第5話 Ride on Remaster (九)
(九)
裕市が気付いた時には、リマスターパーツから解き放たれていた。どこまでも空が広がる空間だが、どこか限りがあるようで息苦しく狭いものであった。それは裕市にとってよくわかるいつもの映像空間の世界である。
「ここはあの時の世界。」
見回すと公園で少年が一人地面に落書きをしている。「あの子が木藤信二か。」そこに現れる一人の男。顔がうかがい知れない。しかし、信二はその男の存在を知っている。夕方5時を過ぎても一人で遊んでいる信二はその男は毎日向かいのベンチに座っている笑顔が穏やかなおじさんという印象が焼き付いていた。
「いつも一人だね?おじさんと一緒にアイスクリーム食べに行かない?」
誘拐犯はおなじみの手法で幼気な少年を誘い出した。幼稚園の先生も日頃から知らない人にはついていかないようにと呼びかけていたものの、母親が帰宅する夜遅くまで独りを過ごす信二にとって毎日見かけるこの男の存在は知らない人とは思えなかった。
初めてその男の手をとり公園を去る。記録映像にない現実がこの世界に再現された。だが、その少年の頭にはスパコンを通じてよぎる声がする。
「ぼくの仇をとる・・・。」
「ぼくの仇をとる・・・。」
「ぼくが仇をとる・・・。」
頭の中で抗うと徐々に大きくなるその声にとうとう少年は男の手をほどいて蹲った。思わぬ行動に驚く男だが、穏やかな表情を崩さずに態勢を屈めて少年の顔に向き合った。すると少年の眼が赤く点滅していた。不意に添えた手触りも人のぬくもりを感じず、完全に静止している。
「いっ!」
男はのけぞって砕けた腰をそのままに体を反らして倒れ込んだ。男は動物的本能からこの相手はすでにコミュニケーション不可の存在であることを察知した。自分でも考えられない震えを覚えたその男は自らにおぼろげながら死というものを予感させた。
少年の変貌を察知した裕市は震える男の前に立ちふさがった。
「早く逃げて!」
裕市という楯を得たところで、生を取り戻した男はバランスを崩しながらもその場を立ち去った。犯人の顔も気になるところではあるが、裕市にも目の前の信二が一番の脅威の対象であることは肌で感じている。
「仇をかばうもの・・・この対象も仇の同類と認識・・・。」
少年はすでにこの世界の支配者であった。男がいくら逃げようと消滅することは免れない。夕焼けの空はそのまま夜へ向かわず薄暗い憎しみの紫の闇で覆われていた。すると次の瞬間、空が渦巻いて雷鳴をとどろかせた一閃が男を焼き尽くした。その全身は小枝の如く細くなり、裕市が確認したかったその顔は認識できないほどに無残に焼け爛れた。青天の霹靂と思えば自然なことだが、こうも意図して誘拐犯への復讐が果たせるのだろうか?
〈シャドーチャージャー〉
裕市の呼びかけに呼応したビーガルは手にした聖棍を少年に叩き付けた。勝負は一瞬でついたが、ビーガルは聖棍を持つ手を緩めようとはしない。機能を停止した少年の隙を突いて聖棍から直接記録媒体へのアクセスを試みた。今回のプロジェクトがビッグデータに直結している以上、他のデータへの影響も懸念される。
「予想していた以上にサーバーへの浸食が速い。それにこれは・・・。」
ビーガルにとってもデジタル化された記録媒体への挑戦は未だ不確定なことが多い。しかし、自身の身体からデジタル変調された搬送波を送り続けることでこの数値化された世界にも介入することができる。その上、不具合の元凶ともいえる木藤信二を押えている以上、完全な浄化は時間の問題である。澱んだ空気はすぐに晴れ、悪魔と化した信二も元の無邪気な少年の姿を取り戻した。
その時、裕市は不意に落雷のあった場所に目をやった。「あの誘拐犯はどうなったのか?」そんな思いがふと湧いた。落雷に打たれた時と同様、灰とかした木炭のような姿がそこにあった。所詮は木藤涼子の憎悪が同調したからこそ生まれた異物である。記録媒体には認識が不能なのだろう。そんな思いに耽っている裕市の横をかすめてビーガルは徐にその異物に近寄った。その手には聖棍を携えている。力を緩める様子はない。裕市がその姿を見てふと疑問に思った刹那、戦士はその武器を力いっぱい振りかざすとその異物を叩き付けた。
「ビーガル何を!」
と声を掛けたが、物理上粉々になるはずのその異物から自衛するかの如く、障壁を繰り出しビーガルの聖棍を受け止めた。ビーガルもそれを予期していたようでその拮抗した状態を維持し続けた。その緊張はしばらく続くとやがて異物は力尽きその姿を完全に消失した。自身の予期したミッションから逸脱したビーガルの行動に裕市は理解することができない。しかし、すべてを悟ったビーガルであってもそこから次の行動に移せず、立ち尽くすだけであった。
「ここからは君たちの世界で解決する問題だ。」
リマスターパーツがパージされ、裕市は外の世界を見渡した。いつものリマスタープロジェクトと違う広い空間であったが、イの一番に裕市に駆け寄ったのはいつもの通り山本だった。
「大丈夫ですか?庄野さん。」
「あぁ、それより今はあの男を追わないと・・・。」
「あの男?」
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