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「畜生!!」
「…鏡さん。」
皆が去った後、鏡の中の者は苦渋の表情で悔しさを叫びにした。血が滲み出そうなほど唇を強く噛み締めていた。
窓が全て塞がれた部屋は、ドアからわずかに入ってくる廊下の明かりだけが全てで、ランプが無ければ闇に包まれてしまう。エリザベスも、リベルトも本邸から来た使用人に連れ出されてしまった。
明日から、マリアンヌに対し最低限の世話をするのは本邸の使用人らしい。マリアンヌに話しかけられても一切受け答えしてはいけないようで、目すら合わせない。だが、数台のランプを灯すのに必要なものは用意してもらった。
お陰でこうして鏡の中の者と会話ができる。いつもと違い、遠慮なく普通の声量で会話をすることにした。手鏡に話しかけている姿を使用人が見たら、精神を病んだと思うだろう。それでも構わなかった。
「マリアンヌ、マリアンヌ…。頼むから、そのナイフは…。」
鏡の中の者は、もがくように鏡面に伸ばす。あまりに悲痛な顔をするので、マリアンヌの心が痛んだ。
「大丈夫。大丈夫だから。」
マリアンヌは宥めるようにそう言うと、鏡越しに鏡の中の者の手を自分の手を重ね合わせた。
「もう、弱い私ではないわ。」
「でも…。」
「三日後、きっとあの人達は気付いてくれる。そこまで耐えるわ。信じて。」
「……ごめん、俺のせいで。こんなことに。」
「違う。自分を責めないで。」
「お前を幸せにすることが全てだったのに…。」
「もう!鏡さんが落ち込んでたら、唯一の話し相手にならないじゃない!」
マリアンヌは重ねている手で鏡面を叩いた。鏡の中の者は、眉毛を下げて困った顔をしていた。
「そこで見てて。」
マリアンヌは手鏡を机に立てかけた。窓の前に立ち、自分の姿が鏡に映っている事を確認する。鏡の中の者は鏡面に顔を寄せる。
「何をするんだ?」
「…ばれなきゃいいのよ。ばれなきゃ。」
先程から鏡と普通に会話をしていても、様子を伺いにくる気配を感じない。部屋の前には見張りはいないようだ。
「ユリアンヌも良い贈り物をしてくれたわ。」
マリアンヌは持っているナイフの鞘を外す。
「おい!!!」
鏡の中の者は焦りの声を出す。マリアンヌは窓を覆っている材木にナイフを当て、擦り始めた。
「…何してるんだ?」
「三日後、あの人たちに気付かれなかったとしても、逃げ出せるようにしておくわ。見張りは家の中だけみたいだし。まさか、私が窓から外に出るなんて夢にも思わないでしょうね。」
「…は、ははは。」
鏡の中の者は笑い出す。そこには安堵した声も混ざっていた。
「…にしても、やっぱりナイフだと難しいわね。」
「削ぐようにするんだよ。んで、薄くなったら叩く。」
「なるほどね。」
「あと木屑処理しとけよ。」
「はーい。ベッドの下にでも入れておくわ。」
マリアンヌは材木を慎重に削り続ける。根気よく続けた結果、コトンと音を立て一つの木材が真っ二つ折れた。
一枚の窓を覆っている材木の横幅は手のひらを広げたくらいの大きさで、厚みは思ったよりも薄かった。しかし、枚数が多い。内側にだけでなく外側にも同じ枚数あるようだ。
「一枚だけで疲れた…。」
「無理するな。」
「もういっそ、燃やしちゃうとかどう?」
「アホか焼け死ぬだろ。」
「ですよね…。」




