第5話 Ride on Remaster (五)
(五)
日は改まり、裕市はつくばエクスプレスを乗り継いで人里離れた場所に降り立った。住宅街が望める丘陵地帯の頂上に豆腐のように無機質で面白みのない施設が鎮座している。目を凝らすと、一人の男がこちらに気付き手を振っている。近づいてその姿が山本だと確認できたときにはその施設が豆腐のような崩れやすいものではなく美術館のようなゆとり駆る空間であることが分かり改めて驚く。
「まさかここに来ることになるとはね。」
裕市のつぶやきをビル風が飛ばして二人は中で入った。そこにはほかのリマスタープロジェクトのメンバーのほか十数名の見覚えのある顔がある。その人たちはまだ来ぬ自分たちの長を待ちながら談笑している。それはいつものことのようで不安の色は特にない。
「まったく、あの人が持ちかけた話なのに困った人ですね・・・。」
山本の愚痴を聞いて、裕市はその待ち人が木藤涼子であることに気付いた。木藤涼子からの依頼の話は事前のミーティングでわかっていたが、そのころから山本の機嫌はあまりよくはないことを裕市は感じていた。
「どうもお待たせして申し訳ない。」
高い場所からそう割ってきたのは木藤ではなく、グレーのスーツを纏った男であった。その男に目を向けた人々は声にしない驚きを見せた。そこにいた人々はその男が、先日のコンペで主催である東京中央銀行頭取からベストプランナーのトロフィーを受け取った男だからである。名は大杉信也、この施設を有するアドバンスAR社の社長を務める。男はパーティーの如く大勢の人物を招待するこの状況とその人々を上から見下ろすことに喜びを感じるようで満悦の表情を浮かべて低い背を伸ばしている。のけぞる人々の中、その場にいた仁王が男に近づいた。
「先日、ありがとうございました。それから、ベストプランナー受賞おめでとうございます。近いうちにこうしてここの研究所に案内されるとは光栄です。」
「そんな遜らないでください。僕もここで皆さんと共同で新しい仕事ができると思うと期待が膨らみます。対等に行きましょう。」
軽い握手を済ませ二人は施設の奥へと向かった。仁王の目配せとともにほかのメンバーも彼らについていく。大型施設の中は余計なものが省かれた殺風景ではあるが、科学者たちにはこの奥にあるこの施設の中枢に思いを巡らせて期待が高まっていた。地下エレベーターを乗り継いで自分の座標が分からなくなったとき、大杉は一番奥にあるスライド式の扉に手をかざした。『認証OK』の「ピピ」という小さい反応から扉は自動的開場し、男はさらにその奥を案内した。本棚のようなラックが左右に三十台ほど連なっていてそこにいた人々はその無機質な筐体を軽くなめまわしながら奥へと進んだ。皆それが世界二位の処理速度と容量を誇るスパコンであることを知っている。次世代のマテリアルインフォマティクス(MI)と期待されるこのビッグデータの一部をリマスタープロジェクトでは管理委託先として利用している。そのことでも大杉はリマスタープロジェクトを掌握しているともいえる。研究所からスタートしたアドバンスAR社の中で大杉は研究者という肩書ではあるが、近年は施設の運営に注力している。そのためか、彼が白衣姿を見せることはまずない。先日のコンペではトロフィーを授与されたものの、そのテーマである「AR空間においてのアナザーアース構築」は実質、彼の所属する研究員による成果であり、大杉自身はその研究場を提供したに過ぎない。後進育成と言えば聞こえはいいが、その受賞を代表者の大杉が大方の賞金を賜ることに納得できない研究員も多い。とはいえ、この施設を用いてリマスタープロジェクトとは規模の違う研究が行ったことは事実であり、この世界の広さを実感する。
「今更、過去のデータを支配したところで、容量が違うんだよ・・・。」
裕市の一オペレーターとしてつぶやきは二社の有能なエンジニアたちの中でかき消された。さらに奥へ進みデータ管理室の先に着くと思わぬ驚きがあった。
「意外と早かったのね。」
奥にいた白衣の女は遅刻しているかと思われた木藤涼子であった。彼女はあいさつの言葉を掛けるがこちらを向いていない。裕市はふたたび山本の表情をちらりと見た。予想通りの硬い表情を浮かべる。重役出勤でなかったことよりもこの施設の興味から誰よりも早くこの場で研究する女の情のなさに腹を立てた。どちらにしても彼女に対する怒りの動機がほしかったのである。
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