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使用人達がそれぞれの仕事で慌ただしく動き回る中、本邸の一室では、食器の割れる音とユリアンヌの金切り声が響いていた。
「私がミルク無しの紅茶を飲まないこと知ってるでしょう!」
豪華なソファが置かれた室内には、それはまた豪華な絨毯が敷かれていたが、ユリアンヌが力任せに投げつけたカップは壁に叩きつけられ、見事に砕け散り、その絨毯を汚した。申し訳ございませんと急いで三人の使用人達が、砕けたカップと、絨毯に染み込んだ紅茶を拭き取る作業に取り掛かる。
ソファと同じ装飾が施されたローテーブルには、ミルクも置かれていたが、今日のユリアンヌは自分で混ぜることをしなかった。予めミルクを混ぜて提供したこともあったが、ミルクの量が気に食わないと今回のように投げつけられた。機嫌が悪くても、自分でミルクを注ぐこともあるのだ。
その日の感情の起伏の度合いは当人しか分からず、使用人達はなす術が無かった。
「ユリアンヌ、落ち着きなさい。」
セリスは、使用人の慌てる姿には見向きもせず、ユリアンヌを自分の方へ手招きする。ユリアンヌは、セリスの隣に座り、母の膝に頭を乗せた。セリスは紅茶を飲みながら、ユリアンヌの栗色の髪を撫でる。
「ジュリア伯爵令嬢が、私より目立つドレスを着ていたわ。格下のくせして、私のこと馬鹿にしてるのよ。」
先程の自分の催したお茶会にゲストとしてやって来た伯爵令嬢の装いが気に障ったのだ。そこでお茶会もそこそこに、セリスが休んでいる部屋へと泣きつきに来たという訳だ。
伯爵令嬢ジュリアの家は貿易に力を入れており、各国から珍しいものを取り寄せている。自分が注目の的でありたいユリアンヌにはそれが許せなかった。嫌味の一つでも言ってやりたいところだが、伯爵家といえど、貿易で名を馳せている家柄で莫大な財力を手にしている。その為、日頃から丁重にもてなすようセリスに釘を刺されていた。
「貴方の方が美しいわ。」
「お父様に言ってちょうだい。私たちが使える予算を増やしてって。」
「お帰りになったらね。」
セリスがそう言うと、ユリアンヌは勢いよく起き上がる。
「いつ帰ってくるか分からないじゃない。」
「お忙しいのよ。」
「お母様は、私が平民の血が混ざっていると馬鹿にされて平気なの?」
「…ユリアンヌ。黙りなさい。」
セリスの声は低く、明らかに苛立ちが込められていた。セリスが何より嫌う"平民"という単語を口にしてしまったユリアンヌはハッとして、すぐに話題を逸らした。
「もうすぐ、王室でアルヘルム様の誕生パーティね。」
「そうね。」
セリスは紅茶を飲み干すと、姿勢を崩してソファの背もたれに体重を預けた。そして2人は誕生パーティーに着ていくドレスやアクセサリーについて話し合いを始めた。
セリスは、平民だった。ここより遥か東の郊外にある酒場の一人娘であった。そこもルードリッツ領の一部の町だ。その町では、セリスの艶かしい見た目は持て囃された。男にも生活にも困ったことは無かったが、セリスは物足りなさを感じていた。酒場に来る客の相手をし、このまま両親の手伝いをしながら店を継いで、生涯の幕を閉じるのかと考えるといつも虚しくなった。
転機は突然訪れた。
自分の領地の視察へ来たマルクスとその護衛が、身分を隠して酒場に来たのだ。酒が入っていないマルクスは寡黙でつまらなかったが、酒が入るとぽつぽつと亡き妻の話をし始めた。なんて女々しく鬱陶しい男だろうと思ったが、見た目は凛々しくセリス好みで、質素ではあるが明らかに上等な服を纏っていた。金持ちであることを察知したセリスは、精一杯のもてなしをした。
酒場には酔っ払いが休める部屋も用意されていて、そこでセリスは泥酔したマルクスと一夜を共にした。彼が外した懐中時計には、誰もが知るルードリッツ公爵家の紋章が刻まれているのを彼女ははっきりと見た。
その後もマルクスは、度々セリスの暮らす領地に訪れたが、店に寄ることは無かった。
妊娠が発覚したセリスは毎日のように外へ出て、ルードリッツ公爵家の紋章が描かれた馬車を探した。ある日、偶然自分の前にその馬車が通りかかった。この機会を逃すまいとセリスは馬車を追いかけ、無理矢理引き留めた。セリスから妊娠を告げられると、一瞬ではあったがマルクスは眉間に皺を寄せた。
セリスはマルクスからマリアンヌという娘がいることを聞かされていた。「この子は、貴方様の子の良い話し相手になる。」「私が2人まとめて面倒を見る。」と詰めた。護衛がいくら静止してもセリスは聞かなかった。
マルクスはただ一言、「生まれたら、連れて行く。」とだけ口にした。
セリスの胸は、思わず叫びたくなるような歓喜の感情で溢れた。周りの護衛は開いた口が塞がらないと言った様子だったが、そんなものはお構い無しだ。
セリスは、両親に公爵家の子を産みいずれ公爵婦人になるのだと豪語し、自分の体を大事に扱えと言い放った。
その日を境に店の手伝いを一切せず、両親に自分の世話をさせるようになった。自分が公爵家に入ったら実家には援助をしてやるつもりでいたが、腹の膨らみと共にその気持ちは薄れていった。公爵家での贅沢生活に憧れを抱くばかりであった。
セリスの両親は疲弊していた。ユリアンヌを出産した後、自分達の娘は立派な馬車に乗って本当にいなくなってしまった。しかし、セリスの横暴に心身をすり減らしていた両親は、静まり返った部屋の中で安堵した。ルードリッツ公爵家からは使い切れないほどの大金を渡されたが、手をつけることは無かった。
公爵家に嫁いだという噂を聞きつけた賊が押し入り、両親は殺され、金品のすべてを奪われてしまったのである。
両親の訃報を受けても、セリスは我関せずといった態度を示した。その態度を見た使用人達は、陰で"冷血婦人"と口々に囁いた。
訃報を受けた時、ユリアンヌを抱いていたセリス手は小さく震えていた事には誰も気付かなかった。




