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ー アルヘルム様が近くここにいらっしゃるの。
その日は絶対に外に出ないでちょうだい。
この家のみっともない所を見られたくないもの。ー
ユリアンヌは勝ち誇った顔をして、別邸を出て行った。一点を見つめて呆然と立ち尽くしていたマリアンヌは、やがて自室へ戻ろうと、ふらつきながら階段を登り始めた。
「マリアンヌ様…。」
エリザベスは心配そうにマリアンヌを支える。大丈夫よ…と力無く答えたマリアンヌは、肩に置かれたエリザベスの手を退けて、再びおぼつかない足取りで歩き始めた。
「ご夕食の準備が整いましたら、お呼びしますね。」
エリザベスの声が聞こえたが、応えることはなかった。
自室に戻ると手鏡で自分の顔を見た。顔面蒼白とはこのことか。自分の顔を見つめたままでいると、鏡の中の者が動き出す。
「おい、何があった。」
「…。」
「マリアンヌ、酷い顔をしてるぞ。」
「……ユリアンヌが」
「おう。」
「アルヘルム様の婚約者候補に選ばれたんですって。」
「そうか…。」
鏡の中の者は、驚くことなく冷静に受け止めている。過去を知っている鏡の中の者にとっては来るべくしてきた事態だったのだろう。
「私、忘れられていくのかしら。」
絞り出したような声でそういうマリアンヌの目から一粒の涙がこぼれ落ちた。自分の死よりも、皆から忘れられてしまうことが何より怖かった。
「忘れねぇよ。」
「あなたは、そうでしょうけど。」
マリアンヌは微笑む。その切ない表情を見ると鏡の中の者の心も痛んだ。
「違う。俺だけじゃない。」
「どういうこと。」
「エリザベスもギード達も、料理長のレベルトも、庭師のグンテも…。叔父のアランとの手紙のやりとりもそうだ。全部、今のお前が親交を結んだんだ。過去には無かった。」
「でも…。」
「あいつらがマリアンヌのことを忘れると思うか?そう思うのはあいつらに失礼だ。」
そうだ。彼らは心からマリアンヌのことを慕っている。彼等ならきっと何があってもマリアンヌの味方でいてくれるだろう。過去の自分では作れなかった"親しい人"が沢山できた。
「そうよね。」
「マリアンヌらしくない。お前はかなりの自信家だろ。」
「そんなことないわよ。」
マリアンヌは涙を拭うと、笑って鏡を小突いた。
「このまま行くと、それにお前が社交界復帰の日は近い。」
「え?」
「アルヘルムの誕生日の後に、モーガン王が大病を患う。そこで、モーガン王は死ぬ前に孫に会いたいとルードリッツ家に連絡を寄越すんだ。」
「お爺さまが…。」
アランからの手紙では、モーガン王はすこぶる元気だといつも書いてある。たまに、モーガン王の直筆で"親愛なるマリアンヌ"と一筆書かれていることもある。大病を患うとは考えられなかった。
アルヘルムの誕生日は2ヶ月後だ。ユリアンヌの横暴なドレスの発注に本邸の使用人も、商人も、手を焼いていると聞く。これから徐々に、モーガン王は体調を崩していくのだろうのか。
「前のお前は、もうその時には居なかったからな…。生きているなら、今回はジュール国に行かせざるを得ないだろう。」
「なるほどね…。」
この2ヶ月が勝負だ。じっくり準備をしていこう。マリアンヌと鏡の中の者は目を合わせると、首肯した。考えは同じだったようだ。
―コンコンコンコン
ノック音の後、ドア越しからエリザベスの優しい声が聞こえた。
「マリアンヌ様、ご夕食の準備が整いました。」
「支度するわ。」
「今日はマリアンヌ様のお好きなものばかりですよ。」
「…ありがとう。」
「グンテさんからはお花が届きました。」
「…そ、うなのね。」
鼻の奥がツンとする。思わず声が震える。
こんなにも気にかけてくれる者が周りにいることを改めて実感し、この先もずっと大切にしていこうと心に誓うのだった。




