第4話 拭えない自分(五)
(五)
「それなら人事の面から改善していきましょうか。」
数か月前の打ち合わせ時にそう提案したのは監査室第三室長の直原である。会計士でもある直原は渉が米国留学中からの知り合いである。帰国後、独立事務所を有していた直原を渉は大和田工業へ招いた。留学中から注目していたコンサルティングの手腕を期待してのことである。実際、今後の外資戦略においても直原は結果を残して活躍した。しかし、その成果は目に見えたものではないことから旧世代の社員からは疑問視され、重役会でも「なぜ監査室の若造が参加しているのか?」と陰口をたたかれる。渉はそんな旧世代を軽蔑する密かな喜びを得ていた。そんな直原が提案したことから始まった未来会という特殊な制度も必ず成果をもたらすという確信に満ちていた。
原宿から明治通りを十分ほど歩いた先を小道に抜けて人通りのなくなった頃ところに『Mon amour』というフレンチ料理店。大学時代の教授の友人が渡仏してオープンした店を渉は三年ほど常連として訪れている。事前に貸切にすれば、五十名ほどの席は確保できる。部署に関係なく本社に所属している若手社員が全員参加しても十分に足りる。しかしこの日は現代からやってきた見慣れない男が一人混ざっている。
「へえ、雰囲気悪くないじゃないですか。」
引き続き竜馬のそばにいる裕市は余裕を見せるかのごとく、淡々と辺りを見回した。
「こういうところで動じないとは、君ってずいぶんお坊ちゃまなんだね。」
「そうでもないけど、大和田社長の行きつけならこれくらいは・・・。」
「ずいぶんな物言いだね。」
「でも驚いてますよ。こんなところで毎週飲み会だなんて大和田工業の社員は羨ましいもだなあって。」
「果たしてそうかな?」
そう言って竜馬は左ひじでみぞおちを基点とした頬杖をついた。裕市はそんな竜馬の視線の先である五十名弱ほどの社員を見つめた。ところどころでグループができて銘々に談笑をしているが、心なしか覇気がない。思えばこの店に来るまで、喜ばしい雰囲気がなかったかのように思える。「慣れてしまえばそんなものか。」そう思いながらも社員が一様に持つメモ帳やノートが気になっていた。
そう考えていると新社長が現れて、店内奥の上座に腰を下ろした。それをみて慌てて店内の全社員は着席した。ノートは料理が運ばれるであろう膳の脇に置いている。
「それじゃあ始めようか。今日はそうだな・・・今里君からにしようか。」
「はい!・・・私はこれからの大和田工業の基盤となる家電事業の拡大を進めて区べきだと思います。生産性を上げるために社員を増やして・・・。」
「家電事業ね・・・今は、部品の低価格化で新規参入会社も増えているからね。新三種の人事にすがるのは古いかな。」
「そうですか、すみません。」
「次はどうかな?・・・橘君は?」
若手社員相手とはいえ大和田渉の指摘は容赦をしなかった。実際、次に話を振られた橘も困惑した。
「すみません。考えを用意していなくて。」
「アイデアは常日頃から考えものだ、きみは日ごろから何をしているのかね・・・。」
「申し訳ありません。」
渉の溜息に会食の場が凍りついた。給仕の人が現れて次々に料理が運ばれてきたが、手を付ける人はいなかった。渉は経営者一家の血筋としてワークライフバランスのライフの部分を蔑ろにする傾向にあった。
社員教育の仕組み化。未来を見据えた会社づくりにはそうしたことが不可欠でだと渉の中でいつの間にかそうした考えが形成された。創業者である大和田兵蔵が築き上げたこの会社は自らの手から離れた後も生き続けて息子そして三代目の自分にまで及んでいる。こんなことは祖父も考えていなかっただろう。しかし現在がそうであるように自分も同じくこの地位を明け渡す日が来る。その後も今と同じように機能し続ける仕組みづくりがどうしても必要となるのだ。
「君は見ない顔だね。君の意見を聞こうか。」
ついに裕市にも回答が求められる。これからの大和田工業は柱となるセラミック製造業だけでなく更なる戦略が必要であるという。議論が煮詰まっていく中、裕市が回答するために沈黙する時間は長く周りをイラつかせた。こんなブレインストーミングの経験がない裕市には答えに詰まった。咄嗟に応えられた事と言えば・・・
「劣化した記録媒体を修復する技術などはどうでしょうか。」
裕市は回答を発した後、全身で萎縮した。この時代の人たちにとって絵空事のことであったからだ。そして不穏な空気から各々に失笑が起こった。
(何をしているんだ。)
気恥ずかしさの残る裕市の気持ちとは裏腹に渉は冷静に数度うなずいた。そして裕市の眼を見て「おもしろい。」と諭すように語りかけた。そして裕市は自分の知りうる未来を話した。小型の電話を個人個人で持ち歩いていたり、電子カードやり取りをするので切符切りがいなくなったり。しかし未来を当たり前に過ごしていると、意外と進化しているものが思いつかない。
「まるできみは未来から来たかのようだな。」
一通り話し終えて興奮する裕市をなだめるかのごとく渉は問いかけた。
「未来ですか・・・そうとも言えますね。」
「なら大和田工業はこれからどうなる?」
渉はこの質問をしてすぐに撤回した。楽しみは自分の手で実現するものというのが渉の信念である。言葉を詰まらせた渉の姿を見て裕市は話を続けた。
「なら未来人として警告しますが、このままではこの世界は破滅します。」
裕市の一言に議場は騒然とした。渉のみが分かっているかの如く動じない。
「破滅か。」
「私はこの世界を破滅させる存在と戦うために来ました。」
「そうなると君のいる未来は破滅しているのか。」
「いえ、別にそういうわけでは・・・。」
「どうも見えないね。君が何のためにここに来たのか。この戦いで何を得たいのか。君、何か欲しいものでもあるのかね。」
「いえ、特にはありませんが・・・。」
その一言に渉は庄野裕市という未来人に心底落胆した。裕市の宣言を見る限りこの世界が破滅することは恐らく現実なのだとわかったが、戦う動機がどうにも見いだせない裕市という未来人は自分が思っていた理想の未来とは異なっていた。誰もが昨日よりもよくなっていることを実感できた時代。渉はその恩恵を特に受けた男である。欲しいものを手にするスタンスの渉にとって無気力で物欲のない未来人の発想はビジネスとしてのうまみがなかった。
(物が豊かになるとそんなものか・・・。)
渉はまた深々とため息をして会場の空気を濁した。
お読みいただきありがとうございます。
裕市との出会い。そして渉が行う次の一手とは?
次回もお楽しみに。