9 メイドな姉の涙はベスト・ドロップ
みんなーっ!赤ルアがはじまるよぉー!
赤ルアを読むときは部屋は明るくして、
ディスプレイからよぉ~く離れて見てね♪
大きなお友達もわかったカナ?
……あ、あれ?
……。
あ、暗号化し忘れてましたっ!
…………。
Verzeihung.
Ich zeigte sehr unansehnlich eine Stelle
※*※*※*※*※*※*※*※*※*※
おかしい、何かがおかしい、理不尽だ。
俺こと、エイン=エクレールはとにかく不満だった。
度重なる回復魔法の使用で魔法力を使いきり、その反動で不足した魔力を補うように生命力を侵食され、
全身に一時的な呼吸困難だか、酸素欠乏症だか、よくわからない症状で苛まされ、
挙句に、同じく魔法力切れを起こしたリルドナの代わりに、彼女の荷物を運ばされているのだ。
確かに、俺がこの中では比較的軽装で荷物も少ない、それは認める。
「でも、俺の容体を考慮してもいいだろぉ!?」
「問題ない、軽度の症状だ。すぐ元に戻る」
まだ戻ってねぇ!と言いたいが、余計に消耗するだけなのでやめた。
この淡々と、「問題ない」と言ってのける男は、全身黒で統一された礼服だか、燕尾服だか、よくわからない格好の上、やや細身で俺よりも背が高く、執事か牧師のように見えなくもない……こんな主人にも神様にも敬う気配が無い男だが……。
髪も瞳も黒く、本当に真っ黒なのだ。それだけでも無機質だが、この男は表情が硬い、まるで錆びついた水車のようにビクともしない。悪さするときに『作り笑顔』を見せることもあるが、基本的に無表情だ。
「それにこいつが、俺達以外に荷を預けるのを嫌がるだろう」
彼が言う『こいつ』とは、彼の肩で意識を失っている人物…俺よりも頭一個分丸まる背が低く、髪も服も黒一色で、法衣だか、修道服だか、二重回しだか、よくわからない服装をしている女――リルドナだった。
この兄妹が並ぶと、黒い長い影と、黒い短い影となり、あたかも時計の長針と短針のようでもある。
「――ったく、何入れてるんだか……」
本当に、『よくわからない』コトだらけで困り果てているのだ。
「それにしても、リルドナは大丈夫なのか?」
「問題ない、魔法力切れで一時的に機能が低下しているだけだ」
そう彼女は先程の騒動で全魔法力を込めた砲撃……魔砲と言うべきかも知れない一撃を放った為、スッカラカンな状態なワケだ。だがそれよりも――
「――その頭のほうが心配だ……」
俺が示す視線の先には彼女の頭があり、冗談としか思えないような巨大なタンコブが生えていた。岩壁にクレータを作るほどの激突だ、相当な力が掛かっていたに違いない……。
「そうだな……元々かなり悪いしな、計算もよく間違える――」
「そっちの心配じゃねぇぇぇぇ!!」
今更だが、彼女はあまり頭が良くない。いや、むしろ悪い?というか単細胞か、良く言ってもINT3だろう。
そのくせ、彼女はイロイロなんでも器用にこなす。この辺もやはり『よくわからない』部分だと言える。
「心配するな、これ以上は悪くならんさ」
「どことなく、ひでぇ……」
そもそも頭に出来た巨大なタンコブも、この男の所為だ。いくらこれ以上悪くならないと言っても、ハゲたらどうするんだ。一応これでも、こいつは女なんだ。
切り立った崖と、無骨な岩壁に左右を狭められた断崖地帯。
すっかり長くなった影を引きずるように、緩やかな坂を登る。
意識の無いリルドナをルーヴィックが背負い、同じく意識が無く重体のアビスをゼルとガディが担架のようなモノで運んでいる。
それは野営の道具を流用したのか、適当なパイプ状の棒に肌触りが決して良くないような布地を張った簡素なモノだったが、深い傷を負ったアビスを運ぶには充分に適した機材だった。
飛竜を迎撃した場所から、体感で八〇メートルほど歩いた所で、急な下り坂に変わり、みるみる内に森の中へと俺達の姿を飲み込んで行った。
木々が邪魔をして視界が悪くなり、目的の屋敷が目視し難くなってきた。辛うじて見えるその姿を見失わないように気を配りながら、俺達はひたすら歩き続ける。
――それにしても、だ。
「こいつがあんな凄い魔力を持ってたとはなぁ」
俺は先程の光景を思い返す、
スルーフの作った魔力を撃ち出す魔法弾の銃、それを使って超凶悪な威力で、空一面ピンク色に染め上げる光の帯を迸らせた。
魔力を持っている事に関しては、別段驚かなかった。彼女の妹であるリウェンは魔法校の主席卒業という程の優秀な魔術師らしい……姉妹なら大小の差はあれども同じ才能は持ち合わせていてもおかしく無いからだ。
予想外だったのは、その絶対量。俺は本物の大魔道士とか実際に会ったことは無い、正直なところ、どのくらい凄いか判断も付かない……ただ言えることは
――宝の持ち腐れ。
その才能を開花させるかは、その後の成長過程で決まる筈なので、おそらく勉強嫌い(に違いない)リルドナは魔法についてさほど学ばなかったのだろう。
……あの女に、やたら長い呪文やら、複雑な魔法陣を扱えるとは到底思えない。『色付け』も出来るとは思えなかったのだが、
「一体、何の属性を付与して撃ったんだろう?」
精霊の力の宿る『色付け』つまり属性付けには元素を象徴する対応した『色』がある程度決まっている。
火なら赤、水なら青、といった具合に割りと「お約束」な組み合わせがあるのだが……。
「…何だよ、アレ。
ピンクにしか見えなかったんだが……」
「…ふむ?」
そう、彼女は発した光は、『白っぽい赤色』というか、どう見てもピンクだった。
ちょっと俺の知識では判断の付かないパターンだ。
俺の独白に近い言葉に反応を示してくれたのはやはりルーヴィックだった。
「リルは何も付与していなかったな。
……そもそも、あいつにそんな高等な技術は無い、」
「つまり……無色…?」
無色というには、しっかり『色』が着いていたと思う。
「別に無色だからといっても、透明や白とは限らない
――というか、見事に白色のお前のほうが珍しいと思うが?」
「……そういうモンか?」
思い返せば、この目の前の男は銀色の光だった、文字通り十人十色なのだろうか。
俺の思考の手助けでもするかのように、ルーヴィックは言葉を重ねる、
「リウェが言うには、本人が得意とする属性や能力に依存することが多いようだ」
「得意な能力かぁ……」
それは先程スルーフが口にした『血系特性』とかいうモノに関係するのだろうか、ソレがどんなモノか、わかっているのは『目が良すぎる』に関係している、ということぐらいだ。
あと、地下壕で耳にした『赤』というモノも気に掛かった。
「――なぁ、『赤』とか『血系特性』ってなんだ?」
「……。聞いてどうする?」
訊いた瞬間、空気が張り詰めたのがわかった。彼の言葉の抑揚に尖ったモノが含まれ始めている。
「――。どうもしない、ただの興味本位だ」
理由としては最低かもしれない。だが、他意は無いということを示すには、下手に小細工を飾り付けない方がいいのだ。
「――、血系特性とは持って生まれた異能の力のことだ、遺伝的に備わることが多い為、『血系』と称される。そして、『赤』とはその能力の中の一つだ」
「魔法とは違うのか?」
「違う、フェアリーが飛び回るのも、ドラゴンがブレスを吐くのも、魔法では無いだろう?」
「……リウェンにもソレがあるのか?」
「ある。また違った能力だがある。……二人はそういう血統の生まれなんだ」
「二人はか、なるほどな」
カチリと思考の片隅で要因合わさった気がした。
だが、それよりも――
「何にしても、反則級だよな、
あれだけの身のこなしが出来て、異能の力があって、さらにはあの魔力だ」
「ふむ?」
「大体、あれだけの魔力があるんだ。複雑な構成じゃない、単純に魔力を撃ち出す魔法だけでも習得すればいいんじゃないのか?」
「それは無理だろう、」
俺はふむ?と先を促す、
「『リルだから』で片が付く――」
……つまり、それが意味することは――
「「単細胞だから」」
見事なタイミングでルーヴィックとハモってしまった。
本人が聞いてたら噛み付かれるかもしれない……。
「……だぁれが、バカですってぇ……?」
その瞬間、再び地獄のカルドロンが、その口を大きく開けた気がした。
~・~・~・~・~・~
なぁ、皆に聞きたい。
俺は幸福なのか?不幸なのか?
