第一章 12.『魔蛇国グロータス』
ライジェルが魔蛇国グロータスに残った、それだけ言い残し倒れてしまったウリエルに事情を聞けない今、シャウザール、レイン、ナナ、ミッチェル、そしてシグレが集まり、バルカン地点で話し合いが行われていた。
「俺はウリエルを置いてでも、すぐにでもグロータスに行くべきだと思う」
ライジェルとの合流という目的が増えた現状では、いち早く向かわなければならない、というのがシグレの考えかのだが
「私は反対だ。ウリエルは実際に現地に赴き、ルギウス達の居場所も知っている。ライジェルとの合流も容易になるだろう」
シャウザールはシグレの意見に反対を申し出る。が、彼の言う通りそれも一理ある。
「でもな、ダンブレイズも連れて行く。これは決定事項で、それをウリエルが嫌がんのは目に見えてる。それにウリエルがいつ目が覚めるかどうかもわからねぇ状況で待ってなんか居られねぇよ」
「そもそも、あの赤毛の男は信頼に値する行動などひとつもしておらん」
「あいつは女だ」
「……今そんな事が関係あると思うか?」
シグレにしてみれば、一時の気の迷いで悪人と誤解されるのは甚だ遺憾であるが、仲間を殺そうとした相手を信用するのも無理な話なのだろう。思えば、あくまで他人の被害でしかなかったマルキネスとは訳が違うのだ。
「……ちょっといいかしら」
綺麗な形をした鼻にシワを寄せながら、熱くなりかけていた2人の会話を横切ったのはレインだ。
この前も同じ様に会話を止めたのは彼女だった気がするが、そこまで仲介役に徹する理由でもあるのだろうか。
「ウリエルを置いてすぐにグロータスに向かうか、彼女が目覚めるのを待って確実にライジェルの無事を確かめるか。なら、単純にシグレくん達は先に向かってウリエルがあとあと合流すればいいんじゃないかしら?」
転移という力をもっているのだから、活用してもいいと思うのだけれど、と付け足すようと、シグレとシャウザールは釈然としない顔をしなからも頷いた。
「あとは、魔蛇国グロータスに向かう人員だけど……私は残って契約に従ってバルカンをいつでも護れるよう務めるわ。みんなはどうするの?」
転移で即グロータスへと迎えることを懸念しシャウザールに着いて来てもらうことになった。
気になるのはミッチェルとナナなのだが
「あたしはやることがあるから嫌よ。……もちろんミッチェルもね?」
ナナの口から何故唐突にミッチェルの名前が出てくるのだろうか。しかし、彼は濃い紫の髪をイジりながら無言で肯定している。
「ミッチェルはシャウザールのおっさんと同じ転移魔法が使えるんだよな? というか最初にウリエルとライジェルを移動させたのは負傷してたシャウザールのおっさんじゃなくて、あんたなんだよな?」
「…………うん」
「なら、なんで一緒に行かなかったんだよ?」
もし、彼がウリエル達の中に居ればウリエルもあれほど憔悴することはなかったはずだ。
それに、行かなかったにも関わらずダンブレイズが騒動を巻き起こした際何もしなかった。それは、何故なのだろうか?
