日曜、午後10時から
「次のニュースです。若手俳優の増田葵さん、裏ではホストとして活動していたことが発覚しました。」
若くして、女性ウケ抜群のルックスで人気俳優となった増田葵、21歳。しかし、裏ではホストとして小遣い稼ぎをしていた、とそんなニュースが流れた。その日の何千とある話題のうちのたった一つ、だけどそれは人気俳優の肩書きを失うほどに大きな影響力を持つ話題。彼のことを推しと呼んでいた女性ファンも、ネットには絶望を露わにする投稿。何も信用できない、と別の一面を知っただけでその人の全てを否定する誹謗中傷の数々。
家庭の貧しさ故に、20歳から夜の世界に入った葵。同時期に俳優業を始めると、俳優としての才能が開花し、昼夜兼行として女性を虜にしていった。しかし、今ではそんなものも歪に崩れ始めていた。ホストとして彼に貢いでいた女性たちも一変して、彼の実在しない一面を捏造し、人間性をも批判した。ネット社会の悪い部分が重複した有様。しかし、その混沌の中で当の本人は何もなかったかのように、いつものチャラさを周囲にアピールするかの如く、軽々しく責任感のかけらも感じさせない雰囲気を醸し出す。ネットでの批判が止まらないまま、結局彼は世間的に干されることとなった。
1か月が経ち、ニュースの話題から増田葵の名前は無くなり、渋谷スクランブル交差点の電光掲示板から彼の広告が消えてなくなった。その中で、未だに葵の目を見て彼をしっかりと批判するものがたったの1人だけいた。葵とは11歳も年齢が離れている柏田美由紀、看護師をやっている32歳だ。
「あおい君、いつまでダラダラしてるのよ。何か行動を起こさないといけないでしょ!」
美由紀は騒動1か月ほど経っても、葵のいるホストクラブに通うたった1人の女性。彼女は他の女性と違って、葵が俳優とホストを複業していたことを批判したりはしない。それに怒るのではなく、何も行動を起こさない彼を叱り、心配していた。
「大丈夫ですって、なんとかなるってきっと。」
「もう!責任感持ちなさいよ。」
「はーい。そういえばずっと気になってたんですけど、美由紀さんはなんであの騒動について何も言ってこないんすか?」
「あなたが俳優をやっていたなんて私知らなかったもの。今私はホストのあおい君に、貢いでるのよ、それに文句はないでしょ。」
そう言った彼女はホストの葵しか知らない。彼女は手助けの意味で推し活を続けていた。しかし、世間的な俳優が夜の仕事で活動したこと、葵にはファンに隠し事をしていたことに対して責任を持つことを何度も思い出させた。
彼女が毎週日曜の夜10時に必ず彼を指名し、貢ぐのには深い理由があった。彼女は両親を早くに交通事故で亡くし、祖母の家で幼少時代を過ごしていた。幼い彼女には大きなショックとなったが、親の代わりがいたことで人の温かさを知ることができた。祖母からはよく冗談混じりでこう言われた。
「私はもう長くないからみーちゃんは1人で生きていけるように責任感を常に持ちなさいね。」
その祖母が2年前に息を引き取ると、美由紀は絶望のどん底にいた。大人として生きていくためには責任感を持つこと、その言葉が不幸にも彼女を苦しめた。感情を表面に出さずに看護師として働いていたが、ストレスも段々溜まっていった。そして彼女はストレスとほんの少しの興味深さに冷静な判断力を失い、導かれるように一人暮らしをしていたマンションから電車で23分のホストクラブにいた。感情の拠り所を見つけられないまま、美由紀はホストの写真一覧に目もくれず、
「この人でお願いします。」
と適当にホストを選んだ。
案内された席に座り、お店の雰囲気に圧倒され、少し緊張した表情を浮かべる。するとまだ若々しく、ホストっぽさのカケラもない男の子が近くに寄り、隣に座った。男の子は硬い表情で「あおい君」と名乗った。彼の初々しさを感じ取ると、自然と美由紀の緊張が解け、お酒を注文しながら、そこからは誰もが興味ない看護師生活の話をした。優しい先生のように一生懸命に聞く彼を見て、週を重ねるごとに、彼女は看護師の仕事がない日曜日に彼の職場に行き、ただ優しく包み込んでくれる彼と会うのが楽しみになっていた。まるで彼といると大人としての責任感を持たなくてもいいよと言わんばかりに支えてくれて、いつの間にかその空間に依存していた。
