第4話 拭えない自分(四)
お読みいただきありがとうございます。
苦悩する大和田渉が見出すものとは?
次回もお楽しみに。
(四)
一瞬、議場が暗転した事故に議場内の重役や取材陣たちにも動揺が広がったが、裕市の手で明るさを取り戻すとその不安は解消されて、後年残る記録映像の場面は無事撮影された。その中央に陣取るのは先日の結婚式でも報道陣の被写体の中心となっていた新郎の姿があった。大和田工業の三代目社長の大和田渉である。先日とはうってかわって周りの重役たちと同じような太めのスーツで威厳を表しているが、ストライプの入った光沢感のあるネクタイやブランド物の時計をところどころに身につけて若者らしい遊びどころがある。
しかし先代社長の病気療養により社長職の引継いだ二十八歳の若き長は見せつける遊びのあるファッションとは異なり、その頭の中は遊べる余裕はなかった。
(だれかが俺を陥れようとしている・・・)
大和田渉にとってこの超常現象は自分の不安を掻きたてるものだった。それが不機嫌な表情に出てしまう。社長に就任してから特に顕著でそれが結婚式の晴れ舞台でも露呈していた。勿論そのことは渉自身も意識しているが、就任後の多忙なスケジュールと大和田ブランドの先々代からの重圧でそのことがかき消されてしまう。
大和田グループは戦時中から中心となっている重工業をはじめ、化学繊維、金属、自動車、商業、銀行、保険とその分野を広げているが、その本丸である大和田工業は未だグループの中核を担っている。今、渉の頭を悩ませているのはそんな中核の派閥の問題である。
大和田工業には創業者である祖父・大和田兵蔵が仲間内から始めた重役が現在でも技術部門が中心となって組織体制が出来上がっている。一方で、父である前社長の大和田爾は営業を得意としていたこともあって営業部門が本格的に体制を整えていた。これまで様々な事業に製品を開発・展開していた社にとってその支えとなっていたのはどちらか、そんな小競り合いが長年続けられている。
「いい製品があってもそれを需要のある購買層に流通しなければ意味はない。」
とは、営業派閥の言い分であり世代的にも技術部門よりも若く勢いがある。しかし、先日、大和田爾が緊急入院したことによりその勢いに陰りが見える。そんな動揺が息子の渉にもひしひしと伝わってくる。
(営業部門の連中は俺を取り込もうとしている。)
この会議が終わった後も営業統括部長の平澤が、各社への社長就任の挨拶回りの手配は実に手早かった。営業畑出身の男であるがゆえに話術には長けている。営業で回った際の、土産ばなしには事欠かない。年齢的には父と同世代であるがゆえに渉の父の話もする。だが、それ以上の範疇で、祖父の話はしない。そのことが、渉には心が満たされない。それは、製造部統括部長の宮城原も同じことで、宴の席で亡き祖父の話はするが、父に関する話はしない。
どちらにも言えることだが、この席の中心となる渉をただの傀儡としてしか見ていないことである。どの幹部も自分が幼少期から頭を撫でてもらったことがある連中ばかりだが、そのころから誰もこの「お坊ちゃん」を手懐けようとしていたのかもしれない。しかし、渉には頭を撫でてもらう幼い可愛さの中に確かな野心をたぎらせていた。
(そこになんとか風穴を開けたい。)
いつしか渉の思いはそこに行きついていた。自分こそが社長であるという存在を示さなければならない。渉は人を(それもなるべく若い人を)求めていた。そのためここ数日は自身が役員に抜擢した経営企画室長の倉持照男と監査室第三室長の直原健一との打ち合わせを管理面を中心とした改善策を中心に毎日三時間以上行っている。営業の平澤も技術屋の宮城原も理解はできないといわれるだろう。実際、この会議でこれといった新事業のアイデアが出てこない。日本におけるコンサルタントの前例が乏しい分、この会議は難航していた。
重役会議を終えて社長室に戻ると内線が掛った。来社された方がいるというが、受話器越しの秘書も困惑している。「まさか。」とは思ったが、受付先に向かうと一人の女が、小さな風呂敷を抱えたまま立っている。人の往来が激しいが、涼やかなワンピース姿は渉にも一目でわかる。先日の花嫁姿とは異なるが、その変わらない笑顔のふりまき方はそのままで渉に気恥ずかしさを与える。そんな表情を手で覆い、渉は自分の会社で体を小さく丸めて女に近づいた。
「会社には来るなといったじゃないか。」
「でも、お弁当お忘れでしたから。」
「今日はこの後、会食なんだよ。」
「あら、そうでしたね。ごめんなさい。」
「そういうことは、女中にまかしておけばいいんだから。」
「それでも、あなたの妻として何かしたいのよ。家政学校出ですからせめて料理ぐらいはと思いまして。」
二人のやり取りに往来する人の視線を渉はひしひしと感じている。あまり長引いて注目されるのも嫌なので、渉は妻の美佐子が抱えている弁当包みを受け取った。お転婆な美佐子に渉は常に調子を狂わされる。名門となった大和田家の三代目には学生時代から常に縁談の話が持ちかかっていたが、渉はそれを嫌って大学時代のサークルで知り合った美佐子と結婚した。これもまた、自分を思うままにしようとする勢力に対する自分の抵抗だが、我儘とも言われる。自分がほしいものは何でも手にできる立場でもあるがゆえに責任も十分に分かっている。すべては「お坊ちゃま」というレッテルに対する抵抗なのだ。
午後、取引先のあいさつ回りを数社終えた。営業部長の平澤を伴っての事なので、何処の社もその男の息がかかっている。自分は三世社長として孤立を感じている。いや、無力であるが故の孤立なのだ。帰りの自家用車でそのことを反省しつつ、次の日程場所へ向かった。しかし、その反省に対する対策を考える余地がない。もはや時間の感覚がなくなっている。渉はそばに控える秘書が手にしている手帳を覗き込んでカレンダーを確認する。
(水曜日か・・・未来会の日だな。)
渉はスケジュールを確認して多少の笑みを取り戻した。渉は週に一度、行きつけのBARで三十歳以下の社員をねぎらう機会を設けている。社長という立場上、特に若手の社員と接する機会がない渉にとってこの時間は大切にしたいと自らが提案して費用はすべて自分で賄っている。幅を利かせる派閥がある以上、未来の世代から支持されることは渉にとって何より重要である。渉は残っている若さを何とか力にかえてこの日のスケジュールを耐えた。