第一章 5.『月』
わたしの名前はリリス・ドーラ。
小さな国からこのバルカン学校の廃墟を頂き、兵団の新たな拠点となったこの場所のメイド、のようなものを務めている。
元々、この小さな国の王城メイドだったのだが、兵団と手を組んだこの国にとある事情で私を送り込んだのである。
貧乏だったわたしは大金に目が眩み、まんまと釣られてしまったわけだ。
……治療魔法の才があると知ったのはその後で、
まさかここに送られた怪我人をひたすら治療しなければならないという指名を与えられ、定期的な大金と引替えにしばらく、
もしか半永久的に滞在するはめになってしまったのは完全に青天の霹靂だった。
それが幸か不幸か、今でもわからない。
そして今現在、死にかけたライジェル様とウリエル様、そしてシャウザール様を治療したあと、
朝のルーティーンに従い、いつものように窓を吹き、ささっと床を掃除していると、唐突に部屋から凄い笑い声が聞こえてきた。
「この声は……え、レイン様?」
レイン様が笑っているところなんて、会話することも少ないが聞いたことなんて1度もない。胸騒ぎがする。
第一、命が擦り切れる直前まで死が迫っていたシャウザール様だって、大爆笑である。恐ろしすぎる。
幸か不幸か、と言ったが、前言撤回。不幸に決まっている。貧乏だった家族を養い、将来は騎士様のようなかっこいい人と結婚して平凡な人生を送るという夢も、実現できそうにない。
不幸だ……絶対不幸が待っている。どっかにイケメン、いないかなぁ……
──────────
ライジェルと顔を見合わせ、結局シグレも、ライジェルと共に大笑いしてから少し経った。
そこに、緩ませていた表情から静かに筋肉を張ったものへと変わる者が1人。
「すまん、こっからは真面目な話をさせてくれ。魔蛇国グロータスについて、だ」
早速本題へと戻ろうとするシグレに周りは静かにその言葉を待っている。その事に感謝しながら続ける。
「状況の整理と提案だ。まず、妹の雫がグロータスへ行き、奴隷にされている可能性が高い。そしてウリエルが向かってくれるわけだな?」
口には出さないが、あまり似合わぬ真剣な表情をかためるウリエルが、こくん、と頷き
「ちなみに基本的なことなんだけど、ヤマの妹の……シズクちゃんはどんな容姿をしてるの?」
「可愛い」
「…………他は?」
「ベリーキュートだ」
「ふざけるなら帰って」
「ごめんなさい」
怖いからとりあえず素直に謝るが……人の顔というのは言葉にしづらいものがある。
ニュースとかで見かける、指名手配犯みたいな極悪人の特徴を伝えるようにでも言えばいいか?
「やっぱり無理だ……」
「ヤマがとってもくだらない事を考えてるのは分かっから、とにかく特徴を伝えて。頑張って探したいの」
うーん、特徴、特徴……。
あ、俺、この世界に来て最初に言ってたな。
「身長は今の俺の頭1つ高くて、俺と同じ黒髪を肩まで伸ばしてて……左手に、火傷の跡がある」
あとは、服装か? 恐らく制服のままのはずなんだが……
「こればっかりは説明がなぁ……」
元々「やべぇ」「でけぇ」「すげぇ」程の語彙力しかないシグレには、制服という物を説明することが出来ない。ただ、実物があってくれたらと思うシグレである。
「いや、あった」
最初は自然すぎて気づかなかったが、シャウザールの横に普通にハンガーにかかっていた。
……なんであるんだよ。
「シャウザールのおっさんの隣にある……それと同じ服のはずだ」
「……なんと。これはナナが私と初めて出会った時の服装だ。変わった質の物だと思っていたが、異世界のものだとは」
シャウザールが呟く。しかし、ナナに聞きたいことがまた増えた。何故ならその制服は、母も昔通っていた雫の制服と全く同じものだったから……
と、ウリエルが納得した調子で声を張る。
「うん、特徴は分かったわ!! 私と同じくらいの身長で左手に火傷の跡、格好はその変な服ね!!」
「あと可愛い」
「もう分かったから……」
そして……と少々間をあけたシグレは本命を語る
