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第1章 婚約破棄は恋の始まり


「この婚約は破棄する。今日かぎり、君とは何の関係もない」


 王宮の大広間の真ん中で、わたしの婚約者だったはずの王太子――彼が高らかにこう言い放った。

 盛大にヒビが入ったような沈黙が広がり、周囲の廷臣たちからわたしに視線が突き刺さってくる。

 

「わたくしを解放してくださるということですね。ありがとうございます」


 口から自然に漏れるその一言に、王太子が目を見開き、その隣で控える廷臣たちが息を呑む。

 ここにいる大半の人々は「破談を言い渡された令嬢が嘆き悲しむ姿」を期待していたんだろう。


「お、おまえはそれでいいのか…?」

「ええ、もちろん。むしろ感謝しております。では失礼いたします。ご用件はお済みのようですので、わたくしはこれで」


 わたしは優雅にお辞儀をして、大広間を抜ける。びっくりして固まっている廷臣たちをすり抜けて歩み去る。心はとても軽い。空気がなんだか甘い香りさえする。まるで、行く先に明るい道が拓けている気がするから。


 わたしはずっと“完璧な公爵令嬢”として生きるよう周囲から求められ、言われるがままに王太子の許嫁という立場を押しつけられ、好きでもない人のために淑女でいようと努力してきた。恋も、趣味も、わたしの意思も、何もかも無視されてきた。

 だけど、いま解放された。わたしは自由を手に入れたのだ。


「ふふ、いい気分」


 廊下を進むと、遠くで待っていた一人の女性が笑顔で近づいてくる。

 セシリア。わたしが幼いころから側仕えをしてくれていた侍女で、現在は一度退職した身。けれど、わたしには大切な友人でもある。


「お嬢様、さっきのやりとり、拝見していましたよ。まさかあんな風に笑顔で受けるとは」

「だって、こんなに嬉しいことってないじゃない。やっと自分の人生をのスタートラインに立ったって事なのよ」


 セシリアはこほん、と少し恥ずかしそうに咳払いして笑う。


「それでは、この後はどうされるんです?」

「う~ん……そうね、まずは旅に出ようと思うわ。セシリアも一緒に行かない?」

「それはまた唐突ですね」


 セシリアが少し目を開いた。使用人だったころの彼女はわたしの世話を焼くのが仕事だったけれど、今ではわたしよりずっと情報通で、どこに何があるか熟知している。そういえば最近は退職後も各地を回っていたらしい。だから彼女が同行してくれたら心強いし、何より気楽だ。


「わたし、今まで城や実家の敷地内からほぼ出たことなかったのよ。世界は広いっていうし、一度じっくり見てみたいわ。見聞を広めるためにも」

「ああ……そうですね、噂によると、いま港町が活気づいているようですし、そこなら色々と出会いの機会もあるかもしれません」

「出会い、かぁ……」


 わたしの声が自然と小さく弾んだ。

 そもそも恋愛なんて知らないし、すべてが政略や打算で決められていた。けれど今は自由。それなら、わたし自身が“誰かを愛する”ってどんな気分か、一度本気で経験してみたい。


「セシリア、もしわたしが『誰かを全力で好きになる』って言ったら、どう思う?」

「え? ……いいと思いますけど、急にどうしたんですか」

「わたしは自由な身。恋するのも自由。……わたしは私の意思で、誰かを好きになりたいの」


 セシリアはぽかんとした表情を浮かべ、次の瞬間、吹き出すように笑い出した。そしてわたしの肩をぽんと叩き、ニヤニヤと楽しそうにうなずく。


「なるほど。お嬢様が本気で誰かに惚れ込む姿、確かに見てみたいです。まさか無謀な人に突っ込んだりはしないですよね?」

「わたしもさすがに学習はするわよ。まずは『顔だけにときめかない』とか、そういう最低限の条件からスタート……」

「あやしい。お嬢様、意外と顔に弱そう」

「なっ……そんなこと、あるかしら」


 セシリアはずっとニヤニヤしっぱなしだ。ちょっと嫌な予感がするけれど、まあ今は考えないでおこう。何せわたしは新しい世界に踏み出す気でいるのだ。

 結局セシリアは「勿論一緒に行きます。旅先で困ったら誰が助けるんです?」といいながら、二つ返事で同行を申し出てくれた。


 かくしてわたしたちは簡単な支度を済ませ、馬車に乗り込み、ひとまず港町リーネを目指すことにする。そこは商船が行き交い、各国の外交官や商人が頻繁に往来する賑やかな場所らしい。




