第8話 覚醒めた女(三)
(三)
そう言ってはしゃぐ真知子の手を振りほどき祐市は苦笑する。祐市は自分以上にこの世界に慣れたその女性の身軽さに驚く。確かにアバター機能は自分がここで行う仕事には必要ない。
「ここでは思いは通りの姿になれるみたいね。」
「あまり無理なことはしないでください。」
「ごめんね。こんな姿を取り戻せるなんて思わなかったから。」
「あくまでバーチャルの世界なんですから実際に若返ったわけじゃないですよ。お互いここでするべき目的が終わったら帰還するのがルールです。」
「そうね・・・。」
真知子は一息ついて陽気な気持ちを抑えた。自分がすでに齢80を過ぎた老婆であれば、これほどの冥土のみやげになる話はない。最後の思い出づくりくらいはきちんとしたかたちで終わらせよう。背筋を伸ばして別れる祐市に手を振る真知子の決意は固い。
いったん真知子と別れた祐市にもやるべき仕事がある。この時代でのVRモデリングだ。リマスタープロジェクトの拡張計画に興味を示す企業は多い。今回はe-スポーツの企業からの依頼で新作の格闘ゲーム用サンプル作成のため祐市はこの後、力道山のモデリングを行う。
戦後10年も経たない時期で未だに混沌としているなかで実家である相馬家の邸宅は成城の道端にはカイヅカイブキで形よく整えられた生け垣が美しく交ざっている。堂々とした威圧のある家を真知子は躊躇なく鉄門を開いた。
石垣の階段を少し駆け上がり庭の広がりを見せるこの空間を埋めるように音楽が響き渡る。邸宅の2階で今日も姉の佐代子が習い事のピアノを響かせているのだとわかった。
先程まで忘れていたことなのにこの空間に戻ると驚くどころか当然のこととして受け入れられる。自分が未来から来たことに自覚はあるが、細かなことや肝心の先生のことについては未だに思い出せないのは事実である。60年後の人間からすれば当然のことであろうし、その結末はこの道を辿ることでわかるのだろうと真知子は楽観視していた。
「ただいま・・・。」
広い洋館の玄関でそう唱えても帰ってくることはない。狭いマンション暮らしになれた自分にはついこの生活のズレを痛感する。
客間の脇の廊下を抜けてリビングに入るとすでに食事のしたくは整い父・代助をはじめ母も姉妹も座っていた。
「みんな待っていたんだぞ。お前もはやく席に座りなさい。」
代助はかぼそい声で注意したので真知子はしぶしぶ従った。この家のものは淡白であることは真知子にはわかっていたことである。アバターを変えたところで家族の反応は薄い。はじめて美容院にいったときも、こっそりファンデーションを入れたときも食卓に変化はなかった。家族の話題になることと言えば、将来に繋がるかもしれないお稽古ごとぐらいだ。
「それで、真知子は習い事、お決めになったのですか?」
母・タエの声は父とちがい芯のとおった圧のあるものである。その声を聞くと頭をはたかれたような心地であり真知子の眠っていた記憶を呼び起こさせる。真知子は無言で食席を飛び出した。
そして真知子は自分が知っている記憶の通り自分の部屋にある本をかき集めて再び食卓に戻ってそれをテーブルの上に広げた。それはまるでルノアールの絵画のような鮮やかなキルト作品が表紙を飾る。どれも作・度会郁代のものであった。
「私、この人から習いたいの!」
真知子は語気を荒げる。
「またその話か・・・。」
真知子の父・代助は気弱な物腰で呟く。そしてタエもそれに続いて声をあげた。
「何、言ってるの?あなたを家政学校に通わせているのも、あなたが将来、嫁ぎ先で恥をかかない為に行かせているのよ。」
「お母様、これからの時代は家事手伝いだけでその日を終えるだけではダメだわ。私らしく人生を歩む自由も必要よ。」
「あなたのしていることはニコヨンの真似事です。」
タエの語気をさらに厳しくした。日雇いの最低賃金が240円のご時世は真知子には実感ないことである。
真知子はふたたび席を立った。今度は二度と戻ってくることはない。自分の部屋に戻り鍵をかけて早々にベッドに潜り込む。数分後にドアのノックする音が聞こえた。母の声がする。「いつまでそうしているの!早く出てきなさい。」そんな声が何度かしたあと、ついには聞こえなくなる。
真知子は未だに納得がいかない。自分がしている裁縫の力が姉たちのピアノや舞踊と何が違うのか?要は母の期待が自分を嫁がせる事にしか向いていないからだ。
とはいえ、自分はもはや子どもではないのに、なぜ未だに親に反抗しているのか?
