第9話 カレーナの事情
俺の追及に、カレーナは困った表情を浮かべた。
「確かに悩んでいる事はあるわ。でも、1日恋人の依頼も嘘ってわけじゃないの、ただ、不安で⋯⋯」
「その不安を俺に解消できるかはわからない。ただ、良かったら聞かせてくれ」
「⋯⋯うん、あなたなら話しても良いかも。でもここじゃちょっと」
まあ、こんな騒ぎになってる以上、街中で立ち話するような内容でもないだろう。
「ちょっと早いが、食事にしようか。そういえば中断されてしまったし」
朝食兼昼食のような食事だったが、ベリス率いる治安維持騎士団に邪魔され、カレーナはパンを、俺はスープもパンも食べきれなかった。
「よし、じゃあ俺のビルに戻ろう」
「⋯⋯え、大丈夫かしら?」
「結界を張ってるから俺たち以外は入れない。ナイショ話をするにしても、あそこより最適な場所はないさ」
「貴方が言うなら、間違いないわね」
「お、信用してくれるのかい?」
「ええ、もちろん。たった半日だけど⋯⋯わかるわ。貴方が信用できるかどうかは、ね」
「なぜ?」
「だって、仕事の手を抜かないじゃない。普通なら、騎士団に追われてる面倒くさい女なんて、ほったらかしにして当然よ」
確かにそうかも知れない。
そもそも、俺がたまたま銃に対して対抗できるってだけで、個人はもちろん組織であっても、通常なら騎士団に対抗できない。
まあ、そうじゃなければ治安維持なんて出来ないわけだが。
「よし、じゃあ食料を買い込んで戻ろう。旨いテイクアウトを出す店があるんだ」
「いいわね、買い食いなんて初めて、楽しみだわ」
──カレーナの要望を聞きながら色々買っていると、三日は持ちそうなくらいの食料を集める事に成功した。
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食料を買い込み、ビルに戻る。
少し離れた場所から観察すると、ビルの周辺には二十人近い騎士が配置されていた。
「集まってるなぁ」
「あんなに人がいるけど、入れるの?」
「ああ、問題ない。幻術を使用して彼らを釣る」
光魔法を使用し、俺たちと全く同じ姿をした幻影体をビルの近くに出現させた。
俄に騒ぎが起こる。
彼らに見つかったのを確認してから、幻影体を俺たちから離れるように操作する。
「なッ⋯⋯急に! どこから現れた!」
「カレーナ様、そいつから離れてください!」
騎士たちは一気にそちらに殺到する。
入口に待機している騎士はいなくなった。
もし見張りが残れば眠らせるなどの対処を考えていたが、どうやら杞憂だったようだ。
「よし、いこう」
急に騎士が戻ってきても大丈夫なように、念のため俺はさらに魔法を使用し、俺とカレーナの姿を消した。
そのままビルに戻り、入口から堂々と中に入る。
「さて、ここだとまた防音の魔法が必要になる、二階に行こう」
階段を上り、二階の部屋に入った。
光が外に漏れないようにするため、ガラス窓に木窓をはめ、ランプに魔法で火を灯す。
「へぇ、片付いてるのね」
「ああ、二階は普段あまり使用しないんだ」
二階にあるのはテーブルと二脚の椅子、本棚には新聞のスクラップや本などで、読書や新聞の切り抜きをするための趣味のための部屋だ。
説明しながらテーブルに料理を並べる。
といっても、包んであった紙を広げる程度の作業だが。
ついでに酒瓶も用意する。
ドワーフの醸造所で作られた、帝都で一番のシェアを誇る蒸留酒だ。
「俺はこれをロックで飲むが⋯⋯カレーナ、普段君は酒を飲むかい?」
「舐める程度に。あまり美味しいと思ったことはないわね」
「なるほど。では薄めにして、果汁を多くしよう」
魔法で氷を生み出し、それぞれのグラスにそっと落とす。
俺はそこに直接酒を注ぎ、カレーナのグラスには少量入れたあと、水魔法で薄め、用意してあったフルーツを魔法で絞った。
柑橘類の酸味と甘みを合わせた香りが鼻腔を刺激する。
果汁と果肉が酒に注がれ、透明な酒に彩りを添えた。
「では、乾杯」
「乾杯」
お互いのグラスを軽く合わせる。
俺が口を付けるのにあわせて、カレーナもグラスのふちに口を付ける。
少し飲み下してから、カレーナが笑みを浮かべた。
「美味しい⋯⋯なにより、とっても飲みやすいわ」
「この酒は安物だけど癖がないんだ。酒好きには物足りないかもしれないが、俺はこれで十分だ」
次に料理に手を付ける。
どれも高級ではないが、市場で評判の高いものだ。
カレーナも初めての味に好意的な感想を述べながら、物珍しさも手伝ってか次々に口に運ぶ。
「辛いものは避けておいた」
「嬉しい心遣いね」
本来するべき話は彼女が抱えている状況を聞き出すことだが、慌てることもないだろう。
話すタイミングを彼女に任せていると、しばらくしてカレーナが切り出した。
「どこから話そう、と考えているんだけど」
「うまく話す必要もないさ、まず最初から」
「⋯⋯うん、じゃあ私とヴァイスが許嫁になったのは、私が十歳のころだった。それ以前にも会ったことはあったけど、彼を家に招いて⋯⋯その時に父に言われたわ。『カレーナ、君とヴァイスは将来結婚するんだ』って」
