第9話 夢のあと物語(三)
20年という月日は人を狂わせる。彼女もそうだ。可憐な容姿に見えて精神を病んでいるのがわかる。でなければ、何故に初めてあった男をホイホイと自宅に招き入れるのか?それほどまでにケンキチを信頼しているということか?
案内された彼女の愛の巣はレインボーブリッジの見えるタワーマンションの最上階に位置していた。
(ずいぶんと上級国民な少年だな・・・)
当時の籠城事件のことを思い返して牧田は苦笑する。牧田にとってもこの事件にはあまりいい思い出はない。この事件が起きる前までの90年代のワイドショーは芸能人のイザコザをネタにする事が主流だった。他愛もないことと笑い飛ばす程度の低い良さがあった。当時の牧田もコンプラに気を遣わずに好きなように記事にしていた。
それが90年代末期ごろ中学生による籠城事件の中継をワイドショーでも取り上げると軒並み視聴率は向上。徐々にワイドショーは報道色を強めていった。
だがその中身は芸能界ゴシップを追いかけていた昔と大差はない。不仲な二人の大物芸能人の煽りあいは文化人、政財界、果ては国家間と様々な題材で煽り合わせた。それまで下らないと評した年配の視聴者も政治となると国の将来が不安となり、挙ってニュース風な番組にチャンネルを合わせた。だが、中身はプロレスのマイクパフォーマンスのようなものだ。教養のある報道番組とは言えず、見ている視聴者の質も変わっていない。
牧田たちのような報道班もこの煽りを受けてこれまで正当な手続きを踏んだやり方ではなく脚色ありきの誇張した取材が目立つようになった。
(こんなこと俺がしたい取材じゃない!)
取材を選り好みしたばかりにそれ以降は局から厄介者扱いされ、思うような取材に行かせてもらえず局を退職。フリーとなって鳴かず飛ばずとなり現在に至る。未成年者による老人ホーム立て篭もり事件。こんな事件がなければとその犯人に会えば殴ってやりたい気分だ。その殴れるチャンスが20年経って巡り合わせるかのように遺族からこちらに向いてきた。こんな過去の事件に旨みはないかもしれないが、牧田はその他愛もない別れ話の手伝いに乗ることにした。
同棲相手のツトムは親からの支援で生活費をまかなっており、美結はツトムとつきあってからというもの仕事もせずとも暮らしていくことができている。家事もツトムが行っているという。
「大層な暮らしぶりだな」
「だから別れたいのよ」
「贅沢なことを・・・」
牧田は頭をかいた。
「別れたいならそうすればいいじゃないか。殺されるかもしれないからか?」
「わかりません。でも、私にだって悪いときもあるのよ。よく忘れ物もしたり、彼の嫌いな食べ物を間違えて入れたりしたりもしてるし」
「だって、君のお兄さんを殺ったヤツなんだろ?その時、見ていたんじゃないのか?」
「本当のことを言うと、事件のことはあまり憶えていないのよ。子供の頃だったから、ニュースを見て、あれはそうだったのかなって・・・」
24階建てのマンションの最上階に位置する3LDK。牧田が案内された中央の広間には中央にグランドピアノを有し映画館のスクリーンのような巨大な窓ガラスが設置されていて、そこからは陽射しを受けて黒い光沢がより鮮やかだった。
牧田もうらやましく思える場所だが、どうにも美結たちふたりが棲むにはもて余しているようにもおもえた。その証拠に部屋には使わずにものもおかれていないところも散見される。なかでも最奥の部屋には陰翳が溜まっている。その部屋は扉は空いていたが、牧田がどう目を凝らしてもなかをのぞきみることはできない。
「あの部屋は?」
「あぁ、そこは私たちのリラックススペースです。」
美結は無邪気にわらった。その屈託な笑顔に牧田は眉をよせて顔を歪ませる。案内された中を覗くと中央に大型のソファが設置されてそのまわりを大小さまざまな燭台が囲っていた。照明はそれに頼るしかなく美結がいくつか灯をともして見せた。蝋燭をくべる灯がうつしだす美結は笑みをうかべていたが、牧田には不気味な寒気をおぼえる。
「ここにいると落ち着くんです。私のせいで彼に迷惑かけたとき、いつもここに来ると「いいよ」って、許してくれるんです」
(確かにこの娘ははやくここから解放しないといけないな・・・)
「彼のこと嫌いになれるなら、できることろがあるな」
「どういうこと?」
「リマスタープロジェクトってあるだろ?映像を再生させるところ。そこのSPT社ってところに少しツテがあってさ、アイツのことがどんなヤツかそれがわかると思うんだ。それを見て判断しないか?」
「そうですか・・・」
「そうだな、えっと・・・少し時間をくれないか?」
そう言って、牧田は次に会う約束を取り付けた。その時は何故、咄嗟にリマスタープロジェクトの話をしたのか全く見当がつかなかった。しかし確かにツテはあった。
美結と別れた後、牧田は気持ちの整理をするための場所を探していた。その先にひとつの映画館があった。恐らくは深夜4時を過ぎた頃か?天窓からの暗闇が青みがかっている。3本立ての映画の最終戦。損した気分だが、雨を振り出してきたので、慌ててチケットを購入する。
映画は1940年代のクラシック作品で殺人事件の容疑者が被害者の遺族に夫として近づき彼女の心の傷を巧みに利用するというものだ。その幕間には夫が使用するランプの灯りが妖しく照らされる。
「そうか、あの蝋燭の炎はガス灯だったのか・・・」
ひとり納得した牧田だが、どうにもとなりの客の異様さが気になって仕方がない。20代ほどのその男は自分の席のまわりを書類だらけにしてメモをとっている。あまり見かけないヤツだ。
「こういう映画が好きなんですか?」
「まぁ、参考としてですかね。この時代の空気感を知るためにも勉強していまして・・・。」
「ちょっと誇張した演出も多い。あまり参考にしない方がいい。」
美結のような若い世代を知るためにふとこの青年に声をかけたのが運のツキだ。変なヤツだった。まぁこの時間にこんなところにひとりでいる時点で相当な変わり者であるのだから察するべきであった。牧田は迂闊さに「チッ」っと声を出した。
映画がおわり天窓に朝日が射し込むが、牧田の気持ちは晴れない。
お読みいただきありがとうございます。次回もお楽しみに!!