうである以上……方向が存在します」
そう語りながら、左手の魔導書ごと、えいやっ!と可愛らしく突き刺すようなジェスチャーしてみせる。
「凶器の侵入角度はこうでしょうね、肩がクレーターのように抉られているのは、ここで運動エネルギーが解放された……つまり運動が止まったということです。……何か気付きませんか?」
「やや高い位置から打ち下ろすような角度で穿たれているな、この軌道じゃどう考えても顔面は狙えない。……ついでに言うと、犯人は左利き……だな」
「グッド!いい推理です。さらに付け加えますと、傷口は貫通してません、右利きの人間が後方から突いた、ということはありません」
左手に携える魔導書を弄びながら、傷口がクレーター状ですからね、とさらに付け加える。
「となると、嬢ちゃん。何が何でも左利きの犯行てーことか?」
「……て、待ってよ、左利きっていったら……」
ゼルとロイが居心地が悪そうに顔を見合わせる。
それを尻目に彼女はくすりと笑う。
「そうですね、兄も姉も左利きです。他の方々は揃って右利きのよう、ですが」
「そんなにお前はあの二人を犯人にしたいのか?」
「あら?エインさんの目にはそう映ってしまいましたか?」
俺の顔を横目で見ながら、くすくすと笑い続けるリウェン。
「とりあえず、リルドナじゃないだろ、小柄なアイツがワザワザ跳んでまで打ち下ろしの一撃を撃つとは思えない」
それで?と彼女は淡々を先を促す。
「かといって、ルークもそこまで背の高さじゃない、せいぜい同じくらいの高さの打点になるはずだ」
それで?と彼女は淡々を先を促す。
「第一、アイツは俺と同じ部屋で寝てたんだ、俺がアリバイを保障する」
それで?と彼女は淡々を先を促す。
「これは左利きのアイツらに注意を向けさせる偽装じゃないのか?」
「グッド、貴方ならそう仰ってくれると思ってました」
左手に携える魔導書を弄ぶのをピタリと止め、ビシッと死体の方を指し示す。
まるで指揮棒か何かのような扱いだ。
「そもそものおかしな点が、別にあるんですよ」
「傷口以外に……か?」
俺の問い掛けに、えぇ、と頷いて、魔導書をクルリと回して自分の影を指す。
「長い……ですよね、実に三〇〇センチほどあるはずです」
「うーん……そうだね、ニ八八センチくらいじゃないかな」
ロイがすかさず測量して見せる、リウェンもロイ…どっちも異常だ……。
「姉の身長は一五四センチ、そこから算出される日光の角度は約ニ八度〇六分です、」
「…お、おい……なんだって?」
影の長さ?日光の角度?それが一体なんだと言うのだろう。
しかし、リウェンは俺の理解を待ってくれない。
「その角度から算出される時間は実に午前九時です」
さらに魔導書をクルリと回して、まぁ兄に言って時計を見せてもらったら良かったんですが、と呟いた後、血溜まりを指し示した。
「ここに姉はへたり込んでしまったわけですよね?そして気持ち悪いくらいお尻が濡れちゃったわけですが」
「ちょっと待て、だから何が言いたいんだ?」
「エインさんは今朝何時に起きました?」
「はぁ?時計持ってないしわかんねぇよ。そもそもリルドナの悲鳴で飛び起きたし」
俺の回答に小首を傾げ、思案する素振りを見せるリウェン。
「恐らくまだ薄暗かったんじゃないでしょうか?……六時ぐらいと思うんですけどね、
――で、これから述べる話は姉の生活リズムからの推測になっちゃうんですが……」
再び、左手に携える魔導書を弄びはじめ、大雑把な計算ですよ、と付け加えた。
「姉は毎朝四時半起きなんですが」
「随分と早起きだな、それが――」
すかさずドロリと淀んで見える瞳を向けて、まぁ聞いてくださいと俺の言葉を遮る。
「そこから一時間弱で身支度をして、朝食の準備に取り掛かるんですよね、勿論……モーニングティーもです。姉は手際の良い女性ですから、先に茶器一式を準備して、そこから水を汲むんですけど――」
そこで魔導書をクルリと回して自分の影を指す。
「それが大体、毎朝六時くらいなんですよ。姉が悲鳴を上げた時間、つまり事件発覚時刻です」
「……それはわかったが、それが一体何なんだ?」
「あら?まだお気付きなりません?」
魔導書を肩にポンポンと当てる仕種を見せながらため息をつく。
「いいですか?
少なく見積もっても、三時間は経過しているんですよ?
それなのにこの血溜まりは未だに瑞々しい液体のままです。
おかしいと思いませんか?いつまで経っても凝固していないだなんて」
「――あ、」
そうか、そうなのだ。
本来、血液というものは出血し血液が血管外に流出した時に血小板の凝集が起こり、血液凝固因子が活性化され凝固する。
「これだけの量ですと、固まり乾ききるには三~四時間は掛かるでしょうけど、いくらなんでも三時間以上経っても、この状況はおかしいです」
「じゃあ、これは本物の血じゃなくて……血糊か何かなのか?」
「それはサンプルを採って解析してみないとわかりませんけど……」
彼女は指を二本立てて、ぷらぷらと振ってみせる。
「ここで推測する指針が二手に分かれます」
「なんだよ?」
「ひとつは、科学的根拠の元に……『人間の犯人が何かしらの偽装のために血痕に細工をした』という推理指針です」
「それが今やってることじゃないのか?」
「そうです。……ですが、それともう一つの可能性、ブルーノさんご要望の可能性……人外の存在の仕業――」
「いきなり突拍子も無いぞ?
なんだよ、ソイツに襲われたら血液が凝固しなくなる魔物でもいるっていうかのかよ?」
俺の問い掛けに魔導書をクルリと回して、宿舎とは反対側……果てなく広がる森を指して、
「残念ながら……いるんですよ、そういう吸血生物が。この森には……ですけどね」
~・~・~・~・~・~
・スルーフ・ウェザリング……顔面に甚大な損傷あり。鈍器のような物で激しく衝突された形跡、ほぼ即死とみて間違いない。
・アーカス・トルティトカ……右肩部に上記と酷似した損傷あり。出血多量によるショック死が原因か?
二名ともに午後十一時宿舎内・応接間にて、当依頼を請け負った冒険者エイン=エクレール、及び同じく冒険者リルドナ・グロリアと数分間会話を最後に、翌朝六時、宿舎外の井戸の傍らで発見される。
凶器・容疑者ともに不明。
立地の特異性から魔物による被害も考慮される。
この件に関しては、現場保全を施し、後日ギルド調査スタッフを派遣して頂き、詳細を調査するものとする。
……。
…。
「こんなのでいいでしょうか?」
「ま、いいんじゃない?正式書類にはブルーノさんがすると思うよ」
ロイの言葉に甘えて、そこで記帳を放棄した。
何故か俺が調査内容をまとめる羽目になっている。
妙な緊張と肩凝りを覚え、応接間のソファで大きく伸びをした。
「大丈夫か?ナンセンスだぞ」
「……なんだよ」
「全てリウェに任せれば良いものを」
「仕方ねぇだろ……」
リウェン主導の現場検証は、俺にとって散々なものだった。
喋りだしたら止まらないのは姉妹共通なようで、この森に潜むという『吸血生物』の生態やら逸話やらを延々聞かされた挙句に、
『エインさん、ほら見て下さい、ここです。周囲よりもやや白っぽいですよね?これが肩甲骨の先端ですよ、ここで衝撃が止まったんだと思います』
とか、
『ほらほら、真っ赤に潰れてますけど、頬骨とか部分的に生き残ってますよね? ここですよ、ココ見えますか?』
とか……。
『それとワトスン君、記録の方はお願いしますね、ええ、走り書きで構いません』
だとか………。
『あと、これと同じ魔方陣をカードに書いて現場に配置しておいてください、そうですね一〇八枚ほどでいいです、出来たら魔力を通してくだされば発動しますので』
とかとかとか……!
「……エインさんのライフはゼロだぜぃ……」
「ふむ、相当参ったようだな」
ちなみに、この鉄仮面は先程の現場検証には参加していない。
実は、ずっとこの応接間で待機(?)していたのだ。
「なんだか振り回されまくった感じだなぁ……」
ため息をつき、淹れられた紅茶に手を伸ばす、起き抜けからドタバタしてた所為か、甘いミルクティーが胃に染み渡った。
ロイヤルブレンドと呼ばれる、モーニングティーの定番らしい。
「……美味いな」
ポツリと呟いた言葉に、ルーヴィックでなく、ロイが反応を示した。
「そうだね、リウェンちゃんも紅茶淹れるの上手いんだねぇ」
そりゃリルドナのお茶の師匠ですからね、とは口に出さなかった。
それよりも気になる懸案があった。
「でも、ミルクなんてどこから調達したんでしょう」
「うーん……」
「あんまり詳しく知らないんですけど、使うのって粉ミルクとかじゃないんですよね?」
「そうだね、基本的に低殺菌の牛乳を使うね」
出先でそんなものが果たして用意できるんだろうか?
今日は出発して二日目……これ鮮度的に大丈夫か?
「いくら涼しいと言えど……常温保存されたものって危なくないですか?」
「うーん……」
「つってもよぅ、飲んじまったぜ?」
そう、いくら考えても手遅れなのである。
だが、銃兵の叡智は死んでいなかった(?)
「そうだ!謎は全て解けたよっ!」
「いきなりどうしたんですか?」
先を促しておきながら、嫌な予感が走った。
「いいかい?あれだけ『立派なモノ』がついてるんだミルクの一リットルや二リットルくらい――」
ガゴン!と鈍い音が響き渡る、
「――出ません、その量は妄想ですっ!何言いやがってるんですかっ!?」
金属製のお盆でロイの頭を殴打しつつ、お澄ましフェイスのリウェンが帰ってきていた。
そのお盆の上には、お代わりの紅茶が乗っている……よく零さないものだ。
「オイオイ、マジでいい加減にしねーと訴えられるぞ?」
ゼルが呆れた声を漏らす。
それでも動じない金髪銃兵。
「いやいや、軽いジョークじゃないか、ボクはこれでも紳士なんだよ?」
リウェンの顔は相変わらずのクール系お澄まし顔……なのだけど、良く見ると目元がピクピク痙攣している。
「……失礼ですが、
ご自分で『紳士だ』とか仰られる方に限って変態さんが多かったりすると存じますが?」
「おい……なんでそう言いながら俺の方を見るんだ?」
強烈なプレッシャーを放ちながら、さぁ何ででしょうね?とそっぽを向くリウェン。
なぁ、皆。俺は紳士だよな?間違ってない筈だ、うん。
「リウェ、あまり一人で行動するな」
「……わかってますよ……」
「今のお前はそこいらの街娘と変わらない」
ルーヴィックの言葉に顔を曇らせるリウェン。
ヤツのいう『街娘と変わらない』とはどういうことだろう?
