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宿屋ローズマリーで宿泊の手続きを済ませジークハルトと別れた後、案内された二階の部屋に入った。部屋の外には護衛が一人ついた。部屋の中は、シングルベッドと、机、椅子が置かれている。机の上には宿の案内の書かれた紙があり、一枚ベッドの横には窓が一つと、トイレと風呂へ続くドアがある。シンプルだが、清潔感のある部屋だ。
マリアンヌは椅子に腰掛けて手鏡を取り出した。その時、鞄の中にあるはずの叔父宛の手紙が無くなっていることと、金貨が一枚入っていることに気がついた。ギードだろう。
「怪我はないか?」
手鏡に顔を写すとすぐに、鞄の中で外の出来事を聞いていた鏡の中の者が口を開いた。マリアンヌは慌てて、口に人差し指を当てて、静かにするよう合図をした。鏡の中の者は訝しげにこちらを見た。
「ごめんなさい。このドアの向こうに1人護衛がいるの。」
「なんだ、そういうことな。」
2人は静かに話始めた。
「私は大丈夫。ギードも駆けつけてくれたの…。鞄から手紙を抜いて行ってくれたみたい。あと、この前渡した金貨を返されちゃった。」
「そうか。」
「私も、お金の扱いには気をつけないとね。」
「当然だ。貴族社会と市井社会の常識は違うからな。」
「学んだわ。」
「…。まぁ、なんだ、お前に怪我がなくて何よりだ。」
鏡の中の者は、はぁーっと安心しきったように座り込んだ。その姿を覗き込んでいると、次は激しく頭をかいてマリアンヌを見据えた。
「それより、やばいことになったじゃねぇか。」
「そうなの。どうやって帰ろうかしら。」
「見張りは何人いるんだ。」
マリアンヌは懸命に外の様子を思い出す。宿屋の入り口に1人と…、このドアの前に1人。
「…入口と、ドアの外に2人かしら。」
「窓は?」
「見てみる…。」
マリアンヌは窓辺に行き、そっと見下ろす。部屋は店の裏側に位置している。窓のすぐ前には木が植えてあり、葉が生い茂っていて見にくかったが…護衛が一人いることが確認できた。
「一人いたわ。」
「こんなに護衛つけるって…何者なんだよ。」
「町に馴染む格好しているけれど整ってるし、持っている剣もとても立派なの。」
「…まさか。」
「思い当たることでもあるの?」
「いや、まさかな。…つか、本当どうするかな。この状況。」
一刻も早く帰らなければ、日が昇ってしまう。別邸にいないことが知れると大変だ。特に、義理の母と妹に…。
「窓から地上まではどのくらいの距離だ。」
「うーん…別邸の床から天井よりずっと低いわ。」
「そうか。窓の目の前に木はあるか?」
「ある。」
「じゃあ、いけるな。」
「じゃあって…、もう。行けそうだけれど…。」
日頃、ここの二階よりも高い場所を上り降りしているマリアンヌだ。このくらいは怯むことない高さであった。だが、木を伝って降りるにしても、下にいる護衛に気付かれてしまうし、ドアの外にいる護衛も駆けつけてきたら袋のネズミだ。
「大丈夫だ。俺に任せろ。いいか?」
そう言うと、これまでよりも小さな声で鏡の中の者は話し始めた。




