第一章 9. 『ダンブレイズ・ヴェイプス』
「僕は……」
蛇のように目をギョロギョロさせ、動けずにいた。どうしたかったのだろうか?
やはり形だけでも復讐を果たす事で自分は異常ではないと安寧を得たかったのだろうか?
何も分からない。自嘲気味に頭の中で呟くダンブレイズは目の前の男を見る。
小さな小さな体格は、あの時出会った奴隷の少年と、そして当時のダンブレイズと同じくらいだが、彼は25歳だといった。
……本当のことだろう。それまでに、彼が懺悔するように発言した際のあの表情は現実味を帯びていた。
もう一度、自問する。
「僕は……どうしたらいいのですか?」
しかし、その自問に答えたのは自分ではなく、目の前に立つ人間だった。
「まずは、怪我させた人達に謝罪しろ。そして、話をしよう。──あんたの痛みはきっと、俺にしかわからねぇから」
──────────
ダンブレイズ・ヴェイプスは鉄脈国ガレオンで生まれた。
何千年も前から戦争が絶えず、父親が帰ってこなくなることも少くない魔族特有の風習により、ダンブレイズという名は死んだ父から取ったものだ。
ユエルダは普通の男の子として育てようと考えていたらしく、魔族がこの世界において煙たがられている存在だと言うことをずっと伏せていた。
その事実を知ったのがちょうど15歳の時だ。そのきっかけになったのが、ガレオンでは当たり前の日常風景になった奴隷を入れる馬に繋いだ牢獄の中に、
自分と特徴が同じであり……年の変わらない少年が布切れ1枚の姿でうずくまっていたのを偶然発見したのだ。
ダンブレイズは窓に移る自分と見比べ、何故僕と同じ容姿の男の子が牢獄に入れられているのだろうと違和感を抱いた。
すぐにその少年を出してやろうと、薄々勘づいていた自分のおかしな能力でなんとか少年を牢獄から脱出させることに成功したのだが、
奇しくもそれで1番困ったのは母であるユエルダだったのだ。
その時に、自分と同じ魔族や獣族という存在が奴隷にされている事を知った。しかも、奴隷市場の総責任者を担っているのがユエルダ本人だと言うのだ。
激昂したダンブレイズは昔本で読んだ魔蛇国グロータスを思い出し、そこへ助けた少年と共に家出という形で旅に出た。
最初の方こそ事が上手く運んでいたのだが、油断したダンブレイズ達はグロータスに着く直前に奴隷商人に捕まってしまったのだ。
何故、捕まえられるのか。
何故、自由に生きることも許されないのか
何故、魔族である母さんは奴隷制度を良しとしているのか
ダンブレイズは足を畳みそれを抱え込むような形でうずくまり、奴隷だった少年を眺めながらずっと考えていた。
だが、突然ダンブレイズを攫った強面に「出てもいいぞ」と言われたのだ。その通りに小さな牢獄から顔を出すと、目の前に居たのは喧嘩別れしていたユエルダだった。
そこで、恐らく責任者である彼女がこの強面に捕まえるようにと依頼したのだ、と気づいた。
しかし、ユエルダはダンブレイズが必死で助け共に旅をした奴隷の少年は……牢獄から出さなかった。
最初はまた口喧嘩をした。怒りをぶつけ、何故かと問うた。しかし、いつからかユエルダは同じような綺麗事しか口に出さないことに気づき
──以降はもう喋らなった。生活上必要最低限の会話の際も、母さん、母さんと呼んでいた頃も忘れるように「ユエルダ」と呼び他人のように扱った。
それから3年が経たったある日、ガレオン魔術学校に通っていた休み時間にとある噂を耳にした。なんと、奴隷制度を無くすために愚かにもこの国を潰そうという計画があるらしいのだ。
噂をしていた同級生たちはこんな強力な国が潰れるはずがないと笑い飛ばしていたが、ダンブレイズだけは違った。どう便乗すべきか。
その1日は、そんなことをずっと考えていた。
しかし当たり前だが、国の街のど真ん中で「この国を共に潰す仲間、絶賛募集中です!」などと言う愚者などいない。
そのままさまよっていたのだが、路地裏の奥でなにやら言い争うような声が聞こえ、さっそく追いかけてみる。と
全身黒ずくめのドレスをまとった白髪の女が、ちょうど奴隷商人を惨殺する場面に出くわしたのだ。ただの争いかもしれない。
最初はそうは思ったのだが、可能性があるならとその女に話しかけてみると、奇妙なことに彼女はガレオンを潰す予定があるとを息をするように白状した。
そんな都合のいいことなどそうそうおこらない。そう思ったダンブレイズは早速雇われを提案すると、なんとも容易に成立してしまったのだ。
──そして、完全に鉄脈国ガレオンを崩壊させる前日にまで迫る