「す…………ふぅ」
これは、良くない流れだ。そう感じたシグレは自制するように深呼吸をする。
せっかちな性格の自分を少しでも落ち着くためにいつもすることだ。
「悪い。雫が目に見えてんのに……会うことも許されねぇ現状にちょっと気がたってたわ。なにか理由があっての事だったんだろ? なら、何も言うことはねぇよ」
(また今度ウリエルにも謝罪しねぇとな……)
ただ、ミッチェルの髪に隠された目に何か良くない思惑がありそうで、それだけはいささか疑問だったが。
結局は、後にウリエルを転移させるためミッチェルを残し、シグレ、ダンブレイズ、そしてシャウザールが行くことになった。
ダンブレイズの同行についてシャウザールは最後まで納得のしていない表情を固めていたが、ここは飲み込んでもらわないと仕方がない。
それに行動を共にすることで変わるものがあるかもしれない。そう期待しながら、ふと、終始何も語らなかったナナを見て、自然と母と同じ顔を持つ陰の精霊を思い出した。
アドには聞きたいことが山ほどあるのだが、あの精霊との再開は叶うのだろうか。
いや、たしか彼女自身が会おうと思えば夢の中にならいつでも会えると明言していた。
とりあえず、彼女からの返事を待ってみよう。そんな、弱々しいことを思うシグレだった。
──────────
「状況の整理を行う。初めは旅人として潜入し、警戒されたら商人の名前を出してそれらを回避。戦闘は最終手段。少しでも戦いになった時点でライジェルとルギウスとシグレくんの妹は断念。それでいいな? シグレくん」
学校のような造りをしたバルカン地点の広めの部屋で、神妙な顔でシャウザールが確認を取る。
対してシグレは年甲斐もなくワクワクしていた。なんせ、やっと雫に再会が叶うかもしれないのだ。ずっと走りゴール地点が目の前にあれば高揚するのもおかしな話ではないだろう。
が、それをわざわざ口に出したりはしない。ウリエル達に不謹慎、というかまた誤解される可能性がある。
ウリエルといえば、彼女にあんなキツい言葉を放ってしまったのは単に喧嘩腰だったからではない。彼女は口を膨らませ、いかにも可愛らしい仕草で話されたからだ。
「あの態度じゃ、真面目に話そうにもやる気がないように感じんのも無理はねぇだろうよ。辛辣だが的を得てるリリスよりも悪質だ……ん?」
──ガチャ
噂をすれば、というやつか部屋に遅れて入ってきたのは、持ち物の用意に手間取っていたリリスなのだが、実は治療魔術が使える彼女にも来てもらうことになったのだ。その際マルキネスとちょっとしたいざこざがあったのだが、割合しよう。
「え、あんた荷物多くね?」
「お母さんは買い物で出かけてたでしょ? シグが帰ってから迫られちゃって、お母さんがマルキネス促したらこれでもかって量の魔道具を渡されちゃったの」
リュックの形が歪になる程魔道具が詰められ、とても重そうだ、と安直な感想がよぎる。
「……重いですよ」
「だよなぁ。その服も」
リリスはメイド服を脱ぎ、誰が見ても旅人、もしくは冒険者が着るような服装に着替えている。
肩には簡易的な鎧が付けてあり、慣れないのもあるだろうがとても辛い顔をしている。
ちなみに、彼女だけではなくシャウザールも同じ目立たない色をした服に変装しているのだが、身体がいつも以上にゴツゴツとしている。
恐らく中にはいつも装着しているあの甲冑があるのだろう。すると、シャウザールは集まったメンツを確認し、指示した。
「シグレくん、リリスくん、そしてダンブレイズ。転移を開始する。手を繋げ」
シグレは近くにいたダンブレイズとリリスの手を繋ごうとすると、ダンブレイズはともかく見上げる形でリリスを確認すると、露骨に嫌な表情をしていた。
「…………なぁ、身体のどっかに触れるだけじゃだめなのか?」
「やってみるか? 直接脈が感じ取れる部分が繋がる互いの手じゃなければ、もしかすると手足がお留守番しちゃうかもしれんが……」
「可愛らしい表現だな。言っとくがめちゃくちゃ怖いぞ」
シャウザールは要するに繋がりが半端だとバラバラになる可能性があると言いたいのだろう。転移、恐ろしい魔法である。
「これは魔法ではなく、ヴィスコ族の権能なんだが。よし、皆手を繋いだな、うん。行こう」
殺されかけた相手と手を繋ぐのはそれほど嫌なのか、シャウザールが急かす。
「始めるぞ」
瞬間、見渡す周りの人物以外の景色が混ざり、回転するように変化する。1度体験したことはあるが、この酔いそうになる感覚には今後も慣れることはないだろう。
すると、濃い緑色が追加され、次第に色がまとまっていった。シャウザールを見るに、転移には成功したようだが……
「着いたな」
「おっさん。俺の目が間違ってなければ木々が生い茂った森の中なんだが」
「シグレくん。私の目は間違ってないから木々が生い茂った森の中だよ」
つまりここで間違いないらしい。
「前も言ったが、転移とは超能力とは違うんだよ。1度しるしをつけた場所じゃないと移動することは出来ないのだよ」
子供に説明するような口調で語るシャウザールは、あくまで失敗じゃないから問題ないぞ、と付け足す。
「ここってもしかして、ゲラ大森林ですか?」
