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マリアンヌは、羽ペンと手鏡を抱えて馬車に揺られている。
泣き腫らしたような目をしていたことに、ヨゼフを含め全員が気がついたが、誰も何も聞かなかった。エリザベスはヨゼフから今後のことについて話を受けている間も、ちらちらとマリアンヌのことを気にかけていた。しかし、やはりマリアンヌ本人には何が起きたのかは尋ねなかった。
馬車の小窓から遠くを見つめるマリアンヌは、魂が抜けてしまったかのようだ。
「マリアンヌ様、城に到着しましたら、ギルヘルム様達とお茶にしてはいかがですか?」
「ありがとう。」
儚げな笑みを浮かべてマリアンヌは答えた。
王宮に着くと、ギルヘルムが足早にマリアンヌを迎え入れた。
「…何かあった?」
マリアンヌの顔を覗き込み、ギルヘルムは率直に尋ねる。
「昔を懐かしんでおりました。」
「そっか…。大丈夫?」
「もう平気ですわ。クレマンは?」
「ジュール国への帰還予定日を決めて、向こうに連絡手続きをとっているよ。」
「そう…。」
「……少し、外で話そうか。」
差し伸べられた手を取ると、二人は庭園へと赴いた。
広大な庭園の中にはいくつものカゼボがある。その一つにマリアンヌとギルヘルムはいた。テーブルの上に、大切に持ち運んだ羽ペンと手鏡を置いた。二人きりだと、ハイケンの時のような接し方ができる。
「ヨゼフからおかしなことは聞かなかった?」
「おかしなこと?」
「その…僕の生い立ちとか…。」
「あぁ!休む間もなく話してたわ。生まれてから今日までのことを。」
「恥ずかしすぎるな…。」
ギルヘルムは頭を抱えた。マリアンヌはその姿を見て笑みを漏らす。ギルヘルムはマリアンヌのその柔らかい表情を目にして、いつもの彼女が帰ってきたと内心胸を撫で下ろした。
「愛されているってことじゃない。」
「そうなんだけどさ。」
「けど?」
「僕が愛されたいのは、君だよ。マリアンヌ。」
ギルヘルムはマリアンヌの両手を取ると、目の奥に熱い火を灯して真正面から向かい合った。
「あ、あの…。」
「マリアンヌ、よく聞いて。」
「え、あ…はい。」
緊張感が伝わってくる。マリアンヌの手にじんわり汗が滲んだ。
「…僕は君が好きだ。ハイケンで初めて会った時から、君が気になって仕方なかった。」
「……。」
「君が町娘だったとしても、探し出して結婚を申し込んでいたよ。」
握られている手が一層強く包まれる。
「ジュール国王女になった君を、迎えに行ってもいいかな。」
「迎えにきてくれるの?」
「勿論だよ。」
「本当?」
「あぁ。君を迎え入れる準備ができたら、すぐに行く。」
「分かったわ…。」
「だから、帰ってきたら僕と結婚してくれないか?いずれ王妃という立場になるし、パウルやゲルタのような暮らし方はできないけど…。でも、僕はマリアンヌ、君に隣にいてほしいんだ。」
「ギルヘルム様…。」
ギルヘルムは、マリアンヌの手を握ったまま、片膝をついた。そして、腰のポケットから小さな箱を取り出すと、マリアンヌの前に差し出しその蓋を開けた。眩い光を放つダイヤが埋め込まれた指輪がその中に鎮座している。
「僕と結婚してください。」
「……喜んで。」
マリアンヌは今にも泣き出しそうな笑顔をギルヘルムに向けた。ギルヘルムはまだ傷が残るマリアンヌの指に、指輪を嵌めると、勢いのままに抱き締め、そして優しく口付けを落とした。
マリアンヌは視界の端に手鏡を捉えて、そっと目を閉じ、その口付けを受け入れた。
すみません
もう少しだけお付き合いください




