第一章 11.『城の生活.2』
不思議な夢を見た。夢の中では現代社会であるのに奴隷や魔族達が集まり、普通に暮らしているのだ。シグレも元に戻っており、25歳相応の姿だ。
雫と住むマンションには当然のようにレイン達がいて、仲良くご飯を食べたりお喋りをしている。
すると、突然ダンブレイズが裸で迫ってくる。雫には嫌悪感丸出しの目で見られるが、彼女は気にしないと言わんばかりに耳元で囁いてくるのだ。
「……かわいい」
甘い声でそう言われるが、いつの間にかシグレは子供の姿になっていたことに気づく。同時に、雫が近ずき、必死に肩を揺する。
『夢だよ。起きて、シグにぃ!!』
──訴えるように雫が叫んだところで目が覚めたのだ。
しかし、ダンブレイズの言葉だけは妙にリアルだった。まぁ、全体的にもそうだったので些細な違いだろうと思い、シグレはふかふかの布団を捲り捨てダンブレイズのベッドへと向かう。
「……いや、イタズラとかじゃなくて普通に起こすだけだから」
独り言で呟き、きらびやかな装飾が施されたベッドを揺する。反応がなかったので、すかさずめくってみるが……
「え」
居るはずのダンブレイズは、部屋には居なかったのだ。──逃げた? でも、どうして?
いや、少し考えればわかることだ。軟禁といっても、閉じ込めるほどの束縛はない。そんな、すぐに脱出できる状況で逃げないものなどいないだろう。
布団はふかふかであり、中に人がいるかいないか判断しづらかったというだけだか、そんなことはどうでもいいと言うように……シグレは慌てて部屋を出た。
──────────
結論から言うと、ダンブレイズはマチルダと仲良く朝ごはんの支度をしていた。
慌てていたシグレにメイドが駆け寄り、ダンブレイズが居なくなったと騒ぐと「あの方なら普通にマチルダと一緒でしたよ」と説明され、何ともあっけなく誤解が解けたのだ。
シグレは途端に恥ずかしくなり、ダンブレイズを確認し、手料理の朝食を出されても何も言わなかったのだが……少々腑に落ちない。
「マチルダさんに教えてもらったのですが、どうですか?」
「……あぁ、特にこの赤いスープとかめちゃくちゃ美味い」
元々表情が豊かな方ではないダンブレイズはあまり嬉しそうではないが、満足したようで彼女も朝食に手を付け始めた。
「なんだかなぁ」
……考えるのをやめ、昨日の夕食のようにパクパク食べ終わると、もう一度ダンブレイズと王宮図書室に行くことにした。
王宮図書室とは、様々な魔法や魔道具などの基本的な知識から、複合魔法などの召喚術のようにあまり大っぴらにしない方が良い魔法が記されている書物も置いてあり、
知隣国バルカンにおいては認められた研究者だけにしか出入りが許可されない部屋だ。
広さと見た目はごく普通の図書館だが、文字が理解できないという点は致命的だ。
前回来た時はそれが理由で即断念したのだが、いい機会だと今回は文字を教わるためダンブレイズと一緒に訪問したのだ。
やることがない訳では無い、そう思いたくはないが、今できることがないのは事実なのだ。しかし知識を付けるくらいは問題ないだろう。
そう思い、早速、近くにあった本を適当に選ぶ。
「イズ、これってなんて書いてあるんだ?」
「その呼び方が定着されるのは少々気に食わないですが……えっと『陰魔法のすべて』ですね」
「え、俺陰魔法に愛されてんの?」
本当に適当に選んだのだが、この数の中から偶然当たりを引くとは、昔からくじ運だけはいいのだがシグレはなんとも納得しない。当たり、なのかどうかはわからないが。
「文字の勉強ならもっと他の本でいいと思いますが、どうします?」
