第12話 世界が劣化するとき(二)
「し、庄野・・・庄野!」
祐市は山本の焦りの掛け声に思わず振り返る。山本は歩調が鈍くなっていくのがわかるので、祐市に声をかけた。祐市は彼の足下を見ると、土がガムのようにネトリと粘着している。そばに転がっている小枝を掴んでその泥を落とした。サビついたような臭いに山本は思わず顔を背けたが、祐市には思わず目蓋を広げた。
(サビだというのか?)
祐市は山本の進行方向を妨げるとその方向に向けて一歩一歩前進した。
「おい!何やってるんだ。直ぐに応援を呼ぶからそこで待ってろ!」
山本は反対方向に去っていく。だが、祐市は彼の声に耳を貸さなかった。泥のように纏わりつくサビに抵抗しながらも足取りは確実に前に向けて進んでいた。15分ほど過ぎた頃か、その道は行き止まりとなった。小高い絶壁のしたを覗くと荒波が力強く舞っていた。しかし、その色は赤く、自然のものとは思えなかった。祐市はガックリと、膝から崩れ落ちた。
「まさか、現実世界もサビによる劣化が進んでいたというのか?」
祐市の呟きを一人聞くものがいた。祐市はその影に気づき振り返る。
「そうだよ。この崖からサビは逃げのびたんだ」
「馬暮紘一・・・どうして現実世界に?」
「その時がきたからさ、庄野祐市。俺はこの世界をひっくり返す。世界に絶望したものたちをフィルムの世界に閉じ込め、映像の世界のモノは現世に解き放たれる。」
「ずいぶんと悪役めいたことを言うじゃないか。なら、今度こそお前の野望を止めないとな」
そう言って右手を左腕に翳したが、装備されたアームレッドからは反応がない。ビーガルを召喚できない!焦りからか無理にアームレッドの装飾を叩いてみるが応答はない。踏ん張る足の泥濘はどんどん緩くなった行く。両足を飲み込み腰、胸へと及び遂には祐市の全身を完全に飲み込んだ。
泥のなかで息苦しく悶えるなか、声が聞こえた。自分の名を呼んでいるようだ。祐市はそれに応えようと必死に腕を伸ばした。
「庄野さん!庄野さん!」
声を掴んだとき祐市はハッと目を覚ました。気がつくと祐市は島の本陣に戻っていた。山本と仁王が必死の思いで救出してくれたらしい。
「すまない、僕も迂闊だった・・・」
祐市は申し訳ない表情で二人をみた。仁王はヤレヤレと言ってるように首を軽く左右に振った。
「庄野、山本!直ぐに戻るぞ!」
「チーフ、何かトラブルでも?」
「分からんが、文化庁からの呼び出しらしい。すぐ戻れと。まったく、何がどうなっているんだか・・・」
仁王は唇を噛み締めた。それを見て祐市はただならぬ驚異を感じて背筋が凍った。
寝泊まりもなく戻ってきた東京のSPT社の周辺ではビル郡は人集りができていた。赤褐色に腐敗していて異臭が立ち込めている。正午を回り雲ひとつない太陽が頂点に昇ったが、燦々とした輝きは感じなかった。祐市の回りの空気もくすんでいるように見えた。それは何度も目を擦っても同じだった。
(同じだ!フィルムの世界と)
急な帰宅だというのに文化庁メディア文化課アーカイブセクションの石田真由美が迎えに出向いていた。それが祐市には不可解だったが、余程の緊急事態であることは察しがついた。
「いきなり調査を中断させて申し訳ありません。こちらの伝達に行き違いがあったようでして」
「随分とお忙しいようで何よりなことです」仁王は皮肉を込めて応えた。
「少し状況が変わりましてね・・・」そう言うと石田女史は窓の外の空を見上げた。
「ちょっと、文化庁にメッセージが届いてね」
石田女史は手にしたスマホを仁王たちに見せた。そこには無数の波形が並んでいた。
「これが提供者が送りつけてきたもの?」
「過去100年間に飛び回っていた搬送波の統計情報よ」
「そんなものをどこから?」
「この中の1:01のところ・・・」石田は祐市の問いかけを無視してスマホを停めて指を差し示した。そのタイミングでパルスが異常に跳ね上がった。その中にリマスターから抜け出した存在が示される。
「八尾須美島の時かな。あの時、映像世界の劣化要因を私たちは目の当たりにしました」
「その劣化要因がこの世界を蝕んでいるとでも?」
「それはよく分かっているんじゃないの?庄野祐市、いや・・・」石田はそれ以上は語らなかった。そしてそのまま祐市を見つめ続けてた。まるで祐市の秘密を話すかどうか試しているかのようだった。
祐市は思わせぶりに首を振るだけが精一杯だった。
お読みいただきありがとうございます。次回もお楽しみに!!