第2章: 「自分の心と向き合う」
うつ病――その言葉を、私は長い間、他人事のように感じていた。自分とは縁のない世界のものだと思い込んでいた。でもある日、その言葉が医師の口から静かに告げられたとき、私はまるで何かにとどめを刺されたような感覚を覚えた。
「うつ病の可能性がありますね」
その一言が私の胸の奥深くに染み込んでいった。否定したい気持ちと、どこかでやっと名前がついた安堵感。その二つが、せめぎ合うようにして心の中で揺れていた。
朝起きることができなくなって、何日が経ったのかもう分からなかった。日付の感覚も時間の流れも曖昧になり、私はただベッドの上に沈み込むように横たわっていた。カーテンの隙間から差し込む光さえも、今の私にはまぶしすぎた。
思考は濁った水の中に沈んでいくようで、何かを考えようとするたびに脳が拒否しているのが分かった。まるで、心の中に重たい霧が立ちこめているようだった。誰かの声が遠くから聞こえるような感覚がありながらも、それが何を意味しているのか、理解できない。
妻は、変わらずそばにいてくれた。けれど、彼女の優しさは、相変わらず私の心に痛みを残した。彼女が用意した朝食に手をつけられないまま、私は黙って俯くだけだった。何かを言おうとするたびに、喉の奥が詰まって、言葉にならない。声を発することさえ、ひどく億劫だった。
ある朝、妻がそっと差し出した名刺があった。
「近所の心療内科。もし、少しでも話してみようと思えたら……」
名刺の表面には、優しい字体で病院名と電話番号が書かれていた。それを見た瞬間、なぜか涙がこぼれた。声にならない嗚咽が喉からこみ上げ、私はその場で崩れるように泣いた。自分でも理由が分からなかった。ただ、誰かが私のこの状態を「病気」だと認めてくれたことに、安堵したのかもしれない。
初めて心療内科の扉をくぐった日は、まるで自分が他人の人生を歩いているような感覚だった。待合室には、私と同じように疲れた表情の人が座っていた。静かな空気の中で、壁にかけられた風景画だけが、少しだけ現実から私を引き離してくれた。
診察室に入ると、医師は柔らかい声で、私の話を聞いてくれた。何を話せばいいのか分からず、沈黙が続く時間もあった。でも、それを責めるような空気はなかった。ただ、そこにいて、ゆっくりと自分の言葉を探す時間が許された。
「無理に話さなくても大丈夫ですよ。話せるところから、少しずつで」
医師のその言葉に、私は少しだけ肩の力が抜けた気がした。診断結果は、やはりうつ病だった。治療の第一歩として、抗うつ薬の処方とカウンセリングの案内を受けた。薬に頼ることへの抵抗感はあったが、もう自分ひとりではどうにもできないところまで来ていたことは、誰よりも自分自身が分かっていた。
薬を飲み始めてから、最初の数日は何も変わらなかった。むしろ、副作用で頭が重く感じたり、吐き気がしたりして、不安が増した。けれど、医師にそれを伝えると、必要以上に慌てることなく、丁寧に薬の種類を調整してくれた。徐々に、ほんの少しずつではあるが、心の霧が晴れていく感覚が芽生え始めた。
カウンセリングでは、最初は何も話せなかった。ただ、沈黙の中で、カウンセラーがうなずいたり、穏やかに相槌を打ってくれるのを見ていると、少しずつ言葉がこぼれていった。「朝がつらい」「目覚めたくないと思う」「誰にも分かってもらえないと思う」――そんな言葉を口に出すたびに、胸の奥に押し込めていた何かが、少しずつ解放されていくのを感じた。
「自分を責めすぎなくていいんですよ」
カウンセラーのその言葉が、心の奥に染み入った。私はずっと、自分を責め続けていた。「こんな自分ではだめだ」「もっとちゃんとしなければ」「普通でいなければ」――そんな思考が、何重にも絡まり合って、自分の心を締め付けていた。
少しずつ、日常の小さな行動が戻ってきた。起き上がって、シャワーを浴びること。簡単な朝食を口にすること。家の窓を開けて、外の空気を感じること。どれも以前は当たり前だったはずのことが、今では小さな「成果」として、心に積み重なっていく。
ある日、ベランダから空を見上げたとき、久しぶりに「きれいだな」と思えた瞬間があった。それはほんの一瞬で、すぐにまた心はざわめきに戻ったけれど、それでも確かにその瞬間、私は「感じる」ことができた。それが、どれほど大きな変化だったか、後からじわじわと実感することになった。
妻との会話も、少しずつ戻ってきた。沈黙が少しずつ、言葉に置き換わるようになっていった。まだすべてを伝えることはできなかったが、「今日、病院に行けたよ」「外の空気が気持ちよかった」――そんな小さな言葉が、彼女の頬を緩ませた。
「よかったね」と微笑む彼女の顔を見て、私は初めて「この人に守られていたんだ」と感じることができた。私の沈黙を、彼女はずっと待ち続けてくれていた。そのことに気づいたとき、私はまた涙を流した。今度は、痛みからではなく、少しだけ救われた気持ちからだった。
もちろん、すべてがうまくいくわけではない。まだ不安はある。夜になると、過去の失敗や、これからの不安が押し寄せてくることもある。でも、少なくとも今は、その波にただ呑まれるだけではなく、少しだけ息継ぎができるようになった。
「自分の心と向き合う」――それは、簡単なことではなかった。怖かった。見たくなかったものもたくさんあった。でも、逃げずに向き合ったことで、自分の存在を少しだけ肯定できるようになった。「普通」でない自分も、自分なのだと、少しずつ受け入れられるようになった。
人生は、止まってしまうことがある。歩けなくなることもある。でも、それでも、立ち止まった場所からまた一歩踏み出すことができるのだと、今の私は信じている。
そして私は、今日も心療内科への道を歩く。ゆっくりでも、確実に。壊れてしまった心を少しずつ拾い集めながら、自分を取り戻す旅を続けている。