◇ ◇ ◇
「仕方ないから私が、あおい君のスケジュール管理してあげるから。」
葵が俳優としてやり直す方法を彼女は寝る間も惜しんで、夜な夜な模索した。調べたところ、才能で人気俳優になった彼に必要なのは、とにかく演技の練習だから演技稽古と俳優としてやり直せるチャンスを掴むためのオーディション。その二つを徹底的に彼にやらせるが、他の日程が都合の関係で変わったりしても、看護師の仕事がない毎週日曜日の午後10時からの彼との予定は変わることのなく、いつなんどきも手帳に毎週埋められていた。
「えー、やること多くないっすか?」
「じゃあなに?小さい頃からの夢をもう諦めるの?最初に言ってくれたじゃない、ハリウッド俳優になりたいって。あれは表向きの嘘だったの?」
「わかったって〜。でも手伝ってくれてありがと美由紀さん。僕、美由紀さんのこと好きになりそうかも。」
冗談っぽく言う葵に対して、話を聞いていないように、無表情のままでいる美由紀。「それより、ちゃんとスケジュールこなしてよ。」と別の話題を振り、彼の冗談には目もくれなかった。彼女はいつもより少しそっけなく接した。
美由紀はスケジュール管理だけでなく、看護師としても働かなくてはいけなかったため、夜までの仕事が増えていった。それでも彼女は葵のために、休憩時間の時も彼のスケジュールを管理し、彼のオーディションや演技レッスンの予定を入れていった。電車の中では頭をクラクラ揺らしながら、職場の病院に行く毎日。しかし、彼女は決まって、日曜日の夜10時には必ず、葵の待つあのホストクラブにいた。
あの騒動から5ヶ月が経った頃、葵の演技力はレッスンのおかげで格段に向上し、オーディションも主役ではないが、いくつかの脇役をもらうことができた。
◇ ◇ ◇
「おーい、おーい。」
懐かしい頃の記憶が鮮明に、手に届きそうなくらいの距離にある。小さい頃に、おばあちゃんによく連れていってもらった駄菓子屋が微かに見えてくる。
「おーい、美由紀さん」
そこで、おばあちゃんは笑顔で言う。「みーちゃん、いつも200円までだけど今日は300円までいっぱい買っちゃおうか。贅沢しようか!」
「美由紀さーん。」
もう聞き飽きたほどに、「責任」や「大人になったら」と私に言い聞かせるおばあちゃん。だけど、この日はなぜか贅沢してもいいよと言ってくれた。
「起きてよー。お店閉まるって〜。」
「おばあちゃん、こんだけ買えちゃうよ!」、嬉しそうに身長100センチにも満たない今にも消えていなくなりそうな私が言う。
おばあちゃんの笑顔が少しずつ消え、しょんぼりした顔でこう私に言う。「みーちゃん、いつも我慢とかさせてごめんね。責任とかって言って押し付けてごめんね。でもね、大人でもたまには楽して生きていいんだよ。」
「美由紀さんッ!」
と肩を揺らして美由紀を起こす。美由紀は葵の膝の上に頭を置き、熟睡していた。 ホストクラブのカウンターのバーテンダー頭上にある大きい時計を見ると、じこくは23時52分を回り、あと8分で閉店することに気づいた。隣にあったジャケットを羽織り、「そろそろ帰るわ。」と言って席を立とうとする美由紀の手をぎゅっと掴み、葵は優しく声をかけた。
「美由紀さん、今週もお仕事お疲れ様。美由紀さんのおかげで仕事増えるようになったし、これからはちゃんとした事務所に入ることにします。」
ほんの一瞬だけ戸惑った表情を見せる美由紀は、少し経ってから、「そう。その方がいいわね、色々と細かく管理してくれるみたいだし。」と言って、店を出た。外は小降りの雨が降っていた。後からついてくる葵が傘を一本刺しながら、左手に持っていたもう一本を少し歩き出していた美由紀に渡した。
「駅まで送っていきます。」
「いいわよ、ついてこなくて。」
「僕がついていきたいんですってー!」
「そう、ならいいわ。好きにして。」
「そういや最近、美由紀さんなんかそっけなくないっすか?もしかして僕のこと嫌いになったとか」
笑いながら冗談っぽくそう言った彼に美由紀は強くこう返した。