決死のヘッドスライディングをかました直後、俺は「ぽよん」とした柔らかい何かに顔を埋める姿勢で硬直していた。
何でそうなったか、時間にして僅かだが、話せば長くなりそうだ……。
「ちょっ! どこに顔押し付けてんのよっ!」
「ぐぬぉ!?」
……理不尽だ。
――そして時間は少し遡る。
「だぁれが、バカですってぇ……?」
彼女の赤い瞳がユラリと閃き、飢えた猛獣が動き出そうとしている。
――が、丸めた絨毯扱い状態だった為、身動きが取れずにジタバタするのみだった。
「気付いたか、リル立てそうか?」
「あー大丈夫よ!立てるわよっ!もう降ろして――にゅ?!」
なんていうか、とても憶えのあるやりとりだった、
――ので、予め走り込むことができた。
ルーヴィックがリルドナをポイっと投げ捨てて、彼女の背中が地面に叩きつけられる瞬間、なんとか俺のヘッドスライディングが間に合った。
いくら小柄で軽量な彼女でも、この不自然な体勢での捕獲は少しきつかった。
俺はそのまま勢い余って、彼女を抱きかかえたまま前のめりに沈み込む、
だから不可抗力なんだと思うんだ……俺の顔が彼女の身体に埋めてしまっても……。
ぽよん、と顔になんとも顔に柔かな感触、この感触は確か前にもあった気がする。
……もしかして、これはリルドナのむ――
「ちょっ! どこに顔押し付けてんのよっ!」
「ぐぬぉ!?」
結論に辿りつく前に、彼女の逆平手打ちで叩き飛ばされる。
だから、皆に聞きたい。
これってラッキーなのか?アンラッキーなのか……。
明滅する視界の中、ロイがポンと俺の肩に手を置き、
「ムノー君、夜にはまだ早いよ?」
「……。どういう意味ですか……?」
俺は精一杯の平静を装いつつ、ジトりした視線を投げつけた。
どうして、この人はこうもいやらしい笑みを浮かべることが出来るんだろう……。
――それにしても、だ。
目の前ではリルドナが手を差し出している、
「はいはい、自分で持つわよ」
不機嫌さを含みつつ、自分で荷物を持つと言う意思表示だろう。
――だが、しかし。なのだ。
「お前、全然っ力入ってないだろ?」
「う……」
そう、いくら手加減しているとはいえ、先程の逆平手打ちは弱々しいモノだった。
今までの彼女からすると、見る影も無く弱りきっていた。
それは外見相応の少女の細腕の力でしかない。
「ってことで、無理するな。大人しくしてろ」
「…わかったわ。でも――」
リルドナは頭を掻きつつ答える、
「ハハシラズだけは自分で持つわ」
手を差し伸べたまま、そう言い放った。
リルドナが返却を求める『ハハシラズ』とはなんだろう?
――言葉に出さずとも答えをくれるのがヤツのウリだった。
「太刀の銘だ、それだけ渡してやってくれ」
「――と、これのことか、変わった剣銘だな」
と言ったところで、俺には東方武器の命銘法則なんて知る由もなく、単純にそう告げただけだった。
「――ありがと、」
俺から太刀を受け取ると、ぎこちない動きで――本当に力が入ってないようだ――その小さな背中に背負う。
その時俺には、何故かそれが…まるで出来の悪い子を背負う母親の姿に見えた。
だとすると、随分と大きな子供だ。なにせ本人の身長とほぼ同じ長さの大太刀なのだから。
「――にゅ?!」
あ、コケた。
~・~・~・~・~・~
鬱蒼と生い茂る森の中、木々達を押し退けるように聳え立つ、その建造物は風格と荘厳さを兼ね揃え、無人となり何百もの年月を経たにも関わらず、その姿を綻ばせること無く毅然として佇んでいた。
そこへ至っているのであろう、不自然なまでに綺麗に切り整えられた石段が続いている。
最後の最後まで拒絶するかのように、果てしなく蛇行し延々と入り口まで続いている。
「もう目と鼻の先まで来ているのだが…最後の試練といったところか」
「ヘタな罠仕掛けるより効果ありそうだぜ……」
ブルーノの呟きや、ゼルのぼやきもわかる。目的の建物を見せておきながら、『手間と時間』という最大の見えない防壁に阻まれ、気力を大きく削がれているからだ。
その石段の入り口近くに、小屋――というには規模が大きすぎる、二階建ての建物が目に入った。
「なーんか、ここで一休みして行けと言わんばかりの配置だな」
「誘われてるみたいで、嫌な気がしないでも無いけどね」
ゼルとロイの言い分はなんとなくわかる、タイミングが良すぎるのだ。
夕日はすっかり雨雲に隠されてしまい、日没まであとどれ程か計りかねない。
決してそう長くないことだけは確かだ。
「一刻も早く、屋敷へとたどり着きたいところだが――」
ポツポツと、冷たい滴が降り注ぎ始めた。
「いかんな、とうとう降ってきたか」
「うわ、マズイなっ」
むしろ、今までよくぞ保ってくれたというべきか。だが、遂に雨は降り出し始めた。
ロイの焦る理由は、彼の持つマスケットの火薬の所為だ。湿ってしまっては台無しになってしまうからだ。それとは別に困る理由もあった。
重症で運ばれているアビスも問題だ。いくら応急処置をしているとはいえ、雨に濡らしてしまうのは大変マズイ。
もう、長い石段を登る猶予などあるはずも無かった。
「止むを得ん。その建物に避難しよう」
「あいよう!」
ブルーノの決定に誰も異論は無いようだった。誰だってこの肌寒い中、雨に打たれたいなんて思う者は居ないだろう。
簡素な柵に囲まれた敷地へと踏み入り、入り口を見つけ駆け寄る。
その入り口は、勝手口のようなモノだった。備え付けられた片開きのドアは、建物の規模に反し、安っぽい造りをしていた。
「回り込めば、正規の入り口がありそうだけど、いいよね」
「贅沢言ってラれねェ…って開かネぇゾ」
アーカスがガチャガチャと乱暴にドアノブを捻るが、鍵が掛かっているらしく開かないようだ。
「ちょっ!そんなに乱暴しても開かないでしょ!」
この女が珍しくまともなことを言った。
「クソっ、ちょっと離れて。鍵ごと吹き飛ばすよ!」
ロイが苛立った様子で銃を構える。この中で一番雨に困る人間だ、焦るのも無理は無いだろう。
でも思考が短絡過ぎないか?
「もうっ!金髪も何を野蛮なコトを!
ここがダメなら別の入り口でもいいじゃない!」
「だって、一刻を争うだよ?
ボクの銃弾もそうだけど、アビスさんだって雨に打たせるわけにはいかないんだよ」
「そ、そうだけど……」
まぁ、今のやりとりにイロイロ引っ掛る点はある。
なんでリルドナがこんなに必死にドアを破ることを拒むのかわからない。
――だが、それよりも、なんだ。
「はいはい、ちょっとどいて下さいよ」
「ムノー君……?」
「…む、無能…アンタどうするの?」
いい加減、その名前は止めて欲しかったが、気にせず言い争う二人を押しのけてドアの前に立つ。
見るからに簡素なドアだ。そのドアノブの鍵穴を見ると、やはり安っぽい鍵だった。
――これなら楽勝か。
俺は懐から愛用のピックを取り出した。
この程度の鍵ならツールは無くてもコレだけで充分だ。
「すぐ済みますので――」
…カチャ、パチンッ!
「…ま、まさか」
雨の音の中に澄んだように響く金属音、それが意味するのは勿論――
「開きましたので、」
呆然とする一同を置き去りにし、俺は中へと押し入った。
アンタら……俺の本業を何か忘れてないか?
~・~・~・~・~・~
一旦、全員にドアをくぐらせドアを閉め、「ここで少しお待ちを」と待機を促す。
俺はルーヴィックと共に奥へと足を踏み入れた。
「なぁ、ルーク。何か潜んでそうか?」
「否定だ、まるで気配は無い」
「んじゃ、それをアテにして……行くか」
細い廊下が続くが奥は広い空間のようだった。
建物の中は薄暗いが、全く見えないわけじゃない。警戒して歩く分には全く支障が出ない。
採光を考慮された構造なのか、明かりを灯していないにも関わらず最低限の明度を保っていた。
「とは言っても、何か照明器具が無いとなぁ……」
「そうだな、直に日も完全に落ちる」
何か無いものかと、周囲を見渡すが、歩くのに不自由しないと、物を探すのに不自由しないでは、格段レベルが違いすぎる。
つまり暗くて何があるかハッキリと判断が付かないのだ。
「畜生、暗いな……」
仕方なく、荷物から携帯型のカンテラを取り出そうとしたが、
「ふむ、暗視鏡器を使うか」
「なんだそりゃ?」
俺の問いには答えず、後方…つまり入ってきた入り口へ向かってワイヤーロープを投げる。
――果たして、彼が手繰り寄せた『ソレ』は……。
「…あのさー、
あたしもやっぱり女の子だからさ、こーいう扱いはどうかと思うのよねぇー」
「すまん、だが俺に言うな……」
彼女はワイヤーロープでグルグル巻きにされた生け捕りの猛獣の姿のまま悪態をつく。いい加減、俺もリルドナも扱いが絶対酷すぎないか?