 馬車に揺られながら、窓から見える景色にわくわくする。

 遠ざかっていく王城の尖塔は、まるでわたしを見送るみたいに夕陽に染まっている。


「ねえセシリア、わたし、本気で恋をしてみたいって思ってるの」

「はいはい、さっきも言ってましたね」

「なんだかワクワクしない? 自由になって、何者にも縛られずに好きな相手を探すのよ? 今までは自分から誰かを好きになるなんて許されなかったし、考えたこともなかったのに」

「ふふ、お嬢様は猪突猛進なところがありますからね。くれぐれも暴走しないでくださいよ」

「何言ってるの。恋するには多少の勢いが必要よ。そもそもわたしはどちらかといえば誰かに愛されるよう育てられてきたわけで自分から好意を向けるなんて未知の経験なの。ちょっとぐらい全力でぶつかってみたっていいじゃないっ」

「はは……相手が振り回される未来が見えるんですけど」



 数日後、わたしたちは港町リーネに到着する。

 馬車を降りると、ひときわ鼻をくすぐる潮の香りと、ざわめく人々の声が一気に飛び込んでくる。石畳の通りには露店がずらりと並び、漁師風の男たちや異国風の衣装をまとった商人が忙しそうに行き交っている。笑い声や怒号や威勢のいい掛け声が混ざり合い、どこか活気に満ちた空気が広がっている。


「すごい……人も多いし、こんなに色んな国の人が集まるのね」

「市場のあたりは特に賑やかですよ。どこで何が起こるかわからないぐらい活発ですし、お嬢様にとっては刺激がいっぱいじゃないですか?」


 そういってセシリアが得意げに笑った。

 さっそく市場を覗いてみると、新鮮な魚が巨大な樽に盛られ、カラフルな果物が山積みにされている。店主たちの威勢のいい呼び込みに、観光客らしき人々が群がる。

 騎士団員っぽい人が警備に回っている様子をみると、人が多いせいかトラブルも多いらしい。


 そのとき、少し先の方で子どもの悲鳴が聞こえた気がする。

 気になって視線を向けると、小柄な少年が酔っ払いらしき男たちに腕を掴まれ、泣きそうな顔でうずくまっている。その周囲では人々が戸惑って見ているだけで、誰も手出しをしない。


「セシリア、ちょっと行ってみましょう」

「え、はい、でもあれは……」


 わたしがあわてて駆け寄ろうとする、その一瞬。誰かがするりと人垣を抜けて前に立った。

 長身で、肩幅のある男性。黒い髪がさらりと風に揺れて、その横顔がちらりと見える。

 思わずわたしは足を止める。視線が、その男性の姿に釘付けになる。


 彼は声を荒らげるでもなく、静かに酔っ払いの男たちを見据えている。が、相手は明らかに人数が多い。少年を離せ、と言っているのだろうけど、酔っ払い側は聞く耳を持たず、逆に「ああん?」と絡むように肩を押してきた。

 そのときだ。

 男たちの腕がぶんと振り回される前に、黒髪の青年が華麗に身をかわし、あっという間に相手の足元をすくうように動いてみせた。


 ドサッ、と酔っ払いが地面に転ぶ。周囲がわっと声を上げる。何が起きたのかわからないまま倒された男たちは慌てて逃げ出し、少年だけが残される。青年は少年をそっと立たせると、何か言葉をかけている様子だ。

 遠目にもわかる、その優しいしぐさ。

 そして、彼がこちらを向いたその一瞬――わたしは心臓を撃ち抜かれたような衝撃を受ける。


「…………」


 思考が止まる。

 彼の整った顔立ち、深い色の瞳、どこか冷ややかな雰囲気の奥に潜む優しさ。

 そのギャップが、ドッとわたしの胸に押し寄せる。


「ちょ、ちょっと、どうしたんです、お嬢様?」


 隣でセシリアが声をかけてくる。けれど言葉が出ない。胸がドキドキして息が苦しくなる。なにこれ。


 もしかしてこれが――恋?