「そうかもしれないわね。」
「えーきついっすよー。でも僕は美由紀さんのこと結構好きっすよ。」
「なにバカ言ってんのよ。私は32歳であんたはまだ21歳なのよ。」
今度は真剣な表情で葵は傘と傘が少し触れ合う位置まで、彼女に近づいた。
「ちょっと待ってくださいよ、美由紀さん。僕、結構本気です。年齢なんか関係ないと思いますよ。美由紀さんが僕のことをしっかり叱ってくれたことが嬉しかったです。騒動があってから、色々酷い事を言われました。正直傷つきましたし、美由紀さんの前では強がってましたけど、内心は誰かの支えがあって本当に良かったです。僕は美由紀さんが本当に好きだと思います…僕と、」
「ダメよ、あおいくん。私はあおいくんの初々しさに惚れたのよ。私を口説いてそれが一体何になるのよ。逆効果よ。そんな風に思っていたなら、もう来週からはホストクラブに行くのやめるわ。だからあおいくんもスケジュール帳の予定は消しな。」
雨は次第に葵の心を体現したかのように強くなる。その中で葵は雨の音で消された自分の泣き声に気づかなかった。しかし、表情を一つ変えずに美由紀は駅まで歩き続けた。虚しい空気が残りながらも、葵は彼女に何も言えなかった。
彼らの胸懐とは別に、強くなった雨は地面を叩き、水飛沫はまるで楽しく舞っているかのように彼女たちをそっと見守っていた。そして、駅の改札口でいつも通り手を振りながら、これで終わりなのかと後悔を残しながら、2人は別れた。
◇ ◇ ◇
あなたはキラキラした目で私に手を差し伸べた。アドバイスだったり、言っていること自体、他愛もないようなことばかり。だけど、あの時の私からすると、十分すぎるほどの手。
最近はインテリアになっていたテレビをつけ、ニュースを見始めた。
ニュースの画面に映った君は、もう私の知らない君だった。あなたの見た目は6年前よりあまり変わっていない。ただ少し大人びたくらい。でもきっと心の中では大きな変化があったに違いない。6年という時間の長さは大人にとっては短く感じてしまうかもしれない。だけど、時間が経つにつれて、あの頃は長くて楽しい日々だったなと気づく。昔の溢れ返りそうな思い出を振り返る時も、少しの後悔と共に、あの頃に戻りたいと長く灯しい余韻に浸ってしまう。
君が活躍する姿を見て、素直に嬉しいと思いつつ、君との間に空いてしまった距離の長さに孤独感も感じた。
「日本国宝とも称される超人気俳優、増田葵。レッドカーペットを歩きながら、今登場しました!」
ニュース中継でアカデミー賞の授賞式がやっている。増田葵主演のハリウッド映画「Edges of Earth」がアカデミー賞ノミネート作品として選出されていた。それをテレビ中継で日本にいる私は観ていた。興味もない授賞式の映像を長々と観ている。時々カメラに抜かれる彼の姿を見て、少しビクッと反応してしまう身体、同時に笑顔が溢れてしまう。
おめでとう。
どんなに考えても、そんなありふれた言葉しか思いつかなかった。
「そして、アカデミー賞主演男優賞の受賞者は増田葵さんです!」
◇ ◇ ◇
さっき、彼女に振られてしまった。何がいけなかったのだろう。いや、それは当然の結果だったのだと改めて思う。僕みたいなだらしない男が嫌いな人だったから。いつも責任感を持ちなさいと言ってきて、鬱陶しい人だなと思った。だけど、しっかりと叱ってくれる人に会ったのは彼女が初めてだった。
貧乏な家で生まれ、シングルマザーの母はいつも家を留守にし、毎晩夜遊びしにいくような人だった。母みたいにはなりたくないと思い、15歳の頃からは一人暮らしを始めると、高校に行かず、ずっとバイトを掛け持ちでやるような生活が20歳まで続いた。いつかはバイトで生活費を稼ぐんじゃなくて、俳優をして稼ぎたいと思った。
僕は幼い頃から映画を見るのが好きだった。母が時々家にいた時、母の高級財布に入っていた現金をできるだけ取って、よくそのお金で映画館に行き、1人でハリウッド映画を観ていた。映画の中の人は自分とは違い、最後にはハッピーエンドが訪れるような生活をいつも送っていた。だから僕は俳優を目指した。しかし、僕が20歳の時に母が亡くなったという連絡がきた。亡くなった母の生前していた借金4000万円は僕に全て肩代わりさせられることになった。ちょうど僕が俳優の仕事も始めた頃の事だったから、やっていたバイトを全て辞め、昼は俳優として働き、夜はホストとして繁華街で活動するようになった。