「リル、何か灯りになる物は見当たらないか?」
「うーん……」
彼女は目を見開き周囲を見渡す。その瞳は、やはり薄っすらと妖しく光っている。
「壁のやや高い位置に……等間隔に燭台……かな?いくつもあるわ」
その言葉に壁を注視する。なるほど、確かに何か器具があるのがわかった。
「――あとは……天井のシャンデリア。そこも蝋燭で灯りを点けれそう」
「高さ的に、結構辛いかもなぁ……」
「そうよねぇ、もっと早い時間なら明るくて作業も出来――」
ゴキュ!という何か嫌な音が響いた気がした。
「リル、こっちには何か無いか?」
「――物凄く…痛いんだけど……えーっと…光晶球があるわね」
そこで聞き慣れない単語が出てきた、
「なんだそりゃ?」
「擬似的に光魔法照明を発動させる水晶球だな」
と、言われてもイマイチわからないが、要するに魔法の照明器具なのだろう。
錬金術師であるスルーフに聞けば、詳しくわかるかも知れない。
「とりあえず、ササッと点けちまおう」
そう言い、俺達は手分けして灯りを点けて回った。
「ほう、これは見事なものだな……」
ブルーノが感嘆の声を漏らす。
照明が灯され、その姿を明らかにしたフロアは、ランクの高い宿泊施設のロビーを連想させる応接間。
かなりの広さを持つ空間だった。
これだけの人数で押し入っても手狭さを微塵にも感じさせない。
中央にテーブルが複数置かれ、それに合わせてゆったりとしたソファーが並んでいる。
突き当たり奥には暖炉があり、この地域特有の底冷えする夜も乗り越えられそうだった。
「火の番はボクに任せてよ」
ロイはそう言うと、手早く暖炉に火を灯す。
パチパチと音を立てる火に、思わず安堵の息が漏れてしまう。
まだ森に立ち入って一日目だというのに、すっかり長期間森に滞在したかのような錯覚すらあった。
森という人間にとって危険な場所から、屋内という安全地帯へと辿り着いた所為だろうか。
そして一息つくと、今度は疑問が沸いてくる。
「ここは、なんの施設なんでしょうね」
俺の問いに、ブルーノは例の手帳を取り出して確認する仕種を見せた、
「どうやら、例の屋敷に勤めていた使用人の宿舎らしい。
――勿論、無人の屋敷となる前の遥か大昔の話らしいが……」
「使用人の……にしては、随分と豪勢な造りですよね?」
「おそらくは、屋敷への急な来客の取次ぎや、
深夜の来訪者などが宿泊する機能も有していたのでは無いかな」
ブルーノの意見は執事としての視点だろうか。なんとなくそうと思えなくもなかった。
「ま、なんにせよ、俺達はそのお陰で、豪勢な気分を味わえるんだぜ?」
いつの間にか、ドッカリとソファーに腰掛けたゼルが無理やり結論づけた。
「それでは。俺はもう少し、他も調べてきますので」
俺はそう告げ、この一画よりもさらに奥へと続く廊下に向かった。
それに従うかのように、ルーヴィックとリルドナも追従する。
「……お前達も着いてくるのかよ」
「護衛だ。なに、礼はいらん」
「お前に礼を述べることは一生来ないと思うぞ」
口先だけの毒を吐きつつ、頭の中で位置関係を確認するように記憶を走らせる。
照明を灯して回ったので、ある程度は把握出来ている。
この使用人宿舎に立ち入ったのは、南向き――つまり北側からだ。
北側の勝手口らしき入り口から長い廊下を突っ切って、躍り出たのが先程のフロア。
向かって右手――つまり西側の一画が応接間、それと反対の東側は広い幅のままズドンと抜けた通路、というか多分そちらが正面玄関なのだろう。突き当りには両開きの大きな扉が見えた。
この建物は東側を向いた形になっていて、正面玄関から入った来訪者は、そのまま直ぐに応接間へと通される仕組みなわけだ。
今、調べようとしているのは、まだ未踏部分である南側の廊下。
少し歩いて、右手に大きな給湯室があり、そこからさらに扉で隔てられた隣室は大きな厨房のようであった。
構造的に大きな『L』の字の空間で、角を曲がってその先のドアの向こうは、先程の廊下に繋がっていた。
どうやら、給湯室と合わせて大きな『コ』の字のスペースなようだ。
厨房から出て、左手が北側――自分たちがやってきた方向だ――に目をやると、先程給湯室へと入る為に開け放ったドアが目に入った。
今、自分が出てきたドアと開け放ったドアの中間部分で壁が途切れている。
一見するとそちらへ通路が伸びているかのように錯覚したが、構造的にそれはありえない。
「……階段か」
廊下から一段奥へと沈み込むように階段が途中踊り場を経て直角に折れて二階へと伸びていた。
これらは、階段から廊下への出会い頭の衝突を防止する為の構造のようだ。
二階部分は、いくつもの個室が立ち並ぶ、完全に寝室を詰め込んだだけの空間になっていた。
部屋によって、鍵が掛かっていたり、いなかったり差はあったが、やはり人の気配も無ければ生活感を感じさせたりもしなかった。
一階に降りて、再び南側に進路を取り廊下を進むが、すぐに廊下は終わる
そして突き当たりに、簡素な造りの片開きのドア。
近づくと微かに風の抜ける音が聴こえてくる、どうやら外に通じているようだ。
これも北側にあった勝手口のような物だろうか。
施錠を解き、外を覗き見る、
「……なるほど井戸か」
試しにポンプを動かしてみると、ジャコンと確かな手応えと、汲み出される水流。
キッチリとその機能は健在のようだ。
「なぁ、リルドナ」
「んっ?なに?」
俺は水を汲みながら、彼女に告げる。
「お茶淹れてくれよ、熱いのを頼むぜ」
その言葉に目を丸くするリルドナだったが、すぐにその表情を上機嫌なモノへと発展させていく。
鼻歌でも唄いだしそうな口調で彼女は答えた、
「任せなさいっ♪」
~・~・~・~・~・~
無人になっているとは言え、勝手に他所様の住居に踏み入った挙句に、炊事場をこれまた勝手に利用するという図々しい行動だ。少なからず抵抗はあったが……リルドナが元気になるならそれでいいかな?とか思い始めていた。
「これでいいのか?」
「うん、ありがと」
リルドナが水仕事をし易いように、炊事場を軽く片付け、満遍なく拭き終えたところだった。
といっても、その必要も無いように思えるほど、元々片付いていて、清潔な状態だった。
ちなみにルーヴィックはここに居ない。先程の二階部分の個室を詳しく調べに行っている。別に重要なことでは無かったが「俺には手伝えそうに無い」と早々に別の作業へと避難してしまったわけだ。
「これは……さすがに邪魔よねぇ」
そう言いながら、羽織っていたケープを解き、綺麗に折りたたんで椅子の上に置く。
ケープが取り去られ、リルドナの上着の全容が露わになる。
何気にいつもの黒服でケープを取った姿を見るのは初めてだった。
「意外に…上着は東方のモノじゃないんだな」
「あははは、コレはコレで気に入ってるからねー」
彼女の着ている上着は、やはり黒を基調した配色だったが、造りは至って洋風の物だ。
大きな襟が目立つブレザー(?)で、あたかも水兵の制服のようにも思える。
他にも目立つ箇所はあった、長袖なのだが、肩口が膨らんだ――いわゆるビショップスリーブというヤツだがアクセントが極端すぎる――で一旦、肘付近で細く絞り込まれて、再び大きく開いた袖口で展開されている。
その袖は、纏められておらず、「ヒラヒラ」という形容が似合う構造になっていた。…なので、ブレザーというより黒いドレスみたいにも思えた。
そんな中でも最も目を引いたのが、その膨らんだ肩口に縫い付けられた紋章。逆五角形型の盾の中に背中合わせの黒い鎌、その黒いシルエットの中を白い細長い線が十字に走っている。見覚えの無い紋章だった。
そして、肩口の膨らみ以上に、布地を強く押し上げている部分があった。ケープが取り去られたお陰で、小柄な身体に不相応な立派な胸を視認できた。その胸の所為で頭に栄養行ってないんじゃないかとか思えるほど……。
「なによ?」
見つめる視線を感じたのか、リルドナは怪訝な表情を向けてくる。
…が、俺は心中を吐露するような真似はしない、
「その服装自体が水仕事に向いてないんじゃないのか?」
「まー、そうなんだけどねー」
リルドナは口を動かしながら、荷物から白い布の様なものを取り出した――エプロンだった。それもフリル満載のフリフリなヤツ!
エプロンを見に着け、袖口を綺麗に折り込んでから、髪につけていたヘアピンでパチンと留める。
「これでいけるでしょ」
そう言い放ち、その場でクルリと回って自分の姿を俺に見せ付けてくる。
黒い長袖と長い裾のスカート(正確には袴だが)。それらプラス白いエプロンのこのスタイルは……
「ヴィ、ヴィクトリアンメイド……」
「はぁ?」
正確には違うだろうが、どことなく、そう見えてしまったのは仕方ない。ホワイトブリムでも頭に乗っければさらにポイントはアップしそうだ。
ロングドレスタイプのエプロンドレスとか、そういうことを語りだしてしまうと軽く四時間は掛かってしまいそうなので、ここでは触れないことにする。
「…まぁ、一応あたしは一四の頃までハウスメイドだったけどね」
「サラッと驚きの新事実を語るのかよっ!?」
というか、この女いくつなんだよ……
「どっちかというと、トゥイーニー扱いだったけどね~」
「いや、普通に話を進めないでくれ、というかトゥイーニーってなんだよ?」
俺の必死な抗議に、リルドナは「んっ?」と一旦停止をする。
「え?知ってるでしょ?