訊く前に答えを用意するのがヤツのウリだった。
「一切使えない。
血系特性は勿論、『浄化』の所為で魔法も使えないんだ」
「……わたしの身体じゃないですからね、赤の明晰や性能飛躍といった姉が常駐させている能力がまるっきし使えないんですよ」
なにやら聞き慣れない名前がまたまたまたまた出てきた。
「リルドナのやつ……何か能力を使ってたのか?目は何かあるとは思ったけど」
「そうです。まさか素の腕力だけで飛竜の死骸を投げ捨てたりできるとお思いで?」
言われて見ればそうだ、目の前に立っているのは小柄な少女だ。
あんな細腕にあの怪力が出せるわけが無い。
「姉専用の能力みたいなモノなので、わたしには引き出せません」
自然な動きで紅茶をカップに注ぎながら、本当は能力自体を内緒にしておきたかったんですけどね、と呟いた。
「つっか、マジでミルクはどうしたんだ?」
「あ、携行保存用の容器があるんですよ、『浄化保冷瓶』ていうんですけど」
「また聞き慣れない名称だな?」
ついつい尋ねてしまう。
「あんまり出回ってない錬金術製の器具ですしね……えっと下書きの方は出来ました?」
「大まかには、こんな感じでいいだろ?」
自分の冒険記帳に書いた文章を彼女に開いて見せる。
「そうですね……あとは『争った形跡が無い』も追記しておいた方がいいですかね」
「あー、それもあるか」
そう、現場には争った形跡が無かったのだ。
スルーフもアーカスも手には武器を持っていなかった。
携行していなかったワケじゃない、アーカスの腰には鞘に入ったままのカットラスがあった。
「あのカットラスを構える暇も無かったのかな……結構良い腕だった思うよ」
ロイの意見も尤もだ、昨日の立ち回りを見る限り腕は確かな筈だ。
そんな彼がみすみす無抵抗で殺されたりするのだろうか?
「一体どういう状況だったんでしょうね」
「うーん……本人に聞ければいいんだけどねぇ……死人に口無しだねぇ」
「まぁ、そうで――」
……ん?
ちょっと待て、出来るんじゃないか?
「もしかしたら……リルドナが意識を取り戻したらですが……彼女が何かを視ているかもしれませんよ!?」
そう、彼女が錯乱したのは、まさにその状況を『体験』してしまったからだ。
もしかしたら犯人の顔も視ているかもしれない。
「どうでしょうね……姉のことだから綺麗サッパリ忘れてるかもしれませんよ?」
「どんだけ猫脳なんだよ……」
「私はそう思います」
そう告げるリウェンの顔はやっぱり感情の読めないお澄ましフェイスだった。
「ま、後日に調査スタッフが何か見つけてくれるかもしれねーし、深く考えなくてもいいじゃねーか?」
「そうだねぇ、専門家に任せる方がいいね」
ゼルもロイも犯人探しの探偵ごっこはもういいよ、と言わんばかりだった。
そりゃそうだろう、ヘタに俺達が動くよりも、今は現場保存に協力すべ――
「……あ、」
「ムノー君どうしたの?」
「いえ、現場保存するのってどれくらいの期間なのかなって、いくら涼しいとはいえ死体は土に還ろうとしますし……」
「あ、そこは大丈夫ですよ? さっきエインさんに書いて貰ったカードには『凍れる刻』の魔方陣が組まれていますので、空間保存が可能ですよ」
「お、あれってそういう意味があったのか」
現場と遺体を現状保存するモノらしい、これにより様々な証拠がそのまま残されるわけだ。
遺体の防腐にも繋がる、……となると、もしかすると……
「なぁ、リウェン……もしもだけど」
「はい?」
口にすることが躊躇われる、自然摂理を破る行為。
甘いと言われるかも知れないが……それでも昨晩一緒に様々な会話を交わした人間に情が全く移らない訳が無かった。
「そ、蘇生魔法……使えないのか?今すぐじゃなく、仕事終了後、リウェン自身の身体で術を行使して……あの二人を救えないか?」
「……」
確か、リルドナは言っていた、神聖魔法が得意で回復の要になれる、と
そういった癒しの術の頂点とも言うべき蘇生の奇跡、双鎌十字の主席卒業生の魔術師……この少女なら使えるのではないだろうか?
俺の放った言葉の意味を場に居る全員が理解したらしく、ピシッと空気が張り詰めたようだった。
「……それは素敵な提案だと思いますよ」
相変わらず感情の読めないお澄まし顔のままだが、声はどこか優しい。
「ですが……申し訳ありませんが――」
優しい……が、その本体の温度は酷く冷たい……そんな印象を受ける、
「私にはそんな奇跡の魔法は使えません」
「そ、そうか……」
「ムノー君の気持ちもわかるけど、無理な注文しちゃダメだよ」
ロイにも諭される、
死んだ人間を生き返らせる、それはとても大それた考えだとは思う。
だけど、だからなんだ……
だからこそ、リウェンに言ってやりたかった。
(また嘘ついてんじゃねぇぞ!? この嘘つきヒモパン女がぁぁああぁぁ!)
と言う、言動は心の中に押し留めるエインさんだった。
問い詰めるのは、いろいろ終わってからの方がいいだろう。
この話は終わらせる方向で進める、
「まぁ、俺達が見ても気になる点はいっぱい見つかったんだ、専門の人が見ればもっといろいろ判明するよな」
「そうですね……気になる、といえばアーカスさんの得物はマクアフティルじゃなかったんですね」
「ん?カットラス使ってちゃおかしいのか?……マクアフティルってなんだよ?」
「先住民の栄誉戦士達が使ってる剣なんですけど……こんなのです」
左手に携える魔導書を手早く開いて、まるで図鑑のようなページを提示する。
それは木製の刀身に複数の突起物が取り付けられた奇妙な武器が載っていた。
「なんだこりゃ、変な剣だな」
「彼らの文明には鉄器を扱う技術がなかったので、木製の本体に石や動物の骨で『歯』をつけて鋸みたいに斬り付けていたみたいなんですよ」
見るからに切れ味も何もなさそうな形状だ。
こんなので敵を斬れるのだろうか?
「切れ味なんて期待できないでしょうから、頚動脈とかをピンポイントで狙っていたらしいですよ」
「なんとも扱いに厳しそうな」
「あー、でもそういう剣捌きだったよね、彼」
思い返せば、飛竜相手に動脈を切り刻んでいたっけ。
それにしても、この独特の形状……
「なんていうか古代魚を思い出すな」
「……姉も似たような感想述べてましたよ、勝手に『おさかなそーど』とか命名してましたし」
「……。俺、同レベル……なのか」
自分の思考がリルドナと同レベルという事実に、なんだか下校途中に買った肉まんを一口も食べないうちに落としてしまったような得も言えぬ寂寥感に襲われた。
「まぁ、どうでもいいんですけど」
「なんか今日いろいろ対応酷くない!?」
「いえいえ、気のせいです。朝食、どうされます?」
そういえば、まだだった。
朝一番のノラネコシャウトの所為でまだ朝食どころか顔すら洗ってない。
「プレーンスコーンでよければお持ちしますよ?」
「ん?スコーンって何?」
「あら?そちらじゃあまり知られてないんでしょうか……バノックとかより重めのですね」
「いや、バノックもわからん……」
「まぁ、白パンの一種と思えばいいですよ。どうです?」
それなら問題なく食べられそうだ。
実は黒パン……ライ麦パンが苦手なエインさんだった。
「うん、それで頼むよ」
「真っ赤な真っ赤なジャムもベッチャリお付けしますね」
「どうして俺の食欲を削ぐようなことを言うんだ……?」
リウェンはくすくすと笑って、気のせいですよ、と呟いた後、
「ゼルさん、ロイさんも同じものでよろしいですか?」
「お、そりゃありがてーな、モチロンいいぜ」
「うん、ありがとね。お願いするよ」
「畏まりました、」
スカート(正確には袴だが)の裾を摘み、優雅にお辞儀をしリウェンは厨房へと向かった。
それを目で送り出しつつ、
「それにしても――」
「まだ何かあるんですか?」
またまた嫌な予感しかしなかった。
「いやね、お姉さんの方は『立派なモノ』をお持ちなのに、リウェンちゃんの方はさ…ちょっとちいさ――」
ガンッ!という愉快な音と共に、ロイの…後頭部という人体で鍛えようの無い急所に先程のお盆が直撃していた。
「大丈夫か?ナンセンスだぞ。リウェのアンダースローは凶悪だ」
「……痛いじゃないか」
「てか平気なんですかっ!?」
さすがは歴戦の銃兵、ただの変態さんではないようだ。
つまり、
――すごい変態さん。
「……まぁ、さっき回復魔法掛けて貰ったから、すこぶる調子良いんだよ」
「んあ?なんでぇ、もうアバラは大丈夫なのかよ」
回復魔法?アバラ……肋骨がどうしたんだろう?