◇ ◇ ◇
嫌で嫌で堪らなかったホストとしての最初の客は、綺麗で自信の強そうなお姉さんだった。だけど少しか細くも見えた。今にも泣き出しそうな美しい瞳に、気づくと僕はずっと見惚れてしまっていた。看護師のストレスになる業務、患者との面白い出来事を聞くのに夢中で、ホストとしては最初の仕事をうまく熟すことができなかった。
このどうしようもなくしょうもない人生で、彼女は生きてもいいんだよと囁いてくれているような気がして、皮肉にもホストを通して、初めて人を知りたいと思えてしまった。彼女とはその後も会い、しょうもない話をして、頼りない僕のことを笑い、叱ってくれた。
それはただのありふれた日曜日の夜10時。憂鬱な新しい週の始まりの夜明け前、学校と仕事に行きたくないと嘆く人たちの声が聞こえる日曜の夜、特別でもないそんな時間を僕だけは、たまらなく愛おしく感じた。
◇ ◇ ◇
僕はその後、彼女の来なくなったホストクラブを辞め、俳優事務所YEDに所属し、マネージャーに全てのスケジュール管理を行なってもらった。彼女のスケジュール帳よりもきめ細かく、そしてびっしりと埋まっている予定表。その1年後には、また正式に芸能活動を再開した。それからまた2年後には、月9の主演と大河ドラマのW主演。次の年には日本アカデミー賞主演男優賞受賞、そして勢いのままに渡米。彼女と別れたあの日から6年、僕はアジア系史上初の米アカデミー賞主演男優賞を受賞した。
日本のバラエティー番組出演のために一時帰国した僕は、徹底的なスケジュール管理のもとで、休憩する暇を探していた。
「次の収録が『しゃべって008』、連続で『タケシ西本のすべらない話』です。今日はその後、少し時間があるのでホテルで休憩してください。」
マネージャーが都内にある某テレビ局の楽屋でそう言った。今日は珍しく午後5時にテレビ収録が終わると、すぐさま宿泊しているホテルで夕食を済ませ、疲れに疲れが溜まった身体を休ませた。
それから起きたのは夜中の9時。もっと寝たいと思っていたけれど、休みをもらえた日ほど、なかなか寝られないものだ。久しぶりの日本を少し満喫しようと思い立ち、隣の部屋にいたマネージャーからもらったマスクとサングラスをして街中に出かけた。ホテルから電車で27分ほど揺られたあと、時間は夜10時を回ろうとしていた。辿り着いた駅は彼女をよく送っていったあの駅。未だ、あの頃の出来事を鮮明に思い返せる。だけれど、街を見返すと当時のあの頃とは違う様に見えた。
思い出に浸りながら、改札を出てホストクラブの方に歩いていくが、直ぐに街の雰囲気が違うことに気づく。周りのホストクラブも一掃され、もう既にここは夜の繁華街ではなくなっていた。よく彼女と会っていたホストクラブも、居酒屋として生まれ変わっていた。営業中の居酒屋を覗くと、大学生のサークルらしき団体が飲み会をしている。それを見ていると、少し寂しくなった。
◇ ◇ ◇
彼と会わなくなってから、彼のことを思い出さないために、日曜日の夜はコンビニでハイボール缶を2本買って、家に帰りながら飲むことを新たな習慣にしていた。別の習慣をつけないと、いつまでも彼のことを気に留めてしまうようで怖かったから。だから日曜日の夜は、コンビニでお酒を買う日なのだと自分に無理矢理にでも錯覚させた。
ある日曜日の夜、私は198円のハイボール缶を2本買うために500円玉を片手に握りしめて、家を出た。夜のコンビニまでの道のりは、街灯の光だけが私を照らし出し、まるでスポットライトに当てられているような気がして、不思議に魅力的だった。些細な考え事をするのにはちょうどよかった。
ニュースで彼のことを見るたびに、過去の思い出が嫌と言うほどに溢れ出してくる。そういえば、彼と最初に出会ったあのホストクラブは一体どうなっているだろうか?彼と一緒に駅まで歩いた、あの繁華街はどうなっているだろうか?