ダンブレイズは、中国語と韓国語と日本語をぐちゃぐちゃに混ぜたような字が印刷されている本を指さしながらこちらに委ねてくるが、シグレは即座に断った。
「や、本格的なのは後で教えて貰いてぇから、とりあえずはそれでいいよ。読んでくれ」
すると、彼女は頷き本棚を背に座ってから足を無造作に伸ばした。
「……なにしてんの?」
「シグレさんもこの方が字が見えやすいでしょう? さぁ、僕の前へどうぞ」
つまり、身体の小さい子供にまるで絵本でも読み聞かせるようにして『陰魔法のすべて』とやらを読んでくれるらしい。
「なるほどね。それならとても字が見やすいし、聞いたことをいちいち確認せず直接本が見える。とても効率的で素晴らしいやり方だ。だが断る!!」
メリットは先程シグレが言った通りだが、その代わりに大切な何かを失ってしまいそうな気がするのだ。
すると、ダンブレイズは諦めたのか中身は見せず、そのまま声に出して読んでくれた。
どうやら、ただただ陰魔法の名前と効果、その応用方法がひたすら記入されてる書物のようで、シグレはとりあえず、使えるものを記憶するように務めた。
「でも魔族に戻ったら使えなくなるってのも嫌な話だな」
恐らくあの最弱種族になった時点で魔法は使えなくなってしまうのだろう。レイン曰く、何らかの禁忌を犯してしまい精霊がその対象には答えてくれない、という考え方が一般的だそうだが、
そのことについても王宮図書の中に眠っているかもしれない。文字を覚えたら真っ先にヴァンピールについて調べるのもいいかもしれない。
「……聞いてます?」
足元をみて考え事をしているシグレの不躾な様子に気づき、若干怒り気味のダンブレイズに侘びる。
「あー、悪い。なんだっけ」
ため息を交えながらも、律儀になことにダンブレイズは最初から音読を再開する。
まず、陰魔法というのは主に暗殺に使われることが多く、夜など暗い場面でなら有効のだが、面と向かっての一騎打ちなどにはあまり向いておらず、使い勝手はすこぶる悪い方らしい。
初級魔法の『陰影』
マチルダに教わった通り、自分の影を浮かび上がらせるだけの魔法で、暗闇の中で身代わりとして役立つ。
上位魔法である『陰幻影』はその影を自由に操ることが可能になるが、こちらは扱いが難しい。詳細は次ページに記載。
「うーん、やっぱり影が意志を持って勝手に動くみたいなことは書いてねぇな。上位の魔法なら試してみるのもいいが、もしかして俺って陰魔法の才能があるのかも?」
「へぇ、シグレくんの『陰影』って勝手に動くのかい?」
「そうなんだよ。ほんと魔法を戻すのが大変な作業でさぁって誰だよ!?」
唐突に現れた、というか気持ちの悪いくらいにこの場に馴染んでいたのは、リリスの父であり、白色の研究服を羽織り、ボサボサの頭に無精髭というザ・風采の上がらない男“マルちゃん”だった。
「やぁシグレくん。驚かせてごめんね? 実は新しい魔道具を作ったから、それについて城に招待されちゃって。改めて自己紹介をしよう。この国の研究者代表、マルキネス・ドーラといいます」
「あー、俺は知っての通り山崎時雨です。本人には言えないけど、マルキネスでマルちゃん……厳格な名前を丁度いい具合で間抜けに表現出来た良い愛称だな、マルキネスさん」
「頼むから気さくにマルちゃんでいいよって言わせてくれない?」
シグレがなだめると釈然としない顔をしながらも流してくれた。
マルキネスも知隣国バルカンの住人としてしっかりとお人好し族なのだなと無意識にディスっていると、マルキネスは「そういや」と思い出したように言った。