湧き上がる疑問をロイに向ける。
「うーん……そうだねぇ……」
だが、それに対するロイの反応はなんとも歯切れの悪いモノだった。
なんとも気まずい雰囲気が立ち込めた。
「……リルに殴られたからな、無事なワケが無い」
「うーん、まぁ。咄嗟に身を捻って『芯』は外したよ?」
そういえば、彼は今朝に錯乱したリルドナに殴られたんだった。
直後に膝から崩れるように蹲ったんだ、かなり効いていた筈だ。
「それでも、肋骨にヒビくらいは入っていただろう?」
「参ったな、すっかりお見通しかい?」
やれやれ、という声が聞こえてきそうな肩を竦めるジェスチャーしてみせる、
彼が、自らの負傷を隠そうとする真意は……
「もしかして、リルドナの立場を……考えて、ですか?」
「言った筈だよ?ボクはこれでも紳士なんだよ、女性の立場を守るのは当然さ」
凛々しく笑う口元で白い歯がキラリと光った気がした。
見直したよ、変態銃兵サマ。
「それにしても、回復魔法なんていつ使ったんです?確か『浄化』中で魔法を他の使えないんじゃ?」
「うーん……気付いたときは既に傷に痛みが無くなってたんだよねぇ」
二人そろって頭を捻る、
リウェンは俺に『結印方陣』を教えてくれた。当然彼女自身も使えるだろうから、無詠唱魔法も可能なのだろうが……それがいつ行使されたのかまるで気配が無かった。
そんな疑問に答えてくれるのは、やはり頼れるこの男だった。
「……並列演算起動式。つまり『浄化』と同時使用しただけだろう」
「同時に……ってそんな簡単にできるのかよ?そもそも魔方陣は一つしかなかったぞ?」
「問題ない。最初から魔方陣に複数分の起動式が構成されているだけだ」
二つ以上の起動式を行使する。
口で言うのは簡単だが、魔法を制御する精神領域では想像すら出来ないレベルの負荷が掛かっている筈だ。
一つの呪文を記号化して魔方陣にするだけでも相当な頭脳労働だ。
それを二つ、それもただ単に二種用意するだけでなく、『くっつけて一つの呪文にする』。
その上で、さらに記号化して魔方陣を完成させるワケだ。
そんな神業を事も無げにやってのけたということになる。
「うーん、あの娘……やっぱりスゴイんだねぇ」
「いや、錯乱したリルの本気の一撃を受けて肋骨軽損で済んでいるお前も凄い、」
当然、朝一番の騒動だったので、ロイはその時防具の類は一切着けていなかった。
普段から(?)殴られている俺が無事なのは、恐らく彼女が無意識に手加減してくれている所為だと思う。
では、手加減無しの本気のボディブローはどれほどの威力なのだろうか?
空気の読める狩猟罠なルーヴィックはご丁寧に答えてくれた。
「――直撃していたら、良くても脊髄損傷。再起不能だったな」
「……、一応ボクもまだ独身だから、それはチョット困るなぁ……」
いえ、妻帯者でも誰でも困りますよ、という言葉を咄嗟に出せなかった俺はまだまだ甘い。
そもそも彼の心配する方向はどこを向いているんだろう。
「いや、イケるかも!?女のコの方に頑張って腰をふ――」
グワシャ!という愉快な音と共に、ロイの後頭部に先程とは違う金属製のトレーが激突していた。
「だ、大丈夫ですかっ! ていうか何処から!?」
咄嗟に視線を走らせるが、リウェンの姿はとっくに廊下の角の向こうに消えている。
「大丈夫か?ナンセンスだぞ。リウェの緩急は実戦レベルだ」
「コレ変化球なのか!?もうそういう次元の話じゃねぇよ!いろいろ物理的におかしいよ!」
俺のツッコミ一斉掃射にも、ヤツは「ふむ?」と歯牙にもかけない。
「学生時代、『双鎌十字のジャイロボーラー』という異名があったらしいが」
「それ、絶対嘘だろ!今適当に思い付いただけだろぉ!?」
そもそも『そこいらの街娘』は変化球なんて投げないぞ?
俺の絶叫をBGMにロイがもぞもぞと動き出すのが見えた。
この人もなんだかんだで『規格外』の性能の持ち主なんだろう……。
むくり起き上がり、ポンッと俺の肩に手を置く。
「ムノー君、こりゃ迂闊に浮気もできないネ」
「ここまで来て他人の心配!?一見すると凄いイイ人に思えるけど、何か違う気がしますよッ!?」
~・~・~・~・~・~
先程の喧騒も一段落し、空腹を感じる程度には気持ちに余裕が出てきた。
いろいろ感覚が麻痺しているが、現実には人間が二人も殺害されているのだ、精神的に不安定になるな、という方が無理だろう。
落ち着くと現金なモノで、今から運ばれて来るだろう朝食に期待し心躍るのだった。
「なんだかんだで、あの娘達のお陰で食事が華やかになって助かるよね」
「そうですね、いつもなら味気ない携帯食料を一人消費してるだけでしょうし」
やっぱりなんだかんだ言っても、一人で味気無い食事をするより、皆でワイワイ食べた方が美味いのだ。
それも可愛らしい女の子が用意してくれるとあれば、格段にそのレベルは跳ね上がる。
……とか言ったらイロイロとロイに弄られそうだったので、ついつい視線を泳がすと、
ゼルと目が合った。
「それにしても、ありゃ本当に中身が嬢ちゃん……妹の方なのか?」
「――え?」
「いや……オレも出会ってから少ししか接点ねーから、ハッキリとは言えねーが」
「そうだね、思ってた印象となんか違うよね」
俺が感じた違和感、最初抱いていた印象と違う点。
漠然としか言えないが、妙にテンションが高い。
やけに積極的でアグレッシヴなのだ。
「やっぱり、そう思いますよねぇ……」
そこで疑問にブチ当たった時に頼れるヤツに自然と視線が集まる。
「む?珍しくも無いと思うが……」
ヤツはヤツで、こちらが何故疑問に思っているかわからない、という感じだ。
何かの条件があれば、ああも積極的に変貌するのだろうか?
今までの行動を思い返してみる。
「うーん……もしかして」
「おや、心当たりあるのかい?」
「勝手な憶測ですけど……『リルドナが居ないから』じゃないでしょうか?」
「あーっ、それはあるかもねぇ」
「あん?自分の姉貴の前でネコ被るのかよ?」
ゼルにはイマイチ、ピンとこなかったらしい。
「違うよ、誰の前でも相手にあったネコを被るモノなんだよ」
「多分、リルドナの居る居ないで、被っているネコ……というかキャラが微妙に違うんじゃないでしょうか」
「まぁ、多感なお年頃なんだろうね、それで今更思い出したけど」
掌の上に握り拳をポンと鳴らす、古典的なリアクション見せる、
「あれってさ、もしかしたら推理小説に出てくるキャラの模倣じゃないかな?」
「肯定だ、リウェはアレを熱心に熟読してたな」
推理小説の登場人物……はて、あんな感じなキャラいたか?
俺の知りうる探偵達は誰もが個性的だが……イマイチ該当しない。
「おや、ムノー君は知らない?『灰色の脳細胞を持つ変態探偵』シリーズ」
「ナンデスカ、そのデスペレートすぎる題名は……」
「結構長寿作品らしいから、今度探して読んでみるといいよ」
「それで、その小説に出てくる探偵があんな感じなんですか?」
「うーん、そうだねぇ。その探偵は女の子なんだけど、一〇代半ばくらいの外見で青い髪と瞳の可愛らしい娘なんだよ」
髪はともかく、瞳の色が同じ青色か、案外そこが感情移入しやすい原因か?
でも、『変態探偵』とか酷いネーミングだ……。
「ただちょっと、真実を追っかける姿勢というか執念が異常で、そこが変態的と言われる所以なんだよ、どんなのかは、未読の人に言うのはタブーだろうし、あえて言わないね」
「そりゃどうも……なんか憧れるモノが多少歪んでるような気もします」
「ま、そりゃ個人の自由だな――て、なんでぇその凄い色の液体は?」
ゼルが怪訝そうに見つめるソレは、先程俺がリウェンに指示されて調合した『紫陽花の青虫』。
やはり、その個性的な色は興味を引いたらしい。
「えっと、これがリルドナの錯乱を鎮める為に調合した『紫陽花の青虫』って薬湯です」
「うげ……赤紫の芋虫かよ、毒々しいなオイ、何食わしたらそんな色になるんだ?」
「いえ、紫陽花をイメージしたそうですよ、ペヨーテを使ってるんで『青虫』って付いてますけど」
名前なんて意味を履き違えれば、全くの別物になるものだ、特にリウェンの使う言語は多国に渡る。
博識すぎる故に、他の人間が着いてこれないという弊害とも言える。
「紫陽花……ハイドランジアか、また珍しい花のチョイスだな」
「……?名前はハイドランジアでいいんですか?」
「この国じゃその名前だがーな、別名あったか?」
ちょっと待て、何かひっかかる。
『こちらの地方でしたら『水の容器』と呼んだ方がわかり易いでしょうか?』
なんでそんな回りくどい言い方をした?
彼女は独国語をよく使うが、基本的に言語は英国語、そもそも獅子の王国出身の筈だ。
変に拘りすぎたから?言葉遊びの失敗なのか?
そもそも紫陽花という名前を付けた?そして紫陽花とはどんな花だった?
「ハイドランジアって色が変わるんですよね?」
「らしーな、あんまり見たことねーしな。何が含まれてるからだっけか……」
「アルミナ……じゃないですよね?」
ちなみにアルミナというのは酸化軽銀……酸化アルミニウムだ。
鋼玉の主成分であり、含有する不純物によって赤くなったり青くなったりする鉱物だ。
その変化した色によって、『ルビー』と呼ばれたり『サファイア』と呼ばれたりするワケだ。
そしてアルミナ自体は、青灰色だ。
「わっかんねーな」
「うーん、どうだろう?ボク達も専門知識はないしね、土壌が酸性なら青、塩基性なら赤って言うのが一般的な見解だけど、でも……」
「……そこで『でも』ですか」
「うん、酸性だけど青くならなかったり、最初は青かったけど、花が散る頃には赤く染まっていたてこともあるみたいだしねぇ」
「なんだか不安定な性質なんですね。花言葉が『心変わり』だとかで、転じて『錯乱した心を変化させ鎮める』という概念で構成したとか言ってました」
「へぇ、詩人だな~。ボクの知ってる花言葉だと『無情』『冷淡』とかだけど、きっと青い時の花を見た人が付けたのかな?ホントいろいろな意味もってそうな花だね」
おかしい。
こんな不安定な花で……それも様々な意味が混在する花言葉を持つのだ。
心に変化を促すことがあるとしても、『鎮める』とはイメージが合わない。
特性を概念としているのなら、少し性質が的外れなモノになっていそうだ。
気持ちが悪い。
何か喉の奥に支えたような嫌な感覚。
答えが出掛かっているのに、上手く表現出来ない。そんな感覚だ。
「しっかし、すっげぇ甘い香りだな……こんなの飲めるのか?」
「あ、ペヨーテの苦味がキツイらしいんで、蜂蜜で甘くして飲みやすくしたんですよ」
「そりゃ、本末転倒てヤツじゃねーか?甘すぎるだろ?コレ」
ゼルがゲンナリした様子で薬湯の入ったティーポットを見つめる。
そして気になる言葉を放った、
「大体、あのねーちゃんなら、苦いお茶も大好きだろう?」
……え?