「何してんだろう・・・私。」
(コン、コン!)
しずんだ空気をやぶってふたたびノック音が聞こえる。
「真知子、いるのか?」
相変わらずかぼそい父・代助の声だ。普段は真知子の部屋に近寄りもしない父に真知子は意表を突かれた。
ふとため息をして抜け出たベッドを整える。ガチャッと扉をゆっくりと開けた。やはり父の姿だ。付近を見渡しても母がいる様子はない。
真知子ははじめての代助を自分の部屋に案内した。ふたりともベッドに腰かけてからしばらく沈黙がつづく。こんな空気は嫌な親子である。「あのさ・・・。
「やっぱり、夢を叶えたいの!」
代助とほぼ同時に真知子が切り出したはなし声の大きさは父の声を制した。
「度会先生のような日本を代表するキルト作家になる。お母さまの言いなりになって誰かの家に嫁いで一生を終える時代は終わるときがくるわ。」
代助は話す権利を真知子に譲った。まわりを見渡すと家政の実習のための衣類のほかに裁ちきった余りの生地でこしらえたクマやウサギのようなキルト工作が並んでいる。
真知子が色々と夢への想いを語っているが、聴かずともその意気込みは代助には伝わっている。
「わかった。なら真知子は何がしたいんだ?」
代助は真知子のモヤモヤを鋭く指摘した。そうなるとすぐに真知子は無言になる。
「私は・・・。度会先生のもとで学んで・・・えっと・・・。」
真知子のたどたどしさに代助は苦笑した。
「なら今度、真知子には紹介しておきたい人がいる。」代助は真知子のはなしを遮った。
「お父さままでそんな事いって!」
「最近、仕事をともにしている桐島くんという男なんだが・・・。」
「えっ?」
父の口からその人の名前を告げられる、真知子はまた言葉を失った。こんなに早く目的だった人物に遭うことになるとはおもわなかったからだ。
しかし、未来からきたのにそこから先のことが思い出せない。
「桐島先生・・・。」
「ほう、察しがいいね。彼は報道記者であり作家でもあるんだ。“桐島”はそのペンネームでね。」
「でも、わたし桐島先生の書籍なんて読んだことありませんわ。」
「そうだろうな。彼が度会郁代の義兄だから知っているってことだろう。」
「そうなの?」
「知らなかったのかい?」
真知子と代助は互いに苦笑した。そして大したドラマもなく真知子が桐島に会う運びとなっ
今回も最後までお読みいただきありがとうございます。
次回もお楽しみに。
⭐︎⭐︎Android対応アプリトラベルノベルシリーズ配信中⭐︎⭐︎
Google playにて聖千選書き下ろしの自作小説アプリを無料にて配信しています。詳細は下記のアドレスをチェック!
①ちょっとだけMy Way 〜トラベルノベル〜
https://play.google.com/store/apps/details?id=com.travel.mybook3&hl=ja
②霹靂が渡り通る 〜トラベルノベル〜
https://play.google.com/store/apps/details?id=com.travel.trave_nobel&hl=ja
③鎌倉修学小路 〜トラベルノベル〜
https://play.google.com/store/apps/details?id=com.travels.mybook2&hl=ja