「バルカン城の中庭でなにか騒ぎがあったようだけど、シグレくんは大丈夫だったの?」
途端にシグレは気まずくなる。なんせ、その騒ぎを起こした者が目の前にいたりするからだ。すると、今まで蚊帳の外だった彼女が口を開いた。
「そういえば、この部屋ちょっと寒いですね」
「露骨に話題そらそうとすんな!?」
彼女も気まづさと居づらさを感じていたことにも驚き、うっかり大声を出してしまったが……大丈夫だろうか。
いや、図書館ではないし他に人がいる訳ではないので、心配する必要はなかったのだろうが。
「え、え? どういうこと?」
この中で唯一理解出来ていないマルキネスは、2人の顔をみくらべ、あたふたしている。
「…………」
とくに隠す必要はないのでそのまま言えばいいのだが、ダンブレイズ本人が嫌がっているのなら話は別だ。出来るなら彼女の意思を尊重してやりたい。
「えっと、実は騒動を起こしたのは僕なんです」
しかし、意外にもダンブレイズの方から打ち明けた。すかさずシグレがフォローに入る。
「……昨日まではな。だがこいつは結局一人だって殺してねぇし、反省もしてる。だから許してやって欲しいんすよ」
「うーん、聞いただけだからそれは構わないんだけどね。リリスを少しでも傷つけてたんなら変わってたかもしれなよ。──傷つけてないよね?」
場が凍りつく。いや、すぐに否定出来たことなのだが、あまりにもマルキネスの目がカエルを睨む蛇のよう鋭くなったからだ。
「あ、あぁ……してないっすよ」
「そっかぁ、良かったよ」
間抜けな声と表情に戻り、シグレとダンブレイズは胸を撫で下ろす。
もしかすると、マルキネスを怒らせたらやばいかもしれない、気をつけよう。そう思うシグレだった。
「そ、そういや新しい魔道具ってなんなんすか?」
「露骨に話題そらそうとしないでください」
「…………」
ここで逃げ道を塞いでどうするのだろうか。確かにシグレは先程、ダンブレイズの逃げ道を塞いでしまった形であるが、
明かさなければいけない事実であり、そのフォローもした。なのにこの仕打ちは何なのか。
「すごいよー、今回おれが作ったのは精霊とお話できる魔道具なんだ」
しかし、そこまで空気を読む力はマルキネスには無かったようだ。
「……精霊とお話できる魔道具?」
思わずオウム返しになってしまうシグレに「そうそう」とマルキネスは嬉々として説明する。
「正確には認知するのが可能になる魔道具なんだけど、お話ができるってことは魔法の常識が覆るかもしれないから、きっとお金になる」
指を輪っかにして無邪気に笑っているが、それほど凄いものを作っているのなら大豪邸を立てることも容易なはずなのに、
何故未だにあんなボロ屋に住んでいるのだろうか。地雷を踏むと厄介な直接聞くのは少々はばかれるのだが
「マルさんのお金事情はとりあえず置いといて、聞いて欲しいことがあるんすよ。割と陰魔法を使ってみたんだけど、特に変化も感じられねぇしこの通り魔族に戻れる気配が欠片もねぇんだが、なにかわかるっすか?」
たしか初対面だった当時マルキネスは数回使ったらすぐに戻れる、という話だったが、シグレは軽く20回ほどは使用していたはずだ。色々と不自然な所が多すぎる。
「ふーむ、なるほどわからん」
「えぇ……」
仮にもマルキネスはこの国の研究者代表であるのに、思考放棄が早すぎるのではないだろうか。
「専門家じゃないから一概には言えないんだけど、理論的には間違ってはないんだよね。だから、もう一度言うけどその方法で無理ならわからない、っていうのが本音かな。純粋に使用回数が足りないって可能性もあるんだけど、錬金魔鉱石にそれほど溜める力はないと思うし……」
