第15話 過去
彼らは再び俺の怒りの対象となる事で、同じ恐怖を味わうなんて事態を招かないよう怯え続けるしかない。
それは理性ではなく、本能の奥底に、新たに押された刻印だ。
重度の麻薬中毒患者が、激しい禁断症状から、薬を手に入れる為に手段を選ばなくなるのに近い。
思想も、信条も、復讐心も、倫理観も、全て塗り替えられてしまい、彼らの行動原理は一つになる。
──二度と俺の不興を買わない事、だ。
「カルミッド」
「はい」
「黒幕は誰だ?」
「はい、今回の件を仕切っている最高責任者はデボン卿です」
ああ、あいつか⋯⋯顔見知りだ。
俺の顧客のうちのひとりだ。
あいつなら、何とでもなるな。
俺を自分の趣味に利用しながら、裏で反種族共存主義者だったとはな。
「わかった、ではお前はヴァイス殺害の件で自首しろ。そして今回の件について取り調べを受け、全て自白しろ。だが、俺の名は一切出すな」
「はい、シモン様の仰せのままに」
「残りは⋯⋯今回の件について証言者になったのち、騎士団復帰が認められた者は、団員という立場を活かして種族共存に励め」
それぞれの騎士が神妙な顔つきで頷く。
彼らはもう、今までの人間関係よりも、俺の命令を重視する。
恐怖に操られる人形と化してしまった。
何よりも不幸なのは──彼らの中で、魔族への怒りや反種族共存主義的な考えは残っている、という事だ。
彼らは魔族を憎み、自分を変えてしまった俺を憎み続ける。
その上で、恐怖から解放してくれる俺という存在に強く依存してしまう。
魔族への憎しみが強ければ強いほど、葛藤は強くなり、数年で廃人と化す。
復讐の権利も与えられず、心が潰れてしまう。
人質となっていた二人を見る。
この騒ぎの中、二人は眠っていた。
騎士達に命じて、ヴァイスの死体を二人から見えない場所に移動させ、床の血は水魔法で洗い流す。
戦いの痕跡を消し去り終え、睡眠薬の効果を消すために、二人に解毒の魔法をかけた。
まず起きたのは姉のクラリスだ。
彼女はしばらくぼーっとしていたが、俺に気付いた。
「あれ、シモンさん⋯⋯どうしたの?」
「迎えに来た、帰ろう」
「うん⋯⋯ロイ、ロイ、起きて⋯⋯」
「いいよ、俺が抱っこするから。クラリスは歩けるかい?」
「うん」
ロイを左手で抱え、右手でクラリスと手を繋ぐ。
倉庫の出口に向かいながら、一度だけ振り返った。
俺が一瞥を送った先で、騎士達が俺を見ている。
俺の事を激しく憎みながらも、俺に逆らえず、卑屈な視線を送ってくる、いつか壊れてしまう人形たち。
──自分の怒りが生み出した結果を確認し、自然と溜め息が漏れるのを自覚しながら、俺は外に出た。
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「お前⋯⋯顔色が酷いぞ、大丈夫か?」
ベリスが俺を見るや、眉をひそめながら言ってくる。
珍しい反応に驚きながら、俺は口元に笑みを作った。
「たまには悲壮感を漂わせるのが、いい男ってもんだ」
「心配して損したよ」
倉庫内で起きた出来事、その顛末を簡単に伝え、子供たちの事をスラムに送り届けるように頼んだ。
「しかし、カルミッド達は本当に自首するのか?」
「ああ、間違いない」
俺の断言に、ベリスはチラリと虚空を見る。
「なるほど⋯⋯コイツの仕業、か」
普通の人間なら何も見えず、感じる事もない。
だが、一流の魔法使いであるベリスなら感じているだろう。
実像こそハッキリ捉えられなくても、闇の精霊の存在感を。
「過保護な奴でね。過保護過ぎて、俺の願いは聞かず、俺の為に勝手にいろいろしてしまう」
俺が肩を竦めると、ベリスは苦笑いを浮かべた。
「お前が気にする事じゃねぇよ、間違ってるのは過保護な愛し方って事だ。間違った愛情は、時に独占欲と同じで、檻と変わらんよ」
「元スリの元締めらしい、含蓄に富んだ言葉だ」
「けっ、慰めて損したぜ。ほら、二人ともいくぞ」
二人の手を引き、ベリスが歩き出す。
その背に俺は声を掛けた。
「ベリス」
「ん? なんだ?」
「⋯⋯ありがとう」
「最初からそう言えよ、照れ屋が」
「慣れてないんだよ⋯⋯優しくされるのに」
「そりゃ、いつだって強いところばっかり見せようとしてたら、優しくされようがねぇだろ」
ベリスはそれだけ言って、今度こそ立ち去った。
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べリスたちを見送り、ヴァイスの件をどう伝えようか思案しながら、事務所で待つカレーナの元に戻った。
事務所のドアを開けると、ソファーに座っていたカレーナがこちらを見上げる。
既に外も薄暗い中、ランプに照らされていた彼女の顔にはやや疲労感が浮かんでいたが、俺の顔を確認するとホッとした表情に変わった。
「シモン、お帰りなさい」
「ああ、ただいま」
「何が起こったの? 人質とか、物騒なことを言ってたけど⋯⋯」
