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「おーい、待って!」
あの耳さわりの良い声が背後から聞こえる。マリアンヌは鏡を鞄にしまって振り返った。少し遠くの方で、ジークハルトが手を振っているのが確認できた。
マリアンヌが足を止めると、ジークハルトは相変わらずの隙の無い歩き方でこちらへと近づいてきた。
「今日はありがとう。おかげで楽しめた。」
ジークハルトは、マリアンヌに再び手を差し出す。彼の大きな手に自分の手を重ねると、優しくはあるがしっかりと握り返された。
「お礼を言うのは私の方。ご馳走になってしまったもの。ありがとう。」
「良いんだ。」
見つめ合う2人の間に沈黙が流れた。ほんの僅かな間であったが、マリアンヌには永遠のものに感じられた。周りの家や店の中のオレンジ色の明かりが、ゆらゆらと外の道を照らしている。ジークハルトの顔にもその明かりが反射していた。
マリアンヌは握られている手をそっと解くと、私の家この辺だからと言って近くの路地に入り込んだ。そのまま両手で三角巾を押さえて深く被り、小走りでその場から離れた。顔の熱が冷めない。一体自分はどうしてしまったんだろう…と初めて覚えたこの感情に困惑していた。
「目立つ行動をされては困ります。」
一人取り残されたジークハルトに声を掛ける人物が現れた。先程、店外を覗いていた身なりの整った男であった。
「すまない。楽しかったんだ。」
肩をすくめてそう応えるジークハルトの周りには、多くの男が集まっていた。人通りの少ないこの通りでは明らかに異様な光景だ。
「町娘に手を出すのはやめてください。」
溜息混じりに言った男は、ジークハルトに次から次へと色々な物を手渡した。その中には重みのある剣も含まれている。ジークハルトの質素な服は周囲にいる男たちによって、騎士のような装いに変貌した。
「彼女、よく見た?」
「いや、遠目だったので…。」
「一瞬たりとも姿勢を崩さなかったんだ。」
「どういう事ですか。」
「所作が全て完璧だった。」
ジークハルトは手袋を嵌めながら、マリアンヌの去った路地の方を見つめた。
「後をつけさせますか…?」
「いや、いい。」
「そうですか。さぁ、近くに馬を待たせております。行きましょう。」
「あぁ。」
ジークハルトと男達は来た道とは反対の方へ向かい、夜の闇へと消えていった。