戻れないという結論に至るには早計だったのだろうか。しかし、たしかに沢山というほど使ってはいないが、腹に埋め込まれているモノに違和感さえ覚えないのは気がかりだ。
「あ、そうだ」
すると、マルキネスは名案だと言わんばかりにシグレに問いかけた。
「おれが作った魔道具で直接聞いてみるのはどうかな?」
なんとなくだが、シグレは嫌な予感がした。
──────────
シグレ達は王宮図書の部屋から、もはや見慣れたバルカン城の中庭に移動していた。
サングラスのような魔道具を耳にかけ、マルキネスの言葉を待つ。
心の準備が整い次第いつでもいいといったのはシグレ自身だが、あの望遠鏡がトラウマになり中々自分では発動させることが出来なかったのだ。
「じゃ、行くよ〜」
「その掛け声は辞めてくれ」
「はい、バ──
「その掛け声も辞めてくれ!?」
今回は何かを映すわけではないだろうに、魔道具を使う時はこの掛け声をしなければならないというルールでもあるのだろうか。
──カチッ
音が鳴ると同時に、視界がクリアになってゆく。それも刹那、またしても闇の中へと戻る。
しかし先程と違うのは目の前の圧倒的な存在感を放つ人──否、これが精霊なのだろう。
「…………」
身体は宙に浮いており、黒いモヤがドレスのような形をしており、真っ黒の髪の毛が背景と溶け込んでいるせいで顔と輪郭がよく見えない。
しかし、不思議と女性ということだけは分かった。
「…………」
「…………」
地面の感覚はある。あるのだが、こちらもまるで宙に浮いているような浮遊感に今にも力が抜けそうになる。
「…………」
何も喋らない。というかちょっと気まずい。
「……こ、こんにちは〜」
先手を打ったのはシグレだったが、相手を怒らせてしまわないように腰を低くした挨拶を心がける。
「──愚者に死を」
「あ、これ話通じないタイプだ」
低い女性の声と機械音が重なったような音で放つ精霊は、こちらの話を聞く気は無いとでも言うように応じる。
マルキネスが使ってみた際も戸惑っていたのに頷ける。ここからどうしかけるべきか数秒迷うが、やはり直截的に聞くのが1番だと思い、シグレは女性っぽい精霊に尋ねてみた。
「精霊さん精霊さん、未だ魔族に戻れない理由ってなあに?」
ここでシグレの技を1つ、とりあえず茶化す、だ。ここで肝心なのは相手がこちらをあまり相手にしていない場合であることと、煽りに徹しないギリギリの線を攻める、という点だ。
「お前は眷族を作ることしか脳の無いあのヴァンピールに戻りたいのか」
通じてしまった。というより、この言い方だとやはり精霊達はヴァンピールという種族を嫌っていることに対しての肯定であり、むしろ通じなくなってしまった可能性さえある。
「はいそうです!!」
「では、藻類のうち容易に肉眼で判別できる海産種群の総称は?」
「海藻です!!」
「正解だ」
(……なんだこいつ)
「たまたま近くにいた陰の精霊だ。なにか文句はあるか?」
「なんで喧嘩腰なんだよ……え? 心読んだ?」
「そうだが? なにか文句はあるか?」
「ボキャ貧かよ。じゃあ今俺が考えてる事はわかるか?」
「ふむ、私のパンティの色だな」
(……全然違うんですけど)
「……ほんの冗談だよ。あちらの世界の住人と話すのは久々でな。少し心が踊ってしまっただけだ」
久々、という事は初めてでは無いのだろうか
(あれ、陰の精霊って言ったか? 精霊はどこにでもいるって話なら当然他の属性の精霊も居るはずだが……つまり、この辺にはアドちゃんしか居なかったってのか?)