苦いお茶が……好き?
「あ、あれ?リルドナって凄い甘党だったんじゃ……」
「んにゃ、お茶菓子は甘いのが好きらしいけど、お茶の方はそれを引き立てる苦いモノが良い時がある。とか言ってたぞ」
「あー、昨日の紅茶談義の時言ってたね、東方では甘い豆のジャムがあるらしいんだけど、それに合うとか言ってたね」
どういうことだ?
リルドナ自身は苦いお茶でも飲める、つまりワザワザ甘くする必要は無かったんだ。
それなのに、蜂蜜一瓶使ってまで甘くした。
その理由は――、
「……最初から、自分で飲むつもりだった……?」
それは意識を失っている人間に飲ますこと前提だから、リウェンが仕方なくリルドナの身体に入って動かすしかなかった……、
いや、そもそもそれがわかっているなら、何故経口摂取が必要な薬湯という手段を選んだ?
姉の身体に乗り移るという手段前提で、何故薬湯を飲ませようとした?
「……逆か?」
身体に乗り移るのが手段じゃない……身体を乗っ取るのが目的だったら?
では、リルドナの身体を使って何がしたかった?何をしていた?
『このまま薬効を利用して、頭の中の不純物を取り除いていきますね』
あの時は、その場の勢いで深く考えなかったが、そもそも『不純物』てなんだ?
普通に考えて脳内に物理的な異物が入るとは思えない、脳内分泌物質ならあり得るが……『不純物』ではない。
それはリルドナを錯乱させている因子か?それとも概念か?
彼女の身に何が、どういう異変があったんだろう?
『……むむ、視界が真っ赤です』
これは何の比喩だったんだろう?
脳に、頭に悪影響を及ぼすモノ、『赤』とはなんだろう?
頭痛に悩まされる、それも風邪などの疾患が原因でなく、精神的なモノで来ることは俺もよく経験している、『心配』『不安』『焦燥』様々な感情の大前提にあるモノは
…………『記憶』か?
悪い記憶を、嫌な記憶を……どうするんだ……。
『何食わしたらそんな色になるんだ?』
待て……。
『うげ……赤紫の芋虫かよ』
待て待て……。
『名前には意味があり、概念を成します』
そう意味がある……。
これが、ペヨーテの入った紫陽花……ではなく、赤紫の芋虫……だったとしたら?
そして芋虫というのは、一般的に植物の葉を食んで育つ。
『姉のことだから綺麗サッパリ忘れてるかもしれませんよ?』
リウェンには確信があったんだ、リルドナの頭からソレが消え失せていることに……。
薬湯を『葉』を蝕む芋虫とするなら……その『葉』は――っ!?
「すみません、ちょっとリウェンの様子を見てきますっ!」
突然の言葉にゼルもロイも首を捻っていたが、説明している時間が惜しかった。
俺は一人、リウェンの元へと駆け出していた。
厨房のドアノブに手を掛け、ゆっくりと回す。
別に息を殺して、そっと忍び寄るつもりは無いのだが、コートの裾に隠し持ったソレの居心地が悪く、ついつい慎重な動きになってしまっている。
ドアを静かに開け放つと、こちらに背を向け作業をしているリウェンの姿が目に入った。
朝食の準備はほぼ整っているようだ。
彼女は振り向かずに、静かに問いかけてくる。
「おや、つまみ食いですか?」
「そうだな、真っ赤な真っ赤なストロベリージャムが欲しくなってな」
「あら、それは残念です、スッキリ青いブルーベリーにしちゃいましたよ」
そう言い、静かに振り返る彼女の瞳は
「――っ」
……すっかり赤見が抜けて青紫へと変貌していた。
彼女は冷淡に嘲るようにくすくすと笑う、
「やっぱりニブイですね?もう少し早くに来ると思いましたが……間に合いませんでしたね?」
芋虫が蝕んでいたモノ、
――――それはリルドナの『記憶』だ。
~・~・~・~・~・~
目の前の少女が、くすくすと笑っている。
もうすっかり見知った顔だ、黒髪の綺麗な幼さの残るものの整った顔立ちの少女、リルドナだ。
でも中身は違う。彼女の妹リウェンが入っている、だから表情も若干違うし、滲み出る雰囲気も違う。
だが、今はそれ以上に『違い』が顕著だった。
「……なんだよ、その『眼』は…」
リルドナの象徴とも言うべき赤瞳は、すっかり青紫へと様相を変えていた。
そのドロリと淀んで見える瞳をこちらに向け、語り始めた。
「ですから、『間に合いませんでしたね?』と申し上げたんです、終わったんですよ」
「……何を、だよ……いや、今更だな。『浄化』てヤツが、か」
「ご名答。と言いたいところですが……ヒントは沢山差し上げたつもりです、ご判断可能なのでしょう?」
左手に携える魔導書をビシッと突きつけてくる、
「何をだよ、」
「わたしの言葉の真偽が、です。看破できるのでしょう?」
この少女は嘘をつく時に、ある癖がある。
俺はそれを偶然にも気付いた、本当に偶然だ。何せ、本人すら気付いてない癖だ。
ただし、全ての発言に適用されるモノではなく『ある言葉』が含まれていなければ、さすがに判断出来ない。
「さぁな、やたらと嘘だらけだったのだけは確かだな?」
「やっぱりわかるんですね?」
「あんだけあからさまに嘘つかれたら、な?」
俺の対応に、くすくすと笑いながらさらなる切り返しを見せる、
「それも想定内です。逆にそこからわたしの癖というのが何なのか割り出せると思いまして」
「随分と頭痛になりそうな解析をしようとするんだな」
「ええ、エインさんの行動は大体は読めましたので、そこからのパターンを――」
「そうか、でもこういう展開は読めなかったんじゃないか?」
言うや否や、コートの裾に隠していた『ソレ』をさらけ出す、
「――っ!?」
突如姿を見せた『ソレ』に彼女はギョッと驚愕の感情を抱いただろう。
――山羊脚レバーを倒し発射可能状態のクロスボウ、
そのまま照準をピタリとリウェンの顔に合わせ、躊躇わず一気に発射レバーを握りこむ。
引き絞られた弦が開放され、ビュン!という風切り音が響き渡る。
「――なっ!?」
血相を変えた声を漏らしながら、彼女は咄嗟に床に転がるようにクロスボウの射線軸から、その身を逃す。
突然の不意打ちにも関わらず、瞬時に判断し回避行動を取るリウェンを見つめ、俺は二つの確信を得た。
「な、なななななな……なんてことしやがるんですかーっ!?」
「避けた……な?」
「あ、当たり前じゃないですかーっ!」
突然の出来事に怒気を露にし、顔を怒りにひきつりそうになるリウェン。
「……あっ」
ピキィ!という陶器の割れるような音が響いた、
「も、もうっ!」
途端に慌しく、自分の頬をわしわしと撫で始めた。
「――?どうした?」
「い、いえっ。なんでもありませんっ」
「まぁ、脅かして悪かった、実はボルトは番えて無かったんだ」
クロスボウを指し示してから、厨房のテーブルに無造作にゴトンと置いた。
そこには水仕事する為に再び脱いだケープがキチンと畳まれて置いてあった。
「……。悪戯にしては、いくらなんでも度が過ぎますよ……?」
辛うじて、精神を落ち着けたのか、表情がまたもやクール系のお澄まし顔に戻っていた、ある意味ここまで表情をキープできるのも凄いと思う。
「でも、お陰でわかった」
「はい?どういう意味です」
「終わってないんだろ?『浄化』。」
「……」
彼女は俺の指摘に押し黙る。
「お前言ったよな?『普段なら、わたしが障壁を張ったりするんですが』って、他人に障壁張れる人間が自分に張れないワケがない、なんで張らなかったんだ?」
「……」
「張らなかったんじゃない、張れなかったんだろ?」
リウェンは一向に答えない、それでも構わず俺は続ける。
「使いたくても使えない理由、それは『浄化』が終了してないからだ。そして、そのことを隠すかのように嘘を並べた……」
「……」
「お前は、俺に術式を中断されることを危惧している、違うか?」
尚も押し黙り、口を閉ざすリウェン、俺の推測が見当違いだったのかと不安を感じ始めた、
その時――青紫に染まるドロリと淀んだ瞳がギロリとこちらを向いた、
「――グッド!実に良い洞察力です、まさかこうも泥を塗られるとは想定外でしたよっ!」
「――どうして、そうまでして記憶を消去しようとする?」
俺を見据えたまま、コッコッコッと歩いてくる。
そして、左手に携えた魔導書をクルリと回し、
「Knox's Ten Commandments……Article2」
「な、なんだって?ノックス……テン?」
「All supernatural or preternatural agencies are ruled out as a matter of course.」
サラリと詠唱する中身はノックス十戒だろうか?
