第9話 夢のあと物語(二)
「下手くそ!それでも歌手かよ!」
酔った牧田の罵声がクラシカルなムードの店内全体に響く。
(ガンッ!)
それまで美しい旋律を奏でていたピアニストは鍵盤をたたくように乱れる。それから頭を抱えた。
「美結!」シンガーはとっさにピアニストに寄りそう。
「お客さま申し訳ありませんが・・・」
店の奥からガタイのいい二人の店員が静かに声をかけて退店をうながした。酔いがまわった牧田はいまだに愚痴を言い続けている。歌っていた曲が牧田が気に入っていた映画の主題歌であった。オリジナルを敬愛する牧田にとってカバーする若手歌手が自分の歌い方にあわせてアレンジをすることが気に入らない。
「まったく、なんて日だよ」
夜風にあたられながら公園のベンチで横になるとやがてふたりの男女の話し声が近づいてきた。
「もしかしてこの人がケンキチさんの言っていた人?」
「あぁ、俺のツテからだとこいつぐらいしか思い立たなくて」
見上げると声の主は店内にいたジャズピアニストだった。牧田は頬を叩かれたかのように正気を取り戻す。女はいまだ牧田をみて震えているのが見てとれる。
「今さら俺に何のようだ?」
「まあ、そんな怖い顔せんでもよかろう。彼女は小城美結。そういうと覚えがあるじゃろう?」ケンキチは牧田の顔をうかがいつつ女の目を見た。
「小城・・・美結?!まさかバスジャックの時の娘か!」
牧田は電撃が走ったような気がした。美結は相変わらず身体を振るわせているのがわかる。バスジャック事件はすでに20年以上前のことだ。東名高速道路のターミナルで当時、中学生だった犯人がバタフライナイフを持ってバス内を占拠。年輩客を中心とした50人の乗客を人質に立て籠った。事件は犯人となる少年を気遣った友人とその妹が乗り合わせており説得した友人が犠牲となる最悪の結末となった。
この立て籠りの中継は全国のワイドショーで放送されて大きな反響を与えた。それは牧田の人生の転落にも繋がっていることを思い返し、イラつきをおぼえてしまう。
牧田は目を閉じて二人に気づかれないように呼吸を整えた。
「それで、この俺が何か役に立てることがあるとでも?」
「オトコと別れたいんだとさ。話がわかる人を相談されたが、参考になるやつと言ったら女房に逃げられたこいつぐらいしか思い立たなくてのぅ・・・」
「悪かったな」
牧田は憮然としながら美結の顔を覗いた。うっすら笑みを浮かべているが、震えはまだ止まない。
「すまない。これじゃあ、お嬢ちゃんの機嫌を損ねちゃうよな」
「いいわ、ケンキチさんの紹介ですもの。それに、あの人と別れるならそれぐらいの毒牙必要だわ」
「毒?彼氏はDVがひどい男なのか?」
「いいえ、やさしい人よ」
そう言うと、美結はスマホから取り出すと、写っている男の画像を指差した。そして、牧田は唖然とした。
(脇屋ツトムじゃないか!籠城犯の・・・)
「知っているようじゃな」ケンキチはボソリと声をかける。
(忘れようがないじゃないか、コイツは!)
当時の事件は犯人が未成年であったため、加害者は公表されていないが、報道の端っこにいた牧田にはピンと来た。しかし、まさかそのときの被害者と加害者がつき合っていたという事実を知り閉口した。
それと同時に牧田は特ダネの匂いを感じて気持ちがメラメラと燃え上がった。
「どうして・・・」と美結に問いただしたいところだが、彼女はうっすら笑みを浮かべて防御線を敷いている。事件の当事者同士にしか知り得ない深い絆があるというのか。どちらにしても女が別れを望んでいる相談ならいい話の種となる。牧田はケンキチの声に首を縦に振った。
それを見てケンキチはニヤニヤしながら牧田を見ていた。
「まさかケンキチさん、このために俺を・・・。」
「お前さんはまだまだ若いんだから少しは仕事した方がいいぞ。」
ここでも若僧扱いされて牧田は気持ちをおさえこんだ。そして去っていくケンキチの背中に軽く会釈をした。
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