「今から話すよ」
彼女の対面に座り事情を話した。
ヴァイスが増長し、反種族共存主義に染まっていたこと。
先々皇帝となった彼を担ぎ上げ、武力によって政権の転覆を画策していた組織があること、またアンナはそこから送り込まれた人物だった、ということ。
ヴァイスがカルミッドの手に掛かったことを伝えたときには、流石にショックを受けたらしく、しばらく話を中断した。
続きを促され、話すべきか迷ったが⋯⋯自分に纏わりつく、過保護な闇の精霊についても伝えた。
「だから、カルミッド達については間違いなく自首すると思う」
「そう⋯⋯わかったわ」
一通りの話しを終え、彼女からの言葉を待つ。
カレーナはしばらく考え込んでいたが、やがてぽつぽつと話し始めた。
「ヴァイスの事は残念だけど、仕方ないと思う」
「⋯⋯」
「だって、本人がどこまで考えていたのかわからないけど⋯⋯国家転覆を計画していたのだもの。表沙汰になるようなことがあれば、間違いなく死刑でしょうし⋯⋯」
「⋯⋯まぁ、そうだな」
「むしろ、私が事前に婚約破棄騒ぎを起こしたことが、計画を未然に防ぐきっかけになったのだとしたら、皇家がのちに負ったかもしれない、世間からの咎を抑えられたかもしれないわね」
ふむ。
事前に、種族共存主義に意を唱える彼を切り捨てた、という風に世論を動かせたなら、むしろ皇家のイメージアップすらあるかもしれない。
権力を返上し、皇帝とはいえ実権は無いという、絶妙なバランス感覚が必要な家庭に育った、彼女の苦労を感じる。
「しかも、よ⋯⋯彼が私と結婚していたとしても、皇帝になるって、父の死後よ? なら、カルミッドが護衛として来た理由って⋯⋯」
彼女は最後まで言わなかったが、話しの意図は伝わってきた。
皇帝を暗殺なり、脅迫してヴァイスへと禅譲させる気だったのかも知れない。
「どちらにせよ、父に何かする前提だったと思うわ。だから皇家の人間として、貴方にお礼を申し上げます。ありがとう⋯⋯シモン」
「お役に立てたなら、なによりです」
彼女が『皇家の人間』として礼を言うのなら、敬語で返すのが自然だろう。
俺の返事を聞くとカレーナは頷いたあと、すっと立ち上がった。
「⋯⋯カレーナ様? ああ、そろそろお送りしたほうが?」
俺も立ち上がろうとするとカレーナは首を振り、俺の隣に来て座った。
「まだ、一日恋人は継続中よね?」
「はい、貴女がそれを望むなら⋯⋯」
「敬語はやめて」
「⋯⋯君がまだ続けたいというのなら」
「うん、続けるわ」
継続を宣言したカレーナは⋯⋯。
俺の頭を抱きかかえ、胸元に引き寄せた。
「⋯⋯カレーナ?」
突然の行動に驚き、俺が思わず名前を呼ぶと、彼女の優しく諭すような声が耳に降ってくる。
「恋人なら、こうするべきだと思って。貴方がとても傷ついているように見えるわ。特に──闇の精霊について話しているときは」
彼女の声と身体から感じる温かさに、安らぐものを感じる。
べリスの言ったことが脳裏を過った。
『そりゃ、いつだって強いところばっかり見せようとしたら、優しくされようがねぇだろ』
彼が柄にもなく俺を慰めようとしたのも。
今のカレーナの態度も。
どうやら俺は、相当弱って見えるらしい。
そして、実際そうなのだろう。
人の感情を司る、喜怒哀楽。
そのうちの一つ、怒り。
俺は感情のうちの一つを封じられている。
恋人だろうが、友人だろうが、親、兄弟であっても、彼らに対して怒りを覚えようものなら、一気にその関係性は失われる。
人を別のものに作り変えてしまう。
過保護な精霊によって抱えてしまった、自らの身に掛けられた呪い。
それを改めて見てしまった事で、弱ってしまったのだろう。
「ねぇ、シモン。このままでいいから聞かせてくれない?」
「ん? 何を?」
「あなたが私の依頼を受けてくれた理由。私の父が、レンタル魔王が助けてくれるなんて言った理由。あなたの⋯⋯失恋の話」
「⋯⋯それは」
「あら、失恋したら慰めに話してくれるって言ったわよ? 婚約者を突然喪ったんだもの、失恋したも同然じゃない?」
「まいった。じゃあ話すよ⋯⋯いや、違うな」
口にしてみてわかったが、そう、違う。
彼女に言われたから話すのではない。
俺が聞いてほしい気分なのだ、彼女に。
カレーナの手をゆっくり外し、身体を起こす。
「ただ、これだけは約束して欲しい。この話はここだけにしてほしい。誰にも言わないと誓ってほしい」
「ええ誓うわ、誰にも言わない。だって──」
カレーナはいたずらっぽく笑い、俺の太ももに手を置きながら言った。
「二人だけの秘密だなんて、すごく恋人っぽいわ」
「そうだな」
彼女の手に、自分の手を重ねた。
そのまま、彼女の瞳をまっすぐと見ながら、俺は話を始めた。
「カレーナ、俺は──五百年前に、君の祖先エレオノーラによって封印され、現代に蘇った⋯⋯『最後の魔王』なんだ」