始まりはあっけなかった。なんせ、あっさりとレインが国王の暗殺に成功してしまったのだ。
その後はまるで、ドミノ倒しのように綺麗に崩れていった。国王が殺されたことにより、敵知らずと他国から恐れられていた鉄脈国ガレオンは大混乱に陥り、対処が大幅に遅れてしまったのだ。
大規模な魔導騎士団の殲滅の一端を任されたダンブレイズが学校で習った水系
の魔法で何人もの息を止めていた頃、
何かを追うように影に紛れるレインを見つけた。彼女はガレオン一の広い公園へと向かっていた。公園、といっても何も無いただの草原が広がるところだが、避難する場所に指定されていた区域でもある。
直感だが、そこにユエルダがいるとすぐにわかった。
「…………」
ダンブレイズは常にユエルダの事を他人でいようと……あの話の通じない者はもう関係ないと思っていたのに何故か気になってしまい、後を追った。
すると複数人の話し声が聞こえた。といっても、レインと、ユエルダと……見た事のない少女だけだが
『何故、奴隷という最低の身分を認めているの? ……あなたの親戚も、いるかもしれないのよ』
『奴隷は確かに身分は低いかもしれない。でも、あなたは誤解しています。弟子を無くしてしまった者たちや、子宝に恵まれなかった親子たち……彼らの行き着く先は必ずしも不幸という訳では無いのです』
『それらしい理由を述べているだけだわ。奴隷になった子達の実際の末路を見ていないでしょう。私は知っているわ。弟子として育てた師は過剰な期待をかけ溺れさ、子供として育てた親は結局愛せずに虐待し、最後には捨てたのよ。その子たちがどんな思いをしていたか……死んで償いなさい』
『待って!! ユエルダさんはきっと悪人なんかじゃない! 私を、助けてくれた!!』
『あなたは…………いえ、もういいわ』
──途端、肉の抉る音がしたのと同時に、赤ん坊のような甲高い悲鳴が聞こえる。会話はもう、聞こえなかった。
ダンブレイズはただ黙って息を潜めていた。助けようなどとは微塵も思わなかったのだ。そして、レインは仕事が済んだとばかりに、少女を無視する形で立ち去った。
残された、見たことのない服装をした少女は、治療魔法を何度も何度も、叫んでいる。それが痛々しい、見ていて苦しい、とは感じないが……
そんな姿は、少し昔のことを思い出した。ダンブレイズがまだ8歳くらいの頃だ。
確かその時、偶然自分の身体が特殊であることを知り、自分の飛ばした体の一部が引火するのをいい事に1人で火遊びをしていたのだが、間抜けなことに本体にまで火が移り全身を大火傷したのだ。
それを最初に発見したのがやはりユエルダであり、朦朧とした意識の中ではあるが、その時も彼女は泣きながら延々と治療魔法を叫んでいたのだ。
フラッシュバックとも呼べるそれは、ダンブレイズの心境を少しだけ変化させた。
「もう……いいよ。ユエルダは、きっともう死んでる」
幼い頃を思い出したことにより、普段は皮をかぶり冷静である事を絶対としていた敬語も忘れ、ダンブレイズは絞り出すように言った。
「…………だれ」
黒髪の少女が敵を見る目でこちらを睨む。無理もないだろう。
「えっと……ユエルダの、身内です」
身内、という言い方には若干気がかりだったようだがユエルダと同じ赤毛であることが信用に値したらしい。
少女は出会ったばかりであるのに、申し訳が無さそうな顔をした。この子はとても優しいのだろう。
「……ごめん、なさい。わたしにもっと知識があれば、ユエルダさんはこんなことには!」
目の前には母親の惨殺死体が転がっている。しかし、少女が涙を堪えているのに対してダンブレイズの内に秘めた心は、
母を殺された憤慨も、何も出来なかった後悔も、もう会えないという虚無感も……何も感じなかった。
──3年だ。他人として過ごしたのはこのたったの短い期間であるのにダンブレイズは何も、感じなかったのだ。
「暗黒の龍兵団。……わたしは絶対に許さない」
「…………」
レインが属する団体名は知っていた。だから少女がその名前を口にするとは思っておらず少し驚く。
「君は今日召喚された転移者、ですよね。こんなことを聞くのは少し変かもしれませんが、何故そこまでユエルダの死を悲しむのですか?」
「ユエルダさんは、まだ突然過ぎて理解が追いついてないけど……青い甲冑を来た人たちから守ってくれたの。そのすぐに、何も分からない私に色々説明してくれて、半信半疑だったけど魔法という変な力も教えてくれた。だから、恩を返そうと思ってたのに……真っ先にこんなことが起こるなんて、おかしいよ……」
