第8話 覚醒めた女(六)
(六)
祐市が答えをたずさえてふたたび仮想空間を訪れたとき、真知子の屋敷は家政婦を残して不在であった。祐市がその家政婦に行き先を聞いてみたところ怪訝そうな鋭い目で拒んだ。
「今日はお嬢様にとって大切な日ですから・・・。」
「そうですか・・・そうでしょうね・・・。」
祐市は家政婦の老婆の拒否に抵抗することもなく天をあおぐ。祐市は真知子の居所を知ってはいた。しかし、自分がどうあがいたところで真実を知っての決断は相馬真知子自身のことである。
祐市は目的の場所に向けて空間移動した。
その目的の場所霧島の邸宅では相馬真知子が度会郁代に会える期待に胸を弾ませていた。
「度会先生にお会いできるなんて夢のようですわ。」
真知子のはしゃぎぶりとは対照的に桐島の顔は強ばっていた。自分より桐島の方が緊張しているようである。真知子にはそれが少し気がかりであったが、この家の執事の案内で邸宅の扉をひとつひとつ開いて見せるたびに彼女の興奮はたかまっていく。
「こちらです。」
「うん、もういい。下がっていなさい。」
応接間の前まで案内されてその執事は桐島の一声で腰を低くしてその場を後にした。
そのやりとりをもどかしく感じた真知子は当時の勢いを思いだしそれに任せて最後の襖をこじ開けた。
「あっ、真知子さん。まだ・・・。」
桐島の制止の声が虚しく空をきった。
「えっ?・・・どういうこと?」
だがそこには真知子の意中のものはなく、顔の知れた人々が神妙な面持ちで列席していた。そこには真知子の母であるタエの姿もあった。
「あら、真知子さん。ずいぶんと陽気なご様子ですね。」
「お母さま?これは一体・・・?」
真知子は振りかえり桐島の方へ目をむける。桐島はその視線を反らした。
「真知子さんあなたがここにきたということは東野原家と相馬家との良縁の契りを結びにきたのでしょう。」
「何をいっているの?」
「何って孝治郎さんは既にあなたを妻として迎えるとお認めになったそうじゃないの。」
「孝治郎さん・・・?」
その名前を口にしたときそれは桐島の本名だということがわかった。東野原孝治郎。それは真知子がこれから長年、つれそうことになる相手である。
「先代の相馬家のご当主には戦前からご贔屓にさせていたから、その娘さんならこれほどの良縁はありませんな。」
「東野原さんこそ近年、瓦斯産業の旗手ではないですか。これからも互いに手をとりあって戦後の日本を盛り上げていきましょう。」
真知子の伯父をはじめ列席している両家の親族は誰もがにこやかだ。
「ずいぶんと手の込んだこんだことをなさいますね。」
真知子は母のタエにといかける。
「そうでもしないとあなたが現実を受け入れないでしょ!」
「そんな勝手だわ。」
「勝手を通しているのはどっちなの?私の云うことも聞かないで。」
「そんなこと言ったってわたしだって孝治郎さんだってやるべき夢があるんだから。今日だって・・・。」
「真知子さん!」
真知子の言い分を孝治郎は制止した。
「郁代さんはもういないんだ。」
「どうして?」
「つい先月のことだけど、郁代さんと弟の婚約は破断している。これまで言い出せなくてごめん。」
「知っていてこれまで嘘をついていたの?」
「君を幸せにしたいんだ。僕が桐島邸を継げば、きみはとみと時間を得られる。好きなだけキルト制作に打ち込めるじゃないか。」
桐島も社会人の初めの頃は夢を追いかけるつもりでいた。しかし、ヤミ米に群がる人々へ日々取材をしていくたびに自分の夢とできる現実との距離を気にしていた。三十路を過ぎて男は自分の出自でできることの大きさを考えはじめていた。
東野原家は戦後の瓦斯産業の気鋭の事業だ。生活動線だけでなく、自動車や玩具事業にも参入できる。いま、ここで路頭に迷いヤミ米に群がる人たちを雇用することができる。
「自分の夢が小さすぎた・・・。」
桐島の右手はスーツの襟をつかんで悔しさで震わせていた。
「そんなの・・・最低よ!」
激昂した真知子は席を飛び出す。東野原邸を抜け出した先には奇しくも庄野祐市が待ち構えていた。
「庄野さん!」
「君は・・・。」
桐島はふたたび姿を現した祐市に敵意を向けて睨みつけた。
「祐市さんは知っていたので桐島先生のことを・・・。」
真知子は問いかける。
「ええ、この前の話でつながりました。でもよかったじゃないですか。 桐島先生があなたの愛した人なら。」
祐市は平然と応える。
「そんなんじゃない!」
「えっ?」
祐市は思いがけない否定をされて目を丸くして困惑した。テトリスの列を埋めたはずが消えないブロックのような理不尽さでこの心情が解けなかった。
「いいかげん、目を覚ましなさい!おんなにはおんなの幸せがあるのよ。」
表へ出てきた母の激昂がふたたびこだまする。すべてを思い出して真知子もまた右手で頭をかかえてあざ笑った。
「おんなの幸せか・・・久しぶりにきいたな。そうね・・・今とここでは価値観が違うものね。なにやってんだろう、わたし。」
結局は自分らしくと言いつつもすべては父母の掌で踊らされていたような現実に身体中から力と夢が抜けていくようだった。
今回も最後までお読みいただきありがとうございます。
次回もお楽しみに。
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