普段の英国語ではなく、米国訛りの為、咄嗟に上手く聞き取れなかった。
「ですから『探偵方法に超自然能力を使用してはならない』と申し上げたのです」
「何がだよ?」
「姉の……『赤の明晰』で『断末魔の記憶』を垣間見て、そこから犯人が割り出せたとして……それで解決して良いとお思いで?」
「良い悪いじゃねぇだろ?これは推理小説じゃないんだ、裏切る読者の心配も無いっ」
「出来っこないですよ、そんな手段で受け入れられるワケないじゃないですか」
「ふざけるな!人が二人も死んでるんだぞ!?」
「まだわからないんですか?」
激昂しかける俺に、哀れむような蔑むような瞳を向けてくる。
「おい、まさか『それは面白くないから』て理由じゃないだろうな!とにかく直ぐに術式を切れ」
「Curiosity killed the cat.」
サラリと綺麗すぎる英国語で何かを語った――が、
「――? なんだよそれはっ!?」
思わずリウェンの胸倉を掴み引き寄せた、
俺と彼女では随分と身長差がある為、彼女はやや苦しそうに呻く。
「お断りします。……あと、この制服って実はサイズ合ってないんで無理に引っ張らないでくれません?」
リウェンの言うとおり、サイズが合ってないのか、胸元から襟首にかけて、大変なことになりそうになっている。
――が、
「話を逸らすな、まずは『浄化』を切れ、嫌なら腕ずくでも――」
「おや?『腕ずくでも』どうするんです?殴りますか?そうですね、殴ってわたしの意識を奪えば術式も中断されるでしょう……ですが」
右手で掴みかかった俺の手を嘲笑うかのように撫でる、
「貴方は女性に手を上げないんじゃなかったんですか?」
「……くっ」
俺が女の殴らないという心の誓いが既に知られているようだ。
その上で俺の神経を逆撫でしてくるようだった。
「ある小説家は、自らの作中で登場人物である主人公にこう語らせました『女の挑発というものは男をどんな形であれ、興奮させてしまう』と」
「何の話だよ!」
胸倉を掴みこんで問い詰めているのはこちらなのに、リウェンは依然として余裕の嘲笑を浮かべている。
どっちが問い詰めているかわからなくなりそうだった。
「ちなみにです、そのお話ではその主人公は相手の女性を乱暴に殴りつけてしまいました、それこそ血みどろになるくらいに」
そして、掴みこむ俺の手を艶かしく指でなぞりながら、
「エインさんは――大丈夫ですよねぇ?」
下から覗き込むように俺の顔を見据えるリウェン、くすくすと笑う声が止まらない。
その目は語っている。『さぁ、殴れ、殴ってみろ』と。
「ぐぐ……」
激しい葛藤に思わず呻き声が漏れる、
立場がまるで逆転しまったようだ、このまま『挑発』され続けたら取り返しのつかないことになる気がする。
――て、待て。
おかしい。
俺はこんなにも攻撃的な人間だったか?
もし、そうならとっくに別の冒険者を殴っている気がする。
「おい……俺に何をした?」
「……。何のことでしょう?」
素っ気無く返事をする彼女の顔はやはり感情の読めないお澄ましフェイス。
知らずの内に何か精神干渉の魔法を掛けられた?
もし、そうなら心当たりがある。
「あの時か?『浄化』発動時に同時にいくつか術式を起動してたよな……三つ、いや四つか」
「……。『いえいえ、あれは七つですよ』とでも、まんまと引っ掛ってお答えすれば満足ですか?」
「本当はいくつなんだ?」
「回答拒否、そう簡単にお答えしませんよ」
別にそれが知りたいワケじゃない。
気が逸れればそれで良かったんだ。
お陰で、別の手を思いつけた。
「片手でいろいろ不便そうだな?」
「……そうですね」
「お前も左利きだよな?」
そう言いながら、胸倉を掴む手を解き、リウェンを開放する。
「それもさっきと同じか?使いたくても使えない……だろ?」
「……」
都合の悪い話なのか、さっきから黙秘が多い。
「左手に魔導書を持っていないとダメなんだろ?」
彼女がリルドナの身体に入ってから片時も左手から魔導書を手放していない。
左利きにも関わらず、あらゆる作業を右手でこなしていた。
流石に文字は書けないのか、文書記録やカードへの魔方陣書き込みは俺に委託したワケだ。
「その魔導書を持っていないと状態を維持できないんだろ?」
「何を根拠に?ご高説、拝聞させて頂きましょう」
そう告げながら、彼女は例の『一日三時間は練習しているポーズ』を取ってみせる。
「確か、この宿舎がお前の通信可能距離ギリギリだったんだよな」
えぇ、と彼女は頷いた。
「なら魔力による干渉もほぼギリギリと見て間違いない。他人の身体を動かすという魔法にどれだけ魔力が要するかわかんねぇし、魔法校主席卒業のお前の魔力の容量どれだけ凄いかは想像も付かない」
それで?と彼女は淡々を先を促す。
「お前の実力の底は想像も付かないが、そんな高等な魔法……干渉射程ギリギリで使用可能なのか」
それで?と彼女は淡々を先を促す。
「では、どう可能にするか、だが……ここでさっきの通信可能距離の話題に戻る。あの時、危機感知は生きていると言った。これが何を意味するのか」
多分、危機感知だけでなく、補助術式は全部生きてる筈だ。
だから?と彼女は淡々を先を促す。
「その魔導書自体が魔力を持っていて、そこから魔力供給をしているに違いない」
その指摘に彼女は、くすくすと笑い始めた。
「つまり、魔力の供給源である魔導書を奪えば、『浄化』はおろか、リルドナの身体を借りることすら出来なくなるはずだ、違うか?」
「グッド!概ね正解です。仰るとおり、わたしはこの本が無ければここに存在することすら出来ません、実にグッドです……何よりも」
彼女の冷淡な声に鋭さが増し、ゾクリと悪寒が走った。
「その詰めの甘さが実にグッドですよ!」
その瞬間、リウェンが視界から消えた。
「――なっ!?」
慌てて視線を走らせると、視界のずっと下。ただでさえ小柄な身体をしゃがみ込むように小さく畳んだ彼女が目に飛び込んできた。
俺が反応して身体を動かすよりも早く、リウェンは圧縮されたバネが弾けるように一気に力を解放した。
「……くっ」
立ち上がりの屈伸運動と振り上げる脚の力を併せた凄まじい蹴りが俺の喉元寸前でピタリと止められる。
「今ので気管支断裂ですよ?これで一回死にました」
女性特有の身体の柔らかさか、この身長差にも関わらず高く上げられた脚は、俺の顎の高さにまで達していた。
リウェンの言うとおり、もし彼女が寸止めしていなければ喉笛を蹴り潰されて即死していたかもしれない。
「いきなり何を――」
突然の暴挙に思わずリウェンを掴みかかろうとするが……
再び胸倉を掴めることはなかった。
「――うわっ!?」
一歩踏み出した瞬間に、体重の乗った方の足が一瞬で払われ、勢い良く転倒する。
グシャリと無様に床に突っ伏す羽目になった。
慌てて立ち上がろうとするが、トンと首に何かが軽く当てられる。
「これで、頚椎損傷です。二回死にましたね?」
のそのそと身を捻って仰向けになりそちらを見ると、首のあった空間に黒いパンプスのヒール部分が軽く押し当てるように突き出されていた。
もし、彼女が全体重をかけて踏み抜いていたら首の骨が砕かれ再起不能になっていたかもしれない。
その『あと一歩踏み込んでいたら死んでいた』という事実に寒気が走る。
「な、何すんだよ……」
「だから『甘い』と申し上げたんです。わたしを追い詰めるなら、先程の胸倉を掴んだ左手……離すべきでは無かったですね」
器用にも左手に魔導書を持ったまま、三回目は本当の死ですよ、と腕を組んでこちらを見下ろしている。
「――確かに、今のわたしは魔法は使えませんし、身体能力も一〇代の少女のモノでしかないですよ?」
俺を見下ろしながらも、だからこそですよ?と続ける。
「このわたしが何も備えてないとでも思ったんですか?」
それは……何かしらの護身術、いや、暗殺術か何かを身に付けている、ということか。
それよりもこの動き…普段のリウェンからは想像も付かない身のこなしだ。
「そもそも、わたしは一言も姉の身体を借りるのが初めてとは言ってませんし」
……つまり、過去に数度に渡ってリルドナの身体に入り込んで『使い慣れている』ということか。
「単純に腕力だけなら、エインさんに押さえ込まれたらそれでアウトですよ?その程度の筋力しかありませんから」
しゃがみ込み、俺の顔を覗き込みながら、それで充分なんですよ?と続ける
「それだけの筋力があれば人は殺せます」
「可愛い顔して物騒なこと言うなよ……」
だが……、
――それは先程のクロスボウの威嚇でわかっていたことだ!
「お前こそ詰めが甘いんじゃないか?」
「はい?」
俺は意識を集中し、指先に魔力を集める、
確か、俺の回復魔法は『元ある姿に』というヤツのはずだ。
なんでも『対象の状態変数を恒常状態へと数値修正する』とか小難しい概念だが、要は異常を正すということだろう。
それなら、本来の身体の持ち主であるリルドナ以外のリウェンの意識や『浄化』の術式などひっくるめて『異常』として排除できるのではないだろうか?
「――グッド」
だが、俺が光の線を引くよりも早く、右の肘関節ごと鷲づかみにされる。
「お利口さんです。ちゃんと覚えてらっしゃったんですね」
出来の悪い生徒を褒めるように柔らかい口調で語りかけてくる。
「では、このままお勉強です。
今、わたしは血流を阻害しちゃってるワケですが――さて、そもそも血液は何をしてくれるモノだったでしょうか?」
「い、いきなり何だよ、全身に酸素を運ぶ為、……じゃないのか?」
「グッド、ごく一般的な回答ありがとうございます。
全身の細胞に栄養分や酸素を運搬したり二酸化炭素や老廃物を運び出すための媒体である――ここまでが科学です」
俺の右肘をガッシリと掴んだまま、それはですね、と続ける。
「生物が生物であろうとする精、つまりは生命力を走り巡らせる為の滑走路とでも申し上げましょうか?」
指先に集めた魔力が霧散させられていく中、そしてですが、とリウェンは言葉を止めない。
「魔法を行使する為の燃料である魔力は……生命力から精製されます」
つまり、とリウェンは軽く咳払いをする。
「魔力と生命力と血は密接な関係にあるんです」
かまわず魔方陣を引こうとするが、光の線が全く引けない。
「つまり、血流を止めてしまえば、魔力は精製できません」
「く……!?は、放せっ」
振りほどこうとするが、全く力が入らない、
彼女の細い指が俺の肘に食い込んでいる。
こんな少女の細腕の小さな指先なのに振りほどけない……。
「無理ですよ、
動脈と神経をピンポイントで掴んでるんで。……あともうちょっと力を入れますと――」
その瞬間、右腕全体に激痛が突き抜けた。
「ぐがぁぁぁああああっぁぁ!?」
痛いなんて生易しいモノじゃない!