「ちょっとまて。もしかしてアドちゃんとは私の事か」
「これがデジャブというやつか。ていうか本当に心読めたんだな?」
一瞬ダンブレイズと重なり、既視感を覚え関心していると、
「まぁ、お前のような面白いやつは嫌いじゃないから教えてやるが、あのボロボロの男が作った魔道具は精霊を認知する魔道具ではなく、もっと正確にいうと近くの波長の合う精霊を捕まえる魔道具だ。そこに属性は関係ない」
「あーなるほど、つまり出会い系サイトの精霊バージョンって事か」
「そうだ。お前は猫と犬なら猫を選ぶだろう」
「今度は通じた……気持ち悪いくらいに」
シグレは異世界系でよくある「であい……何?」というような返答を期待していたのだが、心を読める彼女には奇しくも伝わってしまったようだ。
しかし、ここまで会話が出来るならそろそろ最初の問いにも答えれるだろう。──魔族に戻れない理由だ。
「あー、それは、そのだな」
後ろめたいことでもあるのか、身体をクネクネさせながら返答に困っているが、正直きもい。
「……貴様、図に乗るなよ」
「頭で考えてるだけなんだから傷つけようと思ってるわけじゃねぇんだ。許せ」
「いいだろう」
「許しちゃうんだ?」
意外と大きい器を持つ彼女を見つめ、シグレは返答を待った。
「うむ、結果的にだが、単純に私が錬金魔鉱石とやらに魔力が吸い込まれるのを邪魔していたからだ」
「……えぇ」
つまりは、彼女のせいでいくら魔法を使い続けていても全ては無意味だったということだ。
「ん、でもそんなことが可能なのか? 錬金魔鉱石ってやつは勝手に魔法を吸収するもんなんだろ? だったら、そもそも邪魔なんて出来ねぇはずだ」
「腹にあるそいつが陰魔法を吸い込むのなら魔法は発動しないだろうから、私が貴様の言霊に応えてやるだけで必然的に吸い込むことが無くなったのだよ」
ここでまた新事実が発覚する。
「……そうか。ダンブレイズが騒動を起こした時、魔法が使えなかったら死人が出てたかと思うとありがとう、って言わなきゃならねぇのかもな」
マルキネスは色々と誤解していたのだろう、と一瞬思うがそれは違う。彼は一言だって魔法が発動するという点は言及していなかった。ただの説明不足だ。
「それは聞かなかった俺が悪いとして、どうしたら戻れる?」
「うむ、私の力で今すぐにヴァンピールに戻すことは可能だぞ」
「何が『うむ』だ。早く言ってくれ」
しかし、ここまで魔族に戻ることに執着するひつよもなかったなと、今更ながら思う。
「そうだな、陰魔法を極めるだけでも戦う力はつくが、どうする?」
さて、ここでシグレは少々考える。例えば彼女の言う通りに陰魔法を極め、魔法使いの道を行くか、魔法が使えない最弱魔族ヴァンピールとして生きていくか。
「あ、前者だな」
「私は貴様が気に入った。ヴァンピールになっても陰系なら顕現させてやらんこともない」
「……乗った」
至極あっさりと意見を変えるシグレに彼女──アドはニタリと笑った。そう、笑ったのだ。
通常それ自体は特に変わったことなどないのだが、いつの間にかアドの顔のモヤが消えており、表情がはっきりと見えた。
「では、“契約”成立だ。また会おう」
「……え、ちょ」
──途端、地面についている足に重力が増えた錯覚と共に視界が真っ暗闇からほんのり暗い、つまりあのサングラスをかけた状態へと戻る。
契約とは何の話しなのか。それにあの顔は?