 彼は少年を安心させると、ふいと立ち去ろうとする。やばい、行ってしまう。

 わたしはいても立ってもいられなくなり、思わず駆け出した。


「待ってください!」


 彼がかすかに振り返る。その瞳は鋭くも見えるけれど、どこか儚い色を帯びている。

 わたしは息を切らしながら彼の前に回り込む。至近距離で見ると本当に綺麗な顔立ちだ。まるで絵画から抜け出したみたいに、人形めいた美しさがある。でも、人形なんかじゃない。今しがた困っている子どもを助けた、優しい人だ。


「え、ええと、助けてくださってありがとう。あなたのおかげで少年は無事でした」


 どうにか礼を言うと、彼はほんの少し戸惑うようにまばたきをする。それから伏し目がちに視線をそらし、静かな声で答えた。


「……いえ、大したことはしていません」


 冷たいわけじゃないけれど、驚くほど控えめだ。ほかの男性なら「いやあ、助けてあげたよ!」とか堂々と言いそうなものなのに、彼はやけにおとなしい。わたしはすかさず続ける。


「私はエリザベートと申します。どうぞエリザって呼んでください。貴方のお名前を伺ってもいいですか?もしよかったらお礼をしたいの。さっきみたいに、困っている人を見捨てないなんて素敵です」

「……ユリウスといいます」


 わたしが笑顔を作って距離を詰めようとした瞬間、彼はさっと一歩後ずさる。まるで体に染みついた反射みたい。近づこうとするわたしから、逃げるように離れていく。


「あ、あの…」

「ごめんなさい、急いでるんです」


 ユリウスと名乗った青年は、そのまま早足で市場の人波に紛れ込んでいく。

 わたしは唖然と残されてしまった。セシリアが後ろから肩を叩いて苦笑いをみせる。


「見事なまでの塩対応ですね。顔を褒めたら真っ赤になるどころか、もう全力で拒否してる雰囲気がありましたけど」

「あの顔と雰囲気であのシャイっぷりだなんて、はじめて見たわ」

「あの、美形はお嬢様の苦手分野では……」

「そうなんだけど。……あの遠ざかり方……」


 わたしは心臓の高鳴りを抑えきれずに、胸に手を当てて深呼吸をする。

 これが“わたしの意思で始まる恋”、になるのだろうか。

 距離を置かれても傷つくより先に「もっと話したい」と思ってしまったのだから、わたし自身、驚きだ。


 あれこれ考えながら市場をぶらついていると、露店の店主達が「王直属の外交官様だぞ」「ユリウス=ヴェルナーだよ」と話をしているのが聞こえてきた。

 王家直属の外交官ということは相当優秀な人物だろう。でもどうして外交官なのに、人と距離を取りたがるんだろう……。


 しばらく市場を回ったあと、宿の掲示板で“外交補佐募集”という大きな張り紙が貼ってあるのに目をとめた。詳細を読んでみると、どうやら“当面の仕事は隣国使節団との連絡窓口で、応募者は柔軟な発想と貴族的な礼儀作法が必要”とのこと。

 最後の署名を見てみると、まさしく“ユリウス=ヴェルナー”の名前がある。


「これって、絶対、なにかの運命よね」

「え、運命って……まさか、応募するんですか?」


 セシリアが目を丸くしているけど、わたしは即決だ。

 

「あらゆる書類仕事も貴族としての会話作法も、わたし得意だもの。過去に地獄のような勉強をさせられてきた経験が、やっと活きるときがきたのかも」

「それはそうですけど……その理由が『彼と接近したいから』っていうのは、若干危ない気もしますが」


 セシリアが呆れながらも、なぜかうれしそうに笑う。

 わたしは早速その掲示を見た担当者のところに足を運び、面接(といってもほぼ経歴確認程度)を受ける。すると相手は驚いた顔をして、「こんな優秀な方が来るなんて…あのユリウス殿も助かるでしょう」とあっさり採用を決定した。