ハウスメイドの仕事をこなしながら、キッチンメイドの仕事も手伝うヤツ」
「ちょっと待て、『そんなの普通知ってるでしょ』みたいなノリは待て」
「仕方ないわね、ちょっとメイドについて詳しく教えてあげるわ」
「だから待てと言っている!そんな固有結界全開な話題は待て!!」
こんな時、ヤツがいてくれたら「大丈夫か?ナンセンスだぞ」で決着するのだが、残念なことに今は居ない!
結局、話題を断ち切るのに短くない時間を要した。
「…ま、まぁいいわ……」
まだ言い足りない納得のいかない顔だったが、諦めたようだった。
リルドナはまだ何か文句を呟きながら、ポーチから脱脂綿を取り出し指を拭っている。
白い脱脂綿が薄いピンク色に染まっていくのが見てとれた。
「――?それって……」
「あ~、あたしは水溶性の使ってるからねー」
答えながら、こちらに自分の爪を示して見せた。
爪全体が均一の薄ピンクだったものが、自然な血色の伴った色へと戻っている。
「――て、マニキュア塗ってたのかよ?」
「あれ?気付いてなかったの?」
気付くわけも無い、薄いピンクの自然に近い配色だし、何よりも他人の指爪をまじまじと見つめることも無い。
マニキュアを塗る目的は大きく分けて二種類、純粋にお洒落する為と、爪の保護の為らしい。
リルドナはおそらく後者、お洒落ならもっと派手な色を使ってそうだ。
「お前って、爪の手入れに気を遣う方なのか?」
「まぁね、チョッピりお洒落したい気持ちも混じってるけどね」
全ての指のマニキュアを拭き取ったのか、脱脂綿を処分し、汲んできた水をヤカンに移して火にかけ、
「炊事・洗濯、その他、水を使う仕事のときはちゃんと取ってからにしてるわよ?」
それなら塗らなきゃいいのに、と思うが、そこは男女の価値観の違いか。
そもそも水溶性って子供用じゃないのか?
普通は除去薬品とかで取り去るものだから、水仕事で剥がれないんじゃ?
そんな俺の心境を読み取ったのか、
「除光液ってさ、爪を変質させちゃうからキライなのよねぇ」
そう言葉を漏らし、自分の荷物(俺が運んできたモノだ)をガサガサと漁り始めた。
中からは、次々と食器類が姿を現す。
「…おいおい……まさかとは思ったが…」
作業テーブルに並んだのは、見事のまでに手入れされた茶器一式。
こんなモノを荷物に入れてたのかと、思わず呆れずにはいられない。
それらを手早く、次々と水で軽く濯いでいく、相変わらずの手際の良さだった。
「ねぇ、アイツ等飲むと思う?」
リルドナが唐突に問いかけてくる、が手は動かしたままなのは流石だ。
何をだ?と聞き返したくなったが、おそらく紅茶を飲むかという質問だと思ったので、そのまま答える。
「ティータイムの習慣があるか、わかんねぇけど。
とりあえずは、全員分用意する方がいいんじゃないか?」
「うんうん、そうよねぇ~」
俺の答えで確証を得たかのように、次々と水洗いをしたカップとソーサーを配膳台車(いつの間にか引っ張り出してきていた)の上に並べていく。
その動きは流れるような動作で、俺と会話しながらにも関わらず、全く無駄が無い。
「なんていうか、見事なモンだな」
「んっ?そ、そう…かしら?」
ボンッ!と顔が茹で上がり、一瞬だが作業する手が鈍った気がした。
相変わらず褒められることに対して耐性が無いようだった。
それを振り払うかのように、再び問いかけてきた、
「ねぇ、アンタ。カボチャ好き?」
「……それはなんの暗号だ?」
この女の質問はいつも唐突で咄嗟に返せないことが多いのだ。
「だから、好き?嫌い?」
どうやら問答無用で答えなければいけないらしい。
「好きって程じゃないけど、嫌いじゃないな、一応食える」
「甘ったるいのが苦手ってわけでもないのね?」
「それは大丈夫だ」
彼女は荷物からいくつかの瓶を取り出し、見比べるように吟味している。
「――うん、一度試して見たかったから、コレにするわ」
取り出した瓶の中身はおそらく茶葉だろうか、茶器を持ち歩いているのも驚いたが、複数の茶葉を用意していることも、やはり驚きだ。
それだけ紅茶に対して、思い入れと知識があることが裏付けられる。
「お前、紅茶にはかなりうるさそうだな」
「まぁねぇ~」
答えるリルドナは上機嫌そのもので、次々と準備を進めていく。
「お茶なんて誰に習ったんだ?」
「え……」
その瞬間、ビクッと動きが止まった。
聞いてはマズイことだったんだろうか?
「……あの子よ…リウェンよ」
その答えに直感的に引っ掛った。
「ちょっと想像しにくいなぁ……なんかリウェンがやると熱湯を引っ掛けられそうだ」
なので、ちょっと悪戯っぽく冗談を言ってみた、
――が、そんな俺の思惑に反し、リルドナの顔はどんどん曇っていく。
「……そう、思っちゃうわよね…やっぱり」
彼女は自らの罪を懺悔するかのように呟く、
「でも、あの子ってね、すごく頭が良くてなんでも理解し習得した。それをあたしの頭でも理解できるように噛み砕いてから教えてくれたのよ」
彼女はとても寂しげに言葉を切り、「それにね」と次句をつなぐ、
「昔は……とっても手先が器用だったのよ……運動神経は鈍かったけどね」
力なく、あはははと自虐めいた笑いを漏らす。
「――て、ことは元々リウェンは自分で紅茶を淹れていたのか?」
「そうよ。ホント上手に淹れてたんだから、あたしはそれを真似してるだけよ」
「あたしは、あの子の趣味を…特技を……盗ったのよ」
リルドナはもう推理小説の暴かれた真犯人のように、完全に観念した告白をする。
それは破滅の末路を辿る姿に思えて、俺は居ても立ってもいられなくなり、口を挟む。
「おいおい、お前の所為じゃないだろう!?」
「あ、あたしの……所為なんだぁ……」
「あたしがドジ踏んで…『あの事故』が起きて……あの子はあんな身体になって……」
ある程度、推測は出来ていた内容だったが、本人から直接もたらされた告白は少なからず俺にもショックを与えた。
俺ですら、こんな感情を抱くのだから、当人にとっては……。
話の運び方をしくじったことを激しく悔いた。
「あんまり自分を責めるモンじゃないぞ?」
「だって、だって……」
「そんなの、きっとリウェンも望んでないと思う」
これだけは絶対に言える、姉に自責の念で押し潰されて欲しいと願うわけが無い。
――わたしの姉の淹れるお茶も美味しいですから、是非!――
あれはどんな気持ちで言った言葉なんだろう。
少なくとも、あの言葉には嘘が無い。
「――少なくともリウェンは……。
お前のことを……姉の淹れるお茶は美味いと、心から自慢していたぞ」
たとえ、身体の不自由が姉の過失によるものでも、自分の代わりにお茶を淹れてくれる姉を、必死に自分の味を再現しようと努力した姉を……きっと心から感謝しているに違いなかった。
そんな俺の意見に何かを感じ取ったのか、リルドナは放心したかのように目を丸くしている。
「――あ、あれ?」
リルドナが急に素っ頓狂な声を上げる、そんな彼女の頬を伝うのは……。
「……あちゃー……。悪いんだけど、ちょっとあっち向いててくれないかしら?」
リルドナは背を向け、天を仰ぐような姿で硬直している、作業する手は完全に止まっていた。
俺からは彼女がどんな顔しているかはもう見えない……が、
「ここから先は、ベスト・ドロップを狙う秘伝の作法だからね、門外不出なのよぅ?」
……嘘が下手だな、と正直思った。
「それよりも先にカップ運んでおいてやるよ」
俺は人数分のカップが乗った配膳台車を押して、そのまま廊下へと向かう。
「えっ!?ちょ、ちょっと!」
リルドナが慌てた声を上げたが、振り切るように廊下へ出た。
~・~・~・~・~・~
バタン、とドアを閉め、俺は大きくため息をついた。
いつから俺はこんなに女を泣かせるヤツになったんだ?
思わず逃げて来てしまったが、このカップどうしたものか。
後先考えずに動いてしまった自分に、思わずため息が漏れた、
「大丈夫か?ナンセンスだぞ」
その声に振り向くと、階段室の壁にもたれ掛かったヤツの姿があった。
「先にカップだけで持ち出してどうする?
