第8話 覚醒めた女(二)
(二)
翌日、二人は変わらず、朝食をとった。先日、スーパーで出回りはじめた桃を購入して冷やしていたので、デザートでそれを食す。
「今年は甘い桃ですね。」
「本当にそうね。これだけ甘い桃は昭和47年のオイルショック前の時には届いた桃の次ぐらいかしら?あの時は向かいの敬策じいさんも豊作って喜んで翌年の分まで収穫したって言っていたわ。」
数日前と違い物覚えのいい母はまるで別人のようである。あまりの正確な記憶の復元に少し気味の悪さを感じてしまうが、それでも以前のような狂気な態度を見せることもなくなり、母は心から喜んでいるのがわかる。
「でも、桐島先生にも食べさせたかったわ。」
また「桐島先生」と言う言葉を聞いてカナは無言になった。使用しているメモリーのデータベースに不備があるのだろうか?そのことについてカナは問いただしたが、
「あれは昭和28年の秋頃に・・・。」
そう言って無言になってしまい目をキョロキョロさせて頭を抱え込む。この記憶に関しては未だ曖昧なままだった。今日、母と交えて再び診察を受ける。
(その時にもう一度聞いてみよう。)
真知子は彼ら数人の技師を見て反射的にカナの肩に隠れた。カナは母の手が少し震えているのを知り、潜在的無恐怖心が残っているのを感じ取った。
「母さん、安心していいのよ。この人たちが、お母さんの病気を治してくれたのだから・・・。」
カナはそう言って真知子の手をさすった。スコーピスト社のメンバーと交えた診断は2時間程度かかった。軽いヒアリングを行った後、三輪医師はヘッドセットを手渡し、取り付けるように指示する。前回、真知子に装着させた忌まわしい器具である。反射的に真知子は唾を軽く飲み込んだが、記憶もはっきりし出した今の真知子には拒絶することもなくその処置を受け入れた。
装置をつけてからはより緊張から開放された。付き添うカナもゴーグルをつけた真知子が満面の笑みを浮かべているのがわかる。アルツハイマー型認知症だった真知子がこれほどまでに落ち着きを取り戻したのはいつ以来だろうか?VRに内蔵されたメモリーチップに人の深層の記憶を読み取るヒューマンディープラーニング(HDL)。真知子はその体験者の第一号となった。
治療を終えて記憶がリフレッシュされた真知子にはもはや通院する必要もないほどだ。そうなればカナが抱えている疑問が解決できることであろう。
「桐島先生ってどんな先生なの?」
カナは真知子にそのことを尋ねた。
「はて・・・誰だったかしら。」
そう言って、真知子は再び頭を抱えた。まるでその先生が開けてはならないパンドラの箱のようだ。敬愛する先生ではないのか?真知子の悶える様子は治らない。それは周りのスタッフにも異様に思わせた。慌てた三輪が即座に真知子を介抱した。
一時間が過ぎて真知子はようやく安静になって眠りについた。ふとため息をつく三輪にスコーピスト社チーフの仁王は問いかけた。
「HDLメモリー機能の不具合でしょうか?」
「なんともいえないですが、彼女の深層心理に潜むトラウマのようなものが思考回路の機能への障壁になっているようです。」
「桐島先生・・・。」
「え?」
そばで話を聞いていたカナは仁王と三輪の会話を割って問題点である先生の名を呟いた。カナはそれを機に三輪医師にその点を話した。病から回復した母が唯一、思い出せない人がいる。忘れてしまえば済む話だが、その曖昧な記憶が今も彼女の弊害となるならそれを晴らすべきではないか?カナは娘として母親の幸せを考えて今も答えを出せないままでいる。その様子を見て仁王は声をかけた。
「それなら、我々の施設で詳しく調査しましょう。」
仁王の提言を受けて後日、真知子たち母娘はライブリマスター施設のあるスコーピスト社へ案内された。これまでは主に映像修復ツールとして活用していたリマスターパーツはその技術を応用して新たな事業形態をみせている。医療機関への進出もそのひとつだ。膨大な過去のデータを用いて過去の世界を再現し、衰えた人の脳に直接刺激を与えて記憶の活性化を促す。
「今回はこの庄野祐市が仮想空間内であなたのサポートをいたしますので、安心してください。」
「庄野祐市です。よろしくお願いします。」
「えっ、ええ・・・よろしく。」
真知子と祐市は軽く会釈をした。真知子は気丈に振る舞うが、内心は不安で仕方がない。それは祐市も同様だ。リマスターパーツを他人と共有することははじめての試みである。どんな作用が起こるかは未知数だ。もっとも、リマスターパーツ内に存在するビーガルという未知の生命体についても祐市は未だに不明瞭なままこれまで行動を共にしている。
案内された空間は先日、真知子に治療した防壁ルームと同じ場所だが、その室内にはふたつのチェアが設置されていて向かい合わせになっていた。
ひとつは前回同様、真知子が席に着くものだが、もう一方は漆黒の鎧のようなものが掛けられてある。ここに祐市が収まる。祐市にとってはいつものことだ。
「何か気になることがあれば言ってください。」
「大丈夫です。」
本当は気が気ではない気持ちを内包しつつ真知子はオペレーターからの指示の通りにVR用のヘッドセットを恐る恐る取り付けた。取り付けには祐市も手伝った。
準備が整い二人には共有してVR画面が起動しチュートリアルモードに移行した。目的の時代は昭和28年(1953年)の9月。事前のヒアリングで割り出された桐島先生の手掛かりとなる時代だ。さながらタイムマシンのようだが、その時代を再現するだけでそんな絵空事よりまだ劣る技術である。それでも今ある技術を使ってそれを誰かに貢献して有効活用する。エンジニアの醍醐味である。
指示された時代を設定すると真知子のVR画面に当時の場面が映し出される。ビルに遮られない広々とした青空。都内を悠々と交差する路面電車。
(あの時と同じだわ!)
懐かしい時代を目の当たりにして真知子の心は当時のお転婆だった頃に舞い戻っていた。
「あとの設定は“選択しない”で進めてください。」
イアモニターを通じて祐市の声が入る。よく見ると目の前にボタンが浮かび髪型や顔立ちなど細かな設定を要求されている。何もしないと当時の自分の姿がデフォルトで選択されるようだ。
(・・・変えちゃおっと!)
真知子の好奇心もまた昭和の時代再現とともに甦っていた。
(実装します。)
オペレーターのアナウンスとともに2人はこの時代のアバターとして姿を現した。そして祐市は言葉を失った。復元された真知子のアバターは激しく盛られた髪型と色黒の肌、そして絶対領域が目を引くメイドの姿だった。いくらなんでもこんなギャルはこの時代にはあり得ない。一瞬で通行人の誰もが通りすぎる度に二度見していく。
「さっ、行きましょう!祐市さん。」
と言って祐市の手をとった18歳の身体を取り戻した真知子の声は軽やかだった。
今回も最後までお読みいただきありがとうございます。
次回もお楽しみに。
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