怪訝な顔でこの森の名前を口にしたのはダンブレイズだ。確か、かつて家出した際グロータスに行く途中、彼女は森で奴隷商人に捕まったと言っていた。その森がここなのだろう。
「そうだ。その表情だと、いい思い出は無さそうだな」
「…………」
「えっと、何か言ってくれないと私困っちゃうんだが」
困っちゃう、とはまたおかしな表現だなと茶化しそうになるが、シャウザールが初めてタンブレイズとの会話を誘っているのだと気づき、シグレは黙る。
「まぁ、はい。遅れましたが……シャウザールさん、その節は申し訳ありませんでした」
言い出すタイミングが無かったのか、話題を変えるように彼女は謝罪する。
「それは私以外に言わなければならないことではないのか?」
「…………」
ダンブレイズがレイン達を狙った理由と、彼女の半生を既にシグレから聞いていたはずだが、やはり割り切れないらしい。
ここから信頼を築くのは思っていたより容易ではないかもしれない。シグレは懸念が消えなかったことに少しだけ不安になった。
「シャウザール様、そろそろ行きましょうか。……重たいので」
が、リリスが放ったその一言でシャウザールが半ば無理やりリュックを背負うことになり、歩き出したシグレの思惑に彼は気づきそうにない。
歩きながら、周りを見渡してみるのだが本当にごく普通の森だ。木が生え、虫が主張し、地面も変わったところはない。
「急に奴らが飛び出したりはしないだろうな……」
勝手なイメージだが、異世界で森と言えば恐ろしい魔獣達が屯していそうで、自然と身体がこわばってしまう。思い浮かべたのは黒い毛皮の狼だ。
もし、そんな奴らが居たとすればたちまちやられてしまうだろう。
「やっぱり出るのか……? 魔獣って」
「魔獣、か。それは理性を失った魔族のことを指す一種の差別用語になるだが、とある書物によると……はるか昔には居たようだな。──魔族のような形をした動物が」
その書物によれば他の種族が強力すぎて、その類の生物は生き残ることが出来ず、結局は絶滅してしまったのだとか。
そう考えるとここの種族はやはり漫画やアニメなどでよく見る剣と魔法の世界よりも常軌を逸していると言える。
例えばシャウザールのヴィスコ族はついさっきやってみせたように隙がないテレポートを使うことが出来る。
探れば弱点などもあるのだろうが、幻を見せることも可能となれば……チートともいえる。
そもそも、こんなに早く他国へと移動できるのもおかしな話なのだ。お陰で雫との再開が叶うかもしれないのだから、何も言うことは無いが。
そこでふと、疑問が芽生えた。
(……俺は雫と会って、どうするんだ?)
いや、迷うことは無い。無事を確かめ、この世界で共に過ごすだけだ。
もしかすると雫は戻りたいと言い出すかもしれないが、それなら全力でその方法を探す。ただ、それだけの話──何故今、そんな当然のことを考えたのだろうか?
「……あれが出口だ。門番には旅人だと答えるんだ。いいな?」
同じような草の生えた道が続き、突然に終わりを告げる。シャウザールの人差し指を向けた先には、太陽の色がより濃い、つまり木がない場所がある。
シャウザールの言葉を聞いたシグレ達は頷き、己の役割を再確認する。
森を抜けると、早も魔蛇国グロータスの入口へと着いたようで、シグレは再度驚かされた。
「これは……すげぇな」
こんな、バルカン城を見上げた際に抱いた感動をまた味わえるとは思わなかった。
特に立派という訳では無いのだが、以前シグレが住んでいたマンションと同じ高さの壁が並んでおり、それが今居た森を包むように続いている
──否、この壁が包んでいるのは魔蛇国グロータスという国全体なのだろう。
そんな厳つさを放つ壁に反して、この国に2つしかない内の1つである入口は高さも横の長さも5mしかない。
これも敵から簡単に攻め込まれないための工夫だろうが、ダメ押しするように更に2人の魔族が立っている。
「この先に……雫が」
「焦るなよ? 墓穴を掘らないために質問されたこと以外は喋るな。怪しまれても私がなんとかする」
各々は深くフードを被り、顔が見えないように、人族であるリリスは特に注意した。人族を恨む魔族はとても多く、もし人族が居るとバレれば、無条件に殺されてしまうかもしれない、らしい。
「……止まれ。何しに来た?」
2本の角が生えた赤い褐色の肌をした魔族の1人が引き止める。落ち着き払った様子でシャウザールが「旅をしている物だ」と簡潔に伝えると、「あんたはいい」と角の魔族。
そして、その隣にいた1本角に青い褐色の肌をした男は静かに言った。
「後ろの奴、フードを取れ」
心臓が跳ねる。シグレとダンブレイズは恐らく問題はないはずだが、リリスはどうするのだろうか? もしここで拒否すれば相手側の警戒が最大になるのは明らかだ。
もう少し準備をしてくればよかったかもしれない。そんな時だった。
──人族のリリスが真っ先にフードを取ったのだ。
「…………」
質問されたこと以外は喋るな、そう前置きされていたシグレは怪しまれないよう振り向くこともせず、何も言うことが出来ないが、不味い。
「おいチビ、あんたと後ろの野郎もフードを取れ」
「え?」
シグレの心配を余所に指示され、とりあえずシグレも言われた通りフードを取るが、リリスに問題はなかったのだろうか?