リルに熱湯の入ったポットを素手で運ばせる気か?」
「……だよなぁ、また意地になってやせ我慢しそうだ」
リルドナの用意していたポットは銀製品だった、相当熱いに決まってる。
「冒険者として言わせて貰えば、その判断は冷静さを欠いている」
「ちっ、悪かったな」
「――だが、」
無表情の鉄仮面が、嬉しそうに自然な笑いを浮かべたように思えた。
「兄としては、礼を言いたい。――ありがとう」
彼は軽く目を閉じ、頭を小さく動かした、会釈か敬礼かどちらかはわからない。
「俺よりあやし方が上手い、そういう訓練でも受けたか?」
「よせよ、俺にも妹がいただけだ――」
自分で発したこの言葉で、ようやく気付いた。あの姉妹に対する感情の正体が……。
「……そうか、妹がいたんだな」
ルーヴィックはそう呟きながら歯切れの悪い言葉をつなぐ、
「それはそうと、二階の各部屋なんだが……」
「無理に話題を変えようとしてくれなくても大丈夫だ。さすがに三年前の話だし、ある程度心の傷は癒えてる」
なんだかんだで、この男は気の利くヤツなのだ。
「……事故か?」
「いや、病気さ。
元々身体が丈夫な方でも無かったし、ディケイ病っていう不治の病にかかっちまった。
俺にしてやれることって言えば、本を読んでやったり、カードゲームやボードゲームで遊んでやったり……そんなことくらいしかしてやれなかったな」
「……もしかしてチェスもやってたのか?」
「正解。女の子の遊びにしては意外だったけど、一番熱を入れてたのがチェスだったな。最初は俺が教えてやって、一応なゲームの形を取るだけだったんだが……子供って凄いよな、どんどん上達していっていつの間にか全く勝てなくなったよ」
「ふむ、面目を保つのも一苦労だな」
「全くだ……で、俺相手だけじゃ満足できないのか、読んでやった推理小説の影響か……瓶に手紙を封入したメッセージボトルを海に流したんだ。『わたしとチェスしてください』てな具合の内容でな……流したのは俺だけど」
「……なに……?」
ルーヴィックがピクリと反応する。
「しばらくして、文通相手が出来たみたいなんだ、それも郵便チェスをしてくれる親切な相手だ。なんか相当強いヤツらしくて、毎回ウンウン唸りながら次の手を手紙に添えていたな、棋譜に添って駒を並べているのを見たが、あれは――」
「待ってくれ、少し確認するが……お前はリルガミン出身じゃなかったのか?」
「はぁ?意味がわかんねぇよ、一言もリルガミン出身とか言ってないぞ?確かに登録したギルドはソコだけど」
なんでいきなり出身のことを話題に出すんだ?
「まさかとは思うが……ゼピック村ではないか?」
「そうだ…けど、なんでわかったんだ?」
ゼピック村は城塞都市リルガミンの北方に位置する小さな農村だ。
「メッセージボトルはラム酒の空き瓶だったのではないか?」
「そ、そうだったと思う」
なんでルーヴィックにここまでわかるんだ?
「お前の妹の名前は……『フェリア』であっているな?」
「……お前、なんでそこまで知ってるんだ?」
俺の問いには答えず、一冊の古びたノートを突き出してくる。
これは……例の棋譜帳?
ルーヴィックによって開かれたページには、やはり対局の記録――棋譜が記されていた。
例によって整いすぎた無機質なタイプライターで印字されたような文字が並ぶ。
かなり昔の対局のようだ……一手ごとに記された日付は四年前……から三年前にまで及んでいる。つまり長期の対局……郵便チェスなわけだ。
相変わらずヤツは相手に先手を譲り黒色なのだろう、『Rook』と記されている。
だが、それよりも目を引いたのが先手……白色の名前、
――Lord Herijar
一瞬、我が目を疑った……『フェリア…卿』……!?
「お、おい……お前の対局相手って……」
「……フェリア=エクレールという御婦人と認識していた」
間違いない、ルーヴィックと対局していたのは……。
「正直、驚いた。
まさか、お前の妹だったとはな……世間も狭い物だ」
「ていうかなんだよ、フェリア『卿』って、勝手に人の妹に爵位をつけるな」
こいつの敬意の示す基準は……まさか棋力成績じゃないだろうな……。
「連絡が着かなくなって、もしやとは思ったが……。
まさかお亡くなりなられたとは……実に惜しい棋士を亡くしたものだ」
「いや、故人を惜しむ気持ちは兄としてありがたいが……持ち上げすぎじゃないか?」
「……それで最期は看取ってやれたのか?」
「いや、病状が末期まで来ると、俺は隔離されて全く逢えなくなった」
妹の患ったディケイ病は、その名の通り身体が生きたまま腐敗する病だ。
進行の度合いが大きくなると、腐敗する肉体が、体内に蟲が這い回る幻覚を引き起こし、身体中を掻き毟る自損行動へと発展する。主に血管やリンパ管が集中する首などが顕著だ。
果たして、そんな姿を見せるべきでないと判断した母親は、俺は当然、父親ですら面会を謝絶した。
それは正しい判断だったのだろう、本人にとってもそんな姿を家族とは言え他人に見られたい筈も無い。
「……酷かったのか……?」
「直接は見てないから、ハッキリと言えないが……日に日に疲弊していく母親を見る限りでは……相当酷かったと思う」
「当時の俺は、そんな母親の配慮なんて理解出来てなかったから、面会謝絶に散々文句を言ったもんさ」
「何かしてやりたかった俺は、街まで出て、図書館で色々調べたんだが……収穫は『絶望』『諦念』って感情くらい。
所詮、たかが一六の子供が調べて解決するほど甘くないよな、辛うじて手にした情報は……伝説の霊薬『エリクシール』があれば、もしかすると……。
不確かなものに不確かな希望を乗せるという甘すぎる選択肢だよな」
「いや、霊薬の名前が出てくるだけでも大した調査内容だ」
「まぁ、名前がわかっただけじゃ、どうすることも出来なかった。どこにあるかもわからない、わかったとしても探しに行くことさえ出来ない、まだ高等部に進学したばかりの学生だったしな……だから――」
「……冒険者になったのか」
「そうだ。と言いたいところだが……実際に冒険者になったのは、フェリアが死んでからだ……完全に本末転倒だろ?」
全てが終わってからだ、遅すぎるだろう。
「それでも、俺は妹の墓前に……フェリアに霊薬を渡してやりたいんだ。
他人が聞いたら、自己満足以外の何物でもないだろうけどな、笑ってもいいぜ?」
「俺にそんな高等な機能は無い。
――が、代わりにそれを笑う者を斬り伏せる機能くらいはある」
「物騒なこと言うなよ」
二人してニヤリと人の悪い笑みを向け合うのだった。
「あのー、台車欲しいんだけど……」
そこに、申し訳なさそうな顔を浮かべたリルドナが、給湯室から顔出していることに気付くのに、少しばかり時間を要した……。
~・~・~・~・~・~
無骨な男達が無言で居座る応接間に、ガラガラと音を響かせながら小さな人影が台車を押してくる。
その姿を認めた一同は、思わず感嘆の声を漏らしたようだった。
「皆様、お待たせしました」
そこには、丁寧なお辞儀をし、優雅な立ち振る舞いで紅茶を注いでいくメイドの姿があった。
本来の正式な衣装とは細部が違ってはいるが、その第一印象は間違いなく『メイド』そのものだ。
「えらく化けたモンだな……」
「何が…?でしょうか……?」
上品な笑みを崩さずに、一瞬だけ射る様な視線が突き刺さった。
完全にお仕事モードらしく、その口調はいつものソレじゃない。
なんていうか……リウェンに似ている。
「おいおい、ねーちゃんだよなぁ?」
「はい、私でございますよ?」
ついつい確認してしまったゼルに対し、にっこりと微笑んで返す。
今、『私』って言ったぞ!?
化けすぎだ!詐欺だ!
