第3話 アイドル忘却化指令(一)
(一)
新しい仕事が舞い込み、裕市は新しい世界を訪れた。1990年代前半、バブル経済の崩壊の足音が聞こえていながらも若者たちはまだ大きな夢を抱けていた(と後に懐柔できた)奇跡の時代(それはどの時代でもそうだが)に裕市は降り立った。インターネットが普及されていない不便さがあるものの今までの仕事に比べて雰囲気はいい。街並みがきれいになっていることもあるが、何よりこの時代には生まれている裕市にとってはこの空気感を肌でわかることが大きい。
映像の汚れや腐食もこれまでに比べて少ない。一応、通常のリマスター作業も行うが、映像素材としては平穏なこの世界にも裕市には仕事があった。
「一人の男を消してほしい。」
という依頼である。現在も第一線で活躍している大手芸能事務所のエモーションプロモーション。その社長・香坂ヨシオから直々のものだった。男性アイドルグループを専門に売り出しているこの事務所では香坂自身がかつてアイドル歌手として活躍していた時の渡米経験から煌びやかなショーを日本でも取り入れようとプロデュース業として事務所を立ち上げ、数々のアイドルグループを輩出した。一時期はエモーション軍団ともいえる一大帝国を築いていた。
すでに表舞台から退いているもののアイドル時代からほぼ変わらないほどの細身で、雑誌等のインタビューにも若手実業家のようにスタイリッシュであった。そのため常にアンテナを張り巡らせてはいるだろうが、このような日陰な場所に社長自らが訪れたこの光景に裕市をはじめプロジェクトメンバー一同さすがに動揺した。
チーフの仁王がその際どのように応対したか裕市は知ることはなかったが、今回のプロジェクトの打ち合わせを通じて、とりあえず裕市は一人の男の名を携えて現場に向かった。
赤星聖也。その名前は裕市も前から覚えているし、彼が所属していたアイドルグループRA BEATzについては自分だけでなく全国的に知られている。
(国民的アイドルグループの歴史に傷をつけることになるな・・・)
裕市はこれから行う背信行為に苦笑した。
とはいえ事務所公認である。その証拠に香坂より素材のマスターテープを十数本ほど手土産代わりに託された。裕市はその世界に降り立つ。
「それじゃあ、行きますか。」
裕市は自分の仕事を開始した。元来の勤勉気質からか自分の意志でなく誰かの命には疑いなく作業を行えるこの男は、仕事と割り切ることでその行動は早かった。預けられたマスターテープのなかにある赤星聖也という男をひとり、またひとりと切り取っていく・・・。
だが、裕市がここまで躊躇せずに行動ができる理由は今回のビーガルの能力によるものである。
「それなら切り取ればいい。」
そう提案したのはビーガルからだった。裕市は今回の難題を思案することで、こんなに早くビーガルの新たな能力があることが分かり、「ハハハ・・・」と思わず声をあげて笑った。リマスタープロジェクトではサビや汚れを拭い去ることができるほかに記録磁気を変調して特定の対象を塗りつぶすことが可能であった。この技術を使えば、これまでぼかしというモザイク加工をすることなく違和感のない映像に仕上がるが、真実の捻じ曲げを揶揄される声もある。だが、全面的に不自然な加工に覆われることの多い過去の映像がクリアになれば視聴者がいだくストレスを感じず、あわよくば視聴者からこの引退したタレントの記憶を時間経過とともに風化させることができるのではと依頼人である香坂は期待していた。
お読みいただきありがとうございました。次回もお楽しみに。