第11話 自由なき国々(二)
祐市は診療台の上に無理矢理に押し込められた。最初は抵抗していたが目の前には女がメスを持って祐市の首すじに当てているのが見えると全身はビクッと震え上がり硬直した。
「治療を始めるね」
「あなたはセラピストだろ?治療にそんなナイフは必要ないと思うけど」
「肩書きは世間を信用させるための方便。そんなことなどどうでもいいわ。聞きたいことがあるの、あなたがあの空間で何をしているか」祐市の問いかけを無視してセラピストが語りかける。祐市は瞬時に目の前に異常ではないものがいると察した。
「どう言うことです?」
「私は興味があるの。あの部屋の中で、あなたが何を見ているのかを。あなたはその中でその眼を身体から切り離し別の世界に持っていくような」
「何を言ってるんです?」
「あの子を助けたいんでしょ?なら、私もあの世界につれてってほしいの。私にもそのVR 体験ができればわかることがあるかもしれないしね」
「リマスタープロジェクトの体験なら正式に手続きを分で申し込めばいいじゃないですか。こんなことまでしなくても」
「そうしたかったけどね、あなたのチーフがそうしてくれなかったの」
「仁王チーフが?」
「彼とは昔からの馴染みがあってね、あれって幽体離脱みたいなものでしょ?ちょっと興味があったから研究のために使いたいって言ったら、「君の人体実験の目的ならお断りだ!」って聞かないんだよね」
「それで今回の事件がいいチャンスと言うわけか」
「結論から言うとあの子の魂はまだあの世界に取り残されている。電送された状態でね」
(搬送波生命体のようなものか)
祐市はふと考える。リマスタープロジェクトの中での事件のあと少女は眠りについたまま動かない。死亡という報告は来ていない。心臓は動いたまま彼女の意識は失われたままなのか。
「だから手伝ってほしいの。私の実験に。あなただってあの娘の魂が戻れば解決する話でしょ?」
いつも間にか女のメスは祐市の首から離れていた。しかし、それを機にこの場所から逃げる気にはならなかった。祐市には自分の進むべき道がひとつしかないという強迫観念に追い込まれた心地がした。しかしそれでいいと思った。首の自由が与えられて祐市はようやく女の胸元にあるバッチに武安真凛という名前が確認できた。
決行の時はすぐに行われた。臨時に閉店したクリニックの扉を開けると夜の帷が降り、沿道の繁華街には往来する人の姿はなかった。祐市たちにはお誂え向きだった。謹慎中のため着用しているサングラスと黒のロングコートはサイズが合わず、ブカブカして着心地が悪い。そんな襟元を真凛はグイッと引っ張ってクリニック地下の駐車場まで案内する。
「何してるの?車があるからこっちに来て!」
地下に駐車されたBMWは少し厳つい大きさで祐市は圧倒された。車内に押し込められた時から祐市は息を殺した。発進した車は真凛の運転するままに祐市の会社に向かって進んでいた。ナビに従い表示された順路通りに進んでいた。祐市はもっと近いルートがあることを知っていたが、敢えて声を圧し殺した。
「着いたよ」
「運転中はちゃんとしてるんですね」
「狂気はね、普段は押し込めておくものよ。その方がいざというときの解放感が違うの」
真凛の言葉を聞いて、祐市にはいくつか思い当たる節があった。殊更、ライブリマスターに関わるものは過去に触れて自分の狂気をさらけ出すことがあった。特に男ゆえ、女性に関しては特に狂気が目立った。昭和20年代に親の政略結婚のために自分の自由純愛を汚されたもの。元カレと別れるために過去の世界で自分の弟に手を掛けるもの。どれも現実の人生では罪なく暮らしているものの、記録媒体の世界では思いきり狂気をさらけ出していた。だとするとこの真凛という女と巡り合うのも必然かと思うと自信の女運の悪さを呪った。
車を降りて祐市と茉凛は深夜のSPT社にに潜入した。罪の意識はとうに越えて祐市は後を振り返らずに進み続けるしかなかった。
「ここがオペレーション室ね。この時を待っていた」
リマスタープロジェクトの起動にはチーフ専用の端末にアクセスする必要があった。それは仁王の権限によって開くものだが、時折ユーザーIDの欄にパスワードを入力してしまうミスをよく行っていた。そのため祐市にも否応なくそのログイン情報を目にしていた。そのためアクセスは容易だった。
(チーフはわかっててそんなヘマをやっていたのか・・・)
そう思っては身体に虫酸が走ってしたくもない震えをおぼえる。
「急ぎましょう。臨時起動で数分間なら資料を確認できます」
リマスターパーツをまとい異世界に入る。茉凛は未だに笑っている。化粧も厚く素顔が見えない。好きになれない女だ。
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