第8話 覚醒めた女(七)
(七)
今週末には台風13号が近づく。自分の心に宿る闇のようなモヤがその暴雨と重なるような心地がした。
そしてうつむいたまま真知子は呟いた。
「いいわ。私、お嫁にいく・・・。」
固い決心だった。しかし、世間できいた幸せになることとは違っていた。
「先生、ありがとうございました。これで気持ちの整理がつきます。」
真知子はしっかりと目をつむり一礼した。それからしばらく頭をあげなかった。彼女のなかに去来するもの。心の中は黒い渦が次第に大きく拡がっていくのがわかる。
その心の渦が自分の四肢に伝わり身体をギザギザとした異様な姿に変貌させて大きくしていく。今、怪物化した醜い姿で目の前の男を踏み潰す光景を見出だす自分がいることを感じていた。
真知子の脳裏にある愛憎を知るものはいないはずだが、そんな母の手を添えるものがいた。
「庄野さん?」
祐市は何も言わずに首を左右に軽くふる。その様子を見て真知子はハッと我に帰った。
彼女にとっては孝治郎を踏みつける直前だった。憎悪の足をあげたとき、その前に黒い巨人が立ちはだかりその暴挙を押さえつけて、自分の怪物を遠くまで投げつける。そして手持ちの武器を怪物に叩き込んだ。するとその怪物と真知子の負の想いは粉々になって砕ける。
祐市になだめられたとき母はそんな心地で何とか思い止まった。
「お恥ずかしい限りね。」
「人生をやり直したい気持ちは誰にだってあることです。」
「わたしが孝治郎さんと結ばれたからといって幸せになれたかといえば、そうでもないわ。」
真知子にはその後の運命が決して順風満帆なものでないこともわかっていた。東野原家の展開する瓦斯事業は安全面の問題からほとんどの事業を国に譲渡し、その活動は大きく縮小してしまう。
当時、真知子の婚礼を祝っていた親族も次第にいなくなり真知子は家事と子育て、そして資産売却の算段に日々をついやした。
「どのみち、運命を変えるなんて絵空事ね。」
「それで桐島先生とは結婚するんですか?」
「そうね。そうでないと娘も産まれないしね。」
「子供のためか・・・男の立場はないな。」
「そんなことないわ、大切なひとよ。」
真知子は微笑みをうかべて見せる。
それから翌月にあげた祝言の時の母はこれまでの言動が嘘のように大人しかった。周囲の親族が驚くほどであった。
列席者を眺めてみれば、桐島先生の親族の他、編集者の所長、地元の新聞社長、地元の町長まで顔を覗かせる。自分の決断ひとつでここまで多くの人物が動いてくるので自分の脱線は赦されないものだったのだ。
この時にはもういまの真知子の意識は若き体から離れてその晴れ姿を俯瞰して見つめていた。
「もう満足ですか?」
「そうね、冥土の土産にはこれ以上のものはないわ。」
「まだまだ長生きしてくれないと。」
「また、つまらないこと言うのね。」
アバターを離れて異空間のトンネルを抜けていくなかで、真知子は若かりし日の自分と孝治郎の姿をどこまでも見つめていた。それはまだ過去に未練があるのか。それとも・・・。
今回も最後までお読みいただきありがとうございます。
次回もお楽しみに。
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