「ルギウスの裏切り。俺はこのことについても何とかしたいと思ってる。……まだ無事は確定していないが雫へのお礼と思ってくれ」
ここからが重要だ。
「そんで俺は今、力のないただのガキになったわけで、グロータスへ行くのは難しい。そこで提案なんだが、奴隷として潜入したいと考えてる」
「!?」
一同が驚愕する中、突然傷だらけの身体を前のめりにしてまで、シャウザールが悲壮な顔で答える。
「それは無茶だ。人族。この言葉の重みがわかるか? 君がどこにいたか知らないが、人族と魔族は犬猿の仲、所ではない。互いに何百年、何千年と戦争に戦争を重ねどれだけ死者が出たことか。
両者共々恨みあっている現状では今のシグレくんにグロータスへ行くなど無理だ。
奴隷だとしても見せしめに殺されるか、良くて一生慰み者にされるかだ。自由などないに等しい。……それに、私は親と妻、子供を全て人族に命を奪われたんだ」
「…………」
初耳、だった。だとしたら、今のシグレはただの人。人族だ。
身内すべてを失ったシャウザールも本当は、この姿をしているシグレと普通に会話することさえ嫌悪感のある行いかもしれないのに、
それが顔にさえ出ないというのはよほどシャウザールの器が大きいという事だろう。少々甘く見ていたかもしれない。
「すまねぇ……ちょっと不躾だった」
「……いや、いいんだ」
シワを緩ませ苦笑いに近い笑みを浮かべるシャウザール。
すると、レインが疑問符を浮かべ口を開いた。
「思ったのだけれど、シグレ君は本当に弱くなったの? 私には力が無くなったとは到底思えないわ」
「そりゃあ、ヴァンピールじゃ無くなったんだし力が消えたって考えるのが当然じゃ……」
「堂々巡りね。すぐに試せる方法があるわ。──魔法を、使ってみなさい」
「は……?」
「今のあなたは人族よ。ヴァンピールという種族が精霊に嫌われているから魔法を使えないだけ。簡単な魔法でいいわ。例えば……」
「まてまてまて、ってことは、俺は今、魔法が使える状態、なのか?」
いや、正直嬉しい気持ちはある。あるが、唐突すぎて戸惑うものがあるし、今は雫の事が最優先で……
「その妹さんの為に魔法を取得して、自分の身を守れるほどの力を付けるのよ。どうせ説得してもグロータスへ行くつもりなんでしょ?」
「…………」
焦りは禁物。少し落ち着いたシグレは素直になる。
「……そうだな、わかった。基本的な所だが、魔法ってどうすれば使えるんだ?」
「魔法は簡単な想像と言葉にすれば精霊達が勝手に応じてくれるわ。まずは誰でも使える無属性魔法がいいわね。『無感情』と言ってみなさい」
無属性魔法。『無感情』は、文字通り感情を無にし、冷静な判断を下すことが可能になるという単純なものだ。とレインが説明する。
そしてシグレは、言われた通りにしてみる。
「……『無感情』」
言った途端、何かが変わる訳では無い。みながこちらを向くなか、レインが質問を問う。
「シグレくん。今あなたはどうするべき?」
恐らく、冷静になる魔法を使わせ、試すとどうじにこちらを説き伏せようとでも思ったのか。
ハメられた、と思わないでもない問いかけにシグレは
「……俺はさっき言った通り、グロータスへ行く。これは絶対だ」
「…………そう」
レインは少し戸惑ったような顔を浮かべた。
失策に終わったからである。あるが……
──シグレの顔が、異常な程に歪んでいたから。
「だが、なんでレインはこんな魔法を使わせたんだ? 俺が邪魔だからか? ……ふざけるな!! 俺が家族を見捨てるようなやつに見えたのか? あぁ?? そもそも最初レインは何で雫のことを隠そうとしたんだ! 覚えてるよなぁ!? 雫の居場所なんて検討もつかないって、言ってたよなぁ!! そんでこんな真似しやがるとか……ふざけるのも大概にしろやクソが!! やっぱりてめぇらは信用ならねぇ、ここでてめぇらを殺してやる!!!」
こいつらをころす。ころしてやる。