危機感や恐怖を覚える感触だ、我慢できるできない以前の問題だろう。
「痛いでしょう?大して力なんて掛けてないんですけどね」
必死に振りほどこうと試みるが、左肩を踏みつけられ動きを完全に封じられる。
小柄な少女くらい振り落とせ、と思うかもしれないが、この激痛の中ではそれすらままならなかった。
右腕が肩からもげるんじゃないかと思うくらいの激痛に身を震わせていると、目の前でひらひらと手を振られる、
「もう、放しているんですけど……知ってますか?捻挫などで炎症を起こしたときに一番回復が遅いのが……実は神経なんだってこと。骨や関節、それを支える筋肉が正常に戻っても神経だけが炎症を引き摺って痛みが続いたりするんですよ?」
「くそっ!生々しい解説はいらねぇ……!」
声を荒げて虚勢を張るが、激痛のため右腕全体が動かせなくなっていた。
そればかりか、先程踏みつけられた左肩もおかしくなっている。
動かなくは無いが、目の前の少女を掴んでどうこうする、というのは無理だろう。
「もうやめませんか?
わたしだって、好き好んでエインさんを痛めつけたいワケじゃないんですよ?」
「ちっ、人の両腕封じておいてよく言うぜ……」
両腕を殺され、ほぼ完全に無力化されてしまった。
それを踏まえてか、リウェンは勝利を確信したかのように、
「ほらほら、立ってください、両足で。折角、姉が修繕したコートが皺だらけになってしまいます」
そう言いながら、激痛でおかしくなった俺の右腕をグイグイ引っ張る、
「ぐぎがぁ!?」
さらなる激痛に襲われ、否応なしに立ち上がらせられる。
激しい痛みの連続で、立ち上がったものの朦朧としていると、
「えいっ♪」
スルリと首に細い腕が巻きついてきた。
咄嗟に絞められるっ!と身を強張らせるが、腕がそれ以上巻きついてくることは無かった。
「大丈夫ですよ、そんな絞めたりなんてしませんから」
「…じゃあ、どういうつもり――」
彼女に問おうと、目線を下げてギョッとした。
――近い!
リウェンは、俺の正面から首に抱きつくように腕を絡ませて来ている。
つまり、俺の顔の正面やや下にはリウェンの顔があるのだ。
もう、お互いの鼻と鼻が当たってもおかしくないくらいの近距離で!
場合が場合なら、ドキマギしそうな構図だが、今はそんな場合じゃないし、何よりも……そのドロリと淀んで見える瞳を突きつけられると、もうそんな気持ちを抱く気にもなれなかった。
「エインさん、わたしの瞳が見えますか?着々と青く変化していってるんですが、もうちょっとなんですよ」
「その変色が……術式完了の目安ってワケかよ」
俺の質問を肯定するかのように澄ました表情のまま微笑むと、ですので、と付け加える。
「このまま大人しくしていてくれませんか?」
「……はぁ?」
「このまま『浄化』終了まで、です。そしたら一緒にスコーンを食べましょうよ、ブルーベリーだけじゃなくて、ヘーゼルナッツ・シロップもあ――」
「ふざけるなっ!人が二人も殺されてるんだぞ!?暢気に朝食なんて食ってられるかよっ」
リウェンは俺の首に抱きついたまま、はぁ~と大きなため息を漏らし、
それで?と問いかける。
「故人を悼む気持ちはわからないでも無いですが、それでどうなるんです?彼らが生き返るんですか?貴方はここに何をしにきたんです?不慮のアクシデントでお亡くなりなられた方を悼む為?わたしと一緒に探偵ごっこ?……違うでしょう?」
「そんなのわかってる、でも……手を伸ばせば掴めるところに手掛かりが見えているのに、何もしないわけには――」
無理やりに辛うじて動く左腕を持ち上げ、
「――いかねぇだろぉ!」
そのまま光の線を引こうとした、
「……。結印方陣は本来、高等技能です、利き腕でもない方の手――それも負傷した状態では魔方陣なんて引けませんよ?」
「うるせぇよ!」
痛みを抑え込んで、光の線を走ら――
「もうやめてください……、痛い思いをするだけです……」
なかった。光った指先が数ミリ尾を引いただけだった。もう魔方陣の『円』どころか、『線』にすらなっていない。
いくら俺が必死に喚いても動かしようの無い事態。
たかが一〇歳半ば程度の少女に軽くあしらわれ、無力化されて手も足も出ない、
ひたすら無力だった、その現実に俺は無念さを押し殺して、ただただ歯噛みするだけ……
「――と見せかけて」
突如、不敵にニヤリと笑ってみせる俺。
「は、はいっ!?」
「悪いな、化かし合いは俺の勝ちだ」
その瞬間、リウェンの眼前に淡い光がボウゥ…と灯り、ヒール効果が発動する。
正確な対象は、リウェンの瞳。
最もリルドナの外見から変化している部位だ。そこが何かしらの術式が稼動している部分に違いないからだ。
「な、なんで!?え、えええええええぇぇぇ……!」
リウェンの顔がヒールの光に包まれ、突如パリンッ!と甲高く何かが割れる音が鳴り響いた。
「お、おい!?何か割れたぞ?」
「あ、あひぃ?」
果たしてヒールの光が収まり、その中から覗かせたリウェンの顔は、すっかり例のお澄まし顔では無くなっていた。
顔を真っ赤に染め、上目遣いに潤ませた赤い瞳が、どことなく泣き出しそうな子供に思える。
昨日の朝、出発前に鼻を摘まれた時に見せた子供っぽい顔だ。
ただ一つ違うところは、顔だけでなく瞳まで真っ赤というところだ。
「ひ、ひぇぇぇええええええええええぇぇ!……ガ、『儚い虚勢』がぁぁぁあ!?」
もう彼女は完全にパニックだった、
必死に自分の頬をわしわし撫でるが、もうクールな顔には戻れないようだった。
「ど、どどどどうして!?魔法が発動するんですかーっ?」
「いや、お前が構築してくれたシステムだぜ?『詠唱成功率:百パーセント固定』ってな」
そう、彼女が俺のために魔導書に構築した補助効果の一つにソレがあったんだ。
百パーセント固定なのだから、どんな不出来な詠唱手段でも無理やり魔法を完遂してしまう、なんとも力技な方法だった。
「で、でもですよっ?さっきエインさんは、魔方陣どころか、光芒線すらまともに引けてなかったじゃないですか?そんなのでヒール詠唱の認識してしまったら、他の魔法を扱う際にも誤作動起こしちゃいますよっ!?」
「いやーなんていうかな……」
種明かしの時間だが、なんとも情けない理由だった。
それは――
「使えねぇんだ」
「はい?」
彼女は意味がわからず、キョトンとする
「いや、他の魔法は一切習得出来てないんだ……ヒールしか使えないんだよ」
「は、はいぃぃぃ……!?」
「要するに…結印方陣を使おうとするイコール、ヒールを使用準備てことになるみたいだな……暴論なのはわかってるけど、実際発動しちまった……」
「め、メチャクチャすぎますよぉ……」
半分以上賭けだったが、見事、予想通りに機能した。
……おそらく、優秀な魔術師であるリウェンにとって、魔法が一つしか使えないという事態が完全に頭になかったのだろう。
優秀な故の盲点、そこに心理的な付け入る隙があったというワケだ。
「や……やっぱりズルイです……」
すっかり表情の変わり果てたリウェンはまるで別人のように、弱々しく泣き出しそうに見え……
……。
そういえば思い出した。『場合が場合だけに、ドキマギしない』と思っていた、そもそも相手の表情と瞳が『そんな気分』にさせない為だった。だから変な気も起きなかった。
――でも、
今のリウェンの顔は……今、間近にある少女の顔は、頬を赤く染め、潤んだ瞳で、しかも上目遣いで、ふるふると震えて……。
「や……」
ついさっきまで、あれ程揺るがなかった表情がどうして?
「やっぱりダメぇぇぇえええ!」
「うぐぁっ!?」
首に回された腕をホールド状態のまま、勢い良く振りぬかれ、ギュルン!と回転する視界と共に投げ飛ばされる。
両腕が殺されているので咄嗟に身体を庇うことすらできない。
「いってててて、何か……雰囲気が激変してないか?」
「す、すみませんっ!ダメなんです……わたし『儚い虚勢』が無いと……破壊されてしまうと、う、上手く感情を……」
よくわからないが、先程割れたのはソレなんだろうか、何かの補助魔法か何かだろうか?
「じ、自覚はあったんですよ……」
「む?何の話だ――」
待てよ?
『お前恥ずかしくないのかよ!?』
『だって私の身体じゃないですから』
コレ、そういえば嘘だったんだな……。
「――てコトは……まさかお前…」
リウェンは顔を真っ赤にしたまま俯いてしまった。
とどのつまり、
――本当は滅茶苦茶恥ずかしかった!?