最初からとは言ったものの、そこまで過去の話から始まるとは思ってもいなかったが⋯⋯それだけ因縁が深い、ということなの知れない。
「それから彼と大体月に一回会ったわ。学校であったことなんかの、取り留めの無い話が多かったわ⋯⋯でも、五年くらい前から少しずつ皇家の現状、皇帝の置かれた立場⋯⋯そんな話が増えたわ。皇家に婿入りして、もし自分が皇帝になったら、といった話なんかがね」
皇家への婿入りが決まり、まわりの人間たちの一部が、彼を『次期皇帝』などとはやし立てたんだろうな。
「多感な時期に、周囲からいろいろいわれたんだろうな」
「たぶんね⋯⋯。彼は学業も優秀だし、期待する人も多かったんだと思うの。ただ、それまでは気にしていなかったんだけど、ちょっと目立つようになったの⋯⋯過去の、皇帝への非難が」
「ふむ⋯⋯例えば?」
「『なぜ他種族を平等に扱うような政策を進めたのか』とか、『結果として皇帝は力を失った』とか、ね」
若者にありがちなパターンだ。
若者特有の全能感から、他者の行いが思慮不足に見える。俺ならもっと良くできるのに、なんて思考に陥りがちだ。
俺がヴァイスの人物像について考えている間も、カレーナは話を続けた。
「それからお互い大学に入って、彼と同じ学校に通うようになってわかったわ。彼の周りには、人間しかいない。他種族に対して排他的な人しか、ね⋯⋯全員『本当なら、自分たちはもっと偉そうにできたのに』って、口にしないまでも思ってそうな人たちばっかりよ」
「難しいな、その辺の感情は」
差別問題の難しい所だ。
平等と言えば聞こえは良いが、それは持つ者がワリを食い、持たざる者を優遇するに他ならない。
さらにいえば、はたから見れば持つ者であっても、持たざる者を自認しているケースなどもある。
自分は、もっと持つべきだ、と。
不満を吐き出すと、先ほどより酒を多めに飲み下し、カレーナは先を続けた。
「その間もひと月に一回、二人で会う時間は作られたわ。私は彼が差別的な発言をするたびに諫めたわ。皇帝になるなら、そのような事を言うべきじゃない、って。それで疎ましく思ってたのでしょうね。先週⋯⋯彼とアンナが抱き合ってる所を見ちゃったの」
アンナってのは、確かカレーナが依頼の時に言ってた『恋多き女性』か。
「ショックだったわ。裏切られたのもそうだけど、彼がそんな軽率な行動をしちゃうような人だって事も。そのうえアンナは、私が何も知らないと思って『恋を知らずに許嫁と結婚だなんて可哀想』なんて⋯⋯」
だいたいわかってきたな。
要はヴァイスにとって、カレーナは恐らく『コンプレックスを刺激される相手』なのだろう。
皇帝にはなりたいが、それは彼女との結婚があってこそ。
皇帝という立場が人質に取られているような心境の上、その人物は自分の考えを否定してくる。
本来自分が皇家なら、そんな惨めな思いをしなくてすむ、と考えてもおかしくない。
「それで私は、ヴァイスを困らせてやろうと思って家を飛び出したの。でも⋯⋯」
「でも?」
「話してて、情けなくなってきちゃった。結局私がやった事なんて⋯⋯立場を利用して、彼を困らせてるだけ。私がいなければ、アナタは皇帝になんてなれない。それをわからせてやろうなんて、子供地味た発想で、貴方や、周りの人に迷惑掛けているだけなんだもの」
それ自体はそうだが⋯⋯足りない。
「いや、君の行動によって、もしかしたら皇家に絡む問題が表に出てきたかも知れない」
「えっ?」
「おかしいと思わないかい? 君が言ってたのがこの依頼に絡む全てだとして、なら何故騎士団が君を血眼になって連れ戻そうとする?」
「それは、私を保護しようと考えているんじゃないかしら? 皇家はもう権力のない象徴とはいえ、何かあれば種族同士の対立の火種になりかねないし⋯⋯」
「それなら、もっと穏便に済ますはずだ。わざわざ新聞が婚約破棄や、君の失踪を伝え、騎士団を動員してるのは、事を大袈裟にしようとしているとしか思えない」
「そう言われれば、そんな気がするわ」
「何か思い当たる節でもないか?」
俺の疑問にカレーナはしばらく考え込んだが、やがて降参するように言った。
「今のところ思い付かないわ」
「そうか。なら、やるべき事は一つだな」
「⋯⋯何?」
「食事を楽しもう」
「ふふ⋯⋯わかったわ」
カレーナは吹き出し、笑顔で同意した。
そして、付け加えるように言った。
「貴方に依頼して良かったわ。慌てたりしないから、一緒にいて落ち着いた気持ちになれる⋯⋯ありがとう、シモン」
「じゃあ、事が終わったら宣伝してくれ。何かあったら『レンタル魔王』に頼ってくれ、って」
俺は軽口を言ったつもりだったが、カレーナの表情が引き締まった。
彼女は何か言おうと逡巡している様子だったが、意を決した様子で説明を始めた。
「私が貴方の事を色々聞きたがってたのね、昔⋯⋯十年以上前、私がまだ子供の頃、父が一度だけ言ったの」
カレーナは興奮を落ち着かせるためなのか、グラスの酒を半ば以上飲んだ。
グラスを置くと、俺の事を真っ直ぐ見ながら言った。
「本当に困った時は、『レンタル魔王』が助けてくれるって」