「……無能様、今……とても失礼なお考えをしておられませんでしたか?」
「ぐぁ!?」
ダメだ、これはキツすぎる……こんな攻め手は反則だ……。
そしてさり気無く、『無能』という呼び名は変わっていない。
「リ、リルちゃん!?」
そこにロイまでもが慌てた声を上げる、
「はい、なんでしょう?」
それを尚も優雅な対応で返すリルドナだった……が、
「袖口とかの細部は仕方ないとして……カチューシャが足りないよ!?」
「はぁ?何言ってんですか?」
――ちょっぴり素の返しをしちゃっている……案外、薄っぺらな化けの皮なのかもしれない。
などと一悶着あったが、次々と紅茶が振舞われていく。
俺のカップにも紅茶が注がれ、湯気とともに甘い香りが鼻についた。
「この香りって……カボチャか?」
「ご名答です。カボチャの甘味を活かしたパンプキンティーですので、一度味見をなさってからお砂糖を入れることをお勧めしますよ?」
……なるほど、先程のカボチャの問い掛けはコレのためだったのか。
周囲から、「珍しいな」とか「自然な甘味だ」など口々に感嘆と賞賛の言葉が上がる。
「結構な手前だ。お嬢さんどこかで勤めていたのかね?」
「…………グロリア家にございます。以前、そちらで」
……ブルーノの問い掛けへの返事に妙な間があった。
元勤めていた家の名前を出すのに、何か躊躇いがあるように思える。
ブルーノは、それに気付いてか、気付かずか、何事もなかったように話を進める。
「ふむ、あの錬金術師の名門グロリア家か。何故、冒険者に転進したかはわからぬが……仕事に困ったら当家へ来ると良い」
「私如きに勿体無いお言葉です」
リルドナは深々と頭を下げ、一歩下がる。これは暗に『遠慮します』を語っている。
その後も、リルドナは次々と別の人間に捕まり、
紅茶の説明から彼女の経歴まで色々と質問攻めに遭っていた。
大した人気っぷりである。
と言っても、リルドナを捕まえていない人間も会話は弾んでいる。
その内容は専ら昼間の戦闘の武勇伝だ。
「オメェの剣捌き、ありゃ先住民の栄誉戦士のモノか?」
「ホウ、良く知っていルな、」
「いや、実戦レベルの技を見るのは初めてだ、ありゃー大したモンだ」
「いやいヤ、俺もすげェモン見せテ貰ったぜ、ナぁ旦那ァ?」
アーカスが問いかける視線の先には……
「ふむ、お褒め預かるのは嬉しいが……このザマではね?」
ソファーに深くもたれ掛かり若干弱々しく答えるローブの男――アビスだった。
どうやら意識が戻ったようだ。まだ顔色は優れないが意識はハッキリしているらしく、アーカスやゼル達と談笑を交わしている。
「話に聞けば、スルーフ殿の法具も実に面白いと思うのだが――」
アビスは気を失っていた為、例の魔法銃を見ていない。それでも話だけでも判断が付くのだろう。熱心に法具について語っている。
ここに居る人間は、云わばその道のプロだ。戦闘に関して言えばド素人の俺は、どうしても話から孤立してしまう。それは仕方のないことだ、いざ戦闘になれば、俺は役に立てないのだから。
「――いやいや、そんな魔法銃も、あのお嬢さんにアッサリ破壊されてしまったがね?」
「あ、あははは……その説は失礼しました」
リルドナはバツが悪そうに、乾いた笑いを浮かべる、例によって表情は目をクリクリと泳がせている。
「言い方が悪かったね?率直に君の魔力が凄いと賞賛しているのだがね?」
「お褒めに預かり感謝します。
ですが、あの場面では『彼』の回復魔法と機転を評価すべきではないでしょうか?」
「――え?」
リルドナが掌で指し示す人物……それは俺だ。
「だな、ムノーのアンチャンの回復魔法が無きゃ死人が出てたかもな」
「うむ、要所随所でムノー君が気付いてくれたことも大きいな」
「あと、ムノー君の開錠技術も大したモンだよね」
「うむ、見事だ。……ムノー?……まぁいい」
「ナイスだゼ、ムノーのあンちャん」
……褒めてもらえるのは正直嬉しい。のだが――
何故、全員揃いも揃って俺の名前が『無能』で確定しているんだ!?
――違和感よ、ここへ来いっ、そして今すぐ仕事をしろ!!
俺はこみかみに血管が浮き上がるのを抑えるのに必死にならざるを得なかった。
この場で無差別殺人事件が起きたら、きっと犯人は俺だ。
しばらくは話題の中心に振られた所為か、次々と言葉でもみくちゃにされていたが、ようやく離脱することに成功した。
ふと視線をリルドナに向けると、まだまだ彼女は解放されてそうになかった。
「あの娘ってパーラーメイドだったのかな」
不意にロイが呟いた。
「いえ、ハウスメイドだと言ってました。……パーラーって何です?」
「んっ?接客担当のメイドさんだね。まぁ、アレは彼女の才能なのかな?」
「何の才能……ですか?」
「気付いてるかな?あの娘っていとも容易く人の輪に入れちゃってるんだよ」
言われて見ればそうだった。
ほんの数時間前までは、全く近寄れそうにも無い人間ばかりだ。
俺自身も、普通に会話できるようになっている、それはひとえに彼女の功績ではないだろうか。
「あの娘って、ホント色々な意味で凄いよね」
「ですよね、イチイチ驚いてたらキリが無いんですが……」
「まぁ、頑張りなよ?彼女盗られない様にね」
「―――――――――――――――――――――――――――――――はい?」
「ムノー君、メイドが彼女だなんて経験値高いよ?」
こ、この人はぁぁぁ……!!
ニヤリと笑うその顔に、何か黒いモノを感じずにはいられなかった。
~・~・~・~・~・~
「――と、いうわけで、鍵の掛かってない部屋はそれだけあった」
紅茶を振舞われ、小柄なメイドへの質問攻めにも一段落(?)着いた頃、
ルーヴィックが先程、調べてきた二階部分について説明を始めた。
鍵の掛かっていない部屋は軽くニ〇はあり、無理に鍵を開けて回らなくとも、一人一部屋以上のお釣りは来そうだった。
ご丁寧にもルーヴィックは見取り図まで書いて、示してくれている。
やはり機械で描かれたような整いすぎた図面になっていた。
「空いているのは、ほとんど下級使用人の部屋だな、三~四人の相部屋なので意外と広い筈だ」
「て、ことは鍵が掛かっている部屋の中には上級使用人の部屋もあるのか?」
別に鍵を開けてどうこうするわけでは無いが、ついつい訊いてしまった。
その問いにはルーヴィックではなくブルーノが答えてくれた。
「ここには無いかも知れん。
一人部屋を許された特権階級なら、屋敷本館に部屋を貰っている筈だ」
「そういうモンなんですか」
こういった使用人事情に関しては俺はサッパリだった。
皆、自分の荷物を持ち、空いた部屋へと散っていく。
別に暖の取れる応接間でも、夜を明かすことは出来る。だが、やはり個室で心身ともに休息したくなるのが人間というモノなのだ。
俺も明日からの本格的な探索に備え、色々な準備がしたかった所為もあり、一人で休もうと思っていたが……。
――ヤツに捕まった。
「なぁ、一人で休ませて欲しいんだが……」
「なに、問題ない」
「いや、いつも言ってるが、問題があるのは俺の方で……ちょっと待て、なんだその四角い物体は、いや、確かにある程度予想はしてたが――普通にチェス盤を持ってくるな。おい、待て!だからなんで俺と同じ部屋に入ろうとする?」
というわけで、ルーヴィックの有無を言わさぬ突撃(?)で、俺は結局捕まった。
その部屋は四人部屋らしく、簡素なベッドが四つ並んでいた。
ベッドはあるが、毛布の類は無く、すっかり人が引き払ったことを物語っていた。
もう、そうすることが当たり前のようにお互い駒を並べ始める。
無視することも出来たが、それに応じている辺り、俺もやはり好きなのだろう。
「あのフェリア卿の兄ならば、まだまだ伸びるに違いない」
「三年前の時点で、とっくに大差を着けられてたんだぜ?」
瞬く間に駒を並べ終え、ゲームの準備は整った、やはり俺が白で、ヤツが黒。
初手はあまり考えない。
というか定番になっているので序盤はお手本の通りに指し合うことになる。
俺もそれに違わず、中央に歩兵を展開しようと手を伸ばした時、
コン、コン、ガチャ。
「失礼します。
無能様、お口直しにカルチェラタン等は如何でしょうか?」
「……とりあえず、ツッコむぞ?」
いくら猫を被っていても、リルドナはやはり、リルドナだった。
「有無言わさず、ドアを開けるんじゃねぇ……あと、そのキャラはもう止めろ。コンデンスミルクを一缶一気飲みするような気分になれるっ!!」
「くすくすくすくす……お気に召しませんか?
まぁ、コンデンスミルク一気飲みとか、あたしなら普通にイケるけど?」
「お前は胸焼けせんのか……」
自分で言っておいて、すでに気分が悪くなった俺がいる……。
そこに先程のパンプキンティーとは別種のすっきりとした甘い香りが鼻についた。
「ん……?この香りはなんだろう?」
勿論、香りの発生源はティーポットからだ。
「――ラベンダーじゃないかな?」
声の方に目を向ければ、廊下からこちらを覗き込むロイとゼルの姿があった。
二人とも既に防具を外して身軽になっている。
「正解よ。金髪もなかなか詳しいわね」
「ふふふふ、この街――いや、この土地というか――
この国の人間は皆、大小の差はあっても紅茶にはうるさいよ?」
「それも、そうねぇ。まぁ、あたしも生まれは獅子の王国だけどね」
驚きはしなかった、随分と綺麗な英国語で喋っているのだ、不思議じゃない。
……外見上はどう見ても東洋人寄りだけど。(除:赤瞳)
「――で、お二人は何をしに?」
そもそも、なんでこの二人がこの部屋に……?
