誰かの夢の上に立っている
夢は叶わなくても終わりじゃないと僕は思う。
僕はきっと誰かの夢の上に立っていて、
僕が叶えたい夢はきっと誰かが叶えてくれている。
「大丈夫だ、ちゃんと走れてるよ」
人工芝の上を蹴るように走る君の背中を、僕はベンチから見つめていた。ピッチの上に立つのは、かつて同じ目標を追いかけた“もう一人の僕”。けれどその背中は、もう僕の背中じゃない。代わりに僕は、白いタオルと水の入ったボトルを持つ、ただの“サポーター”になった。
でも、不思議なことに——悔しさよりも、誇らしさの方が胸を満たしていた。
僕と空は、物心がつく頃からずっと一緒だった。通っていたサッカースクールも、出場した大会も、すべてが二人三脚。
「俺ら、絶対プロになろうな」
「なろう。絶対、2人で世界に行こう」
そんな約束を交わしたのは、小学校のグラウンドの端。沈む夕陽の色が、今でも鮮明に記憶に焼き付いている。
けれど、夢への階段を上り詰める途中で、僕の足は止まってしまった。高校2年の冬、練習試合中に右足を骨折。予後は最悪。リハビリを重ねても、あの頃のようにはもう走れない。ドクターの診断はこうだった。
「競技レベルでの復帰は難しいでしょう」
あの時、すべてが音を立てて崩れた。ピッチの外から見る日々に、何度も心が折れそうになった。
それでも、、そんな僕を何度も引き戻してくれたのは、他でもない空だった。
「なあ、まだ一緒に世界を目指そうや」
「でも、俺はもう……」
「ピッチの中じゃなくていい。お前となら、俺、もっと上まで行ける気がするんだ」
選手である自分を捨てるのは、何よりも辛かった。けれど、空の真っ直ぐな目を見て、僕は気づいた。
夢の形は、1つじゃない。叶え方も、1つじゃない。
あの時から、僕は「選手」を支える「存在」になることを決めた。
空は、僕の目の前でどんどん高く飛んでいった。Jリーグ、そしてヨーロッパ。
メディアで名前が取り上げられるたびに、誇らしい気持ちと、どこか置いて行かれるような感情が、胸の奥でぶつかり合った。
でも、彼がインタビューでいつも口にするんだ。
「俺がここまで来れたのは、隣にいてくれたヤツのおかげです」
僕の名前は、決してスポーツ新聞の見出しには載らない。観客の歓声も、僕に向けられることはない。けれど、空が走るその先には、確かに僕の声が届いている。それだけで、いいと思えた。
空が得点を決めたとき、僕はそっとタオルを握りしめる。ベンチの一番隅で、そっと拳を固める。
「ナイスシュート……」
観客の歓声に紛れて、僕の声は誰にも届かない。でも空は、ピッチの向こうで、こっちに向かって軽く手を額に当てる。
小学生の時に2人で決めた、僕にしかわからない、あの合図。
——ちゃんと、見えてるよ。
「なあ、有志、お前ってさ、夢が叶えられなかったって悔しくないの?」
ある夜、チームの後輩に聞かれた。酔った勢いの軽口だった。
でも僕は、笑ってこう答えた。
「叶えてるよ、俺の夢」
「え? だって、ケガしてからプレーしてないじゃん?」
「俺が叶えたかったのは、空と一緒に世界へ行くこと。ポジションは違っても、夢のピッチには立ってるんだ」
後輩は、ぽかんと口を開けてから、少し恥ずかしそうに笑った。
「それにさ、俺の今の立場って、誰かの夢でもあるんだよな。プロ選手じゃなくても、誰かを支えるサポートスタッフになりたい子っていっぱいいる。そういう夢の中に、俺はいる」
叶えられなかった夢は、消えたわけじゃない。
誰かがそれを引き継いでくれたとき、夢は“続いて”いく。
そして僕が今、誰かの夢を生きていることも、確かな事実だ。
試合終了のホイッスルが鳴る。空のチームが、ワールドカップ予選を突破した瞬間だった。
空はゴール裏に向かって走りながら、真っ先にスタッフ席の方を見て、拳を額に置いた。
——やったぞ、有志!!!
目が合った気がした。彼の瞳の奥に、あの日の僕らがいた。
ボロボロのスパイク。泥だらけの膝。
2人で誓った、あの約束。
「俺ら、絶対プロになろうな」
「なろう。2人で世界に行こう」
——今、確かにその夢は、ここにある。
僕の夢は、君の足で走り出して、
君の夢は、僕の声で支えられている。
叶えた夢はまた誰かの夢になる。