そしてこのまま────しぐ─── ─ ─── ─ て─── ─ん───で ──── ─ぁ─── ─ま─── ──── ─── ─── ──── ─── ──── ──── ─── ──── ─── ──── ──── ──── ─── ─に─── ──── ── ── ─── ──── ──── ──── ─── ───し─ ──── ──── ─── ──── ──── ──── ─── ──── ────
── ── ─── ──── ──── ──── ─── ──── ──── ──── ─── ──── ────……は
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「……あれ、俺は一体」
そのまま目を擦ろうと、腕が思うように動かないことに気づく。自然、自分の姿を見てみると、
体は縄で固定され、身動きが一切取れなくなっていた。
「目が覚めたようね」
周りに誰も居ない部屋で、眉間に皺を寄せるレインがシグレを見下げていた。
「ごめんなさい。急に暴れだしたから縛ったのだけれど、大丈夫そうならすぐに解くから」
そして思い出す。レインに言われるがまま『無感情』を使った途端に何故か突然に感情を抑えれなくなり、それがどんどん膨れ上がって行ったのだ。
「いや、俺が悪かった。自分でもなんであんな事になるとは……」
あの魔法は冷静になる、所ではない。むしろ真逆だ。あんなに怒りに我を忘れるなど、恐怖でしかない。
そんなシグレに少し間を開け、決心したようにレインは告げる
「あなたが気絶してから…………実はルギウスも魔蛇国グロータスにいることが分かったのよ。……そしてすぐ、ウリエルとライジェルをそこに向かわせたわ」
シグレくんには悪いと思ったのだけど……と続ける
「いや、俺が悪いよ。仕方がない事だと思う」
そういうと、レインは静かに縄を解いてくれた。
「…………ちょっと1人にならせてくれ」
レインは、わかったわ、とそれだけ残し部屋から出ていった。シクレは1人になった。
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何も無い、暗い部屋の中、シグレはただひたすらにボーッと壁を見つめていた。
あの魔法は己の感情の起伏を極端に少なくする、と言っていたが、レインが嘯く素振りは無かったし、第一メリットがない。失敗だろう。
しかし何故簡単な魔法に失敗したのだろうか。元々知識の少ないシグレにはわからない。
10分程経っただろうか、扉が少し開き、何者かがずっとこちらを覗いていた事に気づく。
その人影は居心地が悪そうな仕草をした後、部屋に入ってきた。
「あ、えっと、初めまして、わたしはここのメイドを務めているリリス・ドーラと申します」
人影の正体は、茶髪の髪を三つ編みにした、黒に白のレースという見たまんまメイド服を身につけた、18歳ほどの女の子だった。
「俺はシグレだ。今、妹がどっか行ったのに探すことすら出来なくてナーバスになってるから面白い返しとか無理だから期待するな。そんな陰キャシグレ様の俺に何の用だ?」
「別にそんなこと求めてないのですが……。こほん、誰でも出来る無属性魔法が使えなくても、他の魔法なら使えるんじゃないかと思いまして。そこでわたし自ら教えて差し上げましょうか? と」
「……間に合ってるよ。さっき言った通り、俺は魔法が使えなかったから落ち込んでるんじゃない」
「悪趣味ながら、皆さんの話を少し聞いてまして。錬金魔鉱石について仰ってましたが、実はわたしの父が魔鉱石の研究をしていますので何かお力になれないかと」
……ふむ。つまりこの腹の中にある魔鉱石に詳しいから、ヴァンピールに戻れるかもしれないって事か
でも戻れたところでって感じだしなぁ
「何もしないよりはいいんじゃないですか? わたしも掃除しては治療、掃除しては治療。そんな生活に嫌気がさしていたところですし、ここは魔法のエキスパートのわたしことリリス・ドーラと協力して暇つぶしの手伝いをしていただけませんか?」
「治療ってことはシャウザール達を治してくれたのは君なのか? まだ若いのに凄いな」
「えへへ……じゃなくて、どうなんですか。返事は」