「あたしが呼んだの」
「俺が呼んだ」
ほぼ同時だった。
「お前ら、どっちもかよぉ!?」
「折角だから、別のお茶も飲んで欲しくってさ」
「折角なので、一局付き合って貰おうと思ってな」
軽く眩暈がした……。
「旅行に来てんじゃねぇんだぞぉ!?」
ここに来て、俺のツッコミジェネレータは最大出力だった。
「まぁまぁ、折角の紅茶が冷めちゃうよ?」
ロイに諭されて、渋々と矛を収められた。
いくらここが四人部屋だったとは言え、五人入るには少々手狭だった。ゼルとロイが大柄というのもやはり大きい。
なので、ドアを閉じずに開け放たれたままになっている。不幸中の幸いか、この部屋は階段から最も離れた通路の突き当たりに位置する為、部屋の前を人が通ることが無いのが救いだった。
「まぁまぁ、お客様どうぞどうぞ」
「えぇいやめい!」
カップに注がれた紅茶は濃いオレンジ色のすっきりとした甘い香りが発ち込める物だった。
ストレートとフレバリーの違いもよくわかっていない俺には未知の飲み物だ。
ただ、ラベンダーの香りが心地よいアクセントになって、それだけでも満足だった。
「これは、アイスティーにしてもいいのよねぇ」
「うーん、オレはどっちかてーと、モーニングブレンドがいいな」
「はぁ?なによ、ミルクティー派なの?」
わ、わからない……!
ゼルですら、普通に会話が出来ているが……俺にはそんな知識は無い。
ただ香りとお茶の渋みが味わえればそれでいいとさえ思っている。
――などと、言ってしまえば、間違いなくブーイングの集中砲火を浴びてしまいそうだ。
「こ、紅茶も奥が深いんだな……」
「まぁね、その深みに沈みこんでいくのが醍醐味なんだけど――」
そこでリルドナは言葉を切り、何かを思い出したように言葉を続ける、
「そういえば、アンタにお願いがあったんだったわ」
「ふむ?」
リルドナは開け放たれたドアの、さらに向こう側を指差し、
「あっちのドアの鍵開けて貰えないかしら?」
今俺達がいる部屋側はほぼ鍵が掛かっていなかったが、廊下を挟んで向かい側はことごとく施錠されていたのだ。
ドアの配置された間隔や、装飾などを見比べても、明らかに向こう側の方がランクが上に思える造りだ。
「……?どうしても、そこがいいのか?」
「うん、ワガママ承知でごめんね」
「ま、腕鳴らしついでに一丁開けてやるよ」
俺は紅茶を一気に飲み干すと席を立った。
「……ふむ…………おや?」
ドアを見るなり、すぐに違和感に気付いた。
そのドアと、その隣のドアだけ妙に真新しいのだ。鍵も随分と厳重なモノに変わっている。
「む、難しそう?」
俺の表情を読み違えたのか、ベクトルの違う心配を飛ばしてくる。
「いや、大丈夫だ。玄関よりかは複雑だけど…いけるぞ」
「そ、そう?凄いわね……」
俺は愛用のピックを取り出すと、カチャカチャと鍵穴の中を探る。多少複雑そうだが、やはりツール無しでも充分に開錠出来そうだった。
リルドナが固唾を飲んで見守る中、パチン!という澄んだ音が静かに響いた。
「……いけたの?」
「おう、バッチリ――」
――だぞ。と俺が言う終わるや否や、
ガチャ!バタン!とリルドナが猛スピードで部屋の中に飛び込み、速攻でドアを閉めてしまった。
ちゃっかりと俺が運んでやっていた彼女の荷物を忘れることなく持ち込んでいる。
「おいおい、何慌ててんだよ」
「ご、ごめんね~、つ、ついね」
ドア越しに聞こえる声は明らかに動揺している、顔こそは見えないが、きっと見えるなら例の『クリクリと目を泳がせた顔』に違いないと思った。
余程、中に執着があったのか、中を見られたくないのか、それはわからないが、俺には少し見えてしまった。
その部屋の中には、しっかりと家具や調度品が並び、淡いピンクの壁紙が張られていた。明らかな生活感がそこにはあった。
――おいおい、まさか……なぁ?
「んじゃ、俺は戻ってるからな」
「う、うんー。またあとでそっちにいくわー」
どうも、この女は嘘や隠し事が下手なようだ。叩けば「ぶわっ!」と埃の塊がでてきそうだ。
だからといって、下手に追い詰めて泣かれたら適わないので、気付かないフリをすることにした。
「――チェックメイトだ」
「ぐあぁぁぁ!」
部屋へ戻ると、丁度ゼルがルーヴィックに詰まれたところだった。
……初心者狩りしてんじゃねぇよ……。
「――戻ったか、
この男は槍の扱いは上手いくせに騎士の扱いがなっていないな」
「お前、サラリと酷いこと言ってないか?」
ゼルが噛み付きそうな顔でルーヴィックを睨みつけ、さすがのロイも苦笑いを浮かべている。
俺もよくこんなヤツと付き合ってるモノだ、感心してしまう。
「んじゃ、次はボクがお相手しようかな?」
「ふむ、ではお願いする」
今度はロイと対局を始めてしまった。
することが無く、手持ち無沙汰な俺は仕方なく荷物整理をすることにした。
明日からの探索を考慮すれば、やはりツールのチェックは怠れない。
リュックの口を開くと、中に予備のボルトケースや携帯型のカンテラ、それに開錠ツール一式、あとは白い布に包まれた四角い物体……。
おや?なんだこれは……。
リュックの一番奥深くにそれはある。
見覚えはないし、入れた覚えも無い。
「ただいまー、うわっ金髪までチェスやってる!」
その賑やかさでリルドナが戻ってきたことが見なくてもわかる。つまり、俺はそちらを見ていないということだ。
俺の注意は、リュックから取り出された白い布の包みに集中している。
「あれ?何ソレ、お弁当箱?」
「お前は食うことしか先に連想できんのか」
そこで気付いた、リルドナがエプロンを外し黒服だけに戻っていることに。
屋内にいる為か、ケープを改めて身に着けていない。
「おや、リルちゃん。メイドさんは終わりなのかな?」
「はぁ?何言ってんの?」
ロイの表情は心底残念そうに見えた、わかり易い人だ。
しかし、銃兵の眼は死んでいなかった(?)
「君もツヴァイ・クロイツ出身なんだね?」
「え?」
「それ、双鎌十字の紋章でしょ?」
ロイが指し示す『それ』とは、リルドナの膨らんだ袖に張り付いた例の紋章だ。
その指摘にリルドナは頭を掻きつつ、
「コレってそんなに有名だったかしら……?」
そんなことよりも、今かなり違和感を覚えた気がした。
「ちょっと待て、誰がツヴァイ・クロイツ出身だって……?」
「あたしと、あの子だけど?」
「ぐあ!?乙女チックに小首傾げて『何言ってるの?』ていう顔するなっ!おかしいだろ?お前魔法使えないんじゃないのか?」
「失礼ね、少しくらい使えるわよ」
いや、それよりも、この女の頭で魔法学校が卒業出来るとは思えない!