「──さん、シグレさん?」
まるでフルダイブ機能付きゲームの使用を終えた時のような感覚を抱き、シグレはいつの間にか横になっていたことに気づく。
「イズ……か?」
ダンブレイズの声に返事をしながら、魔道具を取り外す。
「だ、大丈夫かい……? ずっと寝言を口走ってたみたいだけど……あ、それは別におかしい事ではないのか。えっと、あの? あっ大丈夫?」
「俺はマルさんが心配だけどな……」
ダンブレイズとマルキネスの2人は自分達の事をしっかりと認知できていることに安堵した様子で確認し、シグレの肩を揉む。
「いやぁ、突然シグレくんがヴァンピールになっちゃったからうっかり叩き起してしまったよー。まぁ外から干渉は出来ないから無意味だって分かってたんだけど」
「そうだ、俺の身体……」
手には転生初日に見た禍々しい爪があり、背中にはコウモリのような翼が生えており、赤い目はわからないが恐らく戻っているのだろう。
が、シグレの口は開き、驚愕に侵されていた。
「あの顔……」
アドの顔はシグレの知っている顔だった。見間違えることなど絶対にないだろう。何故なら──山崎明子、またしてもシグレの実の母と同じ顔だったからだ。
「ナナといいアドといい、もう、訳が分からねぇ……」
こうしてシグレは無事ヴァンピールに戻ることに成功した。
その後、マルキネスに結果だけ報告し、状況を整理しようと食事処で菓子をつまみながらダンブレイズと今後について相談していると、いいタイミングで嬉しいイベントが起きた。
ただし、この言い方は不謹慎だったかもしれない。
──ウリエルが帰ってきたのだ。
──────────
ウリエルはこれ以上ないほどに警戒していた。それも当然、みんなの危険を予知してなるべく早く帰ってきたのに、そのきっかけになった人物が楽しそうに城でお茶してたからだ。
これはなんの冗談なのか、全く笑えない。
「ごめん、もう一度言ってくれ」
呑気なシグレに嫌悪感さえ抱いてしまうが、とにかく今は現状を伝えなければならない。堪えて、ウリエルは現状を報告した。
「だから、シズクちゃんに今再会するのは多分難しいと思う。魔族達を集めて組織を作っていたの。目的は、そいつの言っていた通り暗黒の龍兵団の殲滅だと思うけど、それにしては規模が大きすぎる」
「……イズ、行くぞ」
立ち上がり、親しい仲間を呼びかける様なシグレを見てウリエルは腹の底から得体の知れない感情が飛び出してこようとしてるのを自覚した。
「殺されかけた相手と仲良く友達ごっことか、楽しそうだね」
「どういう意味だよ?」
「そのままの意味だよ。ライジェルが危険を犯してまで残ってくれたのに、この有様はなんなの? 仲がいいね?」
「……だから今すぐ行こうって言ってんだよ。聞こえてねぇのか?」
「……ふざけないでよ!! ライジェルは……いいえ、私は! その赤髪にいつ殺されるかわからない状況で、皆が危ないと思ってライジェルを残してきたのよ!?」
「それは──」
ダンブレイズが何かを言いかけるが、シグレが制止するように横切る
「話にならねぇよ。イズ、グロータスに雫を探しに行くぞ」
シグレはもう会話はする気がないとでも言うように席を立ち、部屋を出ていってしまった。
残されたダンブレイズは何を話すべきか迷っているようで、こちらをチラチラ伺うが何も言ってこない。
「あんたは……」
何がしたかったの、と本音が飛び出そうになるが先程シグレが放った言葉が脳裏に過り、飲み込んでしまう。
それでも、飲み込んだウリエルの言葉はダンブレイズに伝わってしまったようだ。
「僕にも、わかりませんよ」
そんな無責任な人物など消えて無くなればいい。本来、暗黒の龍兵団に拾われてからというもの、こんなことをウリエルは滅多に思わなかったのだが、ライジェルのずる賢く牙を見せ笑う姿が蘇り、当然だと開き直ってしまう。
ウリエルはもう一度、魔蛇国グロータスへと向かおうと部屋を飛び出した。
しかし三日三晩走りっぱなしだったウリエルの身体はとっくに限界だったようで、廊下を歩き出したところで全身が傾き、倒れてしまった。
「ライジェル……ライジェルぅ」
しかし、ウリエルは泣きながら──心の底から無事を願う想い人の名前を呼ぶのだった。