青い甲冑の人たち、とは“蒼の鮫兵団”の事だろう。規模がとにかく大きいあの兵団なら、力の持つ転移者を欲したとしても何ら不思議ではない。
そんな奴らから守ったというユエルダのことを考える。彼女は死んだ。この事実は今も、風の噂で聞いた事のように感じる。
先程昔のことを思い出したが、その時の心境も他人事だった噂が友達の家族の訃報と知った程度の変化だ。
これは良くないことなのではないだろうか。会ったばかりの少女が涙を流しているのに対し、ダンブレイズは涙どころか、死んで当然だとも思っているのかもしれない。
これではまるで──あの時奴隷である少年を見捨てた血も涙もないユエルダと同じでは無いか。
目の前にいる黒髪の少女を助けたのだって、何かしら利用できると踏んでの事に違いないだろう。
恩返し、になるかどうかは分からないが、ダンブレイズはある提案をした。
「こんなことを聞くのは変かもしれませんが、僕の復讐を……手伝ってくれませんか」
少女のと目が合う。その可愛らしい顔は真剣そのものだ。
「……うん、いいよ。どうせ何もかも、置いてきたんだし」
吐き捨てるように彼女はそう言ったが、今のダンブレイズには有難かった。
その後、奴隷商人と繋がりを持っていたダンブレイズが少女を奴隷としてグロータスに潜入させ、そこで商人に暫くの間匿ってもらい少々には待ってもらうように説明した。
行方の分からないレインからさりげなく居場所を聞き、攫われないようにあとで合流するためだ。
早速少女を送り出し、レインをどう欺くか検討しながらガレオンを歩く。そんな時だった
唐突に、そして警戒心の欠けらも無い歩き方でダンブレイズに近づき、仮面を被る怪しい男が話しかけてきたのだ。
「レインが潜む場所なら本人に聞くよりも確実な方法があるが……俺達に協力してくれるなら教えてやろう」
いきなり現れ、根拠も言わずボソボソとくぐもった声で喋る彼の印象は、どこまでも冷静、というものだった。こちらにはあまり興味がないようにも受け取れる。
少し会話をしただけのレインは、自分の事は全く話さなかった。彼女に聞き出すのは少々困難と考え、乗るかどうかは別に目の前の男の話を聞くだけ聞いてみることにした。
すると、仮面の男は数秒の沈黙の後(癖なのだろうか)表情を隠したまま言った。
「知隣国バルカンのハズレにある大森林に拠点があるんだが……『幻影城』だったか。俺はそこで仲間と会う手筈だ。あの場所なら油断しているあの女を殺すことが出来るだろう。どうだ?」
あの少女の約束を破る形ではあるが、傷を負わせる程度なら問題は無いだろう。
下見という意味もある。ダンブレイズは迷わず提案に乗ったのだ。
──曖昧であり、偽物の復讐心を宿しながら
──────────
境界線としての役目を成し遂げるメラメラとした炎の音のみがバルカン城を支配する中、先程までの態度を嘘のように一変させ、途端にしおらしくなった彼は……
ボソボソと思い出すように半生を語ったのだった。
「そうか。俺から言えることは……嘘でもいいから今は後悔をしろ。そして弔え。あんたが言った話では、見殺しにしたんだろ?」
ユエルダを殺害した張本人であるレインにはまた言いたいことが増えた形ではあるが、そしてダンブレイズにも黒髪の少女について聞きたいが、
とにかく今は彼の今後の待遇について話し合わなければならない。
「すみません、でした。傷つけたことは皆さんにも謝ります。……でも」
「でも?」
「どうしてあなたは仲間を傷付けられたのに、そんな平然な態度を取れるんですか?」
母親を殺されたあんたに言われたくねぇよ、と冗談交じりに言いたくなるが、踏みとどまる
「それは、爺さんみたいな言い方にはなるが昔の俺を思い出したんだよ。だが勘違いはするなよ? 友達のウリエルとライジェルを殺されかけたんだ。許したわけじゃねえから、あんたには、国王さんと相談して相応の罰を与えるつもりだ」
「……その姿で言うとなんだか面白いですね」
「やっぱり?」
罰とは言ったが 、絶対に死刑にはさせないつもりだ。若気の至りとまでは言わないが、ダンブレイズは心が子供であり、まだ未熟なのだ。
(それに勝手だが、俺個人としても許してやりたいしな……)
すると、いつの間にか血を流しながらも立ち上がっていたレインが首を動かし、あちらを見て、というサインを出した。
つられて見てみると、戦闘態勢のマチルダと剣を持つグリモン王がゆっくりと歩いて来るのに気づく。
「遠くからずっと見ていたのだが、急に攻撃を辞めたということは、もう敵意はない、という判断で間違いはないな?」