「よし、通れ」
扉はギィ、と不気味な音を立て、完全に開いたいタイミングで進む。奇しくも潜入には成功したが……どういう事なのだろうか。
自然、リリスを見るとシグレはギョッとした。リリスの真っ白だった肌が、赤褐色に変化していたからだ。
「私の作った幻だ。しばらくその姿で居てもらうが……いいな?」
「嫌です気持ち悪い」
「えぇ……」
「冗談ですよ。我慢します」
シグレからはフォローになっているかどうかは分からないが「知っているよ」と歯を見せて笑うシャウザールの姿を見てみると、相当信頼しているらしい。
この信頼を少しでもダンブレイズに分けてくれたらと思うのが、マルキネスと違い、仲間を失いかけた彼にはそう簡単には行かなかったらしい。
それにしても、だ。
「これはまた……すげぇな」
グロータスに入って最初に注目したのは人だ。昼間ということもあり、人の数が尋常ではない。
そして、当たり前だが人族は一人もおらず皆に何かしらの部位に特徴がある。
それは角だったり、尻尾だったり、蝶のような羽根だったり……
シグレはこんな人の数で雫が見つけられるのかと思ったりもしたが、特徴の無い雫は逆に目立つ、案外用意に見かけるかもしれない。
そう目をギラつかせながら、次に注目したのは、お店だ。
人の数と比例し、ここから見えるだけでも百店舗はあるかもしれない。八百屋や、武器屋、なんの店か分からない怪しい雰囲気を放つもののもある。
そんな賑わった街中で様々な音が混ざり合うなかに、親子らしき声が聞こえた。「またピーマピ?」「好き嫌いしてるとお父さんみたいな立派な角にならないよ」母親っぽい人物が、額に可愛らしい角を尖らせた少年に言い聞かせている。
何の変哲もない、普通の日常会話だ。力を持った人族に迫害された魔族が集まる国はシグレが想像していたものとは違ったのだ。
「まぁ、ちょっと考えてみりゃあ当然だよな」
スラムのように小さな子供が食べ物を盗み、それを叱咤しながら暴力行為を働く大人たち。
喧嘩、殺し合いが絶えず、恐ろしい風景が当たり前の場所……それがグロータスだと。
しかし、そんな不安定な国など存続出来る訳がなく、この勝手に作り上げたイメージこそが偏見だったのだと悟り、なんとも言えない気持ちになった。
「シグレさん、とりあえず僕は知り合いの商人に話をしに行こうと思うのですが、一緒に来ますか?」
ダンブレイズに誘われるが、シャウザールとライジェルを探しに聴取をする、最初からそういう予定だったので断る。
ライジェルの居場所が確実にわかるようにウリエルの目覚めを待つという選択肢もあったが、それはあまりにも運任せが過ぎる。
ふと、シャウザールを見ると、ほらな? ウリエルを連れてきた方がよかっただろう、というような心の声が聞こえたようでシグレは苦笑いする。
(意識のないウリエルを待つのは本末転倒って分かってねぇのかな)
頭の中で悪態をつきながら、ダンブレイズを見送った。待ち合わせ場所は通りかかった鬼マークの看板が厳つい印象を抱かせる宿になった。
「シャウザールのおっさん、しばらくはこの宿を拠点にしたいんだが、お金だけ払っておきたい。お金貸して」
「シグレくん、今途轍もなく恥ずべき事を口走ってるの気づいてる?」
「ごめんなさい」
ひとまず賛成はしてくれたらしく、シャウザールはリュックの中から麻の小袋を取り出し、五百円玉のような、髭面のおじさんの顔が刻まれた硬貨を渡す。
「ここの相場ならこれ1枚で1週間は持つだろう。が……不安だな、リリスも着いていきなさい」
「え、わたしが子守りですか?」
「確かに見た目は12歳だが、それくらいは……」
いや、以前妹の雫と買物に言った際、計算も出来ないのかとドヤされたことを思い出し、途端に否定できなくなる。
「リリス頼んだ」
「…………」
納得出来ないのなら口に出せばいいのだが、わがままを言ってられない現状だと、流石にリリスでも自重したようだ。
