TRAIN
踏切の信号音が聞こえる。
少し寂れた駅のホーム。冷たい風が吹き抜ける中、伝言掲示板は相も変わらず電車の運行状況やニュースを流し続けている。
僕は一人、六号車の停止位置近くのベンチに座り、いつも行き交う電車をただ見つめていた。
早朝の寒さで凍える手を暖めようとポケットに手を突っ込む。ポケットの中にはカード型電子マネーが入っていた。残高23,360円。どう使おうか、と僕は思案を始めるが 結局未だに使い道は決まらない。僕は乾いた空を見上げて、ハァ、と白い息を吐き出した。
ブレーキと車輪のキィーという擦れる音がホームに響き渡る。電車が来たようだ。僕はベンチに座ったまま電車が来るのを見つめていた。
電車は徐々にスピードを落とし、僕の目の前を通過する。どこか古い外観の電車だ。乗客も少なそうだ。電車は耳を劈く音を出し終えると、ため息かの如くプシューと音をだし停止した。
ドアは開かない。どうやら手動式のようだ。そりゃそうだ。こんな寂れた駅に降りようとする人なんて、万が一にいるかどうかだ。ベンチから微動だにせず僕はそう心の中でつぶやいた。
ピンポーンと遠くでかすかに聞こえた。一号車から誰かが下車したらしい。万が一の可能性で人が降りてきた。驚きだ。そして電車はプシューとまた息を吐き、駅を出た。
下車したのは凛とした感じの若い女の子だった。同い年くらいかな?彼女はきょろきょろと周りを見回すとなにかを見つけたのか、僕のほうに向かって軽快に歩いてきた、のは勘違いだった。六号車停止位置近くにある時刻表をまじまじと見つめていた。なんだか恥ずかしい。
彼女は時刻表を見終えたのか、僕の座っているベンチに腰を掛けた。僕は右隅。彼女は左隅に。
僕は相変わらずポケットに手をつっこんだまま、ぼぉ~と線路を見つめている。
彼女は手袋をはずして読書を始めたようだ。カバーがついていてなんの本かはわからなかった。
しばらくの沈黙。だいぶ日は射してきたが、冷たい風はかわらずこのホームを通り抜ける。 ひゅ~、びゅ~~ぅ、ひゅぉ~~ん。
「ねえ」
風の音をさえぎり、彼女が突然声をかけてきた。本は閉じてある。読み終えたようだ。
「なんだい」
僕はのんびりと返答した。
「あなたは、これからどの電車に乗るつもり?」
「どうして そんなこと 聞くんだい?」
「ただの興味よ。それと私が乗りたい電車が来るまでの暇つぶし」
彼女はそっけなく僕に言った。
「なんだかひどいな」
「それで、どんな電車にのるの?」
「ん~~~~~~。わからない」
「わからない?」
彼女は少し怪訝な顔をして聞き直した。
「そう。わからないんだ」
僕はのほほんとした顔つきのまま答えた。
「それなのにホームにいるの? そんなのありなの?」
「そんなのも、ありだとおもうよ」
「そう、ありなの」
少し納得のいかなさそうな表情を浮かべ彼女は前を向いた。
「わたしはあんまり、というか、ほとんど共感できないわ」
「共感なんて求めてないよ。それに僕自身もよくわかってないだけだから。それで、君はどの電車に乗るんだい?」
「適当ね」
彼女は、さらっと言いのけた
「適当?」
「そうよ。まあ適当といっても、わたしが興味をもったものに限るけどね。それに乗車しても三駅ぐらいですぐ下車しちゃうの。わたし、いろいろな電車に乗りたいしね」
「三日坊主ならぬ三駅お嬢さんだね」
「変かしら」
「いや、ありだと思うよ」
「そう、ありなの」
そう言うと、彼女は耳元の髪をかき分けハァッと白い息を吐き出した。
そして沈黙。ホームには風の音だけが聴こえてる。
「ねえ」
再び彼女が声をかけてきた。辺りはだいぶ、夕焼け色に染まっている。
「なんだい」
僕は少し眠たげに返事をした。
