第3話 アイドル忘却化指令(四)
(四)
突如として現われたいくつもの逃げ道のなかで、赤星が選ぶ道は直感的に決まっていた。
(一番古い時代へ)
九人の過去の自分の中でもとりわけ小さく幼い自分を赤星は触れた。その瞬間、その少年は赤星の身体へ飛び込んだ。すると、自分の身体はみるみると縮小して触れた少年の姿に変化し、赤星の目の前にはその時の懐かしい風景が広がった。
事務所の中にあるレッスンスタジオ。これも今では建て替えられているが、八年も前となると使われたこの木造スタジオではところどころに柱のささくれが目立つ。赤星はその棘によく指先を刺してしまい抜けずに泣いた思い出があるので、急に出てきたその古めかしい空間に鳥肌に覆われる。それでも、明日のデビューを夢見る研究生は三十人ほどいて熱気に満ち溢れていた。
この日はテレビの取材で、いつもと違う雰囲気があり男の子たちがいつもと違う興奮をしていたことを赤星は思い出した。この場には取材スタッフを案内する若かりし(とはいっても四十は過ぎているが)社長の姿があった。香坂は賑やかな空間を時に穏やかにまた押さえつけるように自在にスタジオを案内しながら徐に数人のメンバーを集めた。
「紹介します。今度デビューするRA BEATzのメンバーです。じゃあ、一人ずつ自己紹介しようか。」
「浅岡です。」
「石田です。」
「赤星です。」
「森本です。」
と紹介が続く。この時のメンバーは流動的で石田と森本は最終的には別のグループとしてデビューすることになる。事務所の先輩グループが、この三年ほど前から人気グループになったおかげで、社長の香坂もそれに続くグループを世に送ろうと必死だった。このワイドショー用のレッスン風景の映像では香坂自らも出演して売り込みをかけた。しかしこの時はメンバー集めでさえも急ごしらえであったので、CDセールスも芳しくなく、八十年代に隆盛した音楽番組も時代の変化によって軒並み終了してCDの宣伝となるこれまでの常套手段が機能しなくなっていた。
「お前たち、なんで売れないのかね・・・。」
香坂も不満を漏らしていたが、当時は学校生活と並行して芸能活動をしていたこともあり、社長のつぶやきもメンバーを奮起させる材料には乏しかった。
「それでもこのころはまだ、父のように思えたけどね。」
赤星はそう思い返してはガキの姿に似合わない苦笑をした。両親の離婚で幼いころから母子家庭だった赤星には男としての大人のモデルでもあった。あのころ憧れた大人に近づいたのだろうか。近づくべきでないのか。見えない理想を求めるかのように振付に合せて手を伸ばした。
(まだまだヤワだが、あの頃もう少し動いていれば・・・)
まるで答え合わせをするかのように、今の考えであの頃の自分を動かしてみる。思いのほかこのころの自分が柔軟に動けるのが分かる。その可能性を知ると赤星はもっと試したくなる。もともと何事も自分のことに集中してしまいメンバーとの協調性を崩す悪い癖が赤星にはあった。しかし、この十分間ほどで見せるキレの良さと大人びた表現力は居合わせた周りのメンバーはおろか振付師の先生すらも目を見開いて息をのんだ。
「赤星、今日のお前すげえな!いつの間にそんなキレができたんだ?」
リーダーの三条が珍しく話しかけた。バラエティで天然発言をすることが多く「本当にリーダー?」と突っ込まれることが多いが、メンバーの変化には誰よりも敏感だった。「三条君から赤星くんに話しかけるって珍しいね。」とほかのメンバーたちも自然と話の輪に寄ってきた。今の赤星にとってこのころの三条はだいぶ年下だが、素直に褒められるとつい当時の自分に戻ってしまう。やはり、この世界から選んで正解だったと赤星はその想いを噛みしめた。
「それじゃあ行こうか。」
「もう、いいんですか?」
「長居すればいいってもんじゃないし。」
裕市の問いかけにも赤星に躊躇はなかった。この世界で得られる手がかりはないということを赤星は分かっている。赤星はこれから進むであろう冒険が、悲劇も含まれているであろうということを知っていたから身を清めたかったのである。この世界の滞在時間は二十分にも満たなかった。赤星の行動の速さに裕市は二人の時間の流れの違いを認識した。過去の感傷に浸らず常に前を向いて行動するアイドルに比べてどうも躊躇しすぎている。
(どうもいけないな、自分・・・)
お読みいただきありがとうございます。
次の世界で赤星と裕市がそれぞれの運命と邂逅する、次回もお楽しみに。