14
男性が食べた残りを食べるなんて…しかも、かじった残りを…。
マリアンヌの脳裏にエリザベスの顔が浮かんだ。噴火しそうな勢いで紳士淑女のマナーについて説く姿が想像できた。マリアンヌは自責の念に駆られながらも、冷静さを必死で取り戻した。
「…別にここじゃ普通のことよ。誰だってするわ。」
「へぇ、そうなんだ。」
「そうよ。なにも気にする事じゃないの。」
ジークハルトは感心したような様子を見せた。残りの酒を飲み干すと、彼はゲルタを呼んだ。
本当にこの人は良いところの坊ちゃんなのね、もしかしたら貴族かも…とマリアンヌは考えた。
「ねぇ、シルヴィーはお酒飲める口?」
「えぇ、大丈夫。」
「そう!なら良かった。おかみさん、ワインある?一番美味しいのを頼むよ。」
ゲルタは、あいよと返事をして厨房に行った。少しすると、まだ栓の開いていないボトルとグラスを2つ持って戻ってきた。
「久しぶりに素敵なお兄さんに会ったからね。特別に昨日入った酒、開けちゃうよ。」
周囲の客からは、ずるいという野次が飛び交った。周りを見渡すと、いつの間にやら20ほどある席はほぼ満席状態になっていた。ジークハルトは、ゲルタに向かって「ここにいるみんなの分もお願いします。」と言った。
その言葉を聞いて、周りの客は大いに盛り上がった。ゲルタは、すごい客が来てくれたと嬉々として厨房に戻り、同じボトルを更にもう2本持って来てカウンターに置いた。
あちこちで乾杯の声が上り、ジークハルトは喜んだ客たちに肩を組まれ揉みくちゃにされていた。初めて訪れた場所でジークハルトは皆の中心にいた。
3本のボトルは一気に空になり、マリアンヌは自分の分を飲み干すと静かに席を立った。お勘定を…とゲルタに告げると、ゲルタは首を横に振ってこっそりとジークハルトを指差した。どうやら代金を支払ってくれたらしい。
マリアンヌはお礼を言おうとしたが、ジークハルトは客たちに絡まれたままだった。
ゲルタに「彼によろしく伝えておいて。」と伝えると、ゲルタはウインクをして返した。
マリアンヌは店の外へ出た。来店時よりも賑やかな声が店外に漏れていた。店の外では、身なりの整った通行人が数名、賑やかな店を覗き込んでいる。
空を見上げると、幾つもの星がチカチカと輝いている。マリアンヌは歩きながら、通行人が少なくなったのを確認すると、鞄の中から手鏡を取り出した。
「随分盛り上がってたな。」
あくび混じりに鏡の中の者が話しかけてきた。眠いらしい。
「ジークハルトという人に会ったわ。」
「聴こえてた。」
「でしょうね。今日はギードに会えなかったけれど、とても面白かった…。」
「そうか。でもあの声、聞き覚えが…」
「え?」
「いや何でもない。それより、イモリ食ったのか?」
「食べたわ。」
「げー。」
鏡の中の者は舌を出して、心底嫌そうな顔をして見せた。
「鏡さん、そういうもの好きそうだけれど。」
「俺はグルメなんだよ。」
マリアンヌはそれを聞いて吹き出したのだった。




