第一話 青い経験
「え、イオアン様って童貞なんですか!?」
「ちょっと、シア!」
ヴィヨルンドが、素早くシアを叩いた。
「うっ」とシアが腹を押さえる。
「ここは〈フリュネの誘惑〉じゃないのよ。外で口にする言葉は気をつけなさい」
背の低いヴィヨルンドが、シアを見上げて叱った。
シアたちは大通りを歩いていた。
旧市街にある仕立て屋から、〈フリュネの誘惑〉へ戻るところである。
〈死者の日〉の一日目は朝から晴れ渡っており、〈陰の街道〉の歩道は、イグマスの市民や祭りの見物客でごった返していた。
シアは腹をさすった。
おっとりしているようで、意外に気が短いところもあるヴィヨルンドは、ドワーフの石工の娘である。
生まれついた腕力が、シアとは比べものにならない。
ヴィヨルンドに軽く叩かれただけでも、いつも息が止まりそうになる。
しかしシアは、
――これは、ありがたい愛の鞭なのだ。
と思うことにしている。
最高の貴婦人のひとりであるヴィヨルンドが、〈侍女〉としての知識も経験もまったくない自分に、わざわざ教育してくれるのだから――。
これは今朝、突然告げられたことである。
今日からシアは、ヴィヨルンド付きの〈侍女〉となってもらいます――と〈フリュネの誘惑〉の女主人であるルマンディアが宣言したのだ。
なぜ、そんなことになったかというと、発端は二日前、首なし騎士団がイオアンを訪問したことだった。
〈フリュネの誘惑〉の〈貴婦人〉や〈侍女〉たちは、髑髏の仮面を被った男たちに怯えていたが、帝都の教皇庁に出仕したこともあるシアは、彼らがじつは忠誠心の厚い、高潔な者たちだと知っていた。
そこで、自ら案内役を買ってでたわけだが、なんとなくシアが、彼らの担当であるような空気ができてしまい、結果的に、イオアンの秘密の屋根裏部屋に何度も出入りすることになってしまっていた。
しばらく、首なし騎士団の男とイオアンは密会を重ねるかもしれない――どちらにも失礼のないようにとルマンディアは、急遽〈侍女〉としての経験が浅いシアを〈貴婦人〉に付けることにした。そして、シアの教育係の〈貴婦人〉には、イオアンを一番よく知っているヴィヨルンドを指名したのだった。
ヴィヨルンドは、シアといろいろ話し合った結果、まずは、彼女のドレスを旧市街の馴染みの店で新調することを決めた。その帰りの道中、シアがヴィヨルンドを質問攻めにしているなかで、イオアンは果たして童貞であるのか否か――という話題について、ヴィヨルンドが答えるはめになったのである。
「――じつは童貞なんじゃないかって、みんなが噂してるだけよ」
並んで歩いているヴィヨルンドとシアの後ろには、十三歳と十一歳の〈侍女〉がついている。まだ子供っぽさが抜けない〈侍女〉たちに聞こえないよう、ヴィヨルンドは小声で説明した。
「本当のことなんて誰にも分からないわ、直接イオアン様から聞いたわけじゃないんだから。でも、私が知っているかぎり、イオアン様とベッドをともにした〈貴婦人〉は、確かにひとりもいないのよねえ」
「そうなんですか?」
シアは興味津々といった様子である。
「ずっと〈フリュネの誘惑〉にいらっしゃるから、経験豊富なのかと思ってました。イオアン様に呼ばれて、足腰が立たないほどふらふらになって戻ってきた〈貴婦人〉の話とかも聞いたこともありますし――」
「それは本当よ」
「じゃあ、どっちなんですか!」
「それはイオアン様が、その〈貴婦人〉と実際に寝たわけじゃなくて――」
ヴィヨルンドはさらに声をひそめた。
「――指と道具だけで、何度も絶頂に導いたの」
「イオアン様は、そういうのがお好きなんですか?」
「あれを、好きっていうのかしらね」
とヴィヨルンドは首を傾げた。
「たしかに楽しんでいるとは思うけど、興奮しているって感じじゃないの。イオアン様は、なんて言えばいいのかしら――実験するのが好きなのよ」
「実験ですか?」
シアが気味悪そうに口にした。
「私たちは、実験材料ってことですか?」
「もちろん実験といっても、体を切り刻むとか、魔女みたいなことをするわけじゃないわ。イオアン様は本で読んだことを、実際に試したいのよ」
「それって――」
シアが顔を赤らめた。
「いろんなポーズとか乗っている本ですか?」
「馬鹿ねえ、違うわよ」
とヴィヨルンドは苦笑した。
「あなた、イオアン様が大図書館の館長なのは知ってるわよね?」
「はい。この前知って驚きました」
「これは、イオアン様から聞いた話よ――」
とヴィヨルンドは前置きした。
「大図書館には、大昔の禁書や、外国語で書かれた秘術書も所蔵されていて、それらを読めば、女性の身体のどこを刺激すると興奮したり、敏感になったりするかが分かるんですって! そういう古代の知識が本当なのかどうか、イオアン様は確かめたくてたまらないのよ」