「で、でも表情を隠せば恥ずかしくないというか……」
「はいはい!そこ何か間違ってる上に、余計な努力しすぎっ!」
「いえ、そんなことよりも――」
まだ何かを言おうとした瞬間、
「あ――」
リウェンはカクンと糸が切れた操り人形のように膝から砕け崩れる、
「おいっ!どうした!?」
咄嗟に辛うじて動く左腕をリウェンの脇に差し込むよう絡ませ、ギリギリ転倒を回避する。
「……参りました、完膚なきまでに術式が破壊されたようです……『浄化』再構築はおろか……わたしという憑依体の維持すら適いません」
俺の腕の中で、リウェンがぐったりと脱力していくのがわかった。
「残念ですが、もう残された時間も僅かです……あーあ、一緒にスコーン食べたかったなぁ……」
「おい、リウェン?」
理解が追いつかない発言に、問い直そうと顔を見ると、目は虚ろになり息も上がっている。まるで重病人のようだった。
「エインさん……『浄化』が中断された為、中途半端に記憶が残っている可能性が……あります」
「……間に…合ったのか?」
「そーですね、貴方の勝ちです……ですが、お願いです。無理に姉にその記憶を掘返しさせないで……下さい」
それでも尚、『断末魔の記憶』の提示を良しとしないようだった。
何故、そこまで拒むのだろうか。
「おいおい、お前まさか……」
「いいえ、わたし達は犯人とは関係ありません」
「じゃあ、なんで証拠の可能性を遠ざけるんだよ?」
「…そういう……問題じゃないんです、わたしは姉のことを第一に考えてるだけです、他意はありま…せん」
この言葉に嘘は無い、確実に本当のことを言っている。
だが、情報が無さ過ぎる、説明不測もいいとこだ。
「信じてください……」
さすがに重病人のような顔で懇願されてしまうと首を縦に振るしかない。
「……ありがとうございます、エインさん、この先もどうかご無事で……」
目を閉じて、まるで眠りに落ちるように、静かに、深く、リウェンの気配が消えていくのがわかった。
俺が見守る中、微かに口を開き、それと、と付け加える。
「――お大事に」
それを最後に、完全にリウェンの気配は消えてしまった。
……。『お大事に』とはどういう意味だ……?
「おい、リウェン」
呼んで見ても、もう反応は無い。
瞳を閉じ、静かに眠る少女は何も反応しない。
――筈だった。
「「えっ!?」」
突然、閉ざされていた瞳がパチリと開き、二人同時に声を上げる。
咄嗟に判断が追いつかない。
目の前の状況がすぐに理解できないでいた。
「あ、あれ……?な、なんでアンタが……?」
俺の腕に支えられた目の前の少女も思考が追いつかず、キョトンとしている。
が、時間経過とともに、顔が見る見る真っ赤に染まっていく。
彼女は自分の服装が乱れていることに気付きノソノソと視線を泳がせた後、『ある一点』に気付きピタリと動きが止まる。その視線の先には……大きく乱れた胸元、
「あ……」
なんだか可愛らしいピンク色の布がチラチラと顔を覗かせていた。
「ね、ねぇ……?」
「あ……え、えーっと……?」
さぁ、皆、一緒に状況を整理してみよう。
それも彼女視点で。
・気が付くと、何故か目の前に無能がいる。
・何故か、目の前の男に身を預けている。
・しかもしっかり腕を回されて抱かれる形で支えられている。
・ていうか、顔が凄い近い位置にある。
・さらに、着ている服がやけに乱れてる。
・さらにさらに、胸元の乱れが酷い。
・ついでに、目の前の相手もイロイロ服装が乱れている。
さて……ここから叩き出される結論は!?
「あたしに何をしようとしたぁぁぁああぁぁぁぁぁ………!!!!」
その後、
両腕を殺されている俺は、容赦なくリルドナのフルコンボをノーガードで全段貰うことになった、
――と、いうことは言うまでも無いことだろう。
……。
…。
……理不尽だ。
~・~・~・~・~・~
俺こと、エイン=エクレールは何かと痛い目を見る人間だ。
巨大な誤解をしたリルドナに、問答無用でライフを開幕九割持っていかれそうな七四ヒットコンボを叩き込まれ、顔もボコボコにされた挙句、口の中が切れてまともに喋れなくなった為に詠唱も出来ず、両腕が殺されているので無詠唱術式も使えず、何気に人生のピンチに差し掛かっていた。
そして、リルドナが治療と称して、東洋の何やら怪しげな整体だか指圧だかわからないモノでゴリゴリとか、ベキベキとか……もうそのまま殺されてもおかしくない激痛に曝されるのだった。
なんだか、もう出発前から既にボロボロだったりするのだ……。
「つくづく、生き残れてるなって思うぞ」
「はぁ?いきなり何よ」
朝食に使った食器を洗いつつ、俺の言葉に噛み付いてくる。
あの後、意識を取り戻したリルドナは記憶をある程度書き換えられてしまっていたのか、『自分は今朝食の準備をしていた』という認識でいた。
リウェンの施した『浄化』という術式の詳しい内容まではわからなかったが、記憶を弄られていると見て間違いなかった。
幸か不幸か、術式が完全に終わる前に中断させてしまったのだが、果たしてリルドナの記憶がどう変化したのかまでは、よくわからない。
「しっかし、さっきのは痛かったぞ……なんであんなにグイグイ、ゴリゴリ押すんだよ?」
「あのね?気脈が乱れてるから痛いのよ、痛いということは、それだけ効いてるってコトよ」
食器を洗う手は止めずに、そもそもね?と続ける。
「そんなに力も入れてないわよ?」
「やられてる方としては、あのまま殺されるかと思ったぞ……」
「失礼ね、ちゃんと腕も動くようになったでしょ?」
そう、あれ程までに痛い目を見た甲斐もあってか、激痛で動かせなくなっていた右手が動くようになったのだ。
右手が動けば、あとは回復魔法で、口の傷も左腕も治療できる。
もう、ひたすら魔方陣を描きまくるだけのカンタンなお仕事でした。
「――それにしてもさ、アンタ……」
リルドナは急に歯切れの悪い口調へと変わる、
「なんだよ?」
「……誰にやられたの?」
「……」
咄嗟に押し黙ってしまった。
いくらリウェンが動かしてたとはいえ、その身体はリルドナのモノだ。
厳密に言ってしまうと、俺は目の前の少女に腕を殺されたことになる。
「……やっぱりあの子かしら?」
「なっ!?」
「あの子が……あたしの妹が来たんでしょ?
……あたしの身体を使ってアンタを痛めつけた、違うかしら?」
「……なに…を?」
もしかして、リルドナは知っている?
自分の身体を乗っ取られたことを記憶しているのだろうか。
「アンタの腕、外傷や捻挫とかの形跡は全くないのに、神経だけやられてたのよね、こんなことが出来るのはあの子くらいしかいないわ」
「……そ、そうなのか?」
そうよ、と頷きながら、次々と食器を水を漱いでいく、
「あの子ったら、あたしが全く気付かないとでも思ったのかしらね」
「お前……もしかして知ってたのか?」
「あははは、いくらあたしでも気付くわよ」
食器を洗う手は止めずに、何回もあるしねーと小さく笑う、
「そういう時って妙に頭がスッキリしてるのよね」
それは、恐らく『浄化』による、記憶の削除の所為だろうか?
「……その割に記憶がなんだか薄っぺらで、自分のモノでない感じ。あたしは確か、スコーンをティータイム出すつもりだったのに、なんで朝食に回したか全く思い出せないし、理解できないわ」
記憶はなんらかの書き換えがされているが、『意思』や『想い』というモノまでは干渉できないのかもしれない。
「それになんだか、下半身が疼くというか……」
「……おい?」
俺の言葉を選べ、という視線を感じたのか、慌てたように、そうじゃないのよ?と
「ちょっと腰とか脚の筋肉が張ってるのよね、履き慣れてない靴で遠出したみたいに」
「……なるほど」
これは、姉妹で歩き方が微妙に違う所為だろう、普段使わない筋肉を使われたに違いない。
「その、なんだ……リウェンは」
「うん、わかってるわ。あたしの為にやってくれたんでしょ?」
「随分とあっさりしてるんだな?」
俺の問い掛けに、だってそうでしょ?と柔和な笑みを浮かべる。
いつの間にか、洗い場の中にある食器は全て洗い終わっている。
「――あたしの妹だもん、
妹のことを信じるのは、姉として当たり前じゃないかしら?」
「……。お前やっぱりバカだな、姉バカだ」
「はぁ?なによ」
「褒めたんだよ」
先程、俺はリウェンには姉の為にやったことだ信じてくれと言われた。
正直に言うと、俺は心の何処かで疑っていた、証拠隠滅の為に、何かしら工作をしているとさえ思った。
だが、当の本人はこの調子だ、微塵にも疑っていない。
なんだか俺一人が疑念を抱くのもバカらしく思えてくる。
「それにしても、何よ…その凄い色のは……」
「あぁ、それか。やっぱりお前も気になったか」
リルドナが気にかけた『それ』とは、例の薬湯『紫陽花の青虫』だ。
この赤紫でやたらと甘い香りを放つ続ける液体を見つめ、怪訝な顔を浮かべている。
「……何…入れたの?」
彼女の問い掛けに、俺は無言でテーブルに置かれたままの空き瓶を指差す、
「あ、蜂蜜?……って、全部使ったのっ!?」
「文句なら、お前の妹に言ってくれ」
ティーポットに投入したのは俺だが、指示を出したのはリウェンなのだ。
とりあえず、それはだな、と手短に説明しておいた。
「お前の為に用意した物だけど、もう必要ないだろうし片付けるか」
「片付ける……て、どうするつもりよ?」
「いや、そのまんま、捨てるとしか言えないけど……」
途端、リルドナはくわっ!と目を見開き、
「そんなの勿体無いわ!」
あたしの私物なのよ?と犬歯を剥き出しにして吠える。
「いやいや、こんなの飲めないだろ?」
「飲める、飲めない、じゃないのっ!飲むの!」
俺の制止も虚しく、リルドナはさっさとカップに薬湯を移すと、少し躊躇った後、確かめるように飲み始めた。
「お、おい?」
俺が見守る中、彼女の白い喉がこくこくと鳴るのが響いた。
「……甘っ」
「そりゃそうだ……リウェンも『蜂蜜の味しかしない』とか言ってたしな、もう何が入ってるとかわかんないだろ?」
彼女はゴクリと飲み込んで、ううん、と否定を述べる。
「わからなくも無いわ」
「本当かよ……」
またティーポットからカップへと注ぎ、コクコクと飲み始める、
いや、お前は胸焼けせんのか……?
「まず、色だけど……赤大根かな?……で、ちょっと鼻にくるスッキリ感が……生姜、あとは水仙、」
「あ、当たってる……」
薬湯を直接調合したのは俺だ。勿論、内容物は把握している。
その時の記憶と照合しながら、次々と材料を言い当てるリルドナの言葉に耳を傾けていた。
「んっ……この苦味なにかしら……深い深い苦味……うーん」
「あ、ペヨーテが入ってるからな、その味じゃないか?」
そもそもリウェンは、そのペヨーテの苦味を誤魔化す為に、蜂蜜をたらふく入れさせたんだろう。
「――て、コラ!勝手に解答をバラさないのっ!」
「……は?」
いつの間に素材当てクイズになったんだ?
