第20話 変化する日常
開店二十分前の午前九時四十分、慌ただしく起床。
三階にある寝室を出て、階段を下り、一階の事務所に移動。
──したところで、いつもとは違っている事に気付く。
事務所から、何やら人の気配がした。
昨夜、ベリスの愚痴に遅くまで付き合わされたせいで、まだ眠い。
恐らくだが、いつも以上に寝ぼけた顔をしているだろう。
目覚めても未だ晴れない頭のせいで、勘違いしたかと思ったが⋯⋯気のせいじゃなかった。
ドアを開けると、そこにいたのはカレーナだった。
彼女はデスクの拭き掃除をしていたが、俺に気が付くと、笑顔と共に挨拶を寄越した。
「あ、シモンおはよう。不用心ね、鍵が開けっ放しだったわよ?」
「おはよう⋯⋯まぁ、取られて困る物も無くてね」
俺は彼女の側へ歩み寄り、無言でソファーを指し、着席を促した。
カレーナは抵抗する様子も見せず、おとなしく座る。
対面に腰を掛け、事情聴取を始めた。
「なぜ君がここに?」
「ここで働かせて欲しくて」
「ダメだ」
「えっ? どうして?」
俺の返答に『まさか拒否されるとは思っていなかった』といった感じでカレーナが驚いている。
その自信はどこから来るのか⋯⋯。
「どうしても何も、ここは皇女様が働くような場所じゃない」
それなりに常連客はいるが、ハッキリ言って安定した仕事とは言い難い。
もっと言えば皇女たるカレーナなら、仕事なんて不要のはずだ。
わざわざ、こんな不安定な仕事に従事する必要性なんて一切無いはずだ。
俺の強い拒否を受けても、彼女は諦めることなく次の提案をしてきた。
「じゃあ、こういうのはどうかしら? 貴方を社長として毎日レンタルして、私がそこで事務員として働くの。雇い主兼従業員ね」
「⋯⋯ややこしいし、ダメだ。大体レンタル料はどこから捻出する気だ?」
「市井で働くための研修費として父に請求するわ。この件は父も賛成してるし」
「皇帝陛下が?」
「そうよ、あのあと色々と考えて、相談したの。これからの皇家の在り方を」
彼女の話によると⋯⋯。
今回の騒動を受け、未だに種族共存主義が浸透しきっていないことに、皇帝陛下は心を痛めた。
特に、端を発したのがヴァイスによる、名家としての驕りからくる選民思想的な発想だったことについて、強く危機感を持ったとの事だ。
そこで皇家として親しみやすさをアピールする為に、カレーナを市井で働かせようと考えたらしい。
「これからの時代は、尊敬されつつも親しみやすい皇家を目指す⋯⋯って事みたい」
「はぁ⋯⋯」
「で、代々の言い伝え通りにしよう、って」
「というと?」
「困ったときは『レンタル魔王』に助けて貰おう! って言ってたわ。今回の父の決断は、少しでも差別意識を減らし、親しみやすい皇家を目指すためなのよ? シモンなら協力してくれるわよね?」
「⋯⋯だが、君がここで働くと目立ちすぎるから」
「あら、私が来た日、シモンは集客のために魔王を名乗っているって言ってたわ。目立つなら好都合じゃない。私が貢献できる証拠ってことでしょう?」
「⋯⋯まぁ、そう、なのかな?」
「貴方とエレオノーラ様が始めた物語⋯⋯種族共存に、私も協力したいの⋯⋯貴方の側で。皇家が少しでも庶民的になるのは、そのさらなる一歩よ」
「うーん⋯⋯」
それを言われてしまうと弱い。
何だか、外堀が埋められている気がする。
俺が手を組んで思案していると、カレーナはすっと立ち上がった。
「貴方がそろそろ起きてくると思って準備してたの。ちょっと待ってて」
彼女はポットとカップを手にして戻ってきた。
そのまま俺の前にカップを置き、茶を注いだ。
──どんどん彼女のペースに巻き込まれている気がする。
この感覚は何だか身に覚えがある、気がする。