シグレは硬貨を握ったまま宿の扉を開くと、清潔に保たれた床や壁が掃除を怠っていないということが伺えた。受付嬢も中々に綺麗な赤鬼の女性で、シグレに結構な好印象を与えた。
「お金」
短く零したリリスの言葉に耳を傾けるが、何が言いたいか分からないとでも言うような顔をするシグレはキツく睨まれた。
「わたしに、金、渡せ」
「シャウザールと離れた途端にそれかよ。歳上が好きなのか?」
シグレが茶化すと、更に鋭く睨まれる。本当に怖い。
「……わかったよ。この髭面硬貨を渡せばいいんだろ」
「ラモン神父をここまでコケにする人なんて初めて見ました」
髭面硬貨ではなく、偉大なるラモン神父が刻まれたラモン硬貨だと教えられ、片手に持ったそれをリリスに渡す。
シグレが綺麗なお姉さんとお話するのが余程気に食わないのだろうか。
「これで1週間分お願いします」
「それじゃ足りんよ、小娘」
いきなり大金を出す客を鴨だと受け取り更に金を巻き上げようと思ったのか、はたまた赤褐色の肌を持つ今のリリスが同じ種族だと勝手にライバル心でも抱いたのか、高圧的とも呼べる態度にリリスは負けじと言い返す。
「あぁそういえば、この店は一見とても手入れされているように見えますが、あそこにある机の下とか全然汚いですね。もしかするとこの宿って客の目が届かない場所ならなんでもいいという教育方針なのでは?」
「…………」
メイドとして勤めるリリスの、普段から鍛え上げられた観察眼は凄まじく、即座に弱点を見破った。
すかさず、鬼の受付嬢が黙っているのをいいことに追い討ちをかける。
「例えば地面に食材を落としても拾って、平気でゴミを料理に混ぜてたりして!!」
わざと大きな声で叫ぶと、受付嬢の顔が真っ青になった。
「あっ、貴様……奥には今も食事中の客がいんだぞ!?」
「客? そんな躾のなっていない店だったのですね。シグ、他を行きましょうか」
「お、お客様、1週間分で……よろしいですね」
「はい、ありがとうございます」
笑顔で言い放つその姿はとてもたくましいもので、優雅に宿の鍵を受け取った。つまり、リリスが勝ったのだ。
「す、すげぇ。リリスに任せてよかった……けど、そのドヤ顔は死ぬほど腹立つ」
今も鼻を膨らませる彼女を見て、複雑な心境になりつい罪悪感を覚えてしまったシグレは、先に行ってしまったリリスを無視する形で受付嬢に謝罪した。
「その、なんかウチの連れがすんません」
「……別にいいから早く行きな。って言いたいところだが」
しまった、と思うがもう遅い。相手が弱った隙を逃さず、何か報復を食らってしまうのではないかとシグレは構えてしまい、同時に謝ったことを後悔する。
「蝙蝠の翼、赤い目のヴァンピールの黒髪の少年」
特徴をひたすら羅列され、恐怖に支配される。報復だ。絶対に後で報復を食らう。──そう思ったが
「あんたに伝言がある。……野郎の話ではもう少し日を跨いでもおかしくない言い方だったが」
いい意味で予想を裏切られ、シグレはポカンとした表情になる。が、言葉の意味を理解した瞬間、前のめりになった。
「野郎? ……ライジェルか!?」
「名前は知らないよ。ただ、野郎曰く、『俺の勝手で申し訳ねぇが、俺はルギウスを探す。暫く帰らねぇつもりだが……ここに来れば恐らくすぐに合流できるはずだ。あんたの妹はちゃんと無事だぜ』。たしかそう言ってたな」
もしかすると別人で、たまたまシグレがその特徴と一致したから、という線も考えたが、伝言を聞くに、完全にライジェルの口調だった。
「伝言、ありがとう。ここであんたに世話になるからこれだけ言いたいんだが、悪気があったわけじゃねぇんだ」
「……少なくともあんたにはないのは馬鹿なあたいでもわかるよ。鍵は階段を上がって斜向かいにある、ルーの部屋のもんだから、あの生意気な小娘を早く追いな」
鬼の受付嬢に言われ、リリスに何も言わず先を行かれたのだと悟り、思わずため息を吐いてしまう。
とにかく、ライジェルの目的を知れたのは僥倖だった。流石に居場所はわからないが、長い間、つまりルギウスの尾行を続けるか、どこかに潜伏していると考えるのが自然だ。