私はそんなことを考えていると、コンビニではなく、家の最寄り駅の改札口の前に立っていた。220円の切符を買い、改札口を通って、たまにはいいか、と懐かしさを感じられる駅に向かった。電車が来たのは9時28分、電車で20分間無心に揺られていると、6年前と何も変わっていない姿の駅があった。しかし、駅から出ると前に来た時の雰囲気ではないことに気づいた。ホストクラブだったり、キャバクラがズラーっと並んでいた当時の繁華街とは似ても似つかない姿に変貌していた街並みを見て、当時の記憶が薄らと消えていく気がした。
あのホストクラブも多分なくなっているんだろう。ホストクラブの場所を思い出せないまま、駅の近くにあったコンビニで198円のハイボール缶を1本だけ買った。だが、缶を買ったことで、愚かなことに帰りの電車賃を払えなくなった。コンビニの外でハイボール缶を飲みながら、自分の記憶と微妙に合わない街並みを見て、少し寂しく感じた。
◇ ◇ ◇
「え。」
コンビニから出てきた変装をしているような男性が驚いた声で、小さくそう言った。ハイボール缶をコンビニの外で飲んでいた女性が男性の視線を向ける。全て変わっていった街並みにただ一人だけ変化のなかったような聞き覚えのある声。1文字で誰がコンビニから出てきたのかに気づくほどに、閉ざされていたあの頃の記憶が全て元通りになったかのよう。
美由紀は声のする方を振り返るが、ぎこちなくも彼のことに気づかなかったようなふりをして、少しだけお酒が残ったハイビール缶をゴミ箱に捨てて、その場から立ち去ろうとした。
「ちょっと、美由紀さんッ!」
葵に名前を呼ばれて、なぜか少し安心した美由紀は彼のことをじっくりとは見られない。久しぶりの再会とは思えないほど彼は明るく、でも少しだけ照れ臭く、彼女のことを見た。見て見ぬふりをした美由紀は彼に少しだけ怒られた。
2人は少し歩いた。
◇ ◇ ◇
美由紀は葵のあとをついていきながら、ホストクラブの跡地に建てられた居酒屋に入った。時刻はすでに10時を過ぎていた。周りのガヤガヤした雰囲気とは裏腹に、彼らの座った4人席のテーブルは気まずくも静かだった。対面で座り、目を合わせないようにしていたお互い。「注文はお決まりですか?」と店員が言ってきたので、葵が、「じゃあとりあえずビール2本と焼き鳥4本ください。」と言った。それから周りのガヤガヤした雰囲気、大学生の喋る声を聞きながら、数分ほど彼らの席では沈黙が続いた。
「美由紀さん、久しぶりです。6年ぶりくらいですかね。」
葵が話を始めようとする。頭を振って返事をした美由紀。しかし、ちょうどその時に注文していたビール2本と焼き鳥を店員が持ってきて、話が遮られた。
「あの時は色々としてくれて、ありがとうございました。感謝の言葉をあの時言えなかったので、ずっと言いたかったです。美由紀さんがいなかったら、僕の今の人生はなかったです。」
「やめてよ。私は別に最後まで手伝ったりしなかったし、俳優として再開できたのも今の事務所のおかげでしょ。」
美由紀は居酒屋に入ってから彼に初めて喋った。葵はムズムズしながら何か言いたそうな顔をしていた。美由紀は彼のことをじっと見つめると、葵は彼女に目を合わせ、彼は決意したような表情を浮かべた。
「なんであの日からホストクラブ来なくなったんですか。」
直球な質問を聞き、驚いた顔で美由紀は葵を見た。ついさっき持ってきてもらったビールを飲み干すと彼女はこう言った。
「ちょっと待ってて。もう1本分だけ酔わせて。」
もう1本、ビールを注文して、それを一気に飲み干すと、彼女の頬は若干赤くなり、可愛らしく頬杖をしながら、葵のことをじっくりと見た。まるで、今までの大人っぽさが嘘だったかのような様で葵のことを見つめた。
「こんな素敵な時間がずっと続けばいいなと思ってたの。」
少し大きな深呼吸をした後に彼女がそう言った。
「ダメなところも素敵に思える。そのくらいあなたのことが大切だったの。いやそうじゃないわ、好きだったのよ、あなたのことが。」
「え、どういうことですか。恋愛対象として見てないからって言ってましたよね。嘘だったんですか!」
「うん、そうだね。でも好きだったなんて関係ないのよ。どう足掻いても、あの時私はあなたを振っていたわ。」
「ちょっと美由紀さん、もっとわかりやすく言ってくださいよ。」
「もしも運命っていうものが本当に存在してるなら、それは私たちのことを指してるわけじゃないのよ。私たちの間にある11歳差なんてそう簡単に埋めることはできないわ。」
「歳の差なんて関係ないじゃないっすかッ!」