「……もしそうだとしても、近ずいて来るとか大丈夫なんすか? いきなり攻撃を再開するかもしれねぇっすよ」
すると、グリモン王は失礼な子供に心配されたとでも思われたのか無邪気に笑った。
「ははは!! 大丈夫だ、万一襲われても私は剣術を心得があるから心配には及ばん。それにマチルダもいることだし、な」
その後、ダンブレイズが自らもう敵意はないということを明言し、グリモン王は今後の待遇と処分を考えようと、ここに居るメンバーをバルカン城へと案内した。
それにしても、とシグレは思う。
「仮にも敵だったこいつを自分の陣地に招き入れるとか、お人好しにも程があるんじゃ……?」
「話し合えばわかってくれる。これは私の父上、ソロモン・トール・バルカンが死ぬまで言っていたのことだ。私もそれを信じている」
やはりお人好しにも程があるな、と頭の中で呟くが、口には出さなかった。
──────────
結局、騒動を引き起こしたダンブレイズはグリモン王が城で軟禁し、監視付きで引き取るという形で収まった。
殺人未遂に対してあまりにも優しい処分だが、国民たちにはグリモンからの説明で納得してもらったらしい。
お人好し、という言葉が似合うこの平和な国は、武力が低いという事もありとても心配である。
そしてダンブレイズの監視役を自ら志願したのが、結果的にであるがこの騒動を止めたシグレだった。
「つまり、君にはなにか報酬を与えたいと思ってるんだが、な」
城の中にまで呼ばれ、グリモン王にそんな言葉を頂いた。
本当に、結果的にであるのに、シグレは複雑な心境だった。なんせ、力で守ったのでは無く、相手が偶然自分と同じような境遇であり、たまたま理解してやれる立場だっただけだ。
これがもし、本物の復讐心を燃やした者だったなら、今頃大惨事になっていただろうことは明らかであり、シグレにはどうすることも出来なかっただろう。
未だにこの状況には違和感がぬぐえないままグリモン王が続けた
「初めての試みである大会は中止になったが、君は暫くの間ここに滞在してもらう事だし王宮図書室の出入りを許可しようと思っているのだが、どうだ?」
ここにしばらく住む、というのは監視するにあたって当然のことだが、深く考えていなかったシグレは、バルカン地点にいるシャウザール達の無事の確認を忘れていた。
すると、ダンブレイズは何もしていないと言うし、そもそも大会が中止になったのも、牢獄からダンブレイズが消えたことに気づき真っ先にこのバルカン城に転移してそれを伝えに来たということから、
ダンブレイズとは接触さえしてなかったらしい。つまり、シャウザールも、ミッチェルも、そしてナナも傷一つ無いということだ。
ホッと胸を撫で下ろすと、グリモン王はドヤ顔でシグレの答えを待っていた。王宮図書云々について、だろう。
「あ、あぁ……有難く頂戴します」
聞くのも、拒否するのも失礼だと思い、結局わからないまま大会の報酬を手に入れたシグレは未だ困惑していた。
「うむ、良い返事だ。調度良い、レインもここに泊まっていくか?」
「私はいいわ。……じゃあ、シャウザールにシグレくんがここに滞在するってことを言いに行くから、ライジェル達が帰ってきたらまた来るわね」
レインはそう残し、席を立つとそそくさと行ってしまった。ライジェル達の帰還、つまり雫の行方が分かるかもしれないという事だ。
だが、それについては少しダンブレイズからも聞いたことである。奴隷になっているとしても商人が匿っているならあまり問題ではないだろう。
何より生きてくれていること、それがシグレには嬉しかった。
ここに住むという話だったが、とんでもない事実の発覚によりダンブレイズとの奇妙な同棲生活が始まった。
彼は──否、彼女は女の子だったのだ。
──────────
「3日後ね、ミッチェル」
「…………うん」
なにがとは言わない。聞くまでもないからだ。
魔剣を探しにまずはグロータスへ向かうのだ。兄さんには先を越されてしまった。しかし、まだ日は浅いし、何よりぼくは転移が使える。
ナナは焦っているようだが、そんなに急がなければならないのだろか。
ナナを作り出したという創造者を恨んでいる理由は知らないが、親を恨むのは何か酷いことをされたのだろう。
……興味が無いといえば嘘になるが、あまり聞かないことにした。
ただ、暗黒の龍兵団を裏切る形になる行為をするに当たって、何も知らなかったなどとは無責任がすぎるとも思う。いつか、聞かなければならない。
憂鬱とした気分になりながら、ぼくは次の朝を待った。