これを聞きいたシャウザールがどう動くかはわからないが、これがわかればひとまず雫を見つけることに専念出来るだろう。
階段を上り、廊下を歩きながらルーの部屋なるものを探す。扉複数あり、その間隔から察するに割と広そうだ。
それぞれの扉には直接大きく文字が書いており、恐らくここに部屋の名が書いてあるのだろう。
しかし、この世界に来て間もないシグレが読めるはずもなく、困惑する。
「何してるんですか」
扉が開き顔だけを出すリリスが、シグレを呼んだ。文字を覚えないと本当に不味いかもしれないと危機感を覚えたまま、部屋に入る。
ここに来た理由は、支払いを済ませるのと、部屋の確認だけで、すぐにでも出ようとしたのだが、
「シャウザールにライジェルのことを言いに行くから、シグはここで待ってて下さい」
そうリリスに言われ、少し硬いベッドに横になる。慣れない土地を歩くのは思っていたよりも身体に堪えていたようで、唐突に瞼が重たくなる。
「…………」
──後に俺は、シグという新たな愛称に気付かぬまま、リリスが魔蛇国グロータスへ着いてきた理由を具体的に聞かないまま、そして魔族に戻ってしまったから、あんな悲劇が起きたんだと……酷く後悔した。
──────────
正式な名称はまだ無いが、魔族の集まりのリーダーとして務まることになった私はその経緯を思い出し、苦笑いせずにはいられない。
短期間で色々なことに巻き込まれすぎたのだ。まず、訳の分からない場所で目が覚めて、もはや名前も覚えていないが甲冑を身につけた変な人達に追い出されて、またしても青い変な人達に捕まってしまった。
その時に、どこか母さんを思い出させるあの人が助けてくれたけど、今はもう居ない。
ここには友達は居ないし、もう家族にだって二度と会えない。正直、生きる意味だってないかもしれない。
そんなことを思っていた矢先、共に復讐をしようと誘われ、自棄になっていた私はその話に乗った。
でも、ボーッとしたまま気づけば牢屋を引く馬車に入れられてしまった。奴隷という文字がよぎった私は縛られておらず、扉が開いた瞬間に逃げた。
走って走って、わけも分からないまま……ゲル達と出会った。彼は瀕死で、彼以外は完全に息をしていなかった。
とりあえず微かでも呼吸をしているゲルにあの人から教わった治療魔術をかけ、みるみる内に回復して言った私は、特段考えはなかったが死んだものにも治療を掛けてみると……死人が蘇ったのだ。
そこからは本当によく覚えていない。この国を治める魔王なる者に呼ばれ、勝手に話が進み、勝手に魔族団長にされた。魔族ってなんだろう? 魔法ってなんだろう?
──もう、なんでもいいや。
そんな感じで、最初に助けたゲルを側近にして(というか勝手についてきた)、暇つぶしに街中を歩いていると……汚い布を深く被った変な男に話しかけられた。
「その魔族団長ってのは、あんたか?」
遮られる形で私は身長180cm程の高身長のゲルに身を隠される。ゲルは相当な過保護だ。
「失礼な男だ。ロゼ様、殺しましょうか?」
なんとなく本名を呼ばれたくなかった私はロゼという、図書室で読んだフランス語roséeから取った偽名を使っている。我ながら安直だと鼻で笑いそうになるが
「…………待って」
今は名前のことはどうでもいい。顔を隠した彼が何故近づいてきたのか、純粋に気になったのだ。
「俺は仲間に入れて欲しいだけだ。あー、行くとこがねぇんだよ」
「名前を聞いてもいい?」
「…………レイバカ。ただのレイバカだ」
「私の方が分からないことは多いと思うけど、これからよろしくね」
別に大した理由はない。ただ、口調も雰囲気も……彼にどこか似ていたからかもしれない。
「あぁ、よろしくな」
ゲルがありえないほど目を見開いていたが私は今、団長なのだ。何をしたっていいだろう。
レイバカと名乗った男の目は隠されたまま、牙を見せ笑う姿が印象的だった。
11/27
修正し忘れていた部分を直しました。
本当にすみません。