「それで、わたしはいつから仕事に入ればいいんでしょう?」

「あ、あさってからで大丈夫ですよ。彼もそちらを拠点に動いているはずですが、本当に一緒にやる気ですか?」


 担当者が何度も念押しするぐらい、ユリウスは人付き合いが苦手だと有名らしい。

 でも、わたしにとっては魅力的でしかない。あの美貌と優しさを持ちながら、人と距離を取る。そこにはきっと何らかの理由があるのだろうし、わたしはそれを知りたい。


「明日、彼のところに“補佐として赴任したい令嬢がいる”と伝わったら、どんな反応をするのかしら。楽しみだわ!」


 わたしの発言に、セシリアは「好きだらけの思考ですね」と仕方なさそうに苦笑した。



 そしてその翌朝。わたしは準備を整えて、指定された執務室に向かう。

 扉を開けると、そこにはやはり黒い髪の青年――ユリウスの姿があった。デスクには書類が山積みで、彼は神経質そうにそのペンを握り、周囲に目もくれず集中している。


「失礼します。今日から補佐官としてお世話になるエリザベートと申します」


 わたしが明るい声を掛けると、彼はぎくりと動きを止める。それからおそるおそる顔を上げて、先日わたしが市場で突撃した女だと気づいたのだろう。見る間に青ざめた表情になり、口をぱくぱくさせる。


「なぜ、あなたがここに」

「ちゃんと採用されたので。わたしはお役に立ちますよ。礼儀作法と書類仕事、どちらも完璧にこなす自信ありますから」


 わたしが笑顔を向けると、彼は困惑に満ちた目を伏せ、書類を慌ただしく片づけ始める。明らかに挙動不審。だけどそんな彼もまた愛おしいと思ってしまう自分がいて、胸が熱くなる。


「……正直、困ります」

「どうして?」

「……えっと、その…やりにくい、というか…」


 もごもごと本音を言えずにいる様子。わたしはセシリアと目を合わせて、目配せをする。彼が苦手そうな領域をできるだけ手伝って、彼の負担を減らしてあげれば、少しは気が楽になるかもしれない。


「何だって任せてください。わたし、こう見えて多くの公的な式典をこなしてきましたから、外交のお手伝いには慣れています」

「それは心強い、かもしれないですけど」

「それに、あなたがどんなに距離を取ろうとしても、わたしは気分を害したりしませんわ。わたしはあなたが好きなのです」


 わたしが正直な気持ちをさらりと言うと、ユリウスは目をそらしたまま頬をほんのり赤く染めた。全力で照れているのか、あるいは困惑なのか。ともかくその反応に目が釘付けになってしまう。

 セシリアが後ろで手帳を取り出し、「今日から恋愛観察メモをつけようかな」とかつぶやいているのが聞こえた。



 それから数時間、わたしは資料整理を手伝い、ユリウスと最低限の会話をしながら仕事を進める。彼は書類の文面がとても整っていて、論理的で無駄がない。一方で、雑談やちょっとした言葉のやりとりになると、途端にぎこちなくなる。

 そのギャップがなんとも愛らしい。


 昼食の時間が来ても、ユリウスは「先に行ってください」と言って自分は隅の席でぱらぱらと資料を読み続けている。セシリアとわたしが先にテーブルにつくと、気配を感じたのか、彼はそっとこちらを見て、すぐに目を逸らしてしまう。どこまで距離を置きたいのかと思うほど、彼の座る場所は隅の隅。まるで透明の壁でもあるかのように守っている感じだ。


「面白い人ね。まるで磁石が同じ極同士で反発してるみたい」

「というか、お嬢様がグイグイ近づきすぎなんですよ。ほら、少しずつ慣れさせてあげないと」


 セシリアがこっそり耳打ちしてくる。確かにそうかもしれない。だけど、わたしだって少しずつしか近寄る気はない。今はほんの序章だもの。まずは彼の性格や仕事の仕方、好きなもの嫌いなものを知って、そこからじっくり攻めていくつもりだ。


「あ、あの、すみません」


 不意に控えめな声が聞こえて振り向くと、ユリウスがおずおずと立ち上がっている。なんだろうと思ったら、彼は自分の皿を手にこちらを見て、少し迷っているような様子で口を開いた。


「そ、この席、座っても……いいですか?」

「ええ、もちろんどうぞ」


 わたしが笑顔で答えると、彼はぎこちなく頷きながら数歩近寄ってきて、しかし、まだまだ遠い位置に腰を下ろす。椅子二つぶん離れてるんですけど。これが彼にとっての限界の“5メートルルール”なのかも。

 セシリアが「小さく前進…」とつぶやいて吹き出す。わたしも笑いそうになるのをこらえつつ、彼をちらっと見る。


 この国の行く末を担う外交官なのに、人見知りで不器用。だけどそれは彼がたやすく相手に心を開かないだけで、いったん扉が開いたなら、きっと優しく誠実な人なのだろうと感じる。

 だからわたしは彼に惹かれるのだ。見た目なんて、魅力のごく一部にすぎない。


 昼食を終えたあと、セシリアが耳打ちしてくる。

「あの様子だと、彼は人間不信に近い何かを抱えているかもしれませんよ。周りがからかってきた過去があるとか」

 確かにそんな予感もあるけれど、真相はまだ分からない。


 ユリウスはわたしと目が合うたびに視線をそらす。どうやら周囲の貴族女性たちから散々“顔目当て”で追いかけ回されてきたという噂を聞くし、それがトラウマになっているかもしれない。

 でも、わたしは本気だ。いつかきちんとそれを伝えて信じてもらいたい。


 夕方、彼はそそくさと私用の書類をまとめると、黙って立ち上がる。けれど、ドアを開ける前に振り返って、ほんの少しだけ言葉を置いていった。


「……補佐官、ありがとうございます。……おかげで助かります」


 その声は蚊の鳴くような小さいものだったけれど、わたしははっきり聞き取れた。嬉しくて笑みがこぼれる。わたしは彼に向かって、朗らかに頷く。


「明日もよろしくお願いします。何か手伝えることがあれば、なんでも言ってくださいね」


 するとユリウスは、返事をするかわりにそっと会釈をして、部屋を出て行った。その背中を見送るわたしの胸は、どきどきで一杯だ。


「さーて、お嬢様。これで目標は決まりましたね。『美形外交官ユリウスさまの心を攻略する』大作戦、始動ということで」


 セシリアがからかうように言う。わたしは笑いながら、彼の残り香がするような空気を一度吸い込んだ。実際、彼と過ごす時間は楽しいし、何より“自分から好きになりたい”という願いが一歩踏み出せた気がする。


「恋は戦いって、誰かが言ってたわ。でもわたしにとっては、戦いというより攻城戦かしらね。少しずつ、壁を崩していく感じ」

「こわいこわい、やっぱり戦なんですね」

「だって、彼があんなに強固な柵を築いてるんだから、攻略って言い方がぴったりだと思わない?」


 わたしが冗談まじりに言うと、セシリアは「まぁお嬢様なら、いずれ城門突破しそう」と苦笑する。そして、わたしもそう確信しているのだ。

 初めて見た瞬間に受けた衝撃。恋というものを知らなかったわたしが、これだけ胸を高鳴らせている。これはもう突き進むしかない。


 夜の帳が下り始め、窓の外に海の風がそよぐ。波の音が静かに響いてくるこの町で、新しい人生がスタートしているのを肌で感じる。

 わたしは背筋を伸ばして、心に決める。誰にも支配されず、誰かに寄りかからず、自分の足で歩んでいく。そして――今度こそ、自分から誰かを好きになるんだ。


 その“誰か”が、あのユリウス=ヴェルナーであることは、もう決定だ。

 彼が受け入れてくれるかどうかは分からない。でも、わたしは人生を賭けて思いきり恋をしてみたい。


「よし、恋の攻城戦、開幕よ」


 ――きらめく夜の港を眺めながら、わたしはひそかに誓う。この解放された自由な人生を思いきり楽しむために。胸の奥で灯った情熱を手がかりに、ユリウスの心をノックし続けると決めた。もし頑丈な扉が何重にも閉まっているなら、それを一枚ずつ開けていけばいい。

 わたしが望むのは、ただひとつ。彼に触れたい、この想いを知ってほしい。

 恋がこんなに心が熱くなるものだなんて、初めて知った。――この感覚は、とても幸せだ。



 これからわたしは、本気で恋をするの。自分から好きになって、誰よりも大切に思って、その人を知りたいと願う。まさに、人生を賭けた挑戦。

 だって、その先にある景色こそ、わたしがずっと見たかったものだから。

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