何もしないよりはいい、確かにそうだ。ここは弱肉強食の世界なのだし、雫を助けれる可能性を上げてくれるかも知れない。乗ってやろう。
「あぁ、わかった。協力するよ。でも俺は常識的な知識もない現状だ。まず魔法の概念から教えてくれ」
そう言い、リリスは魔法という知識をあるだけ全部教えてくれた。
まず、魔法というのは世界のどこにでもいる精霊に干渉し、力を分け与えてくれる存在のようだ。
そしてその精霊達には属性があるらしく、その属性によって顕現するものが変わってくるという。
現在、精霊達の魔法属性は知られている中で8種類。
無属性
陰属性
光属性
水属性
火属性
土属性
雷属性
風属性
に分かれる。そして、それぞれの魔法には
初級、中級、上級、精級があり、
後者に行くにつれ取得難易度も上がる。そこで才能が分かれる。
そして、生き物には生まれつき得意不得意があり、種族によって偏りがあり、使えない者もいる。例えばヴァンピールなどだ。
その点、人族は全てにおいて初級のものなから直ぐに取得が可能であり、この世界では人族が圧倒的に多く土地権利などを握っているのもそれが理由だ。
最後に、魔法には融合が存在する。既に存在している魔法から、異なった属性を併用し新たな魔法を作り出すことだ。
例えば、陰属性と光属性を合わせ強力な効果を生み出しているのが転移魔法だ。シャウザールのは別物らしいが。
8種類の純粋な魔法はそれぞれ五十個あることがこれまでの歴史で確定されているが、
融合によって生まれた魔法はまだ二十通りしか確認されておらず、主に魔法学校などで今も研究が進められている。
とそこまでが、リリスから教わった魔法の魔法の全てらしい。
「……気になったんだが、使えない種族ってのはなんで使えないんだ? どこにでもいるという精霊から授かるってことなら、精霊がその種族が嫌いだから『あんたになんて、あーげない!』ってことになるのか?」
すると困惑した顔でリリスが答える
「そんな可愛らしいものじゃないんですけどね……言うならば、『貴様のような愚鈍に分け与えてくれる力などない。強欲な種族め』といったところでしょうか」
「ひどく悪の魔王みたいな口調の奴らなんだな……」
そしてリリスは続けた。
「その理由まだ解明されていないですが、とある説によると、その種族が恐らく3種類の属性を融合させた禁忌魔法を使ってしまったからだと言われています。召喚術もその1つですから、あまり使うのは良くないと言われています」
なるほど、ここで異世界召喚の話が出てくるのか。
「あ、確か魔法を教えてくれるんだってな。あとついでにヴァンピールに戻れる方法を。答えはYesだ」
「いえす? オッケー、って事ですか?」
(オッケーはわかるのか……)
「そうだ」
戻れるかどうかはわからないですがね、とリリスは言い
「それでは、交渉成立です。わたしが魔法を教えて差し上げましょう!」
「暇つぶしにな」
──これが後にこの世界において世界一有名な魔族シグレとして名をはせる第一歩だと言うことに、本人は知る由もない
──────────
月が照らされる草原のなか、黒髪の少女は叫んでいた。
目下にいるのは右肩から左足へ、
見るも無惨に肉をえぐられた、40代程の女性が横たわっている。
「どうして……!!」
言いながら少女の手は淡い光を放ち、その姿はどんなものでも癒す、さながら妖精のような神々しさを生み出していた。
が、血だらけの女性はピクリとも動かない。
「お願いだから……!! 『光合再生』!!」
治療を続ける少女の声は届かないまま叫び続ける。すると……
「もう、いいよ……。ユエルダは、きっともう死んでる」
ずっと少女の隣で黙っていた男が声を絞り出すように、そんな悲しいことを言った。
「……ごめん、なさい。わたしにもっと知識があれば、ユエルダさんはこんなことには!」
少女は涙を堪えながら返答する。そして少女は続けた
「暗黒の龍兵団。……わたしは絶対に許さない」
心底悔しそうに歯ぎしりをするその姿は、少女の至極純粋な怒りだった。その少女を嘲笑うように、闇夜の月が少女を照らしていた
──ゆらゆら、ユラユラと