と、言いたかったが、既にリルドナは眉を『ハ』の字にしてウンウン唸っている。
「……あと二つ…いえ、三つかしら?うーん……」
そして、またもカップに注ぎ直してコクンコクンと飲む、
「よく飲むな……」
「さすがにね、蜂蜜の味のアクセントが強すぎて、他の味が塗りつぶされ気味だからねー、その分何度も吟味しないとなかなか判明しないわ」
いや、おねーさん……、
そこは頑張るところじゃないから!
尚も、コクコク飲み続ける、意固地なノラネコ姉さんだが、
「あ――」
遂には完全に飲み干してしまった。
なんだかんだで綺麗に完飲できてしまった、
どさくさに紛れて見事に目標達成である。
「む~~~~」
「よくまぁ、飲み干せたな?」
「……ねぇ、アンタ」
「む?」
「もう一回、イチから作って!」
「いや、その流れはおかしいだろぉ!?」
俺のツッコミに、むーっ、と呻くリルドナ、
そこへ間髪居れずに、論理的に説き伏せる。
「飲むのは、薬湯に使った素材を無駄にしない為の手段であって目的じゃないだろう?」
すでに目的は達せられた、あとはその茶器を片付けるだけなのだ。
「手段の為なら目的を選ばないわっ!」
「いや、選べ!選んでくれ、選んでくださいっ!お願いだから!!」
俺のツッコミを尻目に、手際よくティーポットを水で漱いでいく、
放っておくと、本当に新しく薬湯を作り直しそうだった。
「一度考えたら、気になっちゃうのよ……て、あれ?水が……」
その言葉に覗き込んで見れば、汲んで貯めてあった水も残り少なくなっていた。
それもそうだろう。
リウェンは『現場検証』のあとにある程度は補充したとはいえ、それはモーニングティーを淹れるのに大半を使ってしまっている。
さらに、今は食器を洗う為に消費中なのだ、新たに薬湯淹れ直すほどはない。
「もうっ、仕方ないわね、ちょっと汲んでくるわ」
「そこで諦めるという選択肢は無いのか、大体お前は――」
待て。
汲みに行く……どこへ?
……井戸はマズイ、だってそこには――
「うーん……なんか凄い既視感が……あっ!」
直後、リルドナは額に手を当てて硬直する。
「痛っ……いたたたた、なにこれ……」
「おい、大丈夫か?」
そういえば、リウェンは言っていた、
『中途半端に記憶が残っている可能性が……あります』
やはり記憶は残っている、
俺が術式を中断させた為だろう、記憶は消去されずに残っているのだ。
「おかしいわね……なんだか水を汲みに行っちゃダメな気がする……」
『お願いです。無理に姉にその記憶を掘返しさせないで……下さい』
そうか、そうだったんだな。
何故、リウェンが頑なに拒み、何を守ろうとしていたのか……。
「なんか……すごく大切なことを思い出せそう……きっと行けばわかるわ」
リルドナはふらふらとした足取りで井戸へ向かおうとする、
「いや……行かなくていい……行かなくていいんだ」
それだけは絶対にダメなことだ。
再び『あの惨状』に直面するのは、今朝の騒動を一から繰り返すのと同じだ。
「……なんか変な感覚なのよ、上手く表現できないけど……
すごく大切なことが見えているんだけど、それを覆い隠すように赤い粘液みたいなのがベッタリこびり付いて、それが何なのか視えないの……」
「いや、考えなくていいんだ……」
先程の薬湯と同じだ。
深く詳しく中身を知ろうとすると、
どうしても一番強烈な味を何度も味あわなくてはならない。
つまり、事件の証拠となるような記憶を呼び戻すには、『断末魔の記憶』を何度も視て、彼女は再び『殺され続ける』ことになる。
「と、とりあえず、あたしは行く――きゃ!?」
強引にリルドナの頭を抱え込むように引き寄せる。
身長差の所為で、頭が丁度いい高さなのだ。
「Curiosity killed the cat.――リウェンが言ってたんだ」
「な、なによ?それって確か獅子の王国の諺じゃない、今関係あるの?」
抱え込んだ頭をそのまま左右に振りつつ、あるんだよ、と続ける
「この諺の意味は『なんでもヘタに首を突っ込むと、命がいくつあっても足りない』つまり『好奇心もほどほどにしなさい』ということだろ?」
「……えっと、そうだっけ?」
「お前、獅子の王国生まれの獅子の王国育ちじゃなかったのか……?」
俺の期待を裏切り、皆の期待を裏切らない、やっぱり彼女はINT3だった。
とにかく、その諺の意味はそれであってたと思う、昔、勉強したときの記憶にある。
エインさんは勤勉な紳士なのだ。
「始め、俺に対する警告か何かかと思ってた、『これ以上詮索するな』みたいな感じでな」
「あの子が?なんでよ」
「俺に『断末魔の記憶』を暴かせない為、だな」
「――っ!」
俺の発した単語に過敏に反応する。
何故、俺がこの単語を知っているのか?という警戒からか、もしくは……何度もこういうことはあったのだろう『死の体験』を味わう恐怖に身を竦めたのかもしれない。
「アンタの言い分だと……まるであの子が証拠隠滅したがってるように聞こえるわ」
リルドナの声にトゲが生えたような不機嫌さが宿る。
「悪いな……正直言うと一瞬そう考えたりもした、でもそうじゃない」
「違うの?」
「リウェンって結構強いよな……もし本気で手を出されたら俺殺されてるし」
「そうよ?あの子って魔法なしでも、あの足技があるしねー、たしか学生時代に『電光石火の魔術師』とか呼ばれてたような気がするわ」
「一体いくつ異名があるんだよ……」
なんだか、どんどんリウェンの清楚なイメージが壊れていく気がする。
「で、やっぱりその腕はあの子にやられちゃったのね」
「そうだな、最低限の自由を奪って無力化をする、そんな回りくどいことしてまで、何を必死に隠そうとしたのかな、て考えたんだ」
そう、あの時リウェンは哀れむような瞳で俺を見据えていた「なんでわからないか」とでも言いたげに、
あの諺はそのままの意味で受け取ればよかったんだ。
「文面そのままの意味で『好奇心は猫をも殺す』だな」
「……あえて聞くけど、誰が猫よ……」
それはお前だよ、と抱えていた頭を解放してやり、ぽんぽんと頭を撫でてやる。
「お前のことだから、聞かれれば無理にでも『断末魔の記憶』を思い出そうとするんだろ、そしてまた錯乱しちまう」
「……あたしは、やっぱり何かを見たの?」
「俺もそれを好奇心と事件解決への正義感で訊ねるだろうな……それを考慮した上でリウェンはお前の頭の中からそういう記憶を消し去ろうとしたみたいなんだ」
「答えてよ!誰か死んだの?……違うわね、誰か殺されたのッ!?」
一瞬、答えていいものか逡巡したが、言わねば収まりもつかない。
「ちょっ!?」
わしゃわしゃとリルドナの頭をくしゃくしゃにしながら、極力明るい口調で告げる、
「アーカスさんとスルーフさんだ、現場は井戸の前。
でも安心しろ。リウェンがしっかりと死体の状態維持を施したからな、この意味わかるよな?」
「あ――」
さすがのノラネコブレインにも意味は通じたようだった。
「だから、賑やかなお前が状態保持の術式を壊しかねないから、今は大人しくしててくれ」
「なによう……まるであたしが暴れん坊みたいじゃない……」
違うのか?という言葉はさすがに自宅待機してもらった。
「ま、折角のリウェンの心遣いだ、今はそれに甘えとけ」
「わかったわ、――帰ったらお礼言わなきゃねー、あとスコーンもご馳走さまって言わなきゃ、……アンタもよ?」
そうだった、スコーンを焼いたのはリウェンだった。
一緒に食べたがってたのに悪いことしたな……。
「でも、あの子自身はちゃんと食べてるかしら……」
「ん?料理出来るなら、自分の分だけだしすぐ作って食べてそうだけど」
「はぁ?」
リルドナは明確な不機嫌さとジトりした目付きを投げつけるとともに、はぁーっと大きなため息をついた。
「わかってないわね、一人だと逆に作らないわ、面倒だし。作り甲斐もないしねぇ~」
「そういうモノなのか……?」
「そうよ。大体ね、一人で食べても味気ないわよ?」
『あーあ、一緒にスコーン食べたかったなぁ……』
これは……相当悪いことをしてしまったかもしれない……
でも、自分の身体に戻ったら、また何か食べないと栄養補給ができないような気もするけど、
「なぁ、リルドナ、あの店の名前てなんだっけ?」
「んっ?何の店かしら?」
すっかり中断してしまっていた食器の片づけを再開した。
「まぁ、そういうワケだから、スィーツの方も充実してるわよ、の割には空いてるから結構穴場のカフェなのかもねー『ブリッジ・アゲイン』はね」
「なるほど……」
リルドナの言葉をメモに収めながら、すっかり片付いた厨房と給湯室を見渡す、
「忘れ物ないな」
「バッチリよ」
それでは、といった動きで二人そろって踵を返し、給湯室をあとにする。
窓から差し込む日はかなり高くなっていた。
そろそろ出発する時が訪れるだろう。
だから、通信が届かなくなる前に伝えておこう、
(なぁ、リウェン。無事に帰ったら、一緒に――)
目的地を目の前にして二人の犠牲者を出してしまった、
だが俺達はまた進みだす。
これからが本番なのだ。
ぐーてんもるげん!
接骨院の診察時間を気にしながら、そわそわと後書きを書いてるあせこさんです。
長かった……いえ、長すぎた!
やっと本編へのアップができましたよ。
もうテスト版のほうで途中までほぼ読んでる方も居られると思いますが、やっぱり正式な本編の方でもご覧頂けたら幸いです、微妙に加筆修正されてたりしますので(ぉ
今回はリウェンのターン!
でも出番はこの先ないぜ!!