何故か認めたくなかった、だってこの女は――
「リル、エインは『何故、単細胞のお前に卒業できたんだ?』と言いたいらしい」
「おい!?少しはオブラートに包め!いや包んでください!お願いだからっ!」
つくづくコイツは容赦が無い……。
「ま、まぁ……成績は『良くはなかった』わ……」
リルドナは眼を泳がせながら、そう答える。
率直に『悪かった』と言えない辺りが最後のプライドだろうか。
「よく、卒業できたな……」
「まぁ、あの子の確信犯の改竄があったからねぇ」
そのネーミングは……絶対、穏やかな事情じゃなさそうだ。
「その上着は一科生の制服なのかな?」
「ほんっと、よく見てるわね。そうよ、上だけなんだけどね」
「んじゃ、よく見てるついでに……八八…いや、違うな……九〇のFかな」
「――っ!」
ロイの言葉にリルドナはビクゥ!と激しく後退り、胸を庇うようなポーズで、顔を真っ赤にしながらジトりとロイを睨みつけている。
「き、金髪……アンタぁ……」
「ふふふふ、銃兵の測量眼を甘く見ちゃダメだよ?」
やらしく綻んだ口元で白い歯がキラリと光った気がした。
「オメェは昔からそんなんばっかだな。オイ、いい加減訴えられるぜ?」
よくわからないが、どうやらロイの一本勝ちのようだ。
今の騒動で忘れそうだったが、謎の白い布の包みが再び気に掛かった。
かなり大きなモノだ。形容するなら『巨大な長方形の分厚い板のよう』だ。
布の手触りも独特だった。麻とも木綿とも違う。
「それ……もしかして絹じゃない?」
「絹なんて触ったこと無いからわからんが……」
どっちにしても絹なんてお高いモノ俺が持っているはずも無い。
つまり、これは俺の持ち物ではないということだ。
「アンタのじゃ……ないの?」
俺は無言で頷き、意を決して白い布の包みを解いていく、
果たして、その中から姿を現したのは――
「う、嘘……」
リルドナが信じられないのも無理も無い。俺だって信じられないんだ。
白い表紙の独特の装飾を施された、巨大な一冊の本――魔導書だった。
~・~・~・~・~・~
今、俺の手の中に魔導書がある。
記憶が確かならば、これはリウェンの所有物の筈だ。
それを裏付けるようなリルドナの反応もあり、記憶違いでないことに自信を持てる。
「なんで……アンタがコレを持ってるのよっ!」
「お、俺のほうが聞きたい、大体、俺の鞄に誰が、いつ入れるんだよ」
まるで憶えが無い、俺が昨晩に中身をチェックした時には、こんな物は入っていなかった。
それから大っぴらにリュックの口を開けることもしていない、誰かの手に渡すようなこともして…
――いや、あった。
確実にある。そして、そこしかあり得ない。
「リウェンか……あれは嘘泣きだったのか」
早朝にリウェンを言葉で泣かせてしまった俺は逃げるように、小屋から出た。
その時、俺は慌てていた所為で、丸々荷物を置き忘れたんだ。
そう、そこからルーヴィックに荷物を取りに行って貰うまでの間、俺の荷物はリウェンの目の前に――彼女しかその場にいない状態で、確実に彼女の手の内にあったんだ。
「ていうか、お前もグルだろ?」
「さて?なんのことやら」
そして、この手のことにこの男が気付かないわけがない……絶対グルだ。
何を企んでいるか、まるで見当もつかないが……。
「ちょっと、アンタ。ソレってドライヴ状態じゃないの?」
「んぁ?なんだそりゃ?」
よくはわからないが、微かに本が光っているように見える。
不思議な青白い淡い光だ。
「ちょっと貸してっ!」
リルドナは俺から本を引っ手繰ると、勢い良く本を開く。
――そう、開いたんだが……なんていうかな、違うんだ。
普通、本は横に開くが、リルドナは縦に開いている。
――まだ、わかり難いな。喩えるなら……フタの空いた宝箱だ、パカっと開いたあの感じに似ている。
とにかく、そんな奇妙な開け方をして、さらに本のページに当たる部分をなにやら指で素早くパンチしているようだった。
「……。こりゃ凄いわよ?」
「悪い、全然着いていけそうに無い。何がどうなってるんだ?」
彼女は自分を落ち着けるように軽く深呼吸をし、回答を告げる口を開いた。
「いーい?魔導書は所有者に合わせて無限にカスタマイズできるのが最大のウリなの、その余りある魔法領域に必要な術式や方陣を書き足していけば、反則この上ないチートアイテムになり得るのよ」
「……で、その内容が凄いってことか?」
「うん、あの子はそんなのほぼ必要ないから、白紙同然だったんだけど――」
そう言いながら、リルドナの視線は本のページを足早に駆けて行く。
「これは、アンタのために構築した魔法補助システムだわ。あの子には全く必要の無いモノが満載なのよ」
「ど、どんなのがあるんだ?」
本のページから視線を外さないまま、眉を寄せて「むむむ」と唸る、
「ヒールの魔法ランク:プラス一五レベル、ヒール回復量:プラス八〇〇パーセント……」
「うぉ!?モロに心当たりのある内容だ!!」
「消費魔法力緩和:七五パーセント、詠唱成功率:百パーセント固定、耐非物理ダメージ減少:九〇パーセントカット……あとは危機感知に自動警告かな」
もう笑うしかなかった、ぶっ飛びすぎた超絶チート具合だ。
今日生きてこられたのは、モロにリウェンのお陰じゃないか……。
「なんか夢から醒めた気分だぜ……」
「まぁ、アンタには贅沢すぎる補助効果よね……あ、強制徴収まで付いてるわ」
「なんだそりゃ?急にヘンなネーミングなったけど……」
「魔法力が足りなくても、わざと自己制御を働かせずに、無理やり生命力から徴収して魔法を発動させちゃうの」
それも心当たりのある仕様だ……。
「おいおい、それってアンチャンがぶっ倒れそうになった原因じゃねーのか?」
「うん、そうね。これが無ければ。回復魔法が発動しなかったわけだから」
魔法力が足りなくても無理やり発動してくれる、これをありがたいと取るか、迷惑と取るか。
俺は前者だった。
「随分と危ない仕様にしてるんだな?あの嬢ちゃんはよぉ」
「うーん、あたしはあの子気持ちわかるかなぁ~」
「リルちゃん、どういうことかな?」
「仮にさ、目の前で瀕死の重傷の人がいて、一刻を争う時だったらどうするの?」
リルドナの言わんとしていることは、すぐ予想が付いた。
救えるかもしれない命は救いたい、つまりそういうことだ。
「傭兵ならあるんじゃないの?
目の前で弱り切って死に行く者が居て、でもどうすることも出来なくて。
……ただただ自分の無力さを悔いて涙して……。」
「……痛いトコロ突くね、」
「あたしは……あるよ?」
そう告げる彼女の言葉は重い、決して上辺だけ言葉で言ってるんじゃない。
これは確かにその辛さを噛み締めた者に宿る重さだ。
「それに比べたら、ちょっと意識を失いそうになるくらい、安いモノじゃない?」
辛そうに皮肉めいた笑いを漏らす彼女の顔は痛々しかった。
誰を死なせたかわからない、だけどこの話を早く打ち切りたかった。
「――それにしても、随分と過保護な補助をつけてくれたわけだ」
「そ、そう。そうなのよ!」
俺の気持ちを汲んでくれたのか、少々無理やり気味に会話にあわせてくる。
でも、それでいいんだ。
「とにかく、アンタはあの子にちゃんと感謝しなさいよ?」
うん、その意見には全面的に賛成だった。
「だけど、こんなシステムっていつ構築したんだろう?」
「ふむ、本来はそこまで個人限定の術式を組み上げるには、相当な対象の調査と計算を必要とされるな、軽く見積もって一週間強だ」
「ほんと、いつの間に……て感じだな」
そこに眉を『ハ』の字にしたリルドナが口を挟む、
「えーっと、こういうのをなんて言うんだっけ……『内助の功』じゃないわよね。け、結婚してないもんねっ」
「勝手に想像して、勝手に顔を赤くするな。別に格言も諺も思い出さなくていいぞ」
それにしても、俺には出来すぎた代物だ。
この仕事が終わったら速攻で返却しないと、なんだか怖すぎる。
「それにしても、スゲェ本なんだなぁ」
ゼルが不意に魔導書に手を伸ばそうとする――
「――ヤンキー顔、ストップ」
「おっと、なんでぇ?」
それをリルドナが制止する。
本から目を離さないまま、彼女は告げる。
「どうもあの子、登録した人物以外が触れると強制的にシステムが落ちてロック掛かるようにしてるみたい。触れていいのは、あたしと、無能と、お兄ちゃんだけね。まぁ、勿論リウェン本人はオーケーよ」
「やっぱりセキュリティかな、確かに出来過ぎた代物だしね」
尚も本に目を走らせ続けていたリルドナだが、それが不意に止まる。
何かを発見したのだろうか。
「霊子栞が付いてるわね、無能に読んで欲しいページがあるみたいね」
「俺に、読ませたい……例のお伽話の続きか?」
「まぁ、思いつくのはソレくらいよね――あ、そうだ」
リルドナが何かを思い出したかのように、急に言葉を切る。
「やっと思い出したわ~」
「何をだよ?」
「さっきの場合の諺よ」
「別に言わんでもいい……」
聞いてもロクでもないことに決まってる、
「曰く、『リウェンが一晩でやってくれました』キリッよ」
「キリってなんだよ!どうでもいいから、リウェンが読ませようとしているページ開けてくれよ」
俺の催促に「はいはい」と答えながら、パラパラパラパラと高速でページを捲っていく。
そんなので見えてるのか?と聞きたくなるが、そこは流石のリルドナ。全て見えているのだろう
ピタリと目的のページを開け、そこから巻き戻しも送りもせずに俺に指し示す。
「ここなんだけど、読んであげようか?」
「いいよ、それくらい自分で読む」
「そう?読めるかしらね~」
不適な笑みを含みながら、開かれたページを俺に差し出す。
俺だって文字の読み書きくらい普通に出来るんだ。
お伽話くらい、自分で読んで――
「……なんだよ、コレ」
開かれたページに書き連ねられたソレは、見覚えの無い記号や図形だらけにしか見えなかった。
な、何語で書いてあるんだ!?
「よ、読めねぇ……」
「ほらね~♪」
二日ぶりの顔芸の魔女の再来だろうか。
そこには心底嬉しそうに、にやぁ~と笑うリルドナが居た。
~・~・~・~・~・~
腸炎、胃炎、食道炎のジェットストリームアタックに苦しめられた挙句に、仕事休んでまで行った総合病院の中をひたすらたらい回しにされて七時間もの間点滴針をいぶっ刺した状態で病院を右往左往させられたあせこさんです、こんばんは。
読んでくれてる皆さん、お久しぶりです。
早く寝ないと明日が辛いのに必死に後書きを書いている大馬鹿者です。
ようやくです、ようやく散々ばら撒いた伏線を回収する時が来ました。
ようやくすぎて、もう忘れてしまっているモノまであるのが泣き所です。
今回は内容的になんだか『休日』っぽい……。