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第3章: 「発見と受容」

「どうして、こんなに生きるのがしんどいんだろう」


うつ病と診断され、少しずつ回復の兆しを感じ始めたある日、ふとそんな疑問が心に浮かんだ。薬の影響か、それともカウンセリングのおかげか、霧のようだった思考が少しずつ輪郭を取り戻していく中で、私はずっと胸の奥にしまい込んでいた感覚と向き合うようになっていた。

これは、ただの病気だけではない。ずっと昔から続いてきた、生きづらさの根っこがあるような気がした。


子供の頃から、「なにかが違う」と感じていた。他人の顔色を読むのが苦手で、相手が冗談を言っていても、それが本気なのか嘘なのか、見分けがつかなかった。話している途中で、急に空気が変わったように感じる瞬間がある。でも、どうしてそうなったのか、分からない。ただ自分が「何か変なことを言ってしまった」のだろう、という不安だけが残る。

友達と遊んでいても、ひとりだけルールが分からないまま戸惑っていた。だから、みんなと一緒にいるのが怖かった。自然な笑顔や言葉のやりとりが、なぜか自分にはできないような気がしていた。

大人になってからも、その感覚は薄れるどころか、より明確になっていった。職場では、上司や同僚の機嫌に敏感になりすぎて、自分の意見を言えなくなる。会議中、頭の中で思っていることをうまく言葉にできず、沈黙してしまう。みんなが笑っている会話の中に入ろうとしても、どこかタイミングを外してしまって浮いてしまう。

「努力が足りないんだ」「人間関係が苦手なのは、性格の問題だ」と、何度も自分に言い聞かせてきた。でも、頑張れば頑張るほど、心が疲れていくような感じがしていた。


そんなある日、カウンセリングの中で、カウンセラーがふと口にした。


「もしかすると、発達特性が関係しているかもしれませんね」


その言葉は、最初、うまく飲み込めなかった。「発達特性」という言葉自体は聞いたことがあったけれど、自分には関係のない世界のことだと思っていた。けれど、その後も何度か通院する中で、医師や心理士と話し合い、正式に検査を受けることになった。

検査の日、私は病院の白い天井を見つめながら、これまでの人生を思い返していた。もし、何か「障害」があると言われたら、自分はどうなるんだろう。今よりももっと孤独になるのではないか。社会の中で、より生きづらくなるのではないか。そんな不安が、頭の中をぐるぐると回っていた。


結果は、「ASD(自閉スペクトラム症)」の傾向が強い、というものだった。


一瞬、時間が止まったように感じた。


でも、それは不思議と絶望ではなかった。むしろ、自分がずっと感じてきた「ズレ」の正体が、ようやく言葉になったことに、静かな安堵があった。

医師は、優しく説明してくれた。

「ASDは、知能の高さや能力とは無関係です。ただ、ものの捉え方や感じ方、考え方の『かたち』が、いわゆる『多数派』とは少し違うだけなんです」


その言葉を聞いたとき、私は少しだけ呼吸が楽になった気がした。


自分の「違和感」は、自分のせいではなかった。誰かに合わせられなかったこと、自分の感覚が周囲とズレていたこと、それらはすべて「努力不足」でも「わがまま」でもなく、脳の働き方の「特徴」だったのだ。

そう理解できたとき、これまで自分を責め続けてきた無数の声が、少しだけ遠ざかっていった。

それから、私はASDについて少しずつ学び始めた。ネットで情報を調べ、本を読んだ。専門家の話を聞く動画を見た。そこに出てくるエピソードは、自分の過去と重なっていて、驚きの連続だった。

音や匂いに過敏で、日常の些細な刺激に疲れてしまうこと。予定外の変更に強いストレスを感じ、頭が真っ白になってしまうこと。人との距離感が分からず、突然近づきすぎてしまったり、逆に遠ざかりすぎてしまうこと。


「そうだったんだ……」と、ページをめくるたびに、心の奥で長い間泣いていた自分が、少しずつ癒されていくのを感じた。


家に帰り、妻にそっと診断のことを話した。彼女は驚いたように目を丸くしたあと、ふと微笑んだ。


「うん……。なんか、わかる気がする」


その言葉に、私は息が詰まるような気がした。そして、胸の奥から、何かが崩れるように泣いた。ずっと理解されないと思っていた。誰にもわかってもらえないと思っていた。でも、妻は、その「違い」を受け止めてくれていた。


「あなたがあなたでいることが、大切だよ」


その言葉を、どれほど自分が欲しかったのか、私はそのとき初めて気づいた。


ASDという診断は、私にとって「ラベル」ではなかった。それは、「理由」だった。ずっと生きづらかった理由、自分だけがつまずいていた理由、そのすべてに意味があったということを、私に教えてくれた。

もちろん、すぐにすべてがうまくいくわけではない。これからもきっと、社会の中でつまずくだろうし、人間関係で戸惑うこともあるだろう。けれど、「なぜそうなるのか」が分かるだけで、少しだけ前を向ける気がした。

私の「普通」は、他の誰かと同じじゃなくていい。

私は「普通」ではなかった。でも、だからこそ見える世界がある。感じられるものがある。

それを大切にしながら、これからも私は、自分と向き合い続けていきたいと思う。


焦らず、無理せず、自分の歩幅で。


心の中にあった違和感を、やっと抱きしめられるようになった今、私はようやく、本当の意味で「自分」と出会えた気がしている。

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