少し落ち着こうと考え、俺は出されたお茶を啜った──瞬間、それが求めてやまない物だと気が付いた。
考える前に、質問が口をついて出た。
「カレーナ、君は誰にお茶の淹れ方を習った?」
俺の態度に思うところでもあったのか、カレーナは再びソファーに座り、こちらを見ながら言った。
「ふふ、美味しいでしょう? 子供の頃から母に習っていたから、ちょっと自信があるのよ。貴方の淹れてくれたお茶もなかなかだったけど⋯⋯私も得意分野よ」
「母親から?」
「ええ。皇家に生まれた女性は、代々母からお茶の淹れ方を学ぶんだって。母は父の許嫁に決まってすぐ、祖母から習ったらしいわ」
「ちなみに⋯⋯どんな事を習った?」
「道具、茶葉の選定、お湯の温度、蒸らし時間、カップの温め方、注ぎ方⋯⋯あ、それも時期や気候によって変わるし、一朝一夕で身に付けるのは無理ね」
俺が興味を示したからか、カレーナは自信ありげに告げた。
今言われた要素の幾つかについて、俺は考えたことも無かった。
「なるほど⋯⋯」
「でも何よりも大事なのは──」
生徒に講義するように、カレーナは指を一本立てた。
「──相手に美味しく飲んでほしい、その気持ちを込める事よ」
⋯⋯なるほど、と心から思わされた。
それなら、彼女たちの淹れる茶に敵わないのも納得だ。
俺はエレオノーラが淹れてくれた、茶の味を再現しようとばかり考え、誰かに飲んで貰おうなんて一度も思わなかった。
それはもしかしたら──俺が過去に囚われすぎてしまい、あの日始めた物語を進めようとせず、思い出に浸り続けている証拠なのかも知れない。
『このポットでお茶を淹れて、たまには私を思い出して』
エレオノーラの言葉が脳裏を過る。
そう言われるまでもなく、忘れられない思い出だ。
そして、忘れなければいい。
だが⋯⋯それに囚われて停滞してはいけない。
仮面帝の出自について、彼女が俺に真実を残さなかったのも、きっとその為だろう。
もう一度茶を口にして、カップを置いた。
「カレーナ」
「はい」
俺の声色から、大事な事を言おうとしてると捉えたのだろう。
カレーナの返事には、緊張感が混ざっていた。
「報酬についてはあとで話すとして⋯⋯君を雇用するにあたって、条件がある」
「⋯⋯! は、はい!」
「出勤したら、まず最初にお茶を用意してくれ」
カレーナは拍子抜けしたのか、ぽかんとした表情になった。
「⋯⋯そんな事でいいの? 冗談じゃないわよね?」
「ああ」
俺が本気で言っている事が伝わったのか、カレーナはたちまち相好を崩した。
「ふふふ、お安い御用だわ。母に感謝しなくっちゃ」
嬉しそうにする彼女を眺めながら、再び俺が茶を飲んでいると⋯⋯。
カレーナは何かに気が付いたように「あっ」っと一言呟くと、そのまま話し始めた。
「さっき報酬の話しをしたでしょう?」
「ああ、それも話さないとな」
「うん、でも⋯⋯早起きした甲斐があったわ。もう既に──ちょっとした報酬を貰った気分だもの」
「⋯⋯どういう事だ?」
彼女が言っている事の意味がわからず、俺は思わず聞き返した。
困惑する俺をよそに、彼女は手で口元を押さえ、肩を揺らし始めた。
「だってシモン。貴方ってあの日、弱っていそうな時も、ずっと澄ました顔をしてたから⋯⋯意外で⋯⋯」
「意外? 何が?」
俺の態度がよっぽど可笑しかったのか、それとも別の理由があったからなのか。
彼女はしばらく一人で笑っていたが──やがて、心からの微笑みと、慈しみを込めた眼差しを俺に向けながら、嬉しそうに囁いた。
「貴方の寝起きの顔って──とっても可愛いわ、シモン」
─了─
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