葵はそう言うと、抑えていた感情を表面に出し、そして視界がぼやけるほどに涙を流した。
「あなたはそう言えるかもしれないわ。でも私が恐れていたのは、世間の目よ。」
沈黙のまま、鼻を啜る音しか聞こえない。
「できれば、ホストクラブ以外であなたと会いたかったわ。何度そう思ったことか。冬には「寒いね」って言って、特別でもない道端で手を繋ぎながら夜のコンビニまで歩きたかった。お祭りで花火の光を浴びながら、君の楽しそうな顔を眺めたかった。家であなたと肩を寄せながらテレビを観たかった。でももしも、あなたがまた人気俳優になったりしたら、私の存在というのは大きく目立っちゃうんだよ。」
涙を拭い、少し目が赤くなった葵はこう言う。
「今はもう違いますよ。11歳の差があっても、どんな障害があったとしても、あなたと一緒にいることをバカにされたら、私はその世の中を否定します。美由紀さんにそんな想いをもうしてほしくないです。責任感は大人になったらあるべきものです。でも、他の人を頼ることも大人です。」
「えっ、」
「案外、人に頼るのって難しいと思います。泣きたい時には泣いてもいいと思います。自分の感情のままに従ってもいいんですよ。」
美由紀はまた一段と子供のようにテーブルに顔を置いて、泣きじゃくった。
「私が生きてる意味なんてないと思ってたから、」
「そんなことないです。大人になることは、世間の決めたバイアスみたいなものです。だから今度は自分のためにもはっきり言わせてもらいます。僕は美由紀さんを愛しています。どうしようもないけど愛しい時間を美由紀さん、あなたとこれからは過ごしていきたいです。」
「私も、愛してる。」
泣き止まずとも、彼女は満面の笑みで葵に微笑んだ。
◇ ◇ ◇
それから数年後、
「増田葵、SNSに一般人女性と結婚と報告。」
御報告
平素より格別にお引き立てを賜り、心より御礼申し上げます。
私事で恐縮ではありますが、この度かねてよりお付き合いをさせていただいている一般の女性と結婚致しました。
2人の間には11歳の年齢差がありますが、彼女と長年過ごした中で、年齢はただの肩書きだと思うようになりました。誰かを愛するのに、年齢はお互いにとって、障害であってはならないと感じております。愛を定義することは難しいです。ですが、誰が何を言おうと、私は彼女と生きてきた数年間とこれからの日々を愛と定めたいと思っています。同時に、歳の差恋愛の価値を彼女と日々証明しながら、生きていくつもりです。
これからもしっかりと毎日を大事にして、彼女と人生を歩んでいきたいと思います。今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。
増田葵
私は家のソファでくつろぎながらそんなニュースを見て、今回は心の底からおめでとうと思った。
そして「大人でも我儘で、我慢しなくてもいいことを教えてくれてありがとう」と、隣で肩を並べる彼にそう伝えた。
いかがだったでしょうか!
「日曜、午後10時から」は年の差恋愛コンテストのために、執筆した作品です。ですが、物語を書き進めていくうちに、年の差恋愛の良さというか、恋愛自体、もっと大雑把で良いんだなと気付かされました。
決して年の差というものが縮まったり、埋まったりすることはありません。ですが、本当に年の差を埋める必要はあるのでしょうか?人を愛することに、年齢という制限をつける必要もありません。私が思うに、愛することは感情のようなものです。人の成功を喜んだり、人の失敗に怒ったり、劇を観て感動したりする感情と愛は大差ありません。愛する行為は、自由だから美しく、美しいから自由なんです。なので、葵と美由紀の間には、自由な恋愛が必要であり、それを大人の責任感の押し付けと世間の目(ネット社会の誹謗中傷等)という社会問題に照らし合わせて描いてみました。
年の差恋愛と聞くと、大人と子どもをイメージするはずです。私が年の差恋愛の一番素敵だと思う所は、年の差で生まれた価値観の違いです。大人は責任感の強さを持っていて、子どもや学生は純粋さであったり、無責任な心を持っています。私はこの作品で、美由紀を表向きの責任感として描写しました。小さい頃から大人になりなさいと言われ続けた結果、常に大人としての責任を全うしようとする彼女の様を表現しました。しかし、大人でも自由であって良いこと、また我儘で、我慢なんてしなくてもいいことを無責任な子どもっぽいキャラクターで表現した葵に言われたことは、つまり、年齢はただの肩書きであるということを象徴しているはずです。
とにかく、読んでくれてありがとうございます!良かったら評価をお願いします!!