「あなたはいつから、このホームで電車を待っているの?」
「忘れた」
「忘れた?」
再び彼女の眉間にしわが寄る。
「忘れたけど、たぶん、結構、長くここにいるよ。でも物心はついてからだった気がする」
「そう。そんなに長くいるんだ。じゃあさ、ここのホームでさ、印象に残った人とか電車に出会わなかった?」
彼女はサイドバッグからさっき読んでいたカバーのついた本とペンを取り出した。どうやら本ではなくメモ帳だったらしい。
「ペンなんて取り出してどうするの?」
「面白ければ、メモしとこうかなって思って」
「メモなんてしてどうするの」
「本を書くの」
「本?」
「そう、本よ。わたしが乗った電車、降りたホーム、そこで出会った人について、ノンフィクションで一つの物語を完成させたいの。もちろん脚色はするけどね」
「それはすごいね」
「まぁ、とはいっても、まだ趣味の範疇だけどね。それで聞かせてくれる?」
「そうだな~」
僕は遠くで揺らぐ橙色を見つめながら、思いつくまま彼女に話した。
電車に乗り遅れたエリートっぽい男のこと、車いすの男性とそれに付き添う女性乗務員、乗客全員眠っていた豪華そうな電車や、線路を外そうとして歩く老人と金槌を持った少年の話、それと少し前までこのホーム下で暮らしていた少女についてなど……。
彼女は時折、へぇ、とか、それで?とか相槌を打ちながらペンをメモ帳の上で走らせていった。
空が徐々に闇色に覆われていく中、僕の声と彼女のペンのこすれる音が、静かなホームに馴染んでいく。
踏切の信号音がホームに響いた。
僕と彼女の対談は気づけば、周りが全て闇に包まれるまで続いていたようだ。ひっそりと光る月とホームのライトを除いて。
信号音は僕の声を遮り、彼女の手を止めた。僕らは沈黙した。そして暗闇の中から現れる 光る猫の目を見つけた。きぃきぃ鳴き声を挙げながら猫の目は僕らに迫ってきた。
「電車が来たんだわ」
彼女はそういうとペンと手帳をサイドバックへしまい込み立ち上がった。
「お別れかな」
僕は静かな光に照らされた彼女の横顔を見て、言った。
「そうね」
そういうと彼女は、黄色い線ギリギリまで移動した。僕は座ったままだ。彼女の顔は見えない。
電車が軋んだ音をたてながら、彼女の目の前で停止した。薄明りの中よく見えないがかなりレトロな外観みたいだった。発車まで後三分とアナウンスが流れた。
六号車のドアが開いた。彼女はドアの前で佇んでいる。僕はベンチからその後ろ姿を見ている。ひと時の沈黙が僕らを包む。
「ねえ」
「なんだい」
僕らの声がホームに澄み渡る。
「面白い話聞かせてもらえてよかったわ。ありがとう」
「どういたしまして」
「ねぇ、あなたのことも本に書いてもいいかしら」
「いいよ。ただなるべくかっこよくかいてほしいな」
「わかったわ。パンダみたいな少年だったって書いとく」
「それは……いいかもしれない」
僕は久しぶりに微笑んだ。
「もう行くね」
「お元気で、三駅お嬢さん」
「そちらこそ、パンダ少年」
彼女はそういうと電車とホームの隙間をぴょんっと飛び越え電車に乗り込んだ。彼女の後ろ髪がなびいた。
「ねえ」
彼女は乗車口付近で振り返らず僕に言った。
「なんだい」
「電車は……好き?」
「ああ、大好きだよ」
ドアが閉まった。彼女は僕のほうを振りむいて、四回口を動かした。満面の笑みとともに……。
踏切の信号音が聞こえる。
少し寂れた駅のホーム。冷たい風が吹き抜ける中、伝言掲示板は相も変わらず電車の運行状況やニュースを流し続けている。
僕は一人、六号車の停止位置近くのベンチに座っている。
ポケットの中にはカード型電子マネーが入っている。残高23,359円。
使い道はまだ決まらない。
ちょっと不思議な、初めて創